No | 125727 | |
著者(漢字) | 梶谷,忠志 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カジヤ,タダシ | |
標題(和) | 高分子溶液の液滴乾燥過程のダイナミクス | |
標題(洋) | Dynamics of the Drying Process of Polymer Solution Droplets | |
報告番号 | 125727 | |
報告番号 | 甲25727 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第7260号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 物理工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | (緒言) 本研究は複雑流体(高分子溶液、コロイド分散液等)の乾燥現象、特に基板上に滴下された微小な高分子液滴の乾燥現象に関するものである。 筆者が微小高分子液滴の乾燥、薄膜形成過程に注目した背景として、インクジェットプリンティング技術が挙げられる。インクジェット技術は一般的には紙やフィルム等への印刷に用いられる技術であるが、近年、インクジェットプリンティングを用いた機能性高分子の散布(マッピング)が、有機ELディスプレイや有機トランジスタ等のデバイス作成に応用の可能性を見出されている[1]。また、再生医療工学の分野においても、生体高分子のマッピングによる人工細胞や人口骨格の創生等[2,3]、インクジェット技術は次世代の重要な技術になるとして、注目されている。 これらの技術の実現の為には、ナノメートルスケール、液量にしてピコリットルオーダーでの液滴乾燥、成膜過程の詳細な解析、及び精密な制御が必要とされる。著者は高分子液滴の乾燥過程において内部に生じるダイナミクスを実験的手法により正確に捉え、物理モデルを構築すること、及びそれを元にした乾燥過程制御法の考案を目指した。 (研究背景及び問題点) 液滴の乾燥に関する先駆的な研究としては、Deegan等によるコロイド分散液を用いた研究が挙げられる[4]。彼等の研究は、テーブル上に出来るコーヒーの染みの様に、液滴の乾燥後、中の物質が液滴の端に集中して堆積し、リング状の薄膜を作るメカニズムを明らかにしたものである。彼等は液滴の接触線(液滴-気相-基板、三相の境界線)が乾燥の最初から最後まで動かない(ピンニング)ことに注目し、接触線近傍での溶媒蒸発速度の急激な上昇と、接触線近傍に堆積した溶質による接触線のピンニングという2つの現象の共存により、液滴中心より端へ向かう流れ(外向流)が駆動され、物質を輸送することを明らかにした。コロイド粒子の様に液滴中に分散する物質のサイズが大きい場合、本現象は支配的となり、多くのケースでリング状薄膜の形成が観測されている。 これに対し、高分子溶液では、一分子辺りのサイズがコロイド系に比べ遥かに小さい故に、現象はより複雑なものとなる。例えば、De Gans等により報告された、高疎水性基板上では高分子液滴がリング状ではなく、中心に窪みを持つドット状薄膜を形成するという現象[5]等、接触線のピンニングが支配的とはならないケースが存在する。また、分子のサイズが小さい為、コロイドのケースのように光学的測定により乾燥に伴う液滴中高分子の輸送を直接観測出来ないことも研究を困難にしている。この為、これまでは主に乾燥後の薄膜形状を数値シミュレーションと比較し、間接的に評価するという手法が取られてきた。 (研究目的) 研究背景、問題点を踏まえ、筆者が本論文の研究で目指したのは以下の3点である。 (1)液滴乾燥中の高分子輸送を直接評価する実験的手法の構築。 (2)接触線のピンニングが支配的とならないケースに関する、ダイナミクスの追跡。 (3)乾燥過程を制御する手法の考案。 (1)蛍光測定を用いた液滴中濃度場の動的可視化 本研究は蛍光測定と液滴形状測定を組み合わせた測定機構により、液滴乾燥中の高分子濃度場の動的変化を直接評価する手法の実現を目指したものである。溶質高分子としては、スチレン単量体と微量蛍光分子(アクリルアミドフルオレセイン)との共重合により合成した、蛍光ポリスチレンを用いた。この蛍光ポリスチレンを溶質-アニソールを溶媒とした液滴を基板上に滴下し、乾燥過程を液滴下部から倒立蛍光顕微鏡により測定することで、図5下図に示す様に、溶質高分子の分布が蛍光強度の分布として得られた。 同時にCCDカメラを用いて液滴の側面形状を測定し(図5上図)、蛍光強度分布を各位置の高さで校正することにより、液滴中の高分子濃度場、及びその時間変化を得た。濃度分布の経時変化より、内部に生じる流動の特徴的速度を求めることにも成功した。奥薗透氏等による数値シミュレーションとの比較の結果、理論モデルと実験データ整合性も確認された。 本研究は乾燥液滴中の高分子輸送を直接評価した世界初の研究であり、本論文の他、Langmuir誌に掲載、及び国際会議The 7th Liquid Matter Conferenceに於いても報告している。 (2)水を溶媒とする高分子液滴が見せる接触線後退のダイナミクス 本研究は2008年4月21日~7月16日フランスのESPCI(工業物理化学研究機構)に滞在し、Francois Lequeux教授のグループと共同で行ったものである。 筆者は水-ポリジメチルアクリルアミド(PDMA)液滴の乾燥過程において、接触線が特殊な挙動を示すことを発見し、メカニズムの解明を試みた。 ・観測された特殊な接触線挙動・・・図2(a)に示すように、水-PDMA液滴では、乾燥の初期にピンニングは解け、以後乾燥の最後まで接触線は後退を続ける。一方で、接触線は後退しながら、薄い高分子の膜を常にその跡に残す。乾燥後にはリング状ではなく、多くの高分子が内側に分布した火山状薄膜が作られる(図2(b))。 ・接触線の挙動を説明する物理モデル・・・一般的な高分子溶液と異なり、本系では溶液の表面張力が高分子濃度に対し負の依存性を持つ。乾燥に伴い、接触線近傍の高分子濃度は液滴内部に比べ高くなるが、この濃度勾配により液滴の端から内側に向かって表面張力の勾配(マランゴニ力)が生じる。これが推進力となり、接触線は後退を始める。他方、接触線直近の高濃度領域は非常に大きな粘性を持つ為、一部が後退出来ず薄膜として残される。 本研究はマランゴニ力が接触線のピンニングを解き、より均一な膜厚の成膜を可能にする機構であることを示唆したものであり、本論文の他、Langmuir誌に掲載、及び国際会議de Gennes Discussion Conferenceに於いて報告している。 (3)界面活性剤添加による液滴内マランゴニ流の駆動と薄膜形状制御 本研究は研究(2)から示唆を得たものであり、任意の高分子溶液系でマランゴニ流を発生させ、乾燥後に均一な膜圧をもつ薄膜を形成することを目指したものである。マランゴニ流を任意の高分子溶液で実現するには、溶質高分子とは別に表面張力が濃度に対し負の依存性を持つ物質を溶液中に微量添加することで達成できると考えられる。そのような物質として考えられるのが界面活性剤である。添加された界面活性剤は乾燥中、外向流により端部へと輸送されるが、その際生じた濃度勾配が液滴中心に向かったマランゴニ力を引き起こす。マランゴニ力に伴うマランゴニ流が外向流を抑制する期待出来る。 筆者は高分子溶液(溶質:ポリスチレン,溶媒:ジプロピレングリコールメチルエチルアセテート)に微量界面活性剤(DIC社製フッ素系界面活性剤:F470, F489)を添加し、液滴乾燥、薄膜形成過程の変化を追った。本実験では現象の単純化の為、バンク構造を用いて接触線の運動を拘束している。 図3に得られたフィルム形状(高分子濃度10%, 駅量750pl)を示す。界面活性剤を添加しない場合、外向流により高分子は端部へと輸送され、フィルム形状がリング状となるのに対し、界面活性剤を添加した場合、より多くの高分子が中心近傍に分布し、全体として形状がフラットに変化していることが見て取れる。初期濃度、初期堆積、溶媒の種類等をコントロールパラメータとして同様に実験を行った結果、フィルムの平滑化(レベリング効果)は普遍的に得られることが分かった。また、マランゴニ力存在下でのストークス方程式の次元解析により、少量の界面活性剤添加がレベリング効果を起こすのに十分であるという示唆も得られた。 本実験の結果は、界面活性剤の添加によるマランゴニ流の発生が、インクジェット技術等の応用において、フィルム形状を制御する有用な手段となることを示唆するものであり、本論文の他、The Journal of Physical Chemistry B 誌に掲載、及び国際会議The 1st FAPS Polymer Congressに於いて報告している。 以上の3研究の他、筆者は乾燥後の高分子薄膜を溶媒蒸気にさらし再流動化させることで、薄膜形状を成型することが出来るという示唆も実験から得ている。本論文では、この実験結果、及び考察に関しても述べる。 図1 蛍光測定により得られた高分子分布とその経時変化 図2 水-PDMA液滴の(a)接触線後退過程 (b)薄膜形状 図3 界面活性剤添加による乾燥後フィルム形状の変化 | |
審査要旨 | 基板状に滴下された高分子溶液から溶媒が蒸発し薄膜を作る現象は、多くの印刷技術、とくにインクジェットプリンティング技術と関連して重要である。有機ELディスプレーや太陽電池等のデバイス作成では、均一な厚さのパターンを広い面積に作ることが求められているが、多くの困難がある。乾燥の結果できる膜に凹凸ができたり、膜の変形やはがれが起こっている。これらの困難を解決するためには、高分子溶液の溶媒蒸発と成膜の過程を詳しく調べる必要があるが、この現象についての研究はほとんど行なわれてこなかった。本研究は、乾燥によってできる薄膜の形状を精密に制御することを目的とし、基板上に滴下された高分子溶液が乾燥して薄膜を形成する過程の物理を詳細に調べたものである。本論文は、論文提出者梶谷忠志君の3つの研究をまとめたものである。 (1)溶媒蒸発によって起こる液滴内部の流れと高分子輸送に関する研究 (2)溶媒蒸発によって起こる接触線の後退ダイナミクスに関する研究 (3)薄膜形状制御のための提案とその実験的検証 以下それぞれについて述べる。 (1) 溶媒蒸発によって起こる液滴内部の流れと高分子輸送に関する研究 梶谷君は、蛍光測定と液滴形状測定を組み合わせて液滴内部の高分子濃度を求める方法を考案し、乾燥過程における高分子の濃度分布の時間変化をはじめて計測した。微量な蛍光分子を共重合させた高分子(ポリスチレン)溶液の蛍光強度を蛍光顕微鏡を用いて基板の下部から測定すると同時に、基板に平行な方向から液滴形状の時間変化をCCDカメラにより測定した。蛍光強度より、基板に垂直な方向に存在する高分子量を計測し、これを液膜の厚みで割って、高分子濃度の空間分布がどのように時間変化するかを調べた。得られた濃度分布の時間変化のデータを理論と比較し、乾燥に伴う外向きの流れの効果と拡散による効果を評価し、前者の寄与が主要であることを示した。これまで、溶媒蒸発に伴う溶質濃度場の時間変化が測定された例は報告されておらず、本研究は高分子の輸送の様子を明らかにした始めての研究であると国外の研究者からも高く評価されている。 (2) 溶媒蒸発によって起こる接触線の後退ダイナミクスに関する研究 梶谷君は、ポリジメチルアクリルアミド(PDMA)の溶液が乾燥してできる薄膜の特徴が、溶媒が水である場合と有機溶媒(ブタノール)の場合とで大きく異なっていることに注目し、詳細な実験を行って水を溶媒として用いた場合におきる特異な乾燥過程の様子を明らかにし、それに対する物理的な説明を与えた。通常の有機溶媒を用いた乾燥では、乾燥のある段階で接触線のピニングが起こり、乾燥後にできる膜は、ピニングされた位置付近に鋭いピークを持っている。これに対し、水溶媒の乾燥では、接触線は乾燥の最後まで後退し続ける。しかし、後退する接触線の外側には薄い高分子膜ができており、最終的にできる膜は、外周と中心の中ほどにピークを持っている。基板の表面処理や、高分子濃度などの条件を変えた実験を行なった結果、梶谷君は、この特異なふるまいの原因は、水の表面張力の高分子濃度依存性にあると主張した。有機溶媒の表面張力は、高分子濃度によらずほとんど一定であるが、水の表面張力は大きく、かつ高分子濃度の増加とともに減少するので、水を溶媒として用いた場合には、周辺部の高分子濃度が高くなるにつれ、溶液の表面はマランゴニ効果によって強く内向きに引かれる。これが薄膜を残しながら、接触線が後退してゆく機構であるとの主張には説得力がある。この研究は、興味深い現象を提示しその解釈を与えたという学術的な意義だけでなく、マランゴニ効果を用いて接触線の運動や薄膜の形状をコントロールできるという応用上の可能性を示した点でも意義は大きい。 (3)薄膜形状制御のための提案とその実験的検証 上の研究にヒントを得て、梶谷君は高分子溶液に界面活性剤を添加することで、薄膜形状を制御できるのではないかと考えた。有機溶媒の表面張力はほぼ一定であるが、界面活性剤を加えることで、界面張力を変化させ、マランゴニ力による内向きの流れを作ることができるはずである。この予想に基づいて、梶谷君は、高分子溶液(ポリスチレン/ジプロピレングリコールメチルエチルアセテート溶液)に微量の界面活性剤を添加した実験を行なった。接触線の運動に基づく複雑さを避けるため、液滴の周囲にバンクを設けて接触線の運動を拘束した。得られた膜の形状は、溶液の濃度、滴下する液量、溶媒の種類によって変化するが、いずれの場合でも、少量の界面活性剤添加により、膜の平滑化が達成できることを確かめた。また、この効果をもたらすのに必要な界面活性剤の量を理論的に見積もり、実験値と合っていることを確かめた。 以上のように本研究は、「乾燥による高分子薄膜の形成」という重要であるが基礎研究の少ない分野において、独自のアイデアと工夫に基づいて研究を進め、一般性のある基礎的事実を明らかにするとともに、新規な提案を行なっている。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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