学位論文要旨



No 125729
著者(漢字) 野口,儀晃
著者(英字)
著者(カナ) ノグチ,ヨシアキ
標題(和) 印刷技術による有機トランジスタの作製と大面積センサへの応用
標題(洋)
報告番号 125729
報告番号 甲25729
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7262号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 染谷,隆夫
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 土井,正男
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 桜井,貴康
内容要旨 要旨を表示する

本研究では印刷技術を利用した大面積応用可能な有機トランジスタマトリックスの試作とアトリッターインクジェット装置を用いた実用レベルの2 V、48 kHzで動作する有機トランジスタの開発を行った。有機トランジスタは1980年代に考案された電子デバイスである。有機トランジスタは、既存のトランジスタでは無機半導体であるSiやGaAsなどで形成されるチャネル層に有機半導体を用いることで軽量、薄型、可とう性を有することが期待できる。さらに有機物を溶媒に溶かすことが出来ることから印刷などの溶液プロセスにより大面積に低コストで作製することが可能である。これらの特性からこれまでシリコントランジスタを中心として発達を遂げてきた現在のエレクトロニクスでは実現が困難なアプリケーションへの応用に向けての研究が盛んに行われている。有機トランジスタの応用例として最も代表的なものは有機トランジスタの機械的な柔軟性を生かしたディスプレイや無線タグであるが、有機トランジスタの特長を生かすことが可能な有力な応用例として大面積センサへの集積化応用がある。大面積に有機トランジスタをマトリックス状に配置し、光センサ、圧力センサ、温度センサと組み合わせることで広範囲をセンシングすることが可能となる。このような大面積での集積化デバイスの実現に向けた課題は有機トランジスタの作製プロセスの選定とデバイス素子の性能である。これまで用いてきた真空蒸着を中心としたプロセスは大面積作製にはコスト面、技術面で不向きである。そのためこれまで印刷プロセスを用いた研究が行われてきた。しかし印刷技術は液体を用いるため、乾燥条件やインク溶媒の有機半導体へのダメージ、インクのダレにより素子の微細化が困難などの点で高い素子性能を得ることが困難であった。特に動作速度と駆動電圧の点で課題があった。動作速度はセンシングのイメージング速度に影響を与え、高い駆動電圧は大きな消費電力に繋がる。より大面積でセンシングを行うためには有機トランジスタ素子の1つ1つに高い動作速度と低い駆動電圧が求められる。これらの課題を解決するために印刷技術を利用した低コスト作製プロセスの確立と低電圧で駆動し、kHzレベルでの動作速度を有するデバイス性能の両立が求められる。本研究ではこれら2点の問題を2種類の印刷技術組み合わせやアトリッターの液滴を吐出するインクジェット装置を用いた電極層の微細化などにより解決し、さらにディスプレイや無線タグへ応用可能な高性能デバイスの作製を試みた。

大面積有機トランジスタマトリックスを作製するために本研究ではスクリーン印刷とインクジェット印刷の2種類の印刷技術を用いた。スクリーン印刷は現在エレクトロニクスの生産工程に用いられている非常に生産性の高い印刷技術であり、1 μm以上の厚膜の作製を容易に行うことが出来る。一方でインクジェット印刷は液滴を基板に対して非接触で塗布することが可能であり版を作製する必要がない。また非常に微小な液滴を吐出するため1 μm以下の薄膜作製にその利点を生かすことが出来る。これら2つの印刷プロセスを上手に組み合わせることでこれまでの真空プロセスのみでは数cm角が限界であったデバイスサイズを25 cm角の大面積にまで拡大することに成功した。有機トランジスタは電極層、絶縁膜層、有機半導体層の3層から構成されている。電極層の作製にはインクジェット印刷を用いた。ゲート電極とソース・ドレイン電極ででは作製の際に求められる条件が異なるが、基板温度や印刷条件の最適化によって所望の電極を形成した。絶縁膜層には高分子絶縁膜であるポリイミドを用いた。インクジェットに用いるインクは粘性を低くする必要があるためインクのダレによりパターニングが困難である。スクリーン印刷の厚膜塗布によりパターニング領域周囲に隔壁作製し隔壁中にインクジェットによりインクを滴下することで絶縁膜を成膜した。有機半導体層はスクリーン印刷によりパターニングしたレジストを真空蒸着用のシャドウマスクとして用いることで低コスト作製に適したプロセスとした。低コスト大面積作製に真空蒸着法が有効でない要因は2点ある。1点目は大面積の真空装置は非常にコストがかかる点である。この点はフィルム上に作製できるという利点を生かして基板を回転させながら蒸着することで解決した。2点目はパターニングに必要なシャドウマスクのアライメントがサイズの拡大にともなって困難になる点である。特に基板中央部分はマスクのたわみなどによりパターンのぼやけができ、デバイス特性に大きなばらつきが出る。スクリーン印刷で柔軟性のあるレジストを印刷することでマスクのずれやたわみを回避した。このようにして大面積の印刷技術を用いることで真空プロセスでは実現が困難であった大面積有機トランジスタマトリックスを作製し、圧力センサである感圧導電ゴムシートとの集積化を実際に行った。圧力の変化により感圧導電ゴムの抵抗変化を有機トランジスタにより読み出すことで16×16の圧力イメージングを得ることに成功した。

有機トランジスタの実用化の面では駆動電圧や動作速度の評価も重要となってくる。駆動電圧は現在エレクトロニクスで用いられているシリコントランジスタと電気的なマッチングを取るためには10 V~100 V程度とされている状態から2 V~3 V程まで低電圧化を行う必要がある。ディスプレイや無線タグと比較した場合、センサ用途では有機トランジスタの駆動速度に対する要求は低くなる。リアルタイムでのセンシングには有機トランジスタ素子の駆動速度は10 kHz以上が求められる。有機トランジスタは無機トランジスタに比べてインピーダンスが高いため応答出力が低く、周波数測定が困難である。さらに印刷技術でデバイスを作製した場合、インクのだれの影響などにより電極の線幅やチャネル長が大きくなり素子の寄生容量が増える。その結果良好な周波数特性が得られないことが多い。これらの理由から印刷で作製した有機トランジスタの周波数特性に関する報告はほとんどなかった。有機トランジスタの動作速度に影響を与えるパラメータは電極幅、チャネル長、有機半導体のキャリア移動度、駆動電圧などがある。本研究ではサブフェムトリッターの液滴を制御するインクジェット印刷で有機トランジスタ素子内の寄生容量の低減とチャネル長の微細化を行い周波数特性の向上を試みた。低温で焼成する銀ナノ粒子インクをサブμmの精度で有機半導体上に塗布することで線幅をこれまでの限界値である50 μmから4 μmまで微細化し、チャネル長を50 μmから9 μmまで狭めた。本研究では回路としての動作速度を評価するために電圧利得遮断周波数の測定と実際に有機トランジスタを用いて作製したCMOSリングオシレータの発振周波数の測定を行った。電圧利得周波数は微細化により20 V駆動で35 kHzという良好な値を示し、実験前の予測値である60 kHzとも合致する結果となった。CMOSオシレータを作製するにはP型半導体材料に加えてN型の有機半導体材料が必要となる。本研究では大気中でのデバイスの安定性を考えてフッ素化銅フタロシアニン(F16CuPc)を用いた。購入したF16CuPc粉末を昇華精製により精製し移動度の向上を行った。P型半導体にペンタセン、N型半導体にF16CuPcを用いたリングオシレータは40 V駆動で発振周波数4.35 kHzという値を示した。参照用として真空蒸着により金電極を作製したリングオシレータの発振周波数は40 V駆動で338 Hzとなった。印刷による電極幅の微細化の結果、リングオシレータの発振周波数は1桁以上高くなった。信号遅延は動作電圧20 Vで150 μs(インバータ素子1つの速度では13 kHzに相当)となり、印刷で作製したCMOSリングオシレータとしては世界最高速度を示した。

さらに有機トランジスタを低電圧で駆動するため、有機トランジスタの絶縁膜層に自己組織化単分子膜を用いた。これまで有機トランジスタの絶縁膜層には厚み数百 nmの高分子絶縁膜やSiO2膜が用いられてきたため駆動電圧が20 V~100 Vと高電圧が必要となってきた。駆動電圧の低減には絶縁膜層の薄膜化を行う必要があるが薄膜化によりゲート電極からソース・ドレイン電極へのもれ電流が大きくなり困難であった。本研究では厚み2 nmの自己組織化単分子膜を厚み3 nmのアルミ酸化膜の表面に成膜することでゲートリーク電流を1nA以下に抑えつつ駆動電圧を2 Vまで低減した。このようにして低電圧化した有機トランジスタの電圧利得遮断周波数を測定した。絶縁膜層の薄膜化に加え、サブフェムトリッターインクジェットによりチャネル長を2.1 μmにまで微細化した有機トランジスタは2 V駆動で電界効果移動度0.06 cm2/Vsという値を示した。電圧利得遮断周波数は48 kHzとなった。通常、低電圧で駆動した場合、デバイス速度は低下するがサブフェムトリッターインクジェットを用いた電極作製と組み合わせることにより2 Vという低い動作電圧にもかかわらず大面積センサディスプレイに応用可能な動作速度を持つ有機トランジスタの作製に成功した。

サブフェムトリッターインクジェットによる電極層の微細化と単分子膜を用いた絶縁層の薄膜化の技術が本研究で述べた有機トランジスタマトリックスの作製プロセスに適用することにより低コスト作製が可能となり、大面積センサシートの実現に繋がると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では印刷技術を利用した大面積応用可能な有機トランジスタマトリックスの試作とアトリッターインクジェット装置を用いた実用レベルの2 V、48 kHzで動作する有機トランジスタの開発を行った。

第1章において研究の背景とこの研究での目標を提示している。有機トランジスタは、既存のトランジスタではSiやGaAsなどで形成されるチャネル層に有機半導体を用いることで軽量、薄型、可とう性を有することが期待できる。さらに有機物を溶媒に溶かすことで印刷などの溶液プロセスにより大面積に低コストで作製することが可能である。この有機トランジスタの特長を十分に生かすことが可能な応用例として有機トランジスタとさまざまなセンサと組み合わせた大面積センサ応用が提案されている。大面積でのセンシングデバイスの実現には印刷技術を用いた有機トランジスタ作製が必要であるが素子の高速化、低電圧化と有機トランジスタを作製するために用いる印刷技術の選定が問題となってくる。本研究ではこれら2点の問題をについて解決を試みた。大面積に有機トランジスタを作製するために異なる長所を持つ2種類の印刷技術を使用した。印刷デバイスの高速化、低電圧化の目標を動作周波数10 kHz以上で2 V駆動とし、アトリッターの液滴を吐出するインクジェット装置と自己組織化単分子膜を用いて有機トランジスタを作製した。

第2章では本研究で作製した有機トランジスタの構造と動作原理について述べた後に本研究で用いた印刷技術についての説明を行っている。本研究ではスクリーン印刷とインクジェット印刷という2種類の異なった印刷技術を用いて有機トランジスタを作製した。インクジェット印刷装置は描画面積が大きいピコリッターインクジェット装置と描画面積は小さいが非常に微細なラインを描画できるアトリッターインクジェット装置を用いた。

第3章では大面積有機トランジスタマトリックスの作製と大面積センサへの集積化実験を行った。作製には1 μm以上の厚膜の作製を得意とするスクリーン印刷と1 μm以下の薄膜作製に有効なインクジェット印刷の2種類の印刷技術を用いた。これら2つの印刷プロセスを上手に組み合わせることでこれまでの真空プロセスのみでは数cm角が限界であったデバイスサイズを25 cm角の大面積にまで拡大することができる。この大面積有機トランジスタマトリックスを圧力センサである導電性感圧ゴムシートと集積化し、16×16の圧力イメージングを得ることに成功した。

第4章ではトランジスタ単体の電極の微細化による動作速度と絶縁膜層の薄膜化による駆動電圧の低減を目指している。厚み2 nmの自己組織化単分子膜を厚み3 nmのアルミ酸化膜の表面に成膜し、絶縁層とすることで有機トランジスタ素子のゲートリーク電流を1nA以下に抑えつつ駆動電圧を2 Vまで低減した。電極層はアトリッターの液滴を制御するインクジェット印刷を用いて微細化を行った。低温で焼成する銀ナノ粒子インクをサブμmの精度で有機半導体上に塗布することで線幅をこれまでの限界値である50 μmから2μmまで微細化し、チャネル長が2.1 μmの有機トランジスタを作製した。作製した有機トランジスタは2 V駆動で電界効果移動度0.06 cm2/Vsという良好な値を示した。

第5章では回路としての動作速度を評価するために電圧利得遮断周波数の測定と実際に有機トランジスタを用いて作製したCMOSリングオシレータの発振周波数の測定を行った。電圧利得遮断周波数は2 V駆動で48 kHzとなり、大面積センサディスプレイに応用可能な動作速度を持つ有機トランジスタが実現できた。P型半導体にペンタセン、N型半導体にF16CuPcを用いたリングオシレータは40 V駆動で発振周波数4.35 kHzという値を示した。印刷による電極幅の微細化の結果、リングオシレータの発振周波数は真空蒸着法を用いて電極を作製していたものに比べて1桁以上高くなった。信号遅延は動作電圧20 Vで150 μs(インバータ素子1つの速度では13 kHzに相当)となり、印刷で作製したCMOSリングオシレータとしては世界最高速度を示した。

以上、要するに、本研究において印刷技術を利用することで大面積のプラスティックフィルムシート上に有機トランジスタをマトリックス状に作製し、圧力センサへ集積化することを実現した。さらに特性面での課題の解決のために有機トランジスタの駆動電圧の低減と動作速度の高速化が達成された。これらの研究成果は有機トランジスタの応用デバイスの実現に向けて印刷技術を用いた作製プロセスの可能性を示唆したもので、物理工学における貢献は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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