学位論文要旨



No 125731
著者(漢字) 村瀬,洋介
著者(英字)
著者(カナ) ムラセ,ヨウスケ
標題(和) 群集形成の統計力学的研究
標題(洋) Statistical-Mechanics Study on Community Assembly
報告番号 125731
報告番号 甲25731
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7264号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 伊藤,伸泰
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 講師 藤堂,眞治
 日本獣医生命科学大学 教授 大坂,元久
内容要旨 要旨を表示する

1 導入

統計物理学の目的は、ある系における「微視的な構成要素」と「巨視的な性質」との関係を明らかにすることである。近年では、計算機の進歩と数理的手法の発達により莫大な自由度の系についての情報を詳細に得ることが可能になっており、特に熱平衡近傍の物性予測などにおいて統計力学の果たす役割は非常に大きくなっている。統計物理学の扱う対象は、原子・分子などの力学に従う要素によって構成される系に限らない。多様な分野(例えば生物学、生態学、社会学、経済学、神経学など)において、微視的な要素と巨視的な性質との間の関係性は重要な問題であり、統計力学的なアプローチが有効であると期待される。

これらの問題の中でも特に、構成要素が「多種多様」でありかつ「要素が動的に入れ替わる」系(ここでは便宜的に多種開放系と呼ぶことにする)を本論文では取り扱う。これらの特徴を持つ系は身の回りに多く見つけることができる。例えば生態系は多種多様な種が互いに相互作用をし、さらに絶滅・種分化・侵入等により種構成が動的に入れ替わる系として見ることができる。また社会における企業ネットワークについても、個々の企業が多様な個性を持ち、なおかつ倒産や起業によって動的に入れ替わるという意味で多種開放系であるとみなせる。他にも製品、メディアコンテンツ、ひいては人間関係のネットワーク等も例として挙げることができるだろう。多種開放系の研究は広範な分野の理解に貢献しうる重要な課題であると言える。しかし、原理的には分配関数から計算できる熱平衡物性と異なり、多種開放系を扱う一般的な理論や手法は未だ得られていない。構成要素が個性を持つという意味ではランダムスピンモデルやニューラルネットワークモデル等の研究が進んでいるものの、構成要素が動的に入れ替わる系についての理解は未だ不十分であると言わざるを得ない。

このような動機のもと、多種開放系として生態群集の形成過程を、種間相互作用を取り入れたモデルを用いて研究していく。生態系は多種多用な種が共存している典型的な例であり、またダーウィン的な生存競争によって進化と絶滅を繰り返しながら自己組織化された相互作用系であると考えられる。フィールドワークや化石のデータからは興味深い統計性の存在が示唆されている。例えば、個体数分布は様々な生態系でlog-normal的な分布になることや、化石データから推定された種の寿命分布は単純な指数分布やベキ分布ではなく両者の中間の分布を示すことがわかっている。これらの統計性が、多種開放系において一般的に期待される性質なのか、それとも生物進化に固有の性質であるのかは未解決の問題である。本論文では理論研究により、これらの統計データに対する解釈を与え、現存する生態系の保全や制御に役立つ知見を得ることを目指す。

2 多数のモデルに対する解析の必要性とデータベース管理ソフトウェア

生態学・社会学的な対象を取り扱う際に一般的に見られる難しさは、構成要素間の相互作用のモデルとして多くの仮定に基づいた現象論的なモデルを使わざるを得ないということである。例えば生態系では個体数変動を記述するためのモデルとしてLotka-Volterraモデルを始めとする様々なモデルが提案されているが、どういった関数形が最もよく現実の個体数変動を記述するかということについてのコンセンサスは未だに得られていない。そこで我々は様々なモデルを調べ、その中にモデルの詳細に依存しない普遍的なパターンを見つけ出すというアプローチを取った。

近年の計算機の進歩によって多数のモデルを解析するだけの計算資源を得ることは容易になってきている。しかしその一方で、モデルの種類やパラメータの数が膨大になり、データを研究者が手動で管理することが難しくなってきている。これは本研究に限ったことではなく、計算機シミュレーションを用いる科学全般に言えることであり、この傾向は今後の計算機の進歩と共にますます顕著になると考えられる。

そういった現状を打破するために、数値計算の実行・結果のデータ管理およびデータ解析を補助するソフトウェアを開発した。 スナップショットとソフトウェアの概念図を図1と2に示す。 このソフトウェアではデータベース、シミュレーターと解析ソフトが連動して動作する。ウェブブラウザ又はCUIで動作する直感的なインターフェースを持っており、ユーザーはジョブのサブミット・データベースへの計算結果の取り込み・データ解析等の操作が簡単にできるように設計されている。また各ユーザーは新規にシミュレータを次々に追加することができるようになっている。これにより数値計算に際しての人間の手間やエラーを回避し、効率的な計算資源の利用が可能になる。

さらにスクリプト言語から呼び出せるAPI関数も提供しているので、原理的にはあらゆる処理を自動化することができる。これまでは不可能であった多数のモデルの同時解析や複雑な解析も可能となり、質的に新しい研究が期待される。

3 群集形成における統計分布の普遍性

生態系の進化論的時間スケールでのダイナミクスを複数のモデルにより研究した。モデルとして各種の個体数変動と、新種の導入および既存種の絶滅のルールから成り立つものを考える。

このような生態群集形成モデルはこれまでいくつか提案されている。例えば島田らによって提案されたScale-Invariantモデルでは、個体数変動が以下の式の様なスケールレスな相互作用系を採用している。

xi = -bixi +Σ/aij<0 aijxi(λ) x j (1-λ) +Σ/aij>0 aijx(1-λ) xj(λ)

ここでxiは種iの個体数密度、aijは種i-j間の相互作用の強さを表す係数、λは種間相互作用の非線形性を特徴付ける変数である。個体数密度が0になった種は絶滅したとみなされ系から取り除かれる。新種の侵入のルール("migration")が導入されており、一定頻度で相互作用係数がランダムに割り当てられた新種が系に現れる。このモデルにより多種が共存する生態系が実現されることが知られている。

また他のモデルとしてHallらにより提案され、Rikvoldらにより単純化されたTangled Natureモデルと呼ばれるモデルがある。このモデルは個体ベースのモデルであり、種iに属する個体が次の世代に子を残す確率は

PI(R, {nJ(t)}) =1/1 + exp[-ΔI(R, {nJ(t)})]

という形で与えられ、その生態系に存在する他種の個体数に依存する。更に各個体は"genome"と呼ばれる長さLのビット列を持ち、ビットの並びと種が一対一に対応する。各個体は子を残す際に一定の確率μでgenomeに変異を起こし("mutation")、これにより系に新種が現れる。つまり個体がL次元の超立方体上を移動するというモデルである。

これらを含む複数のモデルについて、種数や全個体数のゆらぎ、種の寿命分布、絶滅サイズ分布、個体数分布などの統計的な性質について解析した。

まず最も興味深いのは、これらの統計分布が個体数変動のモデルの詳細に依存しないということである。仮定する種間相互作用によって、典型的な種数や食物網構造などが大きく変わる。それにも関わらず得られる分布の形状は非常に似たものとなる。この普遍性は単純な個体数変動の式を使うことの妥当性を支持しているだけでなく、生態系以外のモデルにも適用できる可能性を示唆している。

他方でこれらの統計分布は新種導入のルールに依存する。既存の種構成によって新種の候補が決まるmutationモデルでは、種構成が断続的に変化し1/f揺らぎが現れる。種および群集レベルでの寿命分布はベキ則を示し、内部のダイナミクスは非常に長い時間相関を持っていることが明らかとなった。これとは対照的に、既存種と無相関な種を導入するmigrationモデルの場合には、ゆるやかなランダムウォーク的な揺らぎが観測され、特徴的な時間スケールを持った寿命分布が観測された。新種の候補が限定されるという効果によって生態系の進化論的時間スケールでのダイナミクスが質的に変化し得ることが明らかとなった。

migrationモデルで観測された寿命分布は、単純な確率過程では説明できない興味深い分布を示すだけでなく、化石から推定されたデータを再現する(図3)。この分布が発生する機構を理解するため、単純化された動的なグラフモデルを提案した。このモデルは個体数変動を持たず非常に単純なルールで更新されるが、個体数変動モデルで見られたような特徴的な寿命分布を再現する。このモデルを解析した結果、寿命分布が指数が1/2のstretched exponential分布でよくフィットでき、さらにそれが種数のランダムウォークと赤の女王仮説から説明できることを示した。

4 結論と展望

本論文では、統計力学的なモデルを用いて生態群集形成の統計的性質についての研究を行った。データベース管理ソフトを開発し様々なモデルについて調べた結果、広範なクラスにおいて統計分布がいくつかの普遍的なパターンに分類できることが明らかとなり、化石やフィールドワークにおける観測データ が単純化されたモデルによって説明できることが示された。これらの性質は多種開放系一般について期待される結果であり、生態系だけでなく社会学・経済学・生物学的な問題など広い範囲の現象についても適用できると考えられる。この結果は、普遍的性質だけではなく様々な系の個別的性質についての今後の研究にも大きく寄与することが期待される。

図1 スナップショット

図2 ソフトウェアの概念図

図3 化石から推定された種の寿命分布とモデルから得られた寿命分布

審査要旨 要旨を表示する

物理学に限らずとも多様な現象の個々の研究は古来続いているが、多様性そのものの科学的な研究は少ない。一方、今日、環境問題、生物資源問題などからも伺えるように、多様性そのもののより深い理解が求められている。そもそも「多様」とは、異質なものがたくさんある状態のことであるが、相互に独立でないような多種が、多様性を維持しつつ共存する機構も不詳といわざるをえない。こうした問題に答えるためには多様性の起源とダイナミクスとが問題となる。これに対し近年、多種の共存を許す時間発展方程式が提唱され、多様性をもつ系すなわち「多様系」が理論的に確立し、研究が活発となっている。

現実の世界の多様性に比べ、今日の物理理論・数理手法が威力を発揮する問題は比較的単純な場合に限られてきた。現象の中の普遍性に立脚し、簡単な模型で現象を制御する物理学の物理科学・数理科学が、複雑な問題に対しても威力を発揮し人類のさらなる発展をもたらすためには、多様な現象の中に潜む普遍性と個別性との腑分けを徹底することが必要であろう。

「群集形成の統計力学的研究」と題した本論文は、さまざまな多様系の模型を横断的に研究し、多様系のもつ普遍性を浮き彫りにした。

生物生態系は多様系の代表であり、化石に基づく古生物学的研究からそのダイナミクスの片鱗を窺うことができる。特に種の寿命や絶滅規模などについて統計的な特徴が知られている。生物種の寿命の分布関数は指数分布でも冪分布でもない、テール部の伸びた関数が観察されており、その由来が課題の1つであった。本論文ではまずこの分布が種々の多様系模型で再現されることを明らかとし、その由来を説明する単純な模型を提唱した。さらに動的グラフ模型(dynamic graph model)と名付けられたこの模型の解析から、この分布関数が exp[-(t/τ)1/2] という形であるとする仮説を提唱した。

こうした理論的成果をもとに、今日、電子的に蓄積されつつある莫大な経済データにも、同様の特徴があることも明らかとした。例えば上記の拡張指数型の分布関数は、コンビニエンスストアでの商品の寿命分布をも説明する。

本論文では、数多くの数理模型の解析を通して多様系の普遍性に到達した。この研究を実現するうえで、計算科学上の新しい手法を提唱している。模型や結果、解析手法および解析結果を統一的・効率的に統合し、さまざまな計算機資源・人的資源を1つに融合するアイデアである。そしてこのアイデアに基づき、実用的なソフトウェアを作成し活用した。ACM(Avogadro Challenge Manager)と名付けられたこのソフトウェアは、多様な研究の統一的な管理に成功している。なにか新しい模型を解析したいとする。その模型のシミュレーションプグラムや解析プログラムを作成しそうしたプログラムをACMに登録することにより、さまざまなパラメータでのシミュレーションやさまざまな解析を、ACMに登録した計算機を使って対話的に実行できる。ACMはそうした資源管理に加えて、どのような解析を行ったかの記録、シミュレーションや解析結果などをデータベースに登録してゆく。莫大な数のCPU・コアからなる今日のスーパーコンピューターやネットワーク上の各所に分散した計算機を有効に活用する方法についてはさまざまな構想が提唱・研究されているが、必ずしも成功しているとは言い難い。そんな中でACMは実効的で生産的なソフトウエアと認められ、ACMの基盤構想は将来の計算科学およびネットワーク社会の構築につながるものと高く評価される。

以上の内容を含む本論文は以下のような構成である:第1章で導入と問題提起およびこれまでの研究をレビューし、第2章にACM、第3章に多様系の代表的な模型である尺度普遍模型を説明する。第4章で各群集の内部自由度である「遺伝子」のダイナミクスを取り込んだ多様系模型について議論し、第5章では個々の群集の規模の特徴を解析する。第6章では群集の寿命分布を議論し動的グラフ模型と拡張指数関数の普遍性とを提唱する。最後の第7章でまとめと展望とを示す。

本論文は多様性の科学的研究という喫緊の課題に対して、その出発点となる普遍性を解明し、さらに今後の展開に対して説得力のある道筋を与えた研究として高く評価できる。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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