学位論文要旨



No 125732
著者(漢字) 吉川,純一
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,ジュンイチ
標題(和) ホモダイン測定とフィードフォワードを用いたガウス型量子操作の研究
標題(洋)
報告番号 125732
報告番号 甲25732
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7265号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古澤,明
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 准教授 香取,秀俊
 東京大学 准教授 井上,慎
内容要旨 要旨を表示する

量子情報処理においては、古典的には実現できない性能を得られる場合がある。例えば量子コンピューターは、量子力学の特徴である重ね合わせの原理やエンタングルメントを用いて、或る種の計算を、古典的コンピューターを上回る速さで行う。そのような量子情報処理の実現のためには、量子状態を自在に操作することが必要となる。

量子状態の「操作」という言葉を使うときに、以下の2つの場合のどちらを指すのかを特に意識せずに使われることも多い。

1. 特定の量子状態の準備。或いは既知の量子状態に対する変換。

2. 未知の量子状態に対する変換。或いはエントロピーを保存する操作。

しかし実際には、以上の2つは根本的に異なるものである。未知の状態に対する、エントロピーを保存する、つまり情報のやり取りが無い操作はユニタリ変換であるのに対して、既知の状態に対する操作はユニタリである必要は無い。例えば量子テレポーテーションは後者であり、入力の量子状態の情報を必要としない。

更には、量子状態を扱う上で、或る意味においての「操作」として、測定を含めることもある。

3. 測定による量子状態の射影。

以上の3つは量子状態に対する異なる操作ではあるが、互いに関連し合っている面もある。例えば、非ガウス状態の生成は単一光子検出という測定を通して確率的に行われる。また、ユニタリ変換が測定に繋がる例として、間接測定を用いた、互いに非直交な状態への射影となる測定や、量子非破壊測定などがある。

本研究のテーマはフィードフォワードを用いた量子状態操作であるが、フィードフォワードは、1. 状態の準備または3. 測定を2. 量子状態のユニタリ変換に結び付けるものである。

量子情報処理においてフィードフォワードという言葉が何を意味するかというと、ユニタリ変換で構成される量子操作の途中に測定が入り、その後のユニタリ操作や測定の基底などを、その測定においてランダムに得られた結果に応じて変えていくことである。量子力学において測定は非ユニタリな過程で、波束の収縮を起こす。しかし、測定の数と同数の既知の量子状態を補助入力として、フィードフォワード用の測定が実効的にその補助入力に対してのものになっていれば、フィードフォワードを含む量子回路全体の入出力関係をユニタリにすることが出来る。

そのようなフィードフォワードを用いた量子情報処理の最も有名な例は、量子テレポーテーションである。量子テレポーテーションではエンタングルメントを持つ2モードの量子状態を補助入力として、2モードの測定を行い、全体として1モード入力1モード出力の、恒等演算というトリビアルなユニタリ変換を行うものである。本研究では、量子テレポーテーションと良く似た手法を用いて、ガウス型の量子操作のデモンストレーションを行った。

本研究では、量子化された電磁場の直交位相振幅を量子情報処理の対象として扱っている。光は外界との相互作用が小さく、デコヒーレンスが起こりづらい。これは量子情報処理において大きなアドバンテージである。しかし、その裏返しの特徴として、高次の非線形性を得ることが難しい。また、ビームスプリッター以外の相互作用は効率が悪くなりがちである。そこで、測定とフィードフォワードの組み合わせを、高効率で実現できる限られた種類のユニタリ変換と組み合わせて用いれば、より多くの種類のユニタリ変換を高い効率で実現できるようになる。本研究はガウス型操作の範囲に有るが、将来的には非ガウスの領域においても、測定とフィードフォワードの組み合わせが有効なアプローチとなる可能性も有る。

本研究は、いくつかの題材があるが、いずれもホモダイン測定のフィードフォワードを用いたガウス型量子操作に関するものである。補助入力には、スクイーズされた真空場を用いている。フィードフォワード用のホモダイン測定において、入力状態の情報は補助入力のアンチスクイーズに隠されて原理的に得られなくなっているため、入力状態への測定のバックアクションが回避され、ユニタリに近い入出力関係となっている。

無限にスクイーズされた補助入力を用いることが出来れば、ホモダイン測定において入力状態の情報は完全にアンチスクイーズに隠され、フィードフォワードを用いて原理的には完全なユニタリ変換にすることが出来る。ただし、無限にスクイーズおよびアンチスクイーズされた状態は現実の物理系においては得ることは出来ない。そのためホモダイン測定では入力状態の情報を少しだけ得てしまい、そのバックアクションに対応する余分なノイズが混入する。これは連続量の量子情報処理の特徴である。例えば量子テレポーテーションにおいても、原理的にフィデリティ1に無限に近づくことができるが、厳密にフィデリティ1のテレポーテーションは実現されない。その代わり、連続量の量子情報処理は量子ビットの場合と異なり、ガウス型操作の範囲では決定論的に実現されるという大きなメリットが有る。

本研究は、既に吉川の修士論文で実現済みの、ホモダイン測定とフィードフォワードを用いたユニバーサルスクイーザーを出発点として、以下の3つの方向性で発展させている。

・ ユニバーサルスクイーザーの時間領域化。

・ 多モードの相互作用への拡張。

・ 量子情報処理の測定ベース化。

多モードの相互作用には、量子非破壊相互作用および増幅器の実験が有る。どちらも2モードの相互作用になっている。また、測定ベースの量子情報処理とは、近年注目されてきている一方向量子計算のことである。以下にそれぞれの実験の概要を示す。

時間領域スクイーズ

時間的に局在した或るモード関数で定義される量子状態に関して、スクイーズ操作を行った。3 dBおよび6 dBの2つのスクイーズレベルにおいて真空およびコヒーレント状態の入力に対する出力状態を測定し、入力状態と比較することでスクイーズ操作になっていることを確認した。入力のコヒーレント状態の振幅は、ランダムに変化するものとした。つまり、同じ状態を送り続けてその平均を評価するという従来の形の実験では無く、各時間において独立に定義される量子状態に対する操作になっている。モード関数は、共振器の出力モードの自己相関関数に近いものを用いた。この実験は、将来的に光子検出器と組み合わせることを考えている。近い将来に、単一光子状態を入力として、スクイーズ実験を行う計画がある。

量子非破壊相互作用

量子非破壊相互作用は、連続量における加算のゲートに対応する、2モードの相互作用である。これは量子非破壊測定を実現する相互作用として以前から考えられてきたものである。近年になって、一方向量子計算のリソースとなるクラスター状態の生成に使えるなど、量子情報処理の加算ゲートとしての観点から再び注目を受けている。量子非破壊測定や反作用回避測定に関しては過去にいくつもの実験があるが、目的が特定の可観測量の測定であるため、それらの実験においては一つの物理量の振る舞いのみを扱ってきた。しかし、量子情報処理に用いる場合には、位相空間全体での変換がどうなっているかが重要であるため、共役な物理量の両方がどう変換されるかを見る必要がある。本研究において初めて、量子非破壊相互作用の共役物理量間の対称性を実験的に示した。つまり、共役な2つの物理量において、シグナルとプローブの役割を入れ替えて、それぞれ量子非破壊測定の条件を満たした。更には、共役物理量の両方を見ることによってのみ明らかになる性質として、出力における2モードのエンタングルメントを実験的に確認した。以上の意味において、量子非破壊相互作用の世界で初めてのデモンストレーションとなっている。

一様線形増幅器

増幅器には、位相に敏感なものと、全位相に対して一様なものとがある。ここでは後者の、一様な増幅器を実現した。位相敏感な増幅器は入力状態の位相に関する情報を知っている(または調べる)必要があるのに対して、一様な増幅器ではその必要が無い。その代わり、大きな増幅度の極限で3 dBの雑音指数が量子力学的に要請される。増幅器は、量子状態の複製(クローニング)の問題と密接な関わりがある。量子力学の有名な定理の1つに、未知の量子状態の完全な複製を作ることはできないという複製不能定理があるが、不完全な複製なら作ることが許される。一様な増幅は、ビームスプリッターと組み合わせることで、量子力学的に最適な量子複製になっている。増幅のゲイン2において実験的にデモンストレーションを行った。また、それをハーフビームスプリッターと組み合わせて、量子クローニングの実験を行った。

一方向量子計算

一方向量子計算は、巨大なエンタングルド状態に対して測定とフィードフォワードを繰り返すことで量子計算を行うものである。測定という不可逆な過程に基づいていることを、従来のユニタリな量子計算と対比して、一方向量子計算と呼ぶ。測定基底の選択とユニタリ変換が対応しているので、行いたい計算に応じてリソースを変更する必要は無く、ただ測定基底を適切に選べば良いという、量子計算の新しい方式である。単一モードの測定とフィードフォワードが最小構成単位となっており、それを繋げていくことで量子計算を行う。その、計算の最小単位を、ガウス型の範囲でデモンストレーションした。特に、コヒーレント状態の入力に対して出力の分散がショットノイズを下回ることを示し、この操作が非古典の領域にあることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

量子状態を自在に操作することは、量子情報科学における究極的な目標である。一般的に、量子操作と呼ばれるものは以下の3種類に分けられる。まず、既知の量子状態に対する操作または特定の量子状態の準備という、ユニタリ性が要求されないもの。次に、未知の量子状態を、情報のやり取り無く扱う、ユニタリな操作。最後に、量子状態に対する測定である。以上3つは、量子状態に対する異なる操作であるが、互いを結び付けることによって、新しい可能性が開ける場合がある。例えば、近年盛んに研究されている測定誘起法では、光子検出を特定の非ガウス状態の生成に利用して、一定の成功を収めている。その一方で、ユニタリな操作に関しては、ガウス型ですら、一部が実現されているに過ぎない。量子情報処理の特徴的な面は、3種類の量子操作の中でも、特にユニタリ操作において現れるので、残り2つの量子操作を上手く利用して、ユニタリ操作の可能性を広げることができれば、それは意義深いことである。そのような背景の下、本研究では、フィードフォワードと呼ばれる手法に着目して、ユニタリ操作の新しい可能性を探っている。フィードフォワードとは、量子情報処理の途中に測定を挟み、それ以降の操作を、確率的に得られた測定結果に従って変えていくことである。

本研究では、量子光学的な手法を用いて、過去に論文提出者が実験的に成功を収めている、ホモダイン測定とフィードフォワードを用いた1モードスクイーズ操作を出発点とし、そこから3つの方向性で発展させている。具体的には、量子操作の多モード化、測定に基づいた量子情報処理への移行、そして、時間領域でのダイナミカルな量子情報処理への移行である。多モード化としては、量子非破壊相互作用および量子力学的な増幅器という、2つの代表的な2モードの相互作用を実現した。特に量子非破壊相互作用は、連続量の量子情報処理において加減算に対応する、基本的なゲートとしての意味を持つ。測定に基づいた量子情報処理は、近年、一方向量子計算と呼ばれて注目を集めている。その構成要素となる、二乗位相操作などを実現した。最後に、時間的にダイナミカルに変動する量子状態を扱って、スクイーズ操作に成功した。

本論文は以下の8章からなる。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、導入として本研究の背景について述べ、その上で本研究の概略を示し、さらに本論文の構成について述べている。

第2章では、後続の章で必要となる基本的な理論に関して述べている。量子光学と、基本的な量子状態を紹介している。また、ガウス型の量子操作の基本的な性質、そして、量子力学における測定の記述などに関して述べている。

第3章では、後続の各章で述べる実験において共通となる、基本的な要素に関して、理論的な説明と共に、実験的な実現方法を示している。まず、非古典性を担う補助入力として利用する、スクイーズされた真空状態の生成方法を述べている。更に、ホモダイン測定、そして、光学系の制御の方法などに関して述べている。

第4章では、量子非破壊相互作用の実験に関して述べている。先行研究としていくつか存在する、量子非破壊測定の実験とは異なり、本研究で実現した量子非破壊相互作用は、量子情報処理における加算ゲートとして利用可能なものである。その証明として、共役な物理量の両方が正しく変換されていることを示している。また、このゲートが非古典的な領域で動作しており、量子エンタングルメントを生む力が備わっていることを示している。

第5章では、量子非破壊相互作用の応用実験として行われた、手法の良く似た2つの実験に関して述べている。一つは二乗位相操作であり、もう一つは連続量における量子消去である。どちらも、量子情報処理の新しいモデルである、一方向量子計算と関連している。一方向量子計算とは、測定に基づいた量子情報処理であり、クラスター状態と呼ばれる巨大なエンタングルド状態を、行う処理に依らない共通のリソースとして利用する。実効的なユニタリ変換が、クラスター状態に対する測定基底の選択を通して決定される。これは、行う処理に応じて異なるゲートを用意しなければならない、従来の量子回路モデルとは異なる。二乗位相操作は、一方向量子計算において、1モードガウス型操作の構成要素になるものである。一方、量子消去は、或る形のクラスター状態から別の形のクラスター状態を作る、クラスター状態の整形と同一視される。

第6章では、2モードの相互作用の形を持つ、量子力学的な増幅器の実験に関して述べている。また、その応用として、近似的な量子複製の実験に関して述べている。

第7章では、時間領域でのスクイーズ操作に関して述べている。前章までの実験は全て、レーザー光のサイドバンド成分のうち、数十kHzの狭い帯域において実現されたものであるのに対して、本章の実験では、搬送波付近から数MHzまでの広い帯域を量子情報処理の対象として扱っている。そして、時間的にダイナミカルに変動する量子状態を入力として扱い、スクイーズ操作を行っている。このように時間的に局在して定義される量子状態の取り扱いは、実験系を光子検出器と組み合わせる際に必要となることである。従ってこれは、将来的に非ガウス型の量子状態を取り扱うための橋渡しとなる実験である。

第8章では、本研究の結果をまとめ、最後に今後の展望を述べている。

以上のように、本研究では、ホモダイン測定のフィードフォワードという共通の実験技術を用いて、理想的なユニタリ変換に近い、いくつかのガウス型量子操作を実現した。更には、将来的に非ガウス型の量子情報処理へ踏み出すための橋渡しとして、時間領域において動作するスクイーザーを実現した。以上の成果は、光を用いた連続量の量子情報処理においてフィードフォワードという手法の有用性を示した点で重要であり、次なる実験研究の基礎を築いたことからも、物理工学の発展への寄与は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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