学位論文要旨



No 125737
著者(漢字) 藤田,智
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,サトシ
標題(和) ナノスケールでの変形機構が構造信頼性に及ぼす影響に関する研究
標題(洋) Effects of nanoscale deformation mechanism on structural reliability
報告番号 125737
報告番号 甲25737
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7270号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 越塚,誠一
 東京大学 教授 大澤,幸生
 東京大学 教授 笠原,直人
 東京大学 准教授 沖田,泰良
内容要旨 要旨を表示する

材料強度学とその周辺領域の特性として,(1)材料物性を定めるパラメータの多さと,(2)パラメータと物性の間の関係の複雑さ,そして(3)材料に対する要求水準の多様性が挙げられる.第1及び第2の観点からは,材料物性発現機構に基づいた物性予測と,そのための基礎理論の深化と体系化,解析システム整備が求められる.その一方で,第3の観点からは,材料が構成する構造物に期待される機能を踏まえ,想定される環境の下で如何なる劣化・変形・破壊モードが構造物の機能を失わせる可能性を持つかを明確化した上での材料開発,もしくは既存材料の物性評価が求められる.材料工学分野においては特に,基礎理論及び解析技術の整備と,具体的に明確化された個々のニーズに駆動される研究とが,適切なバランスをもって進められる事が必要である.著者の研究の中でも「結晶性材料におけるMD-FEM連成解析技術の開発と評価」は高い汎用性を持った基礎理論及び解析技術の整備を指向したものである.「局所化塑性変形が構造信頼性に及ぼす影響に関する研究」は,数十年以上の長期使用を経た発電用軽水炉におけるオーステナイト系ステンレス鋼製炉内構造物の照射誘起応力腐食割れという具体的問題に対して,特に重要な劣化・変形過程を抽出し,その過程が構造物の信頼性に与える影響を評価する目的をもって進められている研究である.本論文では前半において前者の内容を記した後,後半においては後者の成果を取りまとめると共に,前者の成果が後者において有効なモデル・解析技術となっている事実を示している.

結晶性材料におけるMD-FEM連成解析技術の開発と評価

材料強度に対する理論的アプローチにおける重大な障害は,塑性及び脆性が転位などの各種の結晶欠陥の密度及び空間的分布に強く依存する点である.更に,結晶欠陥の挙動が本質的に原子論的な数値解析(分子動力学,MD : Molecular Dynamics)を要求する一方で,転位等の結晶欠陥間の相互作用が必ずしも短距離に収まらない点と,結晶欠陥が長距離の構造を有している事が,解析をますます困難なものとしている.長距離相互作用や長距離構造の影響を取り入れた結晶欠陥の動力学的挙動の理論的解析を行おうとしても,格子定数の1000倍以上の寸法を持つ結晶をMD計算で扱う事は計算量の観点から非現実的である.

上記の背景のもと,MDの計算量を劇的に減らしたいという要求が生じる.結晶欠陥の中でも本質的に原子論的な記述を求められるのは中心近傍のみであり,その周辺の応力-ひずみ場に対しては弾性力学が十分に適用可能である.従って結晶欠陥中心部のみをMDによって解析し,その他の領域に対しては弾性力学的モデルによって近似する事で,遠距離相互作用を含む結晶欠陥の構造と挙動を単独のMDよりも遙かに少ない計算量によって再現し,現実的な計算量によって材料の塑性と脆性を再現する事が可能であると期待できる.こうした計算においては,MDによって解析する領域と弾性力学によって解析する領域を動力学的に矛盾なく結合し続ける必要がある.

本研究で開発したMD・弾性力学結合手法であるDual Resolution Element Method(DREM)について概説する.弾性力学解析の手段としては,さまざまな計算領域形状に対して効率的な解析を行う事ができ,数学的及び力学的な意味が明確であり,且つ産業界における実績も豊富で信頼度の高い手法である有限要素法(FEM : Finite Element Method)を採用した.MD領域とFEM領域の間には,本研究により新たに導出した概念である二重解像度要素(DRE : Dual Resolution Element)からなるメッシュを配置した.

DREは,有限要素(FE : Finite Element)と同様に節点を持ち,且つその内部にはMD領域と同様に多数の原子を抱える.そしてDREは,MD領域の原子に対してはMD領域と同様に単なる原子の集団としてふるまう(つまり, 原子間ポテンシャルから導出される力を原子に与える)一方,FEM領域に対しては単なるFEであるかのようにふるまう(つまり,他のFEと節点を常に共有し,その共有節点を介して節点力を伝達し, その力によって節点の運動が決まる).DREに対しては節点の座標がそのDRE内の原子の座標から,一定の一次変換によって必ず定められるという拘束条件を課した.この拘束条件の下,解析力学に基づいて系の運動方程式を導出し,MD領域,FE,そしてDREが結合した系において原子及び節点の運動を解析するアルゴリズムを設計した.DREではまた,FEでは再現されない短波長の熱的格子振動がDREを通してMD領域とFEの間を往来する過程を模擬するため,DRE中の原子の運動のうち節点の運動に直接寄与しない成分を抽出し,これを熱振動成分とみなして粘性力及びランダム力を与え,DRE内部で熱振動を減衰及び発生させる事とした.これらの力の大きさについても適正な値を揺動散逸定理及びフォノンの分散関係から理論的に決定した.

上記の通り開発したアルゴリズムによって,MD領域,DRE,FEを結合させた結晶の挙動が適切に再現される事を確認するため,計算結果を純粋なMD計算による結果と比較した.結果として,結晶の平均寸法,振動周期,振幅は全て純粋なMD計算とほぼ一致(いずれも相違は数パーセント以内)した.この結果より,FEの節点力がMD領域の原子へ適切に伝達され,またMD領域の原子の挙動がDREの節点の動特性へ反映されている事が確認された.従って,本手法をもってMDと弾性力学を結合し,材料強度シミュレーションにおけるMDの計算量を劇的(使用可能なDREの寸法から判断して1/1000程度)に削減する事が可能であり,研究目的を達成したと判断した.MDとFEMを結合する手法はこれまでにいくつか提案されている.しかしいずれの手法も,節点の位置が原子の位置と完全に一致していなければならない(結果,FEメッシュ生成の計算負荷が大きくなる),境界領域での短波長フォノンの模擬を行っていないためにより非現実的な温度制御をMD領域に対して行わなければならない,事前に別の数値解析を行っておく必要がある,1時刻ステップごとに時間による畳み込み積分を数値的に実行しなおさなければならない等の問題点を抱えていた.本研究によって開発したDREMは,これらの問題を全て回避する事に成功している.

局所化塑性変形が構造信頼性に及ぼす影響に関する研究

発電用軽水炉において着目すべき主たる経年劣化事象の一つとして, オーステナイト系ステンレス鋼製炉内構造物の結晶粒界で生じる照射誘起応力腐食割れ(IASCC : Irradiation Assisted Stress Corrosion Cracking)が挙げられる.IASCCの感受性が照射によって発現する上での主要因と目されているのが照射誘起偏析と照射硬化である.しかし後者については,同程度の硬化を照射ではなく加工によって導入した試料においては同等のSCC感受性が生じないため,硬化によって亀裂先端の応力集中が生じやすくなるというだけの単純な破壊力学的説明では,照射硬化によるSCC誘起の説明にはならず,よりミクロスコピックな変形・破壊挙動に基づいた説明が求められている.ここで注目される転位チャネリングは,照射硬化した金属の塑性変形初期に特徴的に観察される局所化塑性変形モードで,結晶のすべり面に平行な幅数十nm程度の平板上領域のみにおいて転位が多数通過する事ですべり変形が集中的に生じる現象である.IASCCの破断面において転位チャネリングに起因する段差が観察される等の実験事実を考慮すると,転位チャネルと粒界が接触する事によって粒界に応力集中を生じる事が,粒界における亀裂の形成と進展を誘起あるいは促進している事が考えられる.転位チャネルの形成自体に対するモデル化については先行事例も豊富である一方,転位チャネルと粒界の相互作用のモデル化は進んでおらず,この点が先に述べた粒界における応力集中のメカニズムを解明し,IASCC感受性に及ぼす影響を評価する上でのボトルネックとなっている.そのため,本研究では転位チャネルと結晶粒界の相互作用のプロセスを明らかにし,以てそのプロセスが粒界近傍の応力分布,さらに割れ感受性に及ぼす影響を推定する.

ある結晶粒において転位チャネリングが進行して粒界に多数の転位が接近もしくは衝突する場合,粒界を挟んだ反対側の結晶粒へ塑性変形が伝達される過程は主として2種類が想定される.1つは,転位の接近に伴う応力に反応して粒界が自発的に転位を放出し,これが隣接結晶粒の塑性変形の起点となるものである.もう1つは,粒界に転位が衝突・吸収され,これによって粒界構造が不安定化した後に,粒界から転位が隣接結晶粒内へ放出される過程である.先に本研究により開発されたDREMを用いる事によって,多様な構造を同時に持つ大傾角ランダム粒界の挙動を適切に再現し,またチャネル内において堆積する転位の遠距離応力・ひずみ場を適切に解析する事が可能となった.DREMによる複数転位・粒界相互作用に関する解析は,粒界を挟んだ塑性変形の伝達が後者,即ち転位の衝突・吸収ののちに隣接結晶粒が塑性変形を開始するプロセスによって担われている事を支持する結果をもたらし,粒界において吸収された複数の転位が粒界近傍に局所的な高い応力を印加し,粒界割れのしきい応力を実効的に大幅に下げ得ると推定された.さらに,塑性変形の伝達に対して特に高い抵抗を示し,そのため特に大きな応力集中を生じうる粒界の構造がある程度特定された事は,今後のIASCCに関する実験的評価において特に着目すべき粒界の性格を示すとともに,粒界構造制御によって耐IASCC性向上を図る粒界工学に対して,特に重要な制御対象パラメータを抽出したという点においても意義は大きい.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、高い汎用性を持った基礎理論及び解析技術の整備を指向した結晶性材料における分子動力学法(MD)と有限要素解析(FEM)の連成解析技術の開発と評価を行うとともに、数十年以上の長期使用を経た発電用軽水炉におけるオーステナイト系ステンレス鋼製炉内構造物の照射誘起応力腐食割れという具体的問題に対して、特に重要な劣化・変形過程を抽出し、局所化塑性変形が構造信頼性に及ぼす影響に連成解析技術を適用した研究成果をとりまとめている。

本論文は4章で構成されており、第1章では材料強度に対する理論的アプローチの重大な障害が、塑性及び脆性が転位などの各種の結晶欠陥の密度及び空間的分布に強く依存する点であることを指摘している。さらに結晶欠陥の挙動が本質的に原子論的な数値解析を要求する一方で、転位等の結晶欠陥間の相互作用が必ずしも短距離に収まらないこととい、結晶欠陥が長距離の構造を有していることが解析の困難性を増すことをとりまとめ、本研究の目的を将来にわたるロードマップの中で位置づけている。

第2章は、開発した分子動力学法と弾性力学結合手法であるDual Resolution Element Method(DREM)について論じている。本手法はMD領域とFEM領域の間に、新たに導出した概念である二重解像度要素(DRE : Dual Resolution Element)からなるメッシュを配置し、DREに対しては節点の座標がそのDRE内の原子の座標から、一定の一次変換によって必ず定められるという拘束条件を課している。この拘束条件の下で、解析力学に基づいて系の運動方程式を導出して、MD領域とFEMそしてDREが結合した系において、原子及び節点の運動を解析するアルゴリズムを設計することに成功している。また、FEMでは再現されない短波長の熱的格子振動がDREを通してMD領域とFEの間を往来する過程を模擬するため、DRE中の原子の運動のうち節点の運動に直接寄与しない成分を抽出している。これらを熱振動成分とみなして揺動散逸定理及びフォノンの分散関係から理論的に決定できる粘性力及びランダム力を与えることによって、DRE内部で熱振動を減衰及び発生させることに成功している。さらにこれらの結合手法によって結晶の挙動が適切に再現されることを、純粋なMD計算による結果と比較して検証している。

第3章は、局所化塑性変形が構造信頼性に及ぼす影響に関する研究について、発電用軽水炉炉内構造物の照射誘起応力腐食割れ(IASCC)を取り上げ、照射硬化した金属の塑性変形初期に特徴的に観察される局所化塑性変形モードである転位チャネリングの結晶粒界での挙動を、前章で開発したDREMを活用して明らかにしている。転位チャネリングが進行して粒界に多数の転位が接近もしくは衝突する場合に、粒界を挟んだ反対側の結晶粒へ塑性変形が伝達される過程を、多様な構造を同時に持つ大傾角ランダム粒界の挙動を適切に再現し、かつチャネル内において堆積する転位の遠距離応力・ひずみ場を適切に解析することを可能としている。また転位の衝突・吸収の後に隣接結晶粒が塑性変形を開始するプロセスの場合には、粒界において吸収された複数の転位が粒界近傍に局所的な高い応力を印加し、粒界割れのしきい応力を実効的に大幅に下げ得ることを明らかにしている。さらに塑性変形の伝達に対して特に高い抵抗を示し大きな応力集中を生じうる粒界の構造を特定することにも成功している。

第4章は結論であり、本研究の成果をとりまとめるとともに、今後の発展性について論じている。

以上を要するに、本論文は全く新しく汎用性を持った分子動力学法と有限要素解析の連成解析技術を高い汎用性を持った基礎理論に基づいて構築することに成功しており、オリジナリティの高い成果を得ている。さらにこの手法を軽水炉の高経年化対策として最も重要な課題である照射誘起応力腐食割れ現象の解明に適用し、割れの発生に関するメカニズムを解明している。

これらは、原子力材料工学とそのマルチスケール評価技術の進展に寄与するところが極めて大きい。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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