学位論文要旨



No 125739
著者(漢字) 肖,英紀
著者(英字)
著者(カナ) ソ,ヨンギ
標題(和) 準結晶のフォノン-フェイゾン弾性に関する研究
標題(洋)
報告番号 125739
報告番号 甲25739
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7272号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 枝川,圭一
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 幾原,雄一
 東京大学 教授 榎,学
 東京大学 准教授 阿部,英司
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

準結晶とは、結晶に許されない回転対称性および準周期性に特徴づけられた構造秩序を持った物質群であり、その構造は高次元結晶の実空間断面として記述される。構造の高次元性を反映して、準結晶には実空間における格子変位の自由度(フォノン自由度)に加えて、それに直交する補空間方向の格子変位の自由度(フェイゾン自由度)が存在する。準結晶の弾性論はフェイゾン自由度を組み入れた形で定式化され、(通常の結晶と同様の)フォノン弾性に加え、フェイゾン自由度に起因するフェイゾン弾性、両者の結合項(フォノン-フェイゾン結合)の存在が導かれる。準結晶の特殊な構造秩序がフェイゾン弾性に関連したエントロピーの効果で実現している、とする理論的予測がなされているが、準結晶のフェイゾン弾性に関する実験的研究手段が限られていることもあり、いまだにフェイゾン弾性が準結晶構造の安定性に本質的に関わっているかどうか結論が出るには至っていない。また、準結晶中にしばしば観測される新規な現象がフェイゾン弾性によって解釈されているが、そのような現象が準結晶に本質的なものなのか、その発現機構の詳細は解明されていない。さらに、フォノン-フェイゾン結合の存在が上記問題に影響を及ぼすことが予測されている。本研究では、準結晶の特殊な弾性に関する実験的情報を得ることを目的とし、(1) Al-Cu-Fe系正20面体準結晶のフォノン-フェイゾン結合定数の評価、(2)Al-Pd-Mn系正20面体準結晶のメカニカルスペクトロスコピーを実施した。

2.正20面体準結晶のフォノン-フェイゾン結合定数の評価

2.1 背景および目的

これまで、フォノン-フェイゾン結合に関する実験的研究はなされていなかったが、最近Edagawaによって、近似結晶に自発的に導入されたフォノン歪を測定することにより、対応する準結晶のフォノン-フェイゾン結合定数を実験的に評価する手法が定式化された[1]。近似結晶とは、準結晶と高次元法により関連づけられる結晶であり、得られる構造は周期性をもつ。近似結晶は対応する準結晶に一様なフェイゾン歪が導入された構造とみなすことができる。ここで、準結晶に一様なフェイゾン歪が導入されたとき、フォノン-フェイゾン結合の存在により、フォノン歪が自発的に導入されることが弾性論から要請される。このときフォノン歪の大きさはフォノン-フェイゾン結合定数に比例する。したがって、近似結晶に内在するフォノン歪を測定すれば、フォノン-フェイゾン結合定数が実験的に評価できる。本研究では、代表的なMackay型として知られているAl-Cu-Fe系正20面体準結晶(I相)および2/1-4/1菱面体近似結晶(R相)の格子定数精密測定を行い、フォノン-フェイゾン結合定数を実験的に評価することを目的とした。

2.2 実験方法

Al(5N), Cu(4N), Fe(4N)の高純度原料をAl62.5Cu27Fe10.5の仕込み組成で秤量後、アーク溶解法を用いて溶解し、母合金を作製した。さらに、得られた母合金を単ロール法により融液から急速凝固することで、フレーク状試料を得た。この急速凝固試料をTa箔で包み、I相については真空封入後750℃で12時間熱処理を施し、R相については真空封入後680℃6日間熱処理を施すことで、所定の試料とした。これらを粉砕し、粉末X線回折法による格子定数の精密測定を行った。格子定数の精密化のために、内部試料法(標準試料NIST Si powder 640c)による系統誤差の補正、Kα2線の除去、装置関数のデコンボリューション、ピークフィッティングを行った。

2.3 実験結果および考察

I相およびR相の粉末X線回折スペクトル(Kα2線除去データ)を図1に示す。標準試料Si以外のピークについて、750℃で熱処理した試料ではI相の指数付けができ、680℃で熱処理した試料ではR相の指数付けができた。種々の解析により真のピーク位置を決定し、I相の準格子定数aq =4.4611±0.0007ÅおよびR相の格子定数a =19.857±0.008Å, c =90.105±0.08Åを得た。aqから、一様なフェイゾン歪のみ導入したR相の格子定数(a0, c0)を算出しa, cと比較することで、最終的に を得た。ここで、 はフォノン-フェイゾン結合定数、 は剛性率である。これは、Mackay型であるAl-Mn系における計算値 [2]と大きさ、符号ともに良く一致している。Al-Cu-Fe系I相の [3]を用いると、 と求まった。本研究は、Mackay型正20面体準結晶のフォノン-フェイゾン結合定数を実験的に評価した初めての例である。

3.正20面体準結晶のメカニカルスペクトロスコピー

3.1 背景および目的

準結晶の弾性はフェイゾン自由度の存在から、従来知られてきた結晶などの弾性動力学とは異なる弾性動力学に従うことが予想される。Rochalらの正20面体準結晶の弾性動力学モデル[4]によると、準結晶に周期応力に加えた際、フォノン-フェイゾン結合を通してフェイゾン弾性に起因した力学的緩和が誘起され、内部摩擦が生じる。つまり、フォノン-フェイゾン結合が存在すれば、準結晶では必然的に内部摩擦を生じることになる。内部摩擦測定は、一般に、固体中に存在する種々の格子欠陥ダイナミクスあるいは緩和現象に関する情報を敏感に検出することができ、準結晶の弾性動力学の情報を得る上で有効な手段であると考えられる。本研究では、Al-Pd-Mn系正20面体(I-)準結晶およびAl-Pd-Mn-Si系1/1-, 2/1-近似結晶の内部摩擦を測定することにより、内部摩擦へのフェイゾン自由度の寄与を明らかにするとともに、フォノン-フェイゾン弾性動力学に関する知見を得ることを目的とした。

3.2 実験方法

Al(5N), Pd(3N), Mn(4N), Si(5N)の高純度原料をI-準結晶、2/1-近似結晶、1/1-近似結晶それぞれAl73Pd19Mn8, Al69.5Pd23.0Mn6.2Si1.3, Al67.5Pd11.5Mn14.5Si6.5の仕込み組成で秤量後、アーク溶解法を用いて溶解し、母合金を作製した。I-準結晶については、母合金を高純度アルミナるつぼ(内径16φ)に詰め石英管に真空封入した後、ブリッジマン法により4~6cmの単準結晶インゴットを得た。さらに、単準結晶の一部を粉砕し、プラズマ活性化焼結(PAS)を用いて焼結体を作製した。2/1-および1/1-近似結晶については、母合金を真空封入した後、800℃25時間の熱処理を施した。これらを粉砕し、PASを用いて焼結体を作製した。試料評価には背面反射ラウエ法、粉末X線回折法、走査型電子顕微鏡を用いた。各焼結体および単準結晶を35×4×1t mm3の板状に成形し、測定用試料とした。単準結晶は長手方向が正20面体準結晶の2回、3回、5回軸となるように方位を定めた。内部摩擦測定はTAインスツルメンツ社Dynamical Mechanical Analyzer (DMA)を用いて、曲げモードで室温から600℃までの温度範囲で行った。

3.3 実験結果および考察

図2(a)-(c)にAl-Pd-Mn系正20面体準結晶およびAl-Pd-Mn-Si系2/1-, 1/1-近似結晶の内部摩擦tanδ(=Q-1)の温度依存性をそれぞれ示す。高温で指数関数的に増加するバックグラウンドを仮定してピークフィッティングを行った結果を図中に示す。A-Hで示したピークは全て緩和型であり、それぞれ緩和時間τをもつアレニウス型の熱活性化過程に対応する。熱活性化解析から、各ピークの活性化エンタルピー (eV)および頻度因子 ( )を求め、表1にまとめた。ピークBの熱活性化パラメータから、ピークBの起源は多数の原子が関与する集団的な緩和過程であることが示唆される[5]。この熱活性化パラメータの値は、コヒーレントX線散乱実験によるフェイゾンモードの動的観測[6]および透過型電子顕微鏡(TEM)によるフェイゾン欠陥の緩和その場観察[7]から得られた値と対応している。また、準結晶において観測されたピークBは、1/1-近似結晶では観測されず、このことはX線散漫散乱実験[8]の結果と対応している。2/1-近似結晶ではピークBに対応する緩和ピークが観測されたが、非常に弱いピーク強度であった。したがって、準結晶において観測されたピークBはフェイゾン自由度に起因した緩和過程に対応しており、その機構は集団的に相関をもったフェイゾンジャンプであることが示唆される。フォノン-フェイゾン弾性動力学モデルに基づいて、このピーク強度からフォノン-フェイゾン結合定数の大きさが|K3| と見積もられた。この値は(1)で評価した値とほぼ一致している。一方、弾性動力学モデルが予測する内部摩擦の異方性は観測されなかった。

4.結言

X線回折法を用いてAl-Cu-Fe系正20面体準結晶および2/1-4/1菱面体晶近似結晶の格子定数の精密測定を行い、近似結晶に自発的に導入されたフォノン歪を評価することにより、フォノン-フェイゾン結合定数を定量的に評価した。 は符号、絶対値ともにAl-Mn系正20面体準結晶の構造モデルを用いた計算機シミュレーションによる値と良く一致している。また、Al-Pd-Mn系正20面体単準結晶およびAl-Pd-Mn-Si系1/1-, 2/1-近似結晶の高温内部摩擦測定を室温から600℃の温度範囲で実施した。準結晶において観測された550℃近傍の緩和型ピークは1/1-近似結晶では観測されず、2/1-近似結晶では非常に小さいピーク強度であった。このピークの活性化パラメータは種々のフェイゾン自由度の動的観測と対応しており、このピークの起源は集団的に相関をもったフェイゾンジャンプであることが示唆される。このピーク強度からフォノン-フェイゾン結合定数の大きさが|K3| と見積もられた。この値は(1)で評価した値とほぼ一致している。

参考文献[2] W. J. Zhu and C. L. Henley, Europhys. Lett. 46, 748 (1999).[1] K. Edagawa, Phil. Mag. Lett. 85, 455 (2005).[3] K. Tanaka, Y. Mitarai and M. Koiwa, Phil. Mag. A73, 1715 (1996).[4] S. B. Rochal and V. L. Lorman, Phys. Rev.B66, 144204 (2002).[5] M. Feuerbacher, M. Weller, J. Diehl and K. Urban, Phil. Mag. Lett. 74, 81 (1996).[6] S. Francoual, F. Livet, M. de Boissieu, F. Yakhou, F. Bley, A. Letoublon, R. Caudron, and J. Gastaldi, Phys. Rev. Lett. 91, 225501 (2003).[7] M. Feuerbacher and D. Caillard, Acta Materialia 54, 3233 (2006).[8] 21 M. de Boissieu, S. Francoual, Y. Kaneko, and T. Ishimasa, Phys. Rev. Lett. 95, 105503 (2005).

図1. I相およびR相の粉末X線回折スペクトル

図2. (a)I-準結晶および(b)2/1-, (c)1/1-近似結晶の内部摩擦の温度依存性

表1. 内部摩擦ピークA-Hの解析結果

審査要旨 要旨を表示する

準結晶は、結晶に許されない点群対称性および準周期性によって特徴づけられた構造秩序を持った物質群であり、その構造は高次元結晶の物理空間断面として記述される。構造の高次元性を反映して、準結晶には通常の格子変位の自由度(フォノン自由度)に加えて、フェイゾンと呼ばれる格子変位の自由度が存在する。後者に起因した弾性(フェイゾン弾性)は準結晶の安定性の物理的起源と密接に関わっていると予測されているが、フェイゾン弾性に関する実験的研究手段が限られていることもあり、実験的な結論が出るには至っていない。一方、高温比熱におけるデュロン・プティ則の破れや、塑性変形における加工軟化現象などが準結晶に特徴的な物性として注目を集め、フェイゾン弾性に起因した物性として解釈がなされたが、その発現機構の詳細は未だ明らかになっていない。また、フォノン-フェイゾン結合に関しても、理論的に様々な物性に影響を及ぼすことが予測されているが、フォノン-フェイゾン結合の寄与が実験的に調べられた例はほとんどない。以上のような準結晶の弾性に関する諸問題を解決するためには、準結晶特有の弾性に関する情報を得ることができる新しい実験的アプローチが必要である。本研究では、これまでほとんど調べられた例のないフォノン-フェイゾン結合定数の実験的評価を行い、準結晶の安定性に果たす役割を明らかにすること、また、関連した物性として、フォノン-フェイゾン結合に起因した内部摩擦を測定することで、フォノン-フェイゾン弾性の動的性質に関する知見を得ることを目的としている。

第1章は序論であり、本研究の対象である準結晶の概念について説明し、特に、高次元断面法に基づいた構造の記述について述べている。準結晶構造を高次元結晶と捉えることにより、フェイゾン自由度が導入される。このフェイゾン自由度の性質について述べている。さらに、準結晶に空間的に一様に変化するフェイゾン変位を導入した結果として得られる周期構造(近似結晶)について説明している。

第2章では、フェイゾン自由度を組み入れた形で一般化された準結晶の弾性論についてその概要を述べている。フェイゾン自由度の存在によって生ずる通常の結晶には存在しない弾性自由エネルギーの2次項の性質を、これまで得られている実験結果とともに概観している。さらに、準結晶のフォノン-フェイゾン結合の実験的評価がこれまでになされた例がないことを指摘している。

第3章は、Al-Cu-Fe系正20面体準結晶のフォノン-フェイゾン結合定数の実験的評価に関する研究について述べている。X線回折法を用いてAl-Cu-Fe系正20面体準結晶の近似結晶に自発的に導入されたフォノン歪を精密測定することにより、フォノン-フェイゾン結合定数を定量的に評価し、その結果、Al-Cu-Fe系正20面体準結晶のフォノン-フェイゾン結合定数K3/μ=0.004を得ている。これは符号、絶対値ともにMackay型として知られているAl-Mn系正20面体準結晶の構造モデルを用いた計算機シミュレーションによる値と良く一致している。また、フォノン-フェイゾン結合が準結晶の熱力学的および流体力学的安定性に果たす役割を定量的に示している。Mackay型ではフォノン-フェイゾン結合の寄与は小さいが、Bergman型ではフォノン-フェイゾン結合は準結晶の安定性に重要な役割を果たすことを明らかにしている。

第4章は、Al-Pd-Mn系正20面体準結晶およびAl-Pd-Mn-Si系2/1-および1/1-近似結晶のメカニカルスペクトロスコピーに関する研究について述べている。高温内部摩擦測定から、準結晶において550℃近傍に緩和型ピークを観測しており、このピークの起源は多数の原子の集団運動を伴う緩和過程であることを指摘している。ここで、この緩和型ピークは1/1-近似結晶では観測されず、2/1-近似結晶では非常に弱いピーク強度であることを示している。このピークの熱活性化パラメータは種々のフェイゾン自由度の動的観測と対応しており、このピークは集団的に相関をもったフェイゾンジャンプに起因した内部摩擦であることを指摘している。フォノン-フェイゾン弾性動力学モデルに基づいて、このピーク強度からフォノン-フェイゾン結合定数の大きさが|K3|/μ=0.007と見積もられ、この値は第3章で評価した値とほぼ一致している。

第5章は本論文の総括である。本研究は、これまで未知因子として扱われてきたフォノン-フェイゾン結合定数の実験値を初めて提供するものである。また、本研究で示されたように、局所構造が似ている準結晶および近似結晶の内部摩擦の振る舞いが大きく異なっていることは興味深い。本研究は準結晶のフォノン-フェイゾン弾性を調べる手段としての内部摩擦研究を開拓したと言える。本研究の成果によって、準結晶の安定性の問題に加え、フォノン-フェイゾン結合が関与すると考えられている準結晶の物性研究が大きく発展することが期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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