学位論文要旨



No 125746
著者(漢字) 佐々木,秀顕
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ヒデアキ
標題(和) 亜鉛蒸気を用いた貴金属-亜鉛化合物の作製と水溶液中におけるそれらの溶解挙動
標題(洋)
報告番号 125746
報告番号 甲25746
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7279号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,正史
 東京大学 教授 森田,一樹
 東京大学 教授 山口,周
 東京大学 教授 光田,好孝
 東京大学 教授 岡部,徹
内容要旨 要旨を表示する

貴金属は金,銀,白金族金属(白金,パラジウム,ロジウム,ルテニウム,イリジウム,オスミウム)の総称である.貴金属は,優れた耐食性,耐熱性,電気伝導性,触媒活性などの特性を利用し,工業分野で広く利用されている.特に日本は,自動車触媒や電子機器部門の用途において,他国と比較して大量の貴金属を消費している.しかし,貴金属は資源が世界的に偏在しており,生産量も少ない.とくに白金族金属は生産量の大部分を少数の国が占めており,将来的に供給に不安がある.したがって,自国内での供給を確保するために,使用後の工業製品から貴金属を回収して再利用することが極めて重要である.しかしながら,化学的安定性の高い貴金属をリサイクルする際には高温での溶融や強力な薬品を用いた浸出処理が行われるため,大きな環境負荷およびコストが伴う.この問題を解決するために,亜鉛(Zn)蒸気を用いた新しい貴金属回収プロセスが過去に提案された.このプロセスでは,貴金属含有スクラップに Zn 蒸気を接触し,貴金属-Zn化合物を形成させる.つづいて,形成した化合物に対して酸溶液を用いた浸出処理を行う.王水中において貴金属-Zn 化合物は未処理の貴金属(貴金属単体)よりも迅速に溶解することが確認されており,Zn 蒸気処理を用いることで浸出処理における処理時間やコストを大幅に削減することが期待される.

しかし,貴金属と Zn 蒸気が反応条件によって生成する化合物の種類,および貴金属-Zn 化合物が水溶液中で溶解する挙動については不明な点が多い.そこで本研究では,貴金属-Zn 化合物の生成条件および溶解反応について詳細な調査を行い,より少ない環境負荷およびコストで貴金属を回収する方法の指針を示すことを目的とした.実験の対象として,自動車触媒等で利用されている白金(Pt)およびロジウム(Rh),代表的な貴金属である金(Au)を対象とした.以上の本研究の背景および目的を,本論文の第1章にまとめた.

第 2 章において,貴金属-Zn 化合物の生成反応を調査した.化合物の生成は,真空容器内で貴金属と Zn を異なる温度で加熱し,貴金属に Zn 蒸気を接触する方法により調査した.貴金属と Zn は組成および温度によって様々な種類の化合物を形成するが,容器内で貴金属を Zn 蒸気源より高く保つことで,最終的に生成する貴金属-Zn 化合物中の Zn 活量を制御することができる.この原理によって,容器内の温度差を利用して,所望の貴金属-Zn 化合物を生成させるための条件を探索した.Pt-Zn 系化合物については熱力学的な研究例が少ないため,化合物中の Zn 活量が明らかではない.本研究では,Pt-50%Zn,Pt-63%Zn,Pt-75%Zn を選択的に作製するための Zn 蒸気処理条件を見出し,これらの化合物中の Zn 活量を明らかにした.また,Au-Zn 系化合物については,報告されている熱力学的情報をもとに,Au-50%Zn,Au-70%Zn,Au-75%Zn の作製条件を確認した.Rh-Zn 系化合物については,熱力学的な性質がほとんど明らかにされていない.本研究では,過去に報告例のない Rh-75%Zn が得られ,この化合物中の Zn 活量を求めるとともに,結晶構造解析を行った.

第 3 章において,貴金属-Zn 化合物の水溶液中における溶解を,チャンネルフロー二重電極(Channel flow double electrode, CFDE)を用いて調査した.本手法では,層流条件で流れる塩酸の中で貴金属-亜鉛化合物をアノード溶解し,生成した貴金属イオンを下流の電極(検出電極)で還元した.検出電極で流れる電流値をもとに貴金属-Zn 化合物からの貴金属の溶解速度が測定可能であり,さらに化合物電極の電流から貴金属の溶解速度を引くことで,化合物からの Zn の溶解速度を同時に得た.使用した測定装置の信頼性は,フェロシアンイオンの酸化還元反応および純貴金属電極の溶解・析出反応を測定することにより確認した.

Pt-50%Zn および Au-50%Zn の溶解実験から,これらの化合物からは Zn のみの優先的な溶解は進行せず,高い電位においてのみ貴金属と Zn が伴って溶解することを明らかにした.また,これらの化合物からの貴金属の溶解は,貴金属単体と比較して低い電位から観察され,溶解による電流値も大きかった.したがって,Zn との合金化によって,貴金属の溶解性が向上したことが明らかとなった.

Pt-75%Zn,A-75%Zn など Zn 濃度が高い化合物からは Zn が優先的に溶解し,その溶解速度は時間とともに減衰した.一方,これらの化合物から貴金属が溶解する速度は経時的に増大した.溶解した化合物表面の観察および分析から,溶解の過程で貴金属濃縮層が亀裂を伴って表面に形成されることが明らかとなった.したがって化合物が溶解する速度の経時変化は,表面形状および組成の変化によると考えられる.ただし,これら Zn 濃度が高い化合物からの貴金属の溶解速度を貴金属単体の溶解と比較すると,合金化による溶解の促進の効果は貴金属種類により大きく異なることが示された.Pt-75%Zn の溶解では Pt の溶解速度増大が顕著であり,1.0 V において純 Pt の溶解速度よりも二桁以上大きい 150 mAcm-2 に達した.また,純 Pt の溶解時と比較して,より低い電位において化合物からの Pt の溶解が観察された.Pt-75%Zn とは対象的に,Au-75%Zn の溶解では Au の溶解速度増大が顕著ではなく,特に溶解開始直後は純 Au 溶解時よりも溶解が遅かった.

第 4 章では,貴金属-Zn 化合物の溶解速度測定結果をもとに,化合物の溶解機構について考察した.まず Zn 濃度が約 50% の化合物において貴金属の溶解性が向上した理由について,二種類の説明を試みた.一つは,最表面において Zn が溶解することにより貴金属原子が高いエネルギー状態となり,溶解が促進されたと考えるものである.もう一つは,合金中の金属原子間の結合エネルギーが貴金属単体より小さいため,溶解の反応速度定数が大きくなると考えるものである.

つづいて,Zn 濃度がより高い化合物について,Zn の優先溶解等が貴金属の溶解性に与える影響を以下の順序で考察した.まず,Zn の優先溶解速度から,この反応が液相中の物質移動律速であると仮定し,表面近傍のイオン濃度を推測した.つづいて,化合物としたことによる Pt の溶解性の向上を,Zn の優先溶解に伴う亀裂の発生による反応面積の増大と,表面の微細化による過剰エネルギーから説明した.前者について定量的な考察を行うために,Zn の優先溶解に伴う亀裂の発生を,共析・共晶反応からモデルを応用して解析した.後者の微細化による過剰エネルギーについては,溶解後の表面に対して X 線回折による結晶性の評価および小角散乱による粒子径の評価を行い,溶解過程で生じる Pt 濃縮層が持つ過剰エネルギーを概算した.最後に,Au の溶解速度が Au-75%Zn としても顕著に増大しなかった原因を,化合物から溶解した Zn が液相中の Au イオンの活量を高めるためと考えて,溶解中における電極周辺のイオン濃度を物質移動から概算した.

第 5 章では,上記のアノード溶解速度測定結果を実際の浸出処理と結びつけるために,王水中での化合物の浸漬電位を測定した.浸出液中では Zn の存在によって貴金属-Zn 化合物の浸漬電位が低くなることを考慮する必要がある.浸漬電位の測定結果から,Zn 濃度が高い Pt-75%Zn を王水で溶解する際は,Zn の優先溶解に伴って電位が上昇するまで貴金属が溶解しないことが示唆された.これらのことをふまえて,貴金属-Zn 化合物に対して王水で浸出処理を行う際には,Pt は Pt-63%Zn に,Au は Au-50%Zn としてから溶解することを提案し,貴金属回収プロセスにおける具体的な処理条件を示した.

以上の研究により,貴金属-Zn 化合物の生成および溶解に関する新たな科学的知見を得るとともに,合金化を利用した貴金属回収プロセスの開発・最適化するための指針を示した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文「亜鉛蒸気を用いた貴金属‐亜鉛化合物の作製と水溶液中におけるそれらの溶解挙動」は、穏和な環境で貴金属を回収することを目的として、浸出処理の前処理に亜鉛蒸気を利用することを想定し貴金属-亜鉛化合物の物理化学的な性質・反応を調査したものである。亜鉛蒸気処理により貴金属を溶解性の高い化合物にすることができれば、浸出処理の環境負荷の低減・コストの削減につながり、リサイクル可能範囲がひろがる。貴金属は種類によって産出国が限られているため、我が国では使用後の製品から回収することが特に重要である。したがって、本研究で得られた知見は、産業的にも有用なものである。貴金属の需給およびリサイクルに関しては、本論文の第 1 章で概説されている。

本研究では、白金、金、ロジウムが対象とされた。第 2 章に記された貴金属と亜鉛蒸気の接触反応においては、反応容器内で亜鉛蒸気源を貴金属より低温に保つことで、特定の亜鉛活量の化合物が生成する条件を設定した。白金-亜鉛系においては、熱力学的な性質が明らかにされていないため、三種類の化合物(Pt-75%Zn, Pt-63%Zn, Pt-52%Zn)が生成する反応条件を本研究において見出した。同時にこれらの化合物中の亜鉛活量が得られた。熱力学的な研究がすでに報告されている金-亜鉛系に関しては、亜鉛活量を推定して、三種類の化合物(Au-75%Zn, Au-70%Zn, Au-50%Zn)の単相、あるいは二相共存試料を 3~5 日間の熱処理により作製した。ロジウム-亜鉛系においては報告がほとんどなく、本研究において一種類の化合物(Rh-75%Zn)を新たに作製し、その結晶構造を推定した。以上の実験結果より、亜鉛蒸気接触により特定の貴金属-亜鉛化合物が生成する反応条件を明らかにするとともに、数種類の化合物の熱力学的性質(亜鉛活量)を新たな知見として得た。

第 3 章の貴金属-亜鉛化合物の溶解実験においては、新たに自作した装置によりチャンネルフロー二重電極法を用いて、塩酸中で化合物から貴金属および亜鉛がアノード溶解する速度を測定し、その電位依存性および時間変化を明らかにした。合金・化合物が溶解する機構に関しては不明な点が多いが、本論文では反応に関する有用な情報を簡便に得られるための工夫がなされている。本実験により、貴金属-亜鉛化合物の溶解では二種類の挙動が観察された。まず亜鉛濃度が50atom% のものは、化合物からの亜鉛の優先的な溶解は観察されず、貴金属と亜鉛が見た目上はほぼ同時に溶解した。また、これらの化合物から貴金属が溶解する速度は、貴金属単体の溶解時と比較して大きかった。一方、亜鉛濃度が63%以上の化合物からは、低い電位においては亜鉛のみが溶解し、高い電位においてのみ貴金属の溶解が確認された。このとき、化合物からの亜鉛の溶解速度は時間とともに減衰し、一方で貴金属の溶解速度が増大することが明らかとなった。亜鉛が優先溶解した化合物の表面をエネルギー分散型元素分析装置付き走査電子顕微鏡およびX線回折により観察および分析した結果から、表面には亀裂を伴った貴金属濃縮層の生成が確認された。したがって、亜鉛の優先溶解に伴った表面の変化が、上記の溶解速度の時間変化の理由であると考えられた。ただし、これら Zn 濃度が比較的高い化合物においては、合金化によって貴金属の溶解性が向上する効果が貴金属ごとに異なった。白金およびロジウムでは純貴金属と比較して溶解性が顕著に増大したのに対し、金は溶解性の向上が僅かに増加した。とくに溶解開始直後においては、金-亜鉛化合物から金が溶解する速度は、純金の溶解速度より遥かに小さかった。これら合金成分ごとの溶解速度の時間変化および電位依存性は、本研究手法によって初めて明らかになったものであり、化合物の溶解を理解する上で有用となる新たな知見である。また、得られた溶解速度は、合金化を利用した貴金属の浸出処理において、ほぼそのまま参考にすることが出来る。

本論文の第 4 章では以上の測定結果を考察するにあたり、貴金属-亜鉛化合物の物性値、亀裂発生の機構、貴金属の微粒子化および水溶液側の組成変化に着目し、合金化が溶解速度に与える影響が評価された。

第 5 章においては上記の実験結果をもとに、亜鉛蒸気を利用した貴金属回収プロセスの具体的な処理条件が提案された。

第 6 章では本論文の内容が総括された。

以上に記したとおり、本研究は貴金属合金の生成および溶解反応についての基礎的な情報を得た。とくに化合物から貴金属が溶解する速度を分離して測定した結果は学術的に新規性が高く、重要な発見である。また、貴金属のリサイクルプロセスの開発として産業的に有用な結果を得た。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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