学位論文要旨



No 125747
著者(漢字) 村瀬,陽子
著者(英字)
著者(カナ) ムラセ,ヨウコ
標題(和) 自励振動高分子およびゲルを用いた新規物質輸送表面の設計
標題(洋) Design of novel mass transport surfaces utilizing self-oscillating polymer and gel
報告番号 125747
報告番号 甲25747
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7280号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 吉田,亮
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 准教授 山崎,裕一
 東京大学 准教授 高井,まどか
内容要旨 要旨を表示する

刺激応答性高分子ゲルは、温度やpHといった特定の外部刺激に対して形状や物性を著しく変化させる特性を有しており、人工筋肉、マイクロポンプ、DDS、各種センサーや光学デバイスなどへの応用が期待されている。しかし、従来の刺激応答性高分子ゲルは外部からのon-offスイッチングが必要であり、駆動のための外部機構が不可欠であった。これに対し、駆動力発生機構を材料に内包化することができれば、生体のような自律駆動型の新しい材料システムが創製できると考えられる。

本研究では、化学振動反応として知られるBelousov-Zhabotinsky (BZ) 反応の化学エネルギーを力学エネルギーに直接変換する「自励振動ポリマー」およびゲルを用いた新しい物質輸送表面の設計を行った。BZ反応の金属触媒として作用するルテニウムトリスビピリジン錯体モノマーを温度応答性高分子であるポリ-N-イソプロピルアクリルアミドの高分子鎖に化学的に結合することで、金属触媒を含まないBZ反応基質溶液中で周期的なコイル-グロビュル転移を起こすポリマーが得られる。このポリマーを3次元的に架橋させた自励振動ゲルは、構成するポリマー鎖の協同的な動きによって周期的な体積振動を引き起こす。ゲルが空間的な広がりを持つ場合、BZ反応による金属触媒の酸化還元反応が位相差を持ちながら逐次的に起こり、酸化状態に励起された領域の伝播 (化学反応波の伝播) が生じる。酸化状態に遷移した際にはゲルが膨潤するので、自励振動ゲルは蠕動的な運動を引き起こす。

近年急速に発展しているナノテクノロジー、バイオテクノロジーの分野において、機能性表面や界面の研究が幅広く行われてきた。しかし、今後重要性が増すと思われる物質輸送型の機能性表面に関する研究事例は少なく、さらに人工材料系のシステムでは、駆動源を内包化させた次世代型の輸送システムは実現されていない。そこで本研究では、自励振動高分子内で自発的に生じる化学反応波の伝播を利用し、表面に添加した物質を輸送する新しい機能性表面の構築を目的とした。BZ反応の反応開始および停止、化学反応波の波形、伝播周期および速度、ゲルの膨潤収縮振幅といった特性は、光照射や温度、BZ反応基質溶液の組成、ゲルの構造によって制御可能である。そのため、自励振動高分子およびゲルによって構成された動的表面を作製することにより、添加した目的物質を任意の方向に任意のタイミングで自動搬送する新しい輸送システムが実現できると考えられる。

以下に本論文の各章の概要を示す。

第一章では、緒言として刺激応答性高分子の特徴とその応用展開を紹介した上で、従来の刺激応答性高分子とは異なる、本研究で用いた駆動源内包型の自励振動ポリマーに関して、基本的な構造と駆動原理、特性を述べた。次に、機能性表面、特に能動的な物質輸送機能を有する表面の重要性に触れ、本研究の位置づけ、目的、本論文の構成について述べた。

第二章では、自律的な蠕動運動を利用して添加した物質を輸送する自励振動ゲルの基礎設計を行った。自励振動の従来の構成要素に対し、第三の構成要素として親水性の2-アクリルアミド-2-メチルプロパンスルホン酸 (AMPS) を加え、かつ重合溶媒をポリマーの貧溶媒にした。AMPSの添加量がゲルの内部構造、膨潤度、化学振動反応に伴う膨潤収縮応答性に与える影響を評価した。その結果、ゲルの膨潤収縮応答性向上のためには、重合過程の貧溶媒効果によってバルクゲルの内部構造がミクロゲルの凝集体構造になることが重要であり、かつゲルの含水率を増加させるAMPSを少量添加することで膨潤収縮振動を増大できることが明らかにされた。物質輸送に適した蠕動運動を生させることによって、平面シート状の自励振動ゲル上に添加した円柱状ゲルを輸送できることを実証した。

第三章では、蠕動運動する平面上に添加した物質が輸送されるメカニズムを明らかにするため、弾性力学に基づいた輸送モデルの構築を試みた。第二章の輸送実験において、円柱状ゲルは蠕動運動の波面によって前方に回転運動しながら輸送された。そこで、平面シート状の自励振動ゲルを弾性平面、添加した円柱状ゲルを剛性円柱とみなし、Hertzの接触理論からもぐりこみ深さを算出した。さらに、平面上を伝播してくる蠕動運動の波面を想定し、波面と添加した剛性円柱の間に接触面が形成されることが輸送の必要条件であると仮定して、必要な波面角度を算出した。基質濃度を変化させてさまざまな波面角度の蠕動運動を実際に生起させ、円柱状ゲルの輸送実験を行った。その結果、円柱状のゲルの輸送の可否は蠕動運動の波面角度によることが確認され、その最小角度はモデルから計算される値とほぼ一致した。弾性力学に基づくモデルが本実験系に適用できることが実証された。

第四章では、添加した輸送対象物質と自励振動ゲルの相互作用が輸送現象に与える影響を評価した。輸送物質として帯電状態、親疎水性、表面粗さの異なるゲルを作製し、ゼータ電位と液中における気泡接触角を測定した。また、自励振動ゲル表面との接着性を評価するために、自励振動ゲル膜斜面に添加した円柱状ゲルの転がり傾斜角度を測定した。自励振動ゲルの駆動溶液環境は高イオン強度下であり、物質の帯電状態は接着性に影響しないことが明らかになった。輸送物質が同程度の表面粗さを持つ場合、表面の親水性が向上し、気泡接触角がある値以上を示すゲルは輸送可能であることが分かった。その閾値は輸送対象物質の表面粗さによって異なり、表面粗さの大きいゲルの方が低い気泡接触角で輸送可能になることが明らかになった。これは、ゲル表面のミクロな凹凸により、真実接触面積の増大したためだと思われる。加えて、親水性の低いゲルは転がり傾斜角度が高くなり、接着性の評価としてこれらの手法が有効であることが確認された。また、転がり傾斜角度がある値以上を示すゲルは、自励振動ゲルの蠕動運動では輸送されないことが確認され、表面処理の指針が得られた。

第五章では、自励振動ゲルの蠕動運動を利用した物質輸送システムの汎用化のために、自励振動ゲルの表面形状に関して検討した。第二章から第四章で用いてきた平面シート状の自励振動ゲルでは、円柱状以外の物質を輸送することは波面形状の制約があり困難であった。微粒子の輸送はバイオテクノロジー、ナノテクノロジーといった分野において重要性の高い要素技術であるため、本章ではゲル微粒子を輸送可能な自励振動ゲル表面を設計することを目的とした。並列したガラスキャピラリーを転写したPDMS鋳型を用い、表面に溝を有する自励振動ゲルを作製し、化学反応波の伝播特性を評価した。その結果、平面シート状の自励振動ゲルでは円形波やらせん波が伝播するのに対し、溝を有する自励振動ゲルでは溝に沿って化学反応波が伝播し、かつ隣り合う化学反応波同士が同期して同一方向に伝播していくことが確認された。溝に沿って蠕動運動が繰り出されることにより、溝に添加したゲル微粒子の輸送に成功した。また第三章と同様に、弾性力学に基づいて添加物質と蠕動運動の波面の接触状態をモデル化し、実験結果と照合した。蠕動運動の波面と輸送対象物質がある一定以上の接触面積を形成することが重要であるとの結論を得た。

第六章では、マイクロ流体システムにおける自律的な送液制御や物質輸送などへの応用に向けて、基板表面を自励振動ポリマーで修飾し、自励振動を生起することを試みた。予めポリマー鎖を作製してその後基板に多点結合させる方法では、基板表面に固定化できる触媒量が少なく、修飾方法として不適切であることが分かった。そこで、触媒固定化量を増やすため、基板表面に密度の高いポリマーブラシを作製することを試みた。原子移動ラジカル重合を用いて、まず触媒を結合しないポリマーブラシ表面を作製し、重合反応を抑制する触媒を重合後のポリマーブラシに結合させることで、基板表面に高密度で自励振動ポリマーブラシを作製することに成功した。自励振動ポリマーブラシで表面修飾された2枚の基板を数十ミクロンのスペーサによってはり合わせた微小空間を作製し、化学振動反応の基質溶液で満たしたところ、金属触媒の酸化還元の明滅が蛍光顕微鏡で観察され、化学振動反応が起こっていることが確認された。

第七章は総括とし、本論文全体の内容をまとめるとともに、自励振動高分子およびゲルの物質輸送表面としての可能性と今後の展開について述べた。

本論文の遂行により、自律的なゲルの蠕動運動によって添加された物質を輸送する新しい物質輸送表面が設計されただけではなく、輸送に適した蠕動運動を引き起こすために必要なゲルの重合条件や内部構造を明らかにしたことで、ソフトアクチュエータ設計における汎用的な指針が得られた。また、弾性力学に基づく輸送現象のモデル構築によって輸送のメカニズムと必要条件が明らかになり、ソフトマテリアルを用いた輸送表面の設計指針も得られた。さらには物質輸送表面の形状や輸送対象物質との相互作用が輸送現象に与える影響を調べたことで、ソフトマテリアルの表面形状加工や表面処理といった分野への波及効果も期待される。また、化学振動反応を引き起こすポリマーで固体基板を修飾する方法を確立したことにより、自律的な振動界面の構築が可能となり、マイクロ流体システム等への新展開が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

刺激応答性高分子ゲルは、温度やpHといった特定の外部刺激に対して形状や物性を著しく変化させる特性を有しており、マイクロマシン、バイオマテリアルなどへの応用が期待されている。しかし、従来の刺激応答性高分子ゲルは駆動のための外部機構が不可欠であった。これに対し、駆動力発生機構を材料に内包化することができれば、生体のような自律駆動型の新しい材料システムが創製できると考えられる。

本学位請求論文では、化学振動反応として知られるBelousov-Zhabotinsky (BZ) 反応の化学エネルギーを力学エネルギーに直接変換する「自励振動ポリマー」および「自励振動ゲル」を用いた新しい物質輸送表面の設計を行っている。BZ反応の金属触媒として作用するルテニウムトリスビピリジン錯体モノマーを温度応答性高分子であるポリ-N-イソプロピルアクリルアミドの高分子鎖に化学的に結合することで、金属触媒を含まないBZ反応基質溶液中で周期的なコイル-グロビュル転移を起こすポリマーが得られる。このポリマーを3次元的に架橋させた自励振動ゲルでは、BZ反応による金属触媒の酸化還元反応が位相差を持ちながら逐次的に起こり、酸化状態に励起された領域の伝播 (化学反応波の伝播) し、自励振動ゲルは蠕動的な運動を引き起こす。BZ反応の反応開始および停止、化学反応波の波形、伝播周期および速度、ゲルの膨潤収縮振幅といった特性は、光照射や温度、BZ反応基質溶液の組成、ゲルの構造によって制御可能である。そのため、自励振動高分子およびゲルによって構成された動的表面を作製することにより、添加した目的物質を任意の方向に任意のタイミングで自動搬送する新しい輸送システムが実現できると考えられる。そこで本学位請求論文では、自励振動高分子内で自発的に生じる化学反応波の伝播を利用し、表面に添加した物質を輸送する新しい機能性表面の構築を目的としている。本論文は以下の7章から成る。

第一章では、従来の刺激応答性高分子を紹介した上で、駆動源内包型の自励振動ポリマーに関して、基本的な構造と駆動原理、特性を述べている。次に、機能性表面、特に能動的な物質輸送機能を有する表面の重要性に触れ、本論文の位置づけ、目的、構成について述べている。

第二章では、添加した物質を自律的な蠕動運動を利用して輸送する自励振動ゲルの基礎設計を行っている。自励振動の従来の構成要素に対して第三の構成要素として親水性の2-アクリルアミド-2-メチルプロパンスルホン酸 (AMPS) を加え、かつ重合溶媒を変更し、ゲルの内部構造、膨潤度、膨潤収縮応答性を評価している。ゲルの膨潤収縮応答性向上のためには重合過程の貧溶媒効果によるミクロゲルの凝集体構造が重要であり、かつゲルの含水率を増加させるAMPSを少量添加することで膨潤収縮振幅を増大できることを明らかにしている。物質輸送に適した蠕動運動を生起させ、平面シート状の自励振動ゲル上に添加した円柱状ゲルを輸送している。

第三章では、弾性力学に基づいた輸送モデルを構築している。平面シート状の自励振動ゲルを弾性平面、添加した円柱状ゲルを剛性円柱とみなし、円柱状ゲルの輸送に必要な蠕動運動の波面角度を算出している。検証実験により、円柱状ゲルの輸送の成否は蠕動運動の波面角度によることが確認され、弾性力学に基づくモデルが本実験系に適用できることが実証されている。また、構築されたモデルから自励振動ゲルの蠕動運動を利用した物質輸送システムの適用範囲を試算し、ソフトアクチュエータの設計指針が得られている。

第四章では、輸送対象物質と自励振動ゲルの相互作用が輸送現象に与える影響を評価している。輸送物質として帯電状態、親疎水性、表面粗さの異なるゲルを作製し、ゼータ電位と液中気泡接触角、自励振動ゲル膜斜面に添加した円柱状ゲルの転がり傾斜角度を測定している。物質の帯電状態は接着性に影響しないことが確認されている。輸送対象物質の親水性向上が重要であると同時に、表面粗さの大きいゲルの方がより低い親水性で輸送可能になることを明らかにしている。加えて、転がり傾斜角度と輸送の成否の相関が明らかにされ、表面処理の指針が得られている。

第五章では、自励振動ゲルの蠕動運動を利用した物質輸送を制御するために、自励振動ゲルの表面形状に関して検討している。第二章から第四章で用いてきた平面シート状の自励振動ゲルでは、輸送方向は等方拡散的であり、円柱以外の物質を輸送することは困難であった。本章では、ポリジメチルシロキサンを鋳型として用いて表面に溝を有する自励振動ゲルを作製し、輸送方向の制御に成功している。また、接触面積を増加させ、円柱のみならずゲル微粒子を同一方向に複数並列輸送可能な自励振動ゲル表面を設計している。弾性力学に基づいて添加物質と溝を有する表面の接触状態をモデル化し、自励振動ゲルの表面形状設計の指針を得ている。

第六章では、自励振動ポリマーによって修飾された基板を作製している。触媒を含まないアクリルアミド系ポリマーブラシを表面開始原子移動ラジカル重合で作製した後、触媒をポリマーブラシに結合させることで、基板表面に高い触媒固定化量の自励振動ポリマーブラシを作製することに成功している。また、自励振動ポリマーブラシ表面における金属触媒の酸化還元の明滅を蛍光顕微鏡で観察して化学振動反応が起こることを確認している。

第七章は総括とし、本論文全体の内容をまとめるとともに、自励振動高分子およびゲルの物質輸送表面としての可能性と今後の展開について述べている。

以上のように、本学位請求論文においては、自律的なゲルの蠕動運動によって添加された物質を輸送する新しい物質輸送表面が設計されただけではなく、分子設計およびゲル内部構造制御といったソフトアクチュエータ設計における汎用的な指針が得られている。また、弾性力学に基づく輸送現象のモデル構築によって輸送のメカニズムと必要条件および適用範囲が明らかになり、ソフトマテリアルを用いた物質輸送表面の設計指針も得られている。さらには、物質輸送表面の形状や表面相互作用が輸送現象に与える影響を調べたことで、ソフトマテリアルの表面形状加工や表面処理といった分野への波及効果も期待される。また、化学振動反応を引き起こすポリマーで固体基板を修飾する方法を確立したことにより、自律的な振動界面の構築が可能となり、マイクロ流体システム等への新展開が期待される。これまでにない新しい概念で物質輸送型機能性表面を設計する手法、および設計指針を提示しており、マテリアル工学の進歩に対する貢献は大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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