学位論文要旨



No 125751
著者(漢字) 小原,一朗
著者(英字)
著者(カナ) オハラ,カズアキ
標題(和) 細孔性ネットワーク錯体における分子認識と反応場設計
標題(洋)
報告番号 125751
報告番号 甲25751
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7284号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 准教授 小倉,賢
 東京大学 講師 山下,誠
 東京大学 講師 但馬,敬介
内容要旨 要旨を表示する

有機架橋配位子と金属の錯形成から細孔を有する金属錯体、細孔性ネットワーク錯体が得られる。ゼオライトを始めとして細孔を有する物質は、分子の分離や精製、貯蔵といった観点から着目されてきた。細孔の大きさや形状を制御することは細孔性物質の物性を決定する上で非常に重要である。無機物質のゼオライトと比べ、有機架橋配位子の分子設計の容易さから、様々な細孔を有する細孔性錯体が構築されてきた。その細孔評価はガス吸着や自由体積の大きさによって行われてきた。このとき、細孔が分子を認識する駆動力は物理吸着によるものである。つまり、細孔の形と形状に応じて、細孔性錯体外部に存在する分子が隙間の空いた空間を埋める現象である。このような分子認識(ゲスト認識)では分子の物性に応じた認識はできない。

そこで、本論文では、ゲスト認識能を有するトリアジン骨格有機架橋配位子を細孔性錯体内に導入することで特異的にゲスト認識し、かつ、ゲスト分子の異性化反応を達成した。また、錯形成時にトリアジン骨格による。相互作用を用いることで骨格構造にゲストを取りこむことができる。オレフィン修飾したゲストを取り込み,細孔内での位置選択的なDiels-Alder反応を達成した。さらに、一義的なフッ素相を細孔性錯体内で構築することを狙った錯体合成を試みた。また、熱力学安定相の構築も試みた。これまで有機架橋配位子との弱い相互作用によって細孔内部を分子認識場として用い、同時に錯体内部での反応を達成した例はない。細孔性錯体内部で、弱い相互作用により分子認識することは特定の分子を認識する上で非常に重要であり物理吸着による形状認識だけでは達成し得ない汎用性がある。さらに溶液とは異なる反応が進行する可能性を示したことで、細孔性錯体内部の反応場としての可能性を大きく広げたものといえる。

本論文は次の序論、総括を含めて、八章で構成される。

第一章では、本論文の概要とその研究背景,そして、本論文の学問的意義について論じた。

第二章では、電子不足トリアジン骨格を有する細孔性錯体の構築とゲスト認識能について論じた。電子不足トリアジン骨格を有する三座架橋配位子とヨウ化亜鉛の錯形成からネットワーク錯体を得た。このネットワーク錯体は三次元細孔を有しており、その表面に電子不足トリアジン骨格が存在した。この細孔には電子豊富な分子である芳香族化合物が取り込まれ、トリアジン骨格との・相互作用が存在することが知られている。そこで、芳香環を有するstilbene、butadiene、hexatrieneの取り込みを検討した後,鎖状のポリオレフィン、geraniol、farnesol、squaleneの取り込みの検討を行った。Stilbeneらの取り込み挙動は1H NMR及び単結晶X線構造解析により検討し、細孔内にゲストとしてstilbene, butadiene, hexatrieneが存在していることを確認した。その際、stilbeneでは、トリアジン骨格上にオレフィン部位を含んで・相互作用する距離に位置していることが分かった。次いで、geraniol、farnesol、squaleneの取り込み挙動についても1H NMR及び単結晶X線構造解析から検討し、細孔内でゲストとして存在することを確認した。以上から、芳香族化合物だけでなく、ポリオレフィンについても電子不足細孔性錯体に取り込まれることがわかった。

続く第三章では、all-trans retinal分子が電子不足細孔性錯体内に取りこまれ、その細孔内で異性化反応を示すことを明らかにした。All-trans retinalはcyclohexane溶媒中で細孔性錯体内へ容易に取りこまれる。この様子は単結晶X線構造解析の結果から明らかになっている。その際、観測されるのはall-trans体のみであったが、結晶抽出物からは13-cis体の存在が確認された。結晶抽出物だけでなく、溶液においても13-cis体が存在することが分かった。13-cisとall-trans体の割合変化を1H NMRにより追跡すると、その挙動はほぼ同じであり、13-cis : all-trans = 1:3であった。また、異性化割合の変化の途中で結晶を取り除くと、その変化が止まったことから、結晶が触媒機能を有していることがわかった。さらに溶媒の交換が遅い、t-BuOH溶媒を用いた際は結晶抽出物において先と同様の変化を示した。溶液では、13-cis体の増加は観測されなかった。これは細孔内部で異性化が進行しているためであると分かった。

第四章では、stilbeneと電子不足錯体との電子移動遷移(CT遷移)に由来する吸収を励起することでcis体からtrans体へ選択的に異性化することに成功した。アクセプター分子であるトリアジンを細孔内に集積したことで光異性化反応を達成した。また、短波長での光異性化反応と組み合わせることで異性体の割合を制御出来ることが分かった。細孔内に取りこまれたstilbeneは電子不足トリアジン骨格との相互作用からCT遷移を生じる。このCT遷移を励起するとcis体からtrans体へ選択的異性化反応が進むことが分かった。弱い相互作用を有する有機架橋配位子が細孔性錯体の骨格中において分子認識かつ反応場を提供することを示した初めての例であるといえる。

三座トリアジン配位子と電子豊富な芳香族分子を錯形成時に共存させることで芳香族分子を、化学結合を介することなく骨格構造に取り込むことができる。そこで第五章では、butadieneyl基を導入したtriphenylene誘導体を用いて錯形成を行い、細孔内を化学修飾し、ジエノフィルとのDiels-Alder反応を検討した。Butadieneyl基を有するトリフェニレンと三座トリアジン骨格配位子、ヨウ化亜鉛の錯形成から新たな細孔性錯体を得た。単結晶X線構造解析からトリアジン骨格とトリフェニレンは・相互作用によりカラム構造を構築した。そのカラムを囲んで2種類の細孔が存在し、そのうちの一方で細孔内部へ向けてオレフィンが存在した。まず細孔内で反応が進行するか検討するためにジエノフィルとしてN-methylmaleimideを用いたDiel-Alder反応を行った。反応は進行し、溶液と同じ生成物を与えた。また、反応後に細孔性錯体を直接単結晶X線構造解析することでその立体構造がendo体であることが分かった。その環化付加体はカラム構造に近接していることから、N-methylmaleimide, 及びmaleic anhydrideの三位に臭素を導入したジエノフィルで同様に反応を検討した。Maleic anhydride誘導体を用いた場合、溶液中において臭素がtriphenylene骨格との距離に関わらず、両方の位置で反応が進行した。一方、細孔中では臭素がtriphenyele骨格を避けた遠い位置でほぼ反応が進行した。これはカラム構造との立体反発を避けるように反応したためであると考えられる。N-methyl maleimide誘導体では、溶液と細孔内での反応は同じ生成物を与えた。反応後について、単結晶X線構造解析を行った結果、環化付加体生成物は細孔内でトリアジン骨格と水素結合により固定され、メチル基はヨウ素の囲む空間に固定されていた。また、トリフェニレンから遠い位置の炭素は隣り合う骨格中のヨウ素と近接していた。これらの相互作用から基質の固定が反応に関与しているものと考えられる。このように細孔内で立体反発や弱い相互作用を用いることで反応位置選択性を制御することができることを示した。

第六章では、フッ素鎖を導入した有機架橋配位子とCo(NCS)2の錯形成から一義的なフッ素相を細孔内に導入することに成功した。そのフッ素相は、フッ素親和性を示し、有機物とは親和性を示さないことが取りこまれたゲストの走査示差熱量測定の挙動から分かった。

第七章では、錯形成速度を制御する瞬間合成法により新しい錯体の探索を行った。ヨウ化亜鉛と三座トリアジン骨格配位子の溶液拡散法と瞬間合成法から、別々に得られる錯体の構造が一致した。結晶の加熱過程を検討すると、200℃付近でアモルファス相となり、その後300℃において結晶性を示す安定な相をとなった。この結晶相は一元の鎖が互いに・相互作用により積み重なった細孔性錯体であることが分かった。この細孔はヨウ素やニトロベンゼンをゲストとして取り込むことができた。瞬間合成法と溶液拡散法の比較から、より熱力学的安定な相を探索した。その結果、アモルファス相を経由して熱安定性に優れた錯体の構築に成功した。

最後に第八章では、本論文の総括とともに波及効果、また、将来展望について論じた。

以上より、本論文では次のことを達成した。電子不足のトリアジン骨格を有する三座配位子を用いた細孔性ネットワーク錯体を用いることで、電子豊富な分子を認識する空間を構築した。電子不足細孔性錯体は電子豊富なstilbeneやsqualene、retinalといった種々のポリオレフィンを取りこむことが分かった。また、分子認識の駆動力としてππ相互作用を用いているためにCT遷移に由来する吸収を生じる。そのCT遷移を励起することでオレフィンの異性化反応が選択的に進行することが分かった。これは細孔が分子認識だけでなく、反応場として機能することを示した初めての例である。また、フッ素フッ素相互作用に着目したフッ素相を有する細孔性錯体の構築、速度論合成による新規細孔性錯体の探索からアモルファス相を経由した熱安定性に優れた結晶相の構築を達成した。本論文は、有機架橋配位子の持つ様々な相互作用が細孔性ネットワーク錯体における分子認識において重要であることを示した初めての例であるといえる。今後、分子認識をする有機架橋配位子が提供する特異な反応場を活かした細孔性錯体の利用が展開されるものと期待する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、電子不足トリアジン骨格を有する有機架橋配位子を細孔性錯体に導入することで、電子豊富な分子を特異的に認識した。さらに、分子認識に用いた電荷移動相互作用により生じた吸収を励起することでゲスト分子の選択的異性化反応を達成した。これは、分子認識に用いた相互作用をそのまま反応へと用いた初めての例である。これまでの研究では、細孔性錯体の分子認識は主に物理吸着による分子認識であるために、有機架橋配位子の分子設計は、大きさや形状に着目したものであった。そのような背景のもと、有機架橋配位子の分子設計に弱い相互作用を用いたことで効率よくポリオレフィン分子の認識を達成し、その細孔空間が反応場として活用出来ることが明らかに示された。

第一章では、本論文の概要とその研究背景,そして、本論文の学問的意義が論じられた。

第二章から第四章では、電子不足トリアジン骨格を有する細孔性錯体の構築とゲスト認識能、及び,細孔内での反応が論じられた。第二章では、電子不足細孔性錯体が、芳香環を有するstilbene、butadiene、hexatrieneや、鎖状のポリオレフィンであるgeraniol、farnesol、squaleneを取りこむことが示された。また、取り込みの駆動力としてはトリアジン骨格とのpp相互作用が重要であることが示された。

第三章では、all-trans retinal分子が電子不足細孔性錯体内に取りこまれ、その細孔内で異性化反応を示すことが明らかにされた。溶液との交換が早いcyclohexane中では、この異性化反応が触媒的に進行することが示され、溶液との交換の遅いt-BuOHでは結晶中でのみ異性体が観測されたことから異性化が細孔内で進行しているものことが示された。

第四章では、stilbeneと電子不足錯体との電子移動遷移(CT遷移)に由来する吸収を励起することでcis体からtrans体へ選択的に異性化することが見出された。細孔内に取りこまれたstilbeneは電子不足トリアジン骨格との相互作用からCT遷移を生じる。このCT遷移を励起するとcis体からtrans体へ選択的異性化反応が進むことが分かった。弱い相互作用を有する有機架橋配位子が細孔性錯体の骨格中において分子認識かつ反応場を提供することが初めて見出された。

第五章では、細孔表面をオレフィンにより化学修飾することで、細孔内におけるDiels-Alder反応の位置選択性の制御が議論された。トリアジン配位子と芳香族分子を錯形成時に共存させることで・相互作用により骨格構造に芳香族分子が取り込まれる。オレフィン修飾したトリフェニレンを骨格構造に組み込んだ細孔性錯体とジエノフィルとのDiels-Alder反応が検討された。細孔内においても溶液と同様に反応が進行することが分かった。また、骨格構造との立体反発により環化付加体の位置選択性が制御出来ることが明らかにされた。さらに、弱い相互作用も位置選択性に影響することが示唆された。

第六章では、フッ素鎖を導入した有機架橋配位子とCo(NCS)2の錯形成から一義的なフッ素相が細孔内に構築された。そのフッ素相は、フッ素親和性を示し、有機物とは親和性を示さないことが取りこまれたゲストの走査示差熱量測定の挙動から見出された。

第七章では、錯形成速度を制御する瞬間合成法により新しい錯体の探索が行われた。ヨウ化亜鉛と三座トリアジン骨格配位子の溶液拡散法と瞬間合成法から、別々に得られる錯体の構造が一致した。この結晶の加熱過程から、アモルファス相を経由した後に安定な結晶性が得られることが見出された。この結晶相は300℃において安定で且つゲスト取り込み能を有する細孔を有していることが分かった。

最後に第八章では、本論文の総括が行われ、本論文の波及効果と将来展望について論じられた。

以上の結果より、本論文では、電子不足トリアジン骨格配位子を用いた細孔性錯体を用いることで、・相互作用により電子豊富なポリオレフィン分子を認識する空間の構築が実現された。さらに、相互作用により生じた電荷移動遷移を励起することでオレフィンの異性化反応を選択的に異性化させることを達成した。また、フッ素フッ素相互作用に着目したフッ素相を有する細孔性錯体の構築、速度論合成による新規細孔性錯体の探索からアモルファス相を経由した熱安定性に優れた細孔性錯体の構築を達成した。本論文は、有機架橋配位子の持つ様々な相互作用が細孔性錯体において分子認識や新規反応場として機能することを示した初めての研究例であるといえる。今後、分子認識能を有する有機架橋配位子から様々な細孔性錯体が構築されるものと考えられる。細孔性錯体の細孔を新しい反応場として注目した研究が展開され、本研究はそのような新しい細孔性錯体の利用への先駆的事実を明らかにするものと考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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