学位論文要旨



No 125753
著者(漢字) 澤田,知久
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,トモヒサ
標題(和) 自己組織化疎水空間を用いた生体分子フラグメントの構造制御
標題(洋) The Conformation Control of Biomolecule Fragments in Self-Assembled Hydrophobic Cavities
報告番号 125753
報告番号 甲25753
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7286号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 准教授 石井,和之
 東京大学 准教授 平岡,秀一
 東京工業大学 准教授 吉沢,道人
内容要旨 要旨を表示する

核酸やタンパク質は、静電相互作用や水素結合、疎水性相互作用といった弱い相互作用が無数に働くことにより精密に折れ畳まり、高度な立体構造を構築している。さらにその高次構造から生じる疎水場の中で水素結合を精密に誘起することにより、非常に高度な分子認識や物質変換を実現している。今日、その優れた生体機能の解明や制御を目指し、生体高分子の立体構造解析やアッセイ、化学修飾に関する研究が盛んに行われている。一方、本研究では、既存の研究例とは異なり、人工的なナノ空間を用いることで生体分子の構造を精密に制御するという新たな手法を考案した。研究対象として、単独では特定の立体構造をとることが出来ない極めて短いヌクレオチドやペプチド断片(生体分子フラグメント)に着目し、水中でそれらに理想的な人工疎水空間を提供することで生体分子フラグメントの構造制御を実現した。生体分子フラグメントの構造制御には、水中での正確な水素結合形成が不可欠であり、この難しい課題は、人工的な疎水場を効果的に用いて周囲の水分子の阻害を防ぐことで、克服することが出来た。このようなモデル研究はこれまでには全く報告例が無く、独自な研究手法を開拓したと言える。さらに本研究では、水中での包接挙動および誘起された生体分子の高次構造の詳細な解析を行うことによって、その安定化のメカニズムについても解明した。

本論文は以下の第7章で構成される。

第1章では、本研究の概要とその研究背景、そして本研究の学問的意義について論じた。

第2章および第3章では、水中で、わずか1,2塩基から成る核酸フラグメントの構造制御を行った。DNA鎖は、核酸塩基の相補的な水素結合と、上下のスタッキングにより安定化され、水中で二重らせんを形成する。しかしながら一般に、3塩基以下の極めて短いヌクレオチドは、それ自身では二重鎖を形成出来ないことが知られている。生体内のポリメラーゼやリボソームの酵素ポケット内では、そのような不安定な3塩基対以下の極小の二重鎖構造が巧みに安定化され、遺伝情報の発現が行われている。そこで、自己組織化ピラー型かご状錯体の内部空間の持つ大きさや特異な形状、包接能を利用して、人工的にわずか1、2塩基対から成る最短の二重鎖構造の誘起を達成した。

まず、第2章ではグアノシンモノリン酸(G)とシチジンモノリン酸(C)を水中で、自己組織化ピラー型かご状錯体内に包接させることで、わずか1塩基対のGC塩基対を誘起することを試みた。GとCとかご状錯体を水中で1対1対1のモル比で混合したところ、1H NMRスペクトルにおいてGとCいずれも核酸塩基部位が高磁場シフトし、かご状錯体内に包接されたことが示唆された。また、単結晶X線構造解析から、その包接錯体の詳細な構造を決定した。NMR測定から示唆された通り、GとCがペア選択的にかご状錯体内に包接され、三本の水素結合形成によるWatson-Crick型の水素結合対が形成していることを明らかにした。この時、周囲の溶媒やイオンの水素結合様式にも着目することで、塩基対がかご状錯体の疎水空間で特異的に安定化されるメカニズムも解明した。さらに、このGC塩基対に対して、別の核酸塩基であるウリジンモノリン酸による阻害実験を行うことで、最小単位のGC塩基対形成にも選択性があることを検証した。

続いて第3章では、アデノシンモノリン酸(A)とウリジンモノリン酸(U)からの水素結合対の形成を試みた。AとUとかご状錯体を水中で1対1対1のモル比で混合したところ、1H NMR測定より、AとUいずれの核酸塩基部位もかご状錯体内へ包接されることを確認した。この時、かご状錯体由来のシグナルの非対称化挙動は、AやUを単独でかご状錯体内へ包接させた場合と異なり、AとUがかご状錯体内でペアを形成して強く包接されることを見出した。単結晶X線構造解析を行うことで、その包接錯体の詳細な構造を決定した。NMR測定から示唆された通り、かご状錯体内ではAとUが二本の水素結合が形成されて特異的にHoogsteen型の水素結合対が安定化されていることを明らかにした。一般に、AとUの塩基対形成ではWatson-Crick型およびHoogsteen型の二種類の幾何構造を取り得るが、本研究ではかご状錯体の内部空間の形状に即してHoogsteen型塩基対が選択的に安定化された。さらに、かご状錯体を縦に拡張することにも成功し、これを用いてT-A配列のジヌクレオチドの二重鎖形成も試みた。各種NMR測定と単結晶X線構造解析を行うことで、水中でかご状錯体内でのAT塩基対の誘起を確証した。その塩基対は、モノヌクレオチドの場合と同様のHoogsteen型であった。さらに、溶液状態のジヌクレオチド二重鎖構造から、結晶状態の無限の水素結合ネットワーク状構造への動的な平衡があることも解明した。

第4章では、人工疎水空間を用いることで、水中で極めて短いペプチドフラグメントからの、ヘリックス構造へのフォールディングを達成した。3枚のポルフィリン配位子から成るポルフィリンプリズム錯体は、アラニン3残基の配列のトリペプチドを、水中で強く包接し、特異的にβターン(310ヘリックス)構造へフォールディングすることがNMR測定により予測されている。本論文では、単結晶X線構造解析により、そのペプチド包接錯体の詳細なコンホメーションを解明した。包接錯体の単結晶を作成し構造解析を試みたところ、複数の重原子から成るプリズム錯体由来の強い反射点に支配されたアキラルな空間群による解析となり、キラルなペプチドの構造解析は不可能であった。そこで、プリズム錯体にキラルな部位を新規に導入することで、この偽対称問題を解決した。ペプチド包接錯体の構造解析の結果、包接されたペプチドは、N末端のアセチル基(i)の酸素原子とアラニン(i+3)のアミド窒素原子間で水素結合した310ヘリックス構造になることを解明した。その構造は、これまでのNMR測定による予想構造と良い一致を示し、溶液状態との良い整合性を確認した。さらに、N末端をグリシンで1残基伸長した4残基のペプチドは、プリズム錯体の内部で310ヘリックスとαヘリックスの両方の特徴を持った構造へと折り畳まれることを見出した。この包接錯体の結晶構造では、310ヘリックスに相当する水素結合に加え、アセチル基(i)のカルボニル酸素原子と3番目のアラニン(i+4)のアミド窒素間にも水素結合が観測された。この様な310/α混在ヘリックスは、さらにグリシンを1、2残基ずつ伸長した5、6残基のペプチド鎖からも同様に形成した。これらの知見から、極めて短いペプチド断片では構造の自由度が高いため、純粋なαヘリックス構造や310ヘリックス構造のみが支配的ではなく、310/α混在ヘリックス構造へとフォールディングされることを発見した。

第5章では、ボウル型錯体を利用し、ペプチド鎖の二つの芳香族側鎖を同時に認識することで、ペプチド鎖をαヘリックス構造へとフォールディングさせること試みた。4残基間隔や7残基間隔にある芳香族側鎖の包接が、αヘリックス構造の周期性に対応して、ボウル型錯体に強く包接されることを、様々なペプチド配列についての滴定実験から明らかにした。また、円偏光二色性スペクトル測定を行うことで、αヘリックス構造由来の吸収の増大と、ペプチドヘリックスからアキラルなボウル型錯体への誘起CDを観測し、ボウル型錯体による特異的なフォールディングであることを検証した。

第6章では、より巨大な生体分子認識場の構築に向け、大環状構造の効率的な合成法を見出した。ナノメートルサイズの巨大な反応点である可逆的カテナン化を用いることで、柔軟なオリゴエチレンオキシド鎖から、骨格200原子を超す超巨大環状構造の定量的な構築を達成した。

最後に第7章では、本研究の総括を行い、さらに本研究の波及効果および将来展望に関して論じた。

以上の様に、本論文では自己組織化中空錯体の有する特異な疎水性空間を利用して、水中でヌクレオチドやペプチド断片の水素結合を効率的に誘起し、その構造制御を実現した。生体分子の構造を化学的に制御することは、近い将来の生物学や医療の分野において重要な研究課題であるが、本研究の様に生体分子に対してナノメートルサイズの人工空間を与え、精密に構造制御を行った研究例は極めて少なく、新たな手法を開拓したと言える。また本論文で新たに明らかにした、核酸塩基対やペプチドヘリックス構造のとる幾何構造の優先傾向や、その安定化に寄与する水分子やイオンに関する知見は、生体内のDNAやタンパク質の中で働く複雑な仕組みに対しても、大きな考察を与えるものと考えられる。今後、本研究を基にして高度に設計されたナノ空間を用いて生体機能を精密に制御するテクノロジーへの発展が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、人工のナノ空間を用いて、生体分子フラグメントの構造を精密に制御する手法が構築された。近年、DNAやタンパク質の立体構造解析により生体高分子のもつ複雑な生体機能が徐々に解明されている。一方、極めて短いヌクレオチドやペプチド断片(生体分子フラグメント)は、単独では特定の立体構造をとることが出来ないため、その挙動を解明することは一般に困難である。その様な研究背景のもと、本論文では、水中の生体分子フラグメントに対して、自己組織化によって得られる理想的な疎水空間を提供することで、それらの精密な構造制御が達成された。また、その際、実際に誘起された高次構造を詳細に解析することで、生体分子フラグメントの好むコンホメーションやその安定化のメカニズムが解明された。

第1章では、本研究の概要とその研究背景、そして学問的意義が論じられた。

第2章および第3章では、水中で、わずか1,2塩基から成る核酸フラグメントの構造制御が行われた。生体内の酵素ポケット内では、単独では会合能の低い3塩基以下の極めて短い核酸フラグメントの二重鎖形成が達成され、遺伝情報の保存や発現が行われている。本章では、ピラー型かご状錯体の有する特異な包接能を利用して、わずか1、2塩基対から成る最小の二重鎖形成が人工的に再現された。

まず、第2章ではグアノシンモノリン酸(G)とシチジンモノリン酸(C)を水中で、ピラー型かご状錯体内に包接させることで、わずか1組のGC塩基対が誘起された。NMR測定により水溶液中での包接挙動が、単結晶X線構造解析から包接錯体の詳細な構造が検証され、最小単位のWatson-Crick型GC塩基対の生成が確認された。同時に、塩基対とホスト分子、または溶媒分子との様々な相互作用を明らかにすることで塩基対の安定化のメカニズムも解明された。さらに、水中での他の配列のモノヌクレオチドによる阻害実験から、GC塩基対形成の選択性も見出された。

続いて第3章では、アデノシンモノリン酸(A)とウリジンモノリン酸(U)からの水素結合対の形成が実現された。NMR測定と単結晶X線構造解析によって、かご状錯体内でHoogsteen型のAU塩基対が特異的に安定化されることが示された。さらに、かご状錯体を縦に拡張することで、二組のHoogsteen型AT塩基対から成るジヌクレオチドの二重鎖形成も達成された。これらの知見から、立体的な制約のない核酸フラグメントでは、Hoogsteen型の塩基対で二重鎖を形成し得ることが明らかにされた。

第4章および第5章では、水中で極めて短いペプチドフラグメントのフォールディングが行われた。

第4章では、アラニン3残基の配列のトリペプチドが、ポルフィリンプリズム錯体内で310ヘリックス構造をとることを単結晶X線構造解析によって見出された。また、その際、生体分子の包接錯体の結晶構造解析において、ホスト分子に不斉点を導入することの重要性も検証された。さらに、グリシンで伸長した4残基から6残基のペプチド鎖を包接し、同様に構造解析することで、極めて短いペプチド断片は310とαヘリックスの混在したコンホメーションをとることが論じられた。

第5章では、ボウル型錯体を利用し、ペプチド鎖の二つの芳香族側鎖を同時に認識することで、ペプチド鎖をαヘリックス構造へとフォールディングさせることが達成された。4残基間隔や7残基間隔にある芳香族側鎖の包接が、αヘリックス構造の周期性に対応して、そのフォールディングに有効であることが示された。

第6章では、より巨大な生体分子認識場の構築に向け、大環状構造の効率的な合成法が見出された。ナノメートルサイズの巨大な反応点である可逆的カテナン化を用いることで、柔軟なオリゴエチレンオキシド鎖から、骨格200原子を超す超巨大環状構造の定量的な構築が達成された。

最後に第7章では、本研究の総括が行われ、さらに本研究の波及効果および将来展望が論じられた。

以上の結果より、本論文では自己組織化によって構築される疎水空間を利用して、水中で核酸やペプチド断片の精密な構造制御が実現された。生体分子の構造を人工的に制御することは、生物学や医療の分野において重要な研究課題と考えられるが、本研究の様に生体分子に対してナノメートルサイズの精密な人工空間を与え、構造制御を達成した研究例はなく、本論文は新たな手法を開拓したと言える。また本論文で得られた、核酸やペプチド断片のとり得るコンホメーションや、その安定化に寄与する弱い相互作用の観測結果は今後、生体内でDNAやタンパク質に働く複雑な仕組みを理解する上で、重要な知見を与えるものと考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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