学位論文要旨



No 125756
著者(漢字) ,亨
著者(英字)
著者(カナ) シオザキ,トオル
標題(和) 露に相関した結合クラスター理論
標題(洋) Explicitly Correlated Coupled-Cluster Methods
報告番号 125756
報告番号 甲25756
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7289号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 准教授 火原,彰秀
 東京大学 准教授 牛山,浩
内容要旨 要旨を表示する

理論化学の最大の課題は、現時点では小さな系でしか行うことのできないプレディクティブな理論計算を、化学反応などのモデルとして通常必要な 100 原子規模で行うための、理論やアルゴリズムの開発である。しかしながらこのような系においてプレディクティブな計算を行うためには、電子相関を取り込むための計算コスト増大と、巨大な基底関数を用いることによるコスト増大に、ともに対処しなければならない。本博士研究はこのうち後者に対するアプローチとして、電子間距離に露に依存する項を導入する "R12 法" と、高レベル電子相関法である結合クラスター法 (CC 法) を融合させた新しい方法 (CC-R12 法) を実現した。電子間距離を含む項は、波動関数の電子-電子カスプを記述するのに有効であり、基底関数のサイズに対する収束を速める。この CC-R12 法の実現には、本研究で開発された自動実装法が本質的な役割を果たした。CC-R12 法による精密計算は、同じ精度を与える従来の CC 法における計算に比して、数桁ほど小さな計算コストで行うことができる。本研究で実現された CCSD-R12, CCSDT-R12, CCSDTQ-R12 法からなるヒエラルキーは、今後の高精度電子相関理論の礎となると期待できる。またそのほか、CC-R12 法に対する新しい近似法の導入、R12 法に特有な特殊二電子積分の評価のための効率的なアルゴリズムの開発、R12 法の周期境界系への拡張、さらには数値グリッド表現による核-電子カスプを適切に表現したハートリーフォック法が新たに提案された。本博士研究は、これらの成果を通して、プレディクティブな理論化学計算のドメインを格段に拡大したといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「露に相関した結合クラスター理論」と題し、全13章からなっている。理論化学の最大の課題は、現時点では小さな系でしか行うことのできないプレディクティブな理論計算を、化学反応などのモデルとして通常必要な100原子規模で行うための、理論やアルゴリズムの開発である。しかしながらこのような系においてプレディクティブな計算を行うためには、電子相関を取り込むための計算コスト増大と、大きな基底関数を用いることによるコスト増大に、ともに対処しなければならない。申請者はこのうち後者に対するアプローチとして、電子間距離に露に依存する項を導入する"R12法"と、高レベル電子相関法である結合クラスター法を融合させた新しい方法を実現した。電子間距離を含む項は、波動関数の電子-電子カスプを記述するのに有効である。この方法は、小さな基底関数、ひいては小さな計算コストで、従来の結合クラスター法を大きな基底関数で実行したのと同等の精度を与える。この手法による加速はおよそ数百倍にもなり、プレディクティブな理論化学計算のドメインの拡大につながった。

第1章から第3章は序論である。第1章では高精度電子相関理論の現状と課題が議論され、本学位論文の目的が述べられている。第2章では従来の高精度電子相関理論 [ハートリー・フォック法 (HF)、結合クラスター理論 (CC)、摂動論 (MP2)] の解説、さらにはこれらがなすヒエラルキーの有効性と基底関数に対する収束性の問題が提示されている。第3章では、基底関数のサイズに対する収束を速めるための手法としてMP2法と組み合わせて研究されてきたR12法の導入と、R12法を高レベル電子相関法であるCC法と組み合わせるCC-R12法の目的が書かれている。

第4章では、CC-R12法を実現するための自動実装法と、それを可能とするアルゴリズムが解説されている。CC-R12法は単純なAnsatzに基づく方法だが、その方程式と実装は極端に煩雑であり、これまで実現されることがなかった。申請者は、自動化記号代数プログラムを開発し、方程式の導出と実装を完全に自動化することで、この困難を克服した。R12法に特有のテンソル操作も自動化されている。

第5章では、第4章で解説した自動実装法を用いて実現した、2電子クラスター励起演算子まで含んだCC-R12法 (CCSD-R12法)の結果が示されている。CCSD-R12法は、double-zetaやtriple-zetaと呼ばれる小さな基底関数を用いて、従来のCCSD法のquintuple-zetaやsextuple-zetaといった巨大な基底関数の精度を達成することができる。これは同じ精度を得るためのコストが数桁削減されたことを意味する。また、このCCSD-R12法は、これまで提案されてきたCCSD-R12法への近似法の評価をはじめて可能とした。

第6章では、CC-R12法の高次への展開と、それによって確立された新しいCC-R12法のヒエラルキーが述べられている。理論化学的手法はほとんど全て誤差に対してアダプティブではないため、ヒエラルキーの構成は誤差のコントロールという点で本質的に重要である。CC-R12法のヒエラルキーは、電子相関の取り扱いレベルと基底関数のサイズに対して、ともに速い収束を示す。これは基底関数のサイズに対する依存性が著しく悪い従来のCC法によるヒエラルキーと対照的である。このヒエラルキーに立脚した計算では、水分子の非相対論・ボルン・オッペンハイマー近似下の絶対エネルギーを2 kcal/mol程度の精度で得られ、実験に基づく値と一致した。

第7章から第9章では、CC-R12法に対する新しい近似法の提案を行った。第7章で導出された理論は、従来のCC法と摂動論を組み合わせて、効率よく高ランククラスター演算子の効果を取り込む方法である。この理論体系はそのままCC-R12法に適用することができるため、第8章においてCC-R12法と2次摂動論を組み合わせたCCSD(2)-R12法などを提案した。これらの方法は、最も広く使われているCCSD(T)-R12法が破綻する、結合が伸びた構造にある分子に対しても適用することができる。また第9章では、R12法の寄与を摂動的に扱う理論、CCSD(2)R12法の実装と評価が議論されている。このCCSD(2)R12法は、より少ないコストでCCSD-R12法の精度を再現する。また一方で、従来のスクリーニング近似による実装と比べると、計算負荷は変わらずに精度が著しく向上している。

第10章は、R12法に必要な特殊積分の評価のための効率的なアルゴリズムの開発を論じている。R12法の特殊積分の評価は、とりわけMP2-R12法において、無視できないオーバーヘッドとなるため、その高速化は重要な課題である。申請者は、天能公式と呼ばれる1次元積分をガウス求積法で評価することで、効率的なアルゴリズムが導かれることを示した。第11章ではR12法の周期境界系への拡張が述べられている。電子間距離を露わに含む多電子積分の評価は、逆格子空間におけるresolution-of-the-identity近似によって可能となる。本章では、十分なサイズの基底関数を使ったポリエチレンの電子相関エネルギーが報告された。第12章は、分子の波動関数の持つもう一つのカスプ、すなわち電子-原子核カスプに対するアプローチである。波動関数は原子中心の数値グリッドによって表現される。HF方程式のクーロン項と交換項はともにポアソン方程式を通して評価される。この手法は、水分子のHFエネルギーの完全基底関数極限に対して、従来のガウス型基底では到達できないマイクロハートリーの精度を達成した。

以上のように本論文は、従来の高精度理論の問題を解決し、プレディクティブな理論計算の現実系への適用可能性を拓いたものとして、高く評価できる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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