学位論文要旨



No 125758
著者(漢字) 黒木,秀記
著者(英字)
著者(カナ) クロキ,ヒデノリ
標題(和) 微細孔構造制御に基づいた生体分子認識ゲート膜の開発
標題(洋)
報告番号 125758
報告番号 甲25758
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7291号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,猛央
 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 教授 大久保,達也
 東京大学 教授 酒井,康行
 東京大学 准教授 伊藤,大知
 東京工業大学 准教授 宍戸,厚
内容要旨 要旨を表示する

生体システムからインスパイアし、近年、生体分子情報を人工的に検出するバイオセンサー開発が盛んに行われている。また、少子高齢化社会の到来に伴い予防医学が重要視され、今後バイオセンサーは、在宅やベッドサイドで即時診断するPoint-of-Care(POC)検査に対応できることが望まれる。しかし、ELISAやイムノクロマトアッセイなどに代表される既存のバイオセンサーは、検査におけるコスト、時間、感度といった面でPOC検査の必要特性を満たしていないのが現状である。

本論文は、POC検査対応可能な新規バイオセンサーの開発を目指し、材料システム工学の考え方に基づき、微細孔内で特定の生体分子による架橋結合とポリマーの体積相転移を利用した新規ゲートシステムを有する生体分子認識ゲート膜の開発を目的とする。

第1章は序論であり、本研究の目的を述べている。まず、体積相転移ハイドロゲル、分子認識材料、バイオセンサー、刺激応答ゲート膜について既往の研究の概説を行なっている。その上で、低濃度の生体分子シグナルに応答して細孔の開閉を制御する生体分子認識ゲート膜の提案を行っている。生体分子認識ゲート膜は、多孔基材の細孔内部に体積相転移素子と生体分子認識素子の両方の機能を有するグラフトポリマーを固定した多孔膜である。応答機構は下記に示す簡便な二段操作である。始めに、生体分子認識ゲート膜の微細孔内で特定の生体分子とグラフトポリマーにペンダントされたレセプター分子を反応させる。この際、抗原抗体結合、レクチン-糖結合などの多様な生体分子認識結合は、1つのリガンドに対し多数のレセプターが多点結合する特徴を有するため、微細孔内のグラフトポリマーは生体分子結合を介して架橋構造を形成する。続いて、温度刺激を加えグラフトポリマーを収縮させる。特定の生体分子が存在する場合、架橋点がグラフトポリマーの収縮を阻害し細孔は閉塞した状態を維持する。一方で、他の生体分子ではグラフトポリマーの反応部位と結合しないため、グラフトポリマーの収縮は阻害されず細孔は開いた状態となる。このゲートシステムの特徴は、生体分子による架橋反応が細孔の開閉を制御する役割を担い、また、信号出力は添加する溶質が担うことで役割を分担し、信号の大きさは生体分子結合量に依存しないことが挙げられる。また、細孔内の微小空間で生体分子認識反応を行うことで、微量検体を迅速に検出することが可能であると考えられる。そのため、微弱な生体分子シグナルを細孔の開閉に変換することで、着色物質の透過や浸透圧などで信号を増幅することも可能であり、簡便に低濃度の生体物質を検出できることを提案している。

第2章は生体分子認識ゲート膜の作製法について述べている。生体分子認識結合は、アビジン-ビオチン結合を採用している。アビジン1分子はビオチン4分子と特異的に結合するため、新規ゲートシステムのコンセプトを実証する上で適した材料である。また、ビオチン結合サイトはアビジン表層から深部に存在するため、スペーサーの異なる2種類のビオチンモノマーの合成を行っている。合成したビオチンモノマーを用い、プラズマグラフト重合法により、温度応答性ポリマーであるN-isopropylacrylamide(NIPAM)とアビジン認識素子であるビオチン(Biotin)の共重合グラフトポリマーをポリエチレン(PE)膜の細孔表面へ固定化している。作製した膜は、重量変化、FTIR及び呈色試験からNIPAM-Biotinグラフトポリマーの固定を確認し、アビジン認識ゲート膜の製膜法を確立している。さらに、顕微ラマン測定から、細孔内に導入されたグラフトポリマーは、膜厚方向に対して概ね均一に固定されていることを示している。

第3章はアビジン認識ゲート膜のアビジン応答特性について述べている。作製したアビジン認識ゲート膜(ポリマー充填率 8%)を用い、アビジン認識反応に伴い、透過流束が約5倍抑制されることを示している。また、アビジンと特異的に反応することにより浸透圧が出力されることも示している。このことから、微細孔内で特定の生体分子による架橋結合とポリマーの体積相転移を利用した新規ゲートシステムのコンセプトを実証することに初めて成功している。さらに、ポリエチレングリコール・スペーサーを導入したアビジン認識ゲート膜(ポリマー充填率 18%)では、アビジンとの反応により膜透過流束が約25倍も抑制できることを示している。また、ポリエチレングリコール・スペーサーを導入しても膜細孔内のアビジン量は変化しないことを確認している。このことから、スペーサー導入による応答性の差は、グラフトポリマー充填率に依存する細孔内構造が影響していることを示唆している。さらに、アビジン認識ゲート膜は、既存のイオン認識ゲート膜と比較して、分子量の大きいタンパク質に応答するだけでなく、シグナル物質となる特定分子を従来の103 ~ 105倍高感度に識別できることを示している。

第4章はプラズマグラフト重合膜の微細孔構造の解析を行っている。プラズマグラフト重合法により、ポリカーボネート(PC)多孔膜の細孔表面にNIPAMグラフトポリマーを固定したPC(NIPAM)膜を作製し、高温、高アルカリ水溶液下でPC基材部のみを化学的に分解することで、細孔内グラフトポリマーを単離する手法を確立している。さらに、細孔内でのグラフトポリマー充填率の異なる膜を用いてグラフトポリマーを単離し、下記に示す細孔内部でのグラフトポリマーの分子量分布を確認している。(1)グラフトポリマーは数万~数百万の分子量分布を有する、(2)高充填率になるにつれて高分子量ポリマー(数十万~数百万)の割合が増加する、(3)充填率の増加に伴いポリマー本数が増加する、(4)分子量分布を有するグラフトポリマーは膜厚方向に対して均一に固定される。以上のグラフトポリマーの特徴から、プラズマグラフト重合法により形成される微細孔内構造を明らかにしている。本手法は、他の固定化手法で作製されたゲート膜の細孔内構造を解明する上で有効な手法であると考えられる。また、PC(NIPAM)膜の透過流束特性は、第3章におけるPE(NIPAM-Biotin)膜と同様の傾向を示すことから、本章で得られた知見はアビジン認識ゲート膜へフィードバックできることが示唆されている。

第5章は、第4章で得られた知見を基に、第3章の生体分子認識ゲート膜における微細孔内での生体分子架橋反応に関して考察を行い、さらに、生体分子認識ゲート膜の性能予測から新規ゲートシステムの有効性を示している。細孔内グラフトポリマーの分子量分布とゲート膜の透過流束特性の関係を考察し、以下のことを明らかにしている。(1)細孔内でのポリマー充填率10%においても、グラフトポリマーの膨潤状態で細孔を閉塞するのに充分な高分子量ポリマー(数十万~数百万)が存在し、細孔を閉塞させる、(2)充填率30%以下では、ポリマー鎖密度が希薄であるため、グラフトポリマーが収縮する空間が細孔表面付近に存在し、グラフトポリマーが収縮したときに基材と同程度の高い透過流束が得られる。このことから、第3章における充填率に対するアビジン応答性の差を考察すると、生体分子認識ゲート膜の細孔内架橋反応では、高分子量ポリマーが絡み合う部分で効果的に架橋結合が形成されると考えられる。そのため、生体分子認識ゲート膜の細孔内部では、刺激応答ポリマーの膨潤収縮挙動に伴う透過流束の大きな変化を起こす空間と効率良く架橋反応が生じるための高分子量ポリマーの絡み合いが必要であり、両者を満たす細孔内グラフトポリマーの設計が必要であることを示唆している。また、今回用いた反応にかかわらず、多様な生体分子への展開を考え、細孔内における生体分子結合の平衡定数から、生体分子認識ゲート膜の応答性能を予測している。計算結果から、幅広い平衡定数を持つ様々な抗原抗体反応にも応用でき、少ない架橋点を形成したグラフトポリマーにより溶質透過性の制御を実現することで、従来の検査手法を上回る高感度バイオセンサーの開発が可能であり、本論文で提案した新規ゲートシステムの有効性と発展性を示している。

第6章は、第2章から第5章に記載した内容を総括するとともに、既存の検査手法と比較を行い、将来、生体分子認識ゲート膜を用いた新規バイオセンサーは、腫瘍ウイルスやホルモン物質などを即時に検査する手段として有効であり、医療診断、食品管理、環境保全といった多様な分野へ貢献できることを示している。また、本研究のゲートシステムのコンセプトは、マイクロカプセルやマイクロチャネルなどの基材に応用でき、多様なバイオデバイスへの展開も可能である。これらの応用を実現するためには、今後、抗原抗体結合など汎用性の高い生体分子認識素子を用いた生体分子認識ゲート膜で本ゲートシステムの検討を行う、さらに、本論文で得られた細孔内グラフトポリマーの設計指針を基に、微細孔構造の最適化を行い高感度応答を達成するなどの研究の進展が必要であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「微細孔構造制御に基づいた生体分子認識ゲート膜の開発」と題し、微細孔内で特定の生体分子による架橋結合とポリマーの相転移を利用した新規ゲートシステムであり、高感度生体分子認識ゲート膜の開発を目的に行なわれた研究を纏めたもので、以下の6章から構成される。

第1章は序論であり、本研究の目的を述べている。まず、体積相転移ハイドロゲル、分子認識材料、バイオセンサー、刺激応答ゲート膜について既往の研究の概説を行なっている。その上で、低濃度の生体分子シグナルに応答して細孔の開閉を制御する生体分子認識ゲート膜の提案を行っている。生体分子認識ゲート膜は、多孔基材の細孔内部に体積相転移素子と生体分子認識素子の両方の機能を有するグラフトポリマーを固定した多孔膜である。本ゲート膜では、微細孔内で特定の生体分子とグラフトポリマーにペンダントされたレセプター分子が反応し、グラフトポリマーが架橋構造を形成する。その後、温度刺激を加えグラフトポリマーを収縮させる。この際、特定の生体分子が存在する場合、架橋点がグラフトポリマーの収縮を阻害し細孔は閉塞した状態を維持する。一方で、他の生体分子ではグラフトポリマーの反応部位と結合しないため、グラフトポリマーの収縮は阻害されず細孔は開いた状態となる。このように、生体分子シグナルを細孔の開閉に変換できれば、着色物質の透過や浸透圧などで信号を増幅することも可能であり、簡便に低濃度の生体物質を検出できることを提案している。

第2章は生体分子認識ゲート膜の作製法について述べている。生体分子認識結合はアビジン-ビオチン結合を採用している。また、ビオチン結合サイトはアビジン表層から深部に存在するため、スペーサーの異なる2種類のビオチンモノマーの合成を行っている。合成したビオチンモノマーを用い、プラズマグラフト重合法により、温度応答性ポリマーであるpoly(N-isopropylacrylamide)とアビジン認識素子であるビオチンの共重合グラフトポリマーを細孔表面に固定できることを示し、アビジン認識ゲート膜の製膜法を確立している。さらに、顕微ラマン測定から、細孔内に導入されたグラフトポリマーは、膜厚方向に対して概ね均一に固定されていることを示している。

第3章はアビジン認識ゲート膜のアビジン応答特性について述べている。作製したアビジン認識ゲート膜を用い、アビジン認識反応に伴い、透過流束が約5倍抑制されることを示している。また、アビジンと特異的に反応することにより浸透圧が出力されることにも成功し、新規ゲートシステムのコンセプトを実証している。さらに、ポリエチレングリコール・スペーサーを導入したアビジン認識ゲート膜では、アビジンとの反応により膜透過流束が約25倍も抑制できることを示している。このゲート膜は、既存のイオン認識ゲート膜と比較して、分子量の大きいタンパク質に応答するだけでなく、シグナル物質となる特定分子を従来の103 ~ 105倍高感度に識別できることを示している。

第4章はプラズマグラフト重合膜の微細孔構造の解析を行っている。プラズマグラフト重合膜の基材部のみを化学的に分解し、細孔内に固定されたグラフトポリマーの単離手法を確立している。さらに、細孔内でのグラフトポリマー充填率の異なる膜を用いてグラフトポリマーを単離し、下記に示す細孔内部でのグラフトポリマーの分子量分布を確認している。(1)グラフトポリマーは数万~数百万の分子量分布を有する、(2)高充填率になるにつれて高分子量ポリマーの割合が増加する、(3)充填率の増加に伴いポリマー本数が増加する、(4)分子量分布を有するグラフトポリマーは膜厚方向に対して均一に固定される。また、本手法は、他の固定化手法で作製されたゲート膜の細孔内構造を解明する上で有効な手法であると考えられる。

第5章は、第4章で得られた知見を基に、第3章の生体分子認識ゲート膜における微細孔内での生体分子架橋反応に関して考察を行い、さらに、生体分子認識ゲート膜の性能予測から新規ゲートシステムの有効性を示している。細孔内グラフトポリマーの分子量分布とゲート膜の透過流束特性の関係を考察し、以下のことを明らかにしている。(1)細孔内でのポリマー充填率10%においても、グラフトポリマーの膨潤状態で細孔を閉塞するのに充分な高分子量ポリマー(数十万~数百万)が存在し、細孔を閉塞させる、(2)充填率30%以下では、ポリマー鎖密度が希薄であるため、グラフトポリマーが収縮する空間が細孔表面付近に存在し、グラフトポリマーが収縮したときに基材と同程度の高い透過流束が得られる。生体分子認識ゲート膜の細孔内架橋反応では、高分子量ポリマーが絡み合う部分で架橋結合が形成されると考えられる。生体分子認識ゲート膜の細孔内部では、刺激応答ポリマーの膨潤収縮挙動に伴う透過流束の大きな変化を起こす空間と効率良く架橋反応が生じるための高分子量ポリマーの絡み合いが必要であり、両者を満たす細孔内グラフトポリマーの設計が必要であることを示唆している。また、今回用いた反応にかかわらず、多様な生体分子への展開を考え、細孔内における生体分子結合の平衡定数から、生体分子認識ゲート膜の応答性能を予測している。計算結果から、幅広い平衡定数を持つ様々な抗原抗体反応にも応用でき、少ない架橋点を形成したグラフトポリマーにより溶質透過性の制御を実現することで、従来の検査手法を上回る高感度バイオセンサーの開発が可能であり、本論文で提案した新規ゲートシステムの有効性と発展性を示している。

第6章は、第2章から第5章に記載した内容を総括するとともに、将来、生体分子認識ゲート膜を用いた新規バイオセンサーは、腫瘍ウイルスやホルモン物質などを即時に検査する手段として有効であり、医療診断、食品管理、環境保全といった多様な分野へ貢献できることを示している。

以上纏めると、本論文は材料システム工学の考え方に基づき、簡便・高感度を有するバイオセンサーを目指した生体分子認識ゲート膜の開発を行ったものである。本論文は個別の技術開発にとどまらず、生体分子認識結合とポリマーの体積相転移というミクロな現象から微細孔内部でのポリマー構造制御によりマクロな膜透過現象へと繋げ、材料が示す機能のシステム的な設計に基づいて構築されており、化学システム工学への貢献は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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