学位論文要旨



No 125764
著者(漢字) 金尾,啓一郎
著者(英字)
著者(カナ) カナオ,ケイイチロウ
標題(和) 硫黄架橋二核ルテニウム錯体の反応性と触媒的不斉合成反応への応用に関する研究
標題(洋) Studies on Reactivities of Thiolato-Bridged Diruthenium Complexes and their Application to Catalytic Asymmetric Reactions
報告番号 125764
報告番号 甲25764
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7297号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 西林,仁昭
 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 准教授 橋本,幸彦
 東京大学 講師 山下,誠
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

遷移金属多核錯体は複数の金属中心による共同効果によって単核の錯体にはない反応性発現が期待される。それ故、遷移金属多核錯体の合理的分子設計による合成とそれらを用いた時にのみ特異的に進行する触媒反応の開発に関する研究は非常に活発に行われている。特に最近では様々な種類の不斉合成反応で高いエナンチオ選択性が達成されており、現代有機合成反応化学において、新しい一分野を形成していると言っても過言ではない。

当研究グループでは架橋硫黄配位子上に光学活性置換基を導入した光学活性な硫黄架橋二核ルテニウム錯体を触媒として用いた世界初のエナンチオ選択的な芳香族化合物のプロパルギル化反応を開発している。本反応ではN,N-ジメチルアニリンやフランなどの電子豊富な芳香族化合物をエナンチオ選択的にプロパルギル化することに成功している。光学活性配位子内及びアレニリデン配位子内にある二つのアリール基間のπ-π相互作用により、アレニリデン配位子部位の立体が制御できたことが高エナンチオ選択性を達成した鍵であると考えている (Scheme 1)。本研究では芳香族化合物のエナンチオ選択的なプロパルギル化反応が、芳香族化合物の炭素-水素結合を活性化し、エナンチオ選択的に炭素-炭素結合に変換できる興味深い反応であると考えて、本触媒反応の有用性を追求することにした。

一方、プロパルギル位置換反応を特異的に促進させる硫黄架橋二核ルテニウム錯体ではあるが、触媒反応を効率的に進行させるためには比較的多量の錯体を用いる必要があるといった問題点も有していた。本研究ではより高活性な触媒能を有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体の開発を目指して、従来は注目されてこなかったハロゲン配位子に着目し、ハロゲン原子の種類が触媒活性に及ぼす影響を検討することにした。

2.インドールのエナンチオ選択的プロパルギル化反応

インドールは様々な天然物や生理活性物質に含まれる重要なヘテロ芳香族の一つであるため、インドール誘導体の効率的合成反応に関する研究は非常に活発に行われている。そこで、インドール誘導体のエナンチオ選択的プロパルギル化反応の開発を検討した。触媒量の光学活性硫黄架橋二核ルテニウム錯体 1a 存在下、窒素上をトリイソプロピルシリル基で保護したインドールとプロパルギルアルコールとを反応させると、インドール環のβ位が選択的にプロパルギル化された生成物が高収率かつ高エナンチオ選択性で得られた (Scheme 2)。トリイソプロピルシリル基などの立体的に嵩高い置換基をインドール環の窒素原子上へ導入することは、高エナンチオ選択性を達成するためには必須であった。本手法を用いる事で、従来合成することが困難であった光学活性なインドール誘導体を容易に合成することが可能になった。

3.芳香族化合物のエナンチオ選択的分子内プロパルギル化反応

エナンチオ選択的に縮環構造を構築可能な有用な反応の一つに芳香族化合物の分子内不斉 Friedel-Crafts アルキル化反応が挙げられる。しかしながら、これまでの分子内不斉 Friedel-Crafts アルキル化反応では用いることが可能な求電子剤はオレフィン、エポキシド、カルボニル化合物およびその等価体に制限されていた。そこで芳香族化合物のエナンチオ選択的なプロパルギル化反応を分子内反応へと展開し、分子内環化反応の新たな手法の開発を目指した。触媒量の光学活性な硫黄架橋二核ルテニウム錯体 1a 存在下、分子内にベンゼン環やフラン環を有するプロパルギルアルコールを反応させたところ高エナンチオ選択性の達成には至らなかった。同様に錯体 1a 存在下、チオフェン部位を有するプロパルギルアルコールを反応させたところ、チオフェン環のβ位が選択的にプロパルギル化された生成物が良好な収率及び非常に高いエナンチオ選択性で得られた。本反応は、5員環形成反応にも非常に有効であることが確認できた (Scheme 3)。以上の様に、チオフェン誘導体の高エナンチオ選択的な分子内プロパルギル化反応の開発に成功した。本反応を用いる事で、従来合成することが困難であった光学活性なチオフェン誘導体を容易に合成することが可能になった。

4.プロパルギルアルコールと2-ナフトールとのエナンチオ選択的 [3+3] 型環化付加反応

当研究グループでは、触媒量の硫黄架橋二核ルテニウム錯体存在下、プロパルギルアルコールと2-ナフトールとの反応により [3+3] 型環化付加反応が進行することを見出して既に報告している。これらの研究背景を踏まえて、光学活性硫黄架橋二核ルテニウム錯体を触媒として用いた本環化付加反応の不斉化を検討した。

触媒量の光学活性な硫黄架橋二核ルテニウム錯体 1b 存在下、プロパルギルアルコールと2-ナフトールとの反応を行ったところ、対応する環化付加体であるピランが中程度の収率及び良好なエナンチオ選択性で得られた。様々な置換基を導入したプロパルギルアルコール及び 2-ナフトールを用いた場合にも良好なエナンチオ選択性の発現がみられた (Scheme 4)。

本反応の機構に関して種々の検討を行った結果、本反応はエナンチオ選択的な2-ナフトールのプロパルギル化反応とそれに続く速度論的光学分割を伴う環化反応よって高エナンチオ選択性を発現していることが明らかとなった。またプロパルギル化反応、環化反応のそれぞれの段階においてアレニリデン錯体、ビニリデン錯体というそれぞれ異なった鍵中間体を経由して進行する新しいタイプの不斉合成反応であることも見出した (Scheme 5)。

5.臭素及びヨウ素を有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体の合成と触媒活性

緒言でも述べたように、従来は注目されてこなかった硫黄架橋二核ルテニウム錯体に存在するハロゲン配位子に着目し、ハロゲン原子の種類が触媒活性に及ぼす影響を検討した。

臭素及びヨウ素配位子を有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体のプロパルギル位置換反応及び芳香族化合物のプロパルギル化反応における触媒能を比較検討した。興味深いことに、これらの反応における錯体の触媒能は、従来から用いてきた塩素をハロゲン配位子として有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体 2a が最も高く、次いで、臭素をハロゲン配位子として有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体 2b、ヨウ素をハロゲン配位子として有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体 2c の順序に触媒活性は低下した (Scheme 5)。

以上の様に、従来は注目されてこなかった硫黄架橋二核ルテニウム錯体に存在するハロゲン配位子に着目し、ハロゲン原子の種類が触媒活性に及ぼす影響を検証することに成功した。錯体の構造が触媒活性に及ぼす影響を考慮する上で、重要な知見を得ることができたと考えている。

6.結論

本博士論文では、光学活性な硫黄架橋二核ルテニウム錯体を触媒として用いる事で、インドールのエナンチオ選択的なプロパルギル化反応、チオフェンのエナンチオ選択的な分子内プロパルギル化反応を開発することに成功した。開発に成功した一連の反応は、近年報告されている光学活性なルイス酸及びブレンステッド酸を用いた不斉 Friedel-Crafts アルキル化反応の一種であると考えることができる。これまで報告されてきた不斉 Friedel-Crafts アルキル化反応は、求電子剤としてオレフィン、エポキシド、カルボニル化合物およびその等価体に限られてきたのとは対照的に、本反応はプロパルギルカチオン等価体を用いた不斉 Friedel-Crafts アルキル化反応であり合成化学的にも非常に価値のある新しい不斉合成反応であると言える。またプロパルギルアルコールと2-ナフトールとのエナンチオ選択的な [3+3] 型環化付加反応の開発にも成功した。本反応は硫黄架橋二核ルテニウム錯体を触媒とする新しいタイプの不斉反応である。

一方、より高活性な触媒開発を目指して、従来は注目されてこなかったハロゲン配位子に着目し、臭素及びヨウ素をハロゲン配位子として有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体の合成と触媒能の評価を行い、ハロゲン配位子が反応性に大きな影響を与えることを見出した。これらの知見は今後の触媒設計に新しい指針を与えるものと考えている。

Scheme 1

Scheme 2

Scheme 3

Scheme 4

Scheme 5

Scheme 6

審査要旨 要旨を表示する

学位論文研究において「硫黄架橋二核ルテニウム錯体の反応性と触媒的不斉合成反応への応用に関する研究」を題材として研究を行った。

第1章では遷移金属多核錯体を用いた分子変換反応と不斉 Friedel-Crafts アルキル化反応について概観し、本論文の研究背景について述べている。遷移金属多核錯体は複数の金属中心による共同効果によって単核の錯体にはない反応性発現が期待される。それ故、遷移金属多核錯体の合理的分子設計による合成とそれらを用いた時にのみ特異的に進行する触媒反応の開発に関する研究は非常に活発に行われている。特に最近では様々な種類の不斉合成反応で高いエナンチオ選択性が達成されており、現代有機合成化学において、新しい一分野を形成していると言っても過言ではない。当研究グループでは架橋硫黄配位子上に光学活性置換基を導入した光学活性な硫黄架橋二核ルテニウム錯体を触媒として用いた世界初のエナンチオ選択的な芳香族化合物のプロパルギル化反応を開発している。本反応は新しい不斉 Friedel-Crafts アルキル化反応の一種であると考えることができる。本研究ではこの新しい不斉 Friedel-Crafts アルキル化反応である芳香族化合物のエナンチオ選択的なプロパルギル化反応の可能性に着目しその有用性を追及した。一方、硫黄架橋二核ルテニウム錯体は優れた触媒ではあるが、触媒反応を効率的に進行させるためには比較的多量の錯体を用いる必要があるといった問題点も有していた。本研究ではより高活性な触媒能を有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体の開発を目指して、従来は注目されてこなかったハロゲン配位子に着目し、ハロゲン原子の種類が触媒活性に及ぼす影響を検討した。

第2章ではインドールのエナンチオ選択的なプロパルギル化反応の開発に成功した研究成果について述べている。触媒量の光学活性硫黄架橋二核ルテニウム錯体存在下、窒素上をトリイソプロピルシリル基で保護したインドールとプロパルギルアルコールとを反応させると、インドール環のβ位が選択的にプロパルギル化された生成物が高収率かつ高エナンチオ選択性で得られた。トリイソプロピルシリル基などの立体的に嵩高い置換基をインドール環の窒素原子上へ導入することは、高エナンチオ選択性を達成するためには必須であった。本手法を用いる事で、従来合成することが困難であった光学活性なインドール誘導体を容易に合成することが可能になった。

第3章ではチオフェンのエナンチオ選択的な分子内プロパルギル化反応の開発に成功した研究成果を述べている。触媒量の光学活性な硫黄架橋二核ルテニウム錯体存在下、チオフェン部位を有するプロパルギルアルコールを反応させると、チオフェン環のβ位が選択的にプロパルギル化された生成物が良好な収率及び非常に高いエナンチオ選択性で得られた。本反応を用いる事で、従来合成することが困難であった光学活性なチオフェン誘導体を容易に合成することが可能になった。

第4章ではプロパルギルアルコールと2-ナフトールとのエナンチオ選択的 [3+3] 型環化付加反応の開発に成功した研究成果について述べている。触媒量の光学活性な硫黄架橋二核ルテニウム錯体存在下、プロパルギルアルコールと2-ナフトールを反応させると対応する環化付加生成物が高エナンチオ選択性で得られた。本反応は2-ナフトールのエナンチオ選択的なプロパルギル化とそれに続く速度論的光学分割という二つの不斉発現機構を含んだ新しいタイプの不斉反応である。

第5章では臭素及びヨウ素を有する硫黄架橋二核ルテニウム錯体の合成と触媒活性の検討を行った研究成果を述べている。ハロゲン配位子を従来の塩素から臭素、ヨウ素に変えた二核ルテニウム錯体を効率的に合成する方法を確立し、それらの錯体の芳香族化合物のプロパルギル化反応をはじめとする種々の触媒反応における触媒活性を検討した。その結果、触媒活性が塩素錯体、臭素錯体、ヨウ素錯体の順に低下することを明らかとした。この結果は今後の二核錯体の設計において大きな指針になると考えられる。

第6章では本論文の総括と今後の展望について述べている。

以上本論文では芳香族化合物のエナンチオ選択的プロパルギル化反応およびその関連反応の開発を行っており、有用な化合物を合成する新しい合成戦略を示しただけでなく、多核錯体でのハロゲン効果について検討を加えたものであり、遷移金属多核錯体を用いた触媒反応開発の研究分野の発展に貢献したものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク