学位論文要旨



No 125767
著者(漢字) 中川,貴文
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,タカフミ
標題(和) 高周期カルコゲン配位子を利用した多核錯体の合成
標題(洋) Synthesis of multinuclear complexes by the use of heavier chalcogen ligands
報告番号 125767
報告番号 甲25767
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7300号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 准教授 北條,博彦
 東京大学 准教授 西林,仁昭
内容要旨 要旨を表示する

[緒言]

硫黄をはじめとするカルコゲン元素は、金属原子間を架橋して集積させる能力が極めて高い。実際、金属カルコゲニドクラスターは生体内酵素の活性部位や固体触媒の単位骨格に広く見られ、化学変換や電子伝達等の機能を担っている。そのモデルとして複雑なクラスター骨格を合成するためには、小さな前駆体錯体を段階的に集積する方法が合理的である。当研究室では、SH、SeH錯体を前駆体として段階的にクラスターを合成してきたが、TeH錯体はTe・H結合が不安定であるため合成できず、テルリドクラスターは合成できていない。一方、Te・C結合はTe・H結合よりも安定であるが、S・C、Se・C結合と比べて比較的容易に切断できると考えられる。硫黄の同族であるテルルを用いることで、原子半径や金属性、電気陰性度の違いにより反応性が変化することが期待できる。

以上のような背景から、本研究ではまずテルロラート錯体を合成し、それを前駆体として、(1)0価10族金属錯体との反応からTe・C結合への挿入反応を利用したテルリドクラスターの合成を検討した。そして、(2)0価ではなく2価および3価の後周期遷移金属との反応からテルロラート架橋多核錯体を合成し、(3)カルコゲンアナログ錯体における0価10族金属錯体との反応性の比較を行い、(4)得られた錯体の反応性を検討した。

[実験と結果]

1-1.1aと2当量の0価10族金属錯体との反応

Cp*Ir(CO)2と(TolTe)2との反応から、新規な単核のビス (テルロラート) 錯体1aを合成した。1aに対して2当量のPd(PPh3)4 (2) またはPt(PPh3)3 (3) を室温で反応させたところ、両方のテルロラート配位子が架橋テルリドへと変換された三核クラスター4および5が中程度の収率で得られた。X線解析により明らかになった構造では、Irは3価の三脚ピアノ椅子型構造をとっており、Pd, Ptは2価の平面四配位構造をとっていた。テルロラート配位子由来のトリル基はPd, Pt上に転移しており、トリル基とPPh3はIrM2平面に対して互いにantiに位置していることが判明した。また、溶液からはトリル基とPPh3の位置による異性体と考えられるピークが観測された。

1-2. 1aと1当量の0価10族金属錯体との反応

1aと2とを1:1のモル比で反応させたところ速やかにクラスター4が生成したが、1当量の3の反応では、一方のテルロラート配位子のみが架橋テルリドへと変換された二核錯体6が単離できた。ここでも異性体と考えられるピークが観測され、同様にトリル基とPPh3との位置による異性体と考えられる。

1-3. 段階的なテルリドクラスターの合成

6はクラスター5へ至る中間体と考えられる。そこで、6に対して1当量の3を加えると期待したとおり反応が進行し5が生成した。次に、6に1当量の2を加えるとPdが速やかに残りのTe・C結合に挿入し、三種混合金属テルリドクラスター7が合成できた。7の構造は、6のIrPtTe2コアへのPdの攻撃が立体的に空いているCO側から選択的に進行することを示している。7においても異性体が観測されたが、これはPtとPdの位置による異性体ではなく、4, 5と同様にトリル基とPPh3の位置による異性体であると考えられる。

2-1. 10族金属錯体との反応

同じ10族で2価の錯体との反応を検討した。1aと1当量のPdCl2(cod)を反応させると、Te・C結合への挿入反応は進行せず二つのテルロラート配位子が架橋した二核錯体8 が得られた。一方、1当量のPtCl2(cod) との反応では類似の二核錯体9と三核錯体10の混合物が生成したが、0.5当量の白金錯体と反応より10が選択的に合成できた。錯体8, 9の金属間に結合的な相互作用はなく、IRよりCOの伸縮振動が原料の1aよりも高周波数であった。これはテルロラートを介して電子が10族金属側に流れているためと考えられる。

このことから、1aと比較的高原子価の後周期遷移金属錯体との反応から、様々な異種金属テルロラート架橋錯体が合成できると考え検討した。テルロラート配位子で架橋された同種金属錯体の報告は限られており、さらに異種金属錯体の合成例は数例しか報告されていない。

2-2. 9族金属錯体との反応

1aと0.5当量の [Cp*MCl2]2 (M = Ir, Rh) との反応から、テルロラート架橋二核錯体 11および12が得られ、各錯体のNMRより4種類の立体異性体の混合物と推定された。X線解析より11のcis体と12のcis, trans体の構造が明らかになった。これらはIrTe2M面について2つのCp*の配向がcisまたはtransの異性体の関係にあり、結晶中ではトリル基同士はsynであるが、溶液中ではanti体との平衡で存在していると考えられる。

2-3. 8族金属錯体との反応

1aと0.25当量の [Cp*RuCl]4との反応からは、11, 12と同様の二核構造を持つ 13が生成していると推定された。ここで、0.75当量の[Cp*RuCl]4と反応させると、架橋テルロラートのTol上にCp*Ru+フラグメントがπ配位した14が生成した。NMRおよび予備的なX線解析から構造を推定し、IRのCOの伸縮振動からCO配位子はRu上に転移していると考えられる。また、1aと1当量の [RuH(cod)(MeCN)3]BPh4を反応させたところ、テルロラートとヒドリドで架橋しCOがRu上に転移した 15が得られた。IRからRu上のCO由来のピークが、NMRからヒドリド由来のピークが観測され、X線解析から判明した構造ではIr・Ru間に結合的な相互作用がある。

3-1. セレノラート錯体1bと3との反応

1aのセレンアナログ錯体 1bを合成し、1当量および2当量の3を室温で反応させたが、複雑な混合物となり生成物の同定には至らなかった。そこで、錯体1bと2当量の3をトルエン中加熱還流すると両方のセレノラート配位子が架橋セレニド配位子に変換されたクラスター16が得られた。16はテルリドクラスター5と類似の構造だが、CO配位子が脱離している点で異なる。そこで16の溶液をCO雰囲気下にすると1当量のCOが配位した5'が定量的に生成し、5'をトルエン中加熱還流するとCO分子が脱離し16が再生することを確認した。テルリドクラスター5をトルエン中加熱還流してもCOは脱離しないことから両者のクラスターの安定性に違いが見られる。IRから5と5'のCOの波数に顕著な差が見られなかったことより (Fig. 1)、5'は5と比べ立体的に混んでいるためCO配位子が脱離したと考えられる。

3-2. チオラート錯体1cと3との反応

チオラート1cと1当量の3を室温で反応させたところ、一方のチオラート配位子が白金上に転移したモノチオラート架橋二核錯体 17が生成した。17は形式Ir 2価、Pt 1価32電子の電子欠損型錯体であり、金属間に相互作用がある。ここで1cと2当量の3と室温で反応させたが、17が生成しこれ以上の反応は進行しなかった。そこで、1cと2当量の3をトルエン中加熱還流したところ、さらにもう1分子の白金フラグメントが取り込まれた、チオラート架橋三核クラスター18が生成した。このクラスターは形式Ir ・価、Pt ・価46電子の電子欠損型錯体で金属間に相互作用があると考えられる。

3-3. セレノラート錯体1bおよびチオラート錯体1cと2との反応

1bと1当量の2を反応させたところ、速やかに2当量のPdが反応し、未反応の1bと共に18のアナログ錯体19を与えた。ここで、1bと2当量の2をトルエン中加熱還流すると、16のアナログ錯体20が生成した。次に、1cと1当量の2を反応させたところ、速やかに2当量のPdが反応し、18のアナログ錯体 21が生成した。同様にトルエン中加熱還流したがそれ以上の反応は進行しなかった。

4-1.錯体6と活性化されたアルキンとの反応

6に1当量のDMADを反応させたところ、Pt上ではなくテルリド配位子上で反応が進行し、2つのアセチレン炭素が架橋テルリドおよびCO配位子の炭素原子にそれぞれ結合することによってIrを含む五員環を形成して、錯体22が生成した。また、プロピオール酸メチルとの反応においてもトルエン加熱還流条件下で同様の反応が進行していると考えている。

[結言]

本研究では、単核テルロラート錯体を用い0価10族金属錯体の挿入反応を利用した段階的なテルリドクラスターの合成法を開発した。また、比較的高原子価の錯体との反応では挿入反応は進行せず、様々な異種金属テルロラート架橋錯体が合成できることを示した。そして、一連のカルコゲンアナログ錯体を0価10族金属錯体と反応させ比較したところ、Te・C結合の反応性は極めて高いことが明らかになった。最後に、得られたテルル錯体と有機小分子との反応からテルリド上が反応点になることも見出した。

1, テルロラート錯体を前駆体としたテルリドクラスターの合成 (Scheme 1)

2, 混合金属テルロラート架橋錯体の合成 (Scheme 2)

3, カルコゲノラート錯体と0価10族金属錯体との反応 (Table 1)

4, 錯体6の反応性についての検討 (Scheme 3)

審査要旨 要旨を表示する

硫黄をはじめとするカルコゲン元素は、金属原子間を架橋して集積させる能力が極めて高いことが知られている。複数の金属が近傍に位置する多核錯体では、金属の協同効果から単核錯体にはない高度な反応性が期待される。実際、金属カルコゲニドクラスターは生体内酵素の活性部位や固体触媒の単位骨格に広く見られ、化学反応や電子伝達等の機能を担っている。そのモデルとして複雑なクラスター骨格を合成するためには、小さな前駆体錯体を段階的に集積する方法が合理的かつ有効である。当研究室では、SH、SeH錯体を前駆体として段階的にクラスターを合成してきたが、TeH錯体はTe・H結合が不安定であるため合成できず、テルリドクラスターは合成できていない。一方、Te・C結合はTe・H結合よりも安定であるが、S・C、Se・C結合と比べて比較的容易に切断できると考えられる。硫黄の同族であるテルルを用いることで、原子半径や金属性、電気陰性度の違いにより遷移金属上の反応性が変化することが期待できる。また、より金属性を帯びている架橋テルル上が基質を活性化する反応点となる可能性がある。しかし、テルルクラスターを合成するためのテルル源は限られているため、テルルで架橋されたクラスターの合成例は同じカルコゲンの硫黄やセレンに比べ、極めて例が少ない。

本論文は、テルルで架橋された多核構造の合成に焦点を当て、テルリド及びテルロラートで架橋された種々の混合金属錯体を合成すると共に、カルコゲン元素間での比較を行うことで、テルル架橋クラスターの特異な反応性を明らかにすることを目指した研究について、その結果をまとめたものであり、5章より構成されている。

第1章では、広くカルコゲン元素についての概観を述べている。硫黄架橋遷移金属クラスターは、それらが酵素の活性部位や固体触媒に広く存在していることから詳しく研究が行なわれているのに対して、より高周期のテルルで架橋された複核錯体については、その反応性に興味が持たれているにもかかわらず、研究がいまだに少ないことが指摘されている。その理由の一つに、それらを合成するための有用なテルル源が限られていることを挙げ、テルルで架橋された多核構造を構築する前駆体として比較的容易に得られ安定な有機テルロラートを選択した経緯について述べている。

第2章では、新規に得た取扱いやすいビス(テルロラート)錯体を前駆体とした段階的なテルリドクラスター合成法の開発について述べている。すなわち、0価の10族金属錯体がビス(テルロラート)錯体のテルル-炭素結合に挿入する反応を利用することで、段階的に混合金属テルリド三核クラスターへと誘導できることを示した。また、テルリドクラスターに至る中間体である、一方のテルロラート配位子が架橋テルリドへと変換された錯体を単離するとともに、本錯体が活性化されたアルキンと反応し、金属、テルル、カルボニル配位子を含む5員環配位子を形成する特異な反応を見出している。テルルを含む錯体の反応性についての研究は極めて限られており、また金属ばかりでなくテルルも反応点となり得る例を示せたことは大変興味深い。

第3章では、2章で用いた単核ビス(テルロラート)錯体と比較的高原子価の金属錯体との反応から、様々なテルロラートで架橋された異種金属錯体が合成できることを見出したことが述べられている。同種金属テルロラート架橋錯体はほぼ全ての遷移金属で合成されているのに対して異種金属テルロラート架橋錯体の合成例は限られており、単核ビス(テルロラート)錯体をテンプレートとすることで様々なテルロラート架橋混合金属錯体を合成できることを示した。

第4章では2章で用いた単核ビス(テルロラート)錯体のチオラート、セレノラートアナログを合成し、それと0価10族金属錯体との反応を行い、カルコゲン元素間による反応性の違いを明らかにしたことが述べられている。テルルでは温和な室温条件でテルル-炭素結合に挿入反応が進行したのに対して、セレンではより厳しい条件でのみ同様の反応が進行し、一方、硫黄では硫黄-炭素結合への挿入反応は進行せず、金属-硫黄結合に挿入して最終的にチオラート架橋のクラスターが生成した。このことから、テルル-炭素結合の反応性が他の2つと比較して極めて高いことを明らかにしている。

第5章では2章から4章までの研究について統括し、今後の研究の展望を述べている。

以上、本論文では、テルリドやテルロラートで架橋された新規な多核錯体を合理的かつ多様に合成し、一部の錯体はテルル上で特異な反応を示すことを明らかにしている。これはテルル元素が単なる架橋配位子としてのみではなく、反応点ともなり得ることを示している。また、カルコゲン元素間での比較を行い、テルロラート配位子のテルル-炭素結合の反応性が最も高いことを明らかにした。これらの成果は、今後の有機金属化学や無機化学、配位化学の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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