学位論文要旨



No 125774
著者(漢字) 榎本,悟士
著者(英字)
著者(カナ) エノモト,サトシ
標題(和) 血管内皮細胞におけるROBO1の機能解析
標題(洋)
報告番号 125774
報告番号 甲25774
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7307号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 特任准教授 南,敬
 東京大学 准教授 津本,浩平
内容要旨 要旨を表示する

がんは日本人の死亡原因第1位の疾患であり、およそ3人に1人の日本人ががんによって命を落としている(厚生労働省大臣官房統計情報部「人口動態統計」抜粋)。こうした現状を踏まえ、がんに対する効果的な治療法開発が急務となっている。こうした中、1971年に米国のFolkman博士によって腫瘍血管の新生を標的とする治療法が提唱された。がん細胞は組織中で増殖する際、周辺の血管内皮細胞を呼び込んで新たな血管を構築し増殖に必要な栄養の確保を行っているが、同治療法はこの腫瘍血管を阻害することでがんを兵糧攻めにするというものであった。この提唱を皮きりに世界的に血管研究が開始され、血管新生において多くの因子が関与することが明らかとなってきた。中でも、血管内皮増殖因子(vascular endothelial growth factor (VEGF))とその受容体に関しては中和抗体(アバスチン)やキナーゼ阻害剤(ソラフェニブ、スニチニブ)が開発され、がんの治療成績を大幅に改善しており、腫瘍血管を標的とした治療が有効であることが示された。近年、Wang等によって神経細胞の軸策誘導に関わる分子rouondabout, axon guidance receptor, homolog (ROBO) 1が腫瘍内の血管内皮細胞に発現し、腫瘍血管の進展を促進することを示唆する報告がされており、ROBO1を標的としたがん治療の新たな可能性が示されつつある。

本研究は、腫瘍内の血管内皮細胞に発現するROBO1を抗体治療の標的として評価することを目的としている。第1章では、これまでに行われてきたROBO1の研究背景について、第2章では、腫瘍において注目される血管新生について血管内皮細胞のモデルとして利用されている臍帯静脈内皮細胞(human umbilical vein endothelial cell (HUVEC))を用い、SLIT-ROBOを介した血管内皮細胞の遊走制御の解析、第3章では第2章で明らかにしたSLIT-ROBOによる遊走制御のメカニズムの解析を行った。第2章ではSLIT2刺激による血管内皮細胞の遊走の抑制と誘導の検出を行い、それぞれの作用に関与するROBOの同定を行った。遊走の抑制に関しては、SLIT2刺激によりROBO4を介してSrcのリン酸化が抑えられ、遊走が抑制されることが確認された。遊走の誘導に関しては、通常時はSLIT2刺激によりROBO4を介して遊走が抑制されているが、ROBO4の発現を抑制すると、SLIT2刺激によりROBO1を介した遊走が検出されることが新たに示された。第3章では、第2章で検出されたSLIT2-ROBO1を介した遊走メカニズムの解析を行った。SLIT2刺激による遊走が、刺激から1時間以内の早期に誘導されるので、アクチン骨格の再構成を促すRhoファミリータンパク質の活性を測定したところ、Cdc42が活性化されることが示された。また、ROBO1複合体解析より、Cdc42の活性を直接制御するCDGAPがROBO1結合因子として新たに同定された。さらに、CDGAPがSLIT2刺激によるROBO1を介した遊走を制御することが示された。

本研究の成果は、がん細胞で発現するROBO1の様態と、腫瘍内での血管新生の分子メカニズムにおいて新たな知見を提供し、ROBO1を標的としたがんの治療法開発に有用な情報となり得る。

審査要旨 要旨を表示する

がんや血管疾患は国民の死亡原因の上位を占め、その有効な治療法の開発は高齢化社会の到来に伴ってますます重要な課題となっている。今世紀にはいってヒトゲノムが解読されてから、DNAアレイチップなどの網羅的解析技術が発達し、病態に関わる分子をターゲットとする薬の開発が中心となっている。がんの治療薬開発でもがん細胞表面のがん特異的ターゲット分子を認識する抗体分子が新薬として注目を浴びている。本研究は、肝がん細胞に特異的に発現するROBO1について、機能を解析し新規治療法の開発につなげようとするものである。ROBO1はショウジョウバエの遺伝学的解析から脳神経細胞の発達に重要なガイダンス分子として発見されたが、その後東大先端研のグループにより、肝がん細胞に多くみられるがん表面マーカー分子として報告された。

本研究において,まずROBO1特異的抗体を用いて免疫組織学的解析により、ROBO1はがん細胞のみならず腫瘍血管内皮細胞に発現することが明らかにされた。悪性腫瘍はみずから血管を増生し組織構築を破壊し急速に増殖する。この血管新生のメカニズムは器官形成のもっとも重要な現象であるとともに、がんの治療標的となっている。これまで血管内皮増殖因子(VEGF)およびその受容体をターゲットとした新規治療薬が開発されており,有効性が認められている。血管内皮細胞特異的な標的分子はこれまでほとんど報告がなく,本研究で得られた結果は,ROBO1が新規のターゲット候補分子であることを示唆している。

さらに,本研究では臍帯静脈内皮細胞を用いて、ROBO1を介したリガンド依存性の細胞遊走現象が起こることを示した。ROBO1リガンドのSLITによる作用は,神経細胞では遊走および反発の2通りが考えられている。血管内皮細胞では,SLITによる遊走作用が報告されているが,ROBO1との関連は明確ではなかった。これは,血管内皮細胞にはROBOファミリーであるROBO4が存在することによる。本研究は,siRNAの手法を用いて,ROBO4はSLIT依存的に遊走を阻害し,ROBO1がSLIT依存的に遊走を刺激することを示した。また,特異的抗体を用いた質量分析(MS)解析による,内在性タンパク質複合体の高感度同定技術を用いて,臍帯静脈内皮細胞からROBO1複合体を抽出し,遊走に関わる新規のシグナル伝達因子を複数同定した。同定された小分子Gタンパク質を制御する因子は細胞遊走の調節に重要な役割を果たしていると考えられる。

血管内皮細胞の遊走は血管の新生が起こる場所で重要な現象である。このことから、ROBO1が肝がんなど特定のがんだけではなく、広く一般的な血管の増殖を伴う疾患の治療に有効なターゲットとなることを示唆している。また,遊走現象を引き起こす分子メカミズムを明らかにすることは,関与する分子を標的とした複合的治療が可能であることを示した点で有益であると評価できる。また,細胞の遊走現象は神経系の構築や炎症,がんの転移など根源的な生命現象であり,その分子機構の解明に役立つ研究と位置付けることができる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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