学位論文要旨



No 125787
著者(漢字) 南川,泰裕
著者(英字)
著者(カナ) ミナミカワ,ヤスヒロ
標題(和) 超伝導転移端マイクロカロリメータの開発
標題(洋) Development of Transition Edge Sensor Microcalorimeter
報告番号 125787
報告番号 甲25787
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7320号
研究科 工学系研究科
専攻 バイオエンジニアリング専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 教授 酒井,康行
 東京大学 教授 満田,和久
 東京大学 准教授 中島,義和
 東京大学 准教授 出町,和之
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

X線分光法は非破壊, 非接触で高速に元素分析が可能な, 非常に強力な分析技術である. 特によく用いられているのが励起線としてX線を用いた蛍光X線元素分析である. 試料にX線を照射し, 電子を励起すると, その物質に特有の蛍光X線が発せられる.この蛍光X線のエネルギー分布(スペクトル)を測定し, 既知の物質のスペクトルと比較することで試料の構成元素を特定することができる. さらに励起線を細くしぼり, 試料表面を走査することで, 二次元的な元素分布まで得ることができる。生体内の元素の分布は, 生体の機能と密接に結びついている. 蛍光イメージングは細胞内の小組織体の機能の解明や, 様々な病気・異常の発生過程の解明, さらには製薬や医療診断にいたる幅広い分野において必要不可欠な技術となっている.

現在このようなX線分光には, 半導体検出器に代表されるエネルギー分散型の検出器EDX: Energy Dispersive X-ray spectrometer)と, 波長分散型検出器(WDX: Wavelength Dispersive X-ray spectrometer)の二種類の検出器が使われている. 半導体検出器は比較的広いエネルギー範囲のスペクトルを高速に取得することができるが, エネルギー分解能は100eV@5.9keV程度が限界となっており, スペクトルの微妙な変化による元素の化学状態の違いまでをとらえることができない. また波長分散型の検出器は, 1eV@5.9keV程度の優れたエネルギー分解能を持つが, 蛍光収集効率はエネルギー分散型の検出器と比較して二桁程度劣り, 特に生命現象に関する研究の分野においては, 試料の時間変化, 放射線損傷が問題となる.

次世代のイメージングデバイスの実現のためには, 高エネルギー分解能と高検出効率を両立する検出器が必要である. そこで注目されているのが超伝導転移端マイクロカロリメータ(TES: Transition Edge Sensor Microcalorimeter)である.

第二章 超伝導転移端マイクロカロリメータの原理

TESマイクロカロリメータは,放射線入射によって生じる温度上昇を超伝導体の超伝導-常伝導転移領域における急峻な抵抗変化によって検出する,非常に高感度な熱量計である.TESは現在宇宙線計測など, 限られた用途にしか用いられていないが, すでに国内外の複数のTES研究グループにおいて,6keVのX線に対し,従来の半導体検出器と比較して100倍近くに相当する, 1.8eVという極めて高いエネルギー分解能が達成されている.これによりTESのエネルギー分解能はほぼ理論値にまで達したが,従来使われている半導体検出のように数100μm角を超える大面積のTESでは,エネルギー分解能が大きく劣化してしまうという問題がある. このため現在は, より検出効率の高い大面積のTESを実現するため, TESを多数並べたアレイ型検出器の開発が進められている.

しかしアレイ化に伴う配線数の増大はコールドステージへの熱流入を招き, 冷凍機の冷却能力を制限してしまう. そこで重要となるのが配線数を減らすための, 信号多重化回路である. 本研究では. 複数のTESを単一の読出回路に並列に接続し, どのTESからの信号であるかを一つ一つの信号波形を解析するによって特定する, 波形弁別による並列読出方式に注目した.

第三章 超伝導転移端マイクロカロリメータのモデル化

波形弁別による並列読出のためには複数のTESそれぞれに特徴ある波形を与えることが必要である. しかし従来の静的な解析法では, このような複数の構造からなるTESの特性を調べることや, 動作状態での熱的なクロストークなどの影響を見積もることは困難であり, 新しい評価法が必要とされている.

そこで本研究ではTESの動的な応答特性を解析するためのシミュレーションの開発を行った. これは実際に測定された物性値に基づき, 熱拡散と電流密度分布の変化を計算することで, 信号応答時のセンサーの温度分布, 電流分布の時間変化を可視化, さ信号波形を再現するものである.

第四章 シミュレーションとLTSSMによる応答解析

今回開発したシミュレーションによって, これまでに本研究室で作製された超伝導転移端マイクロカロリメータについて, その応答波形が再現できることを確認することに成功した.

その過程において従来の手法では予測することが困難であった, 信号入射位置による信号応答波形の変化まで解析することができた. これは単一ピクセルのTESについてはエネルギー分解能の改善に役立ち, 並列読出型TESについてはX線入射位置特定に役立つものである. また実際に作製した単一ピクセルのZebra型TESでは15eV@5.9keVというエネルギー分解能を達成し(図1), 異なる大きさのTESを並列に接続したマルチサイズTESアレイを用いた測定では入射ピクセルの同定は不十分ながらも, 九つのピクセルからの異なる応答波形を得ることができた.

第五章 並列読出型直列吸収体TESの開発

並列読出型TESとして作製され, 測定を行ったマルチサイズTESアレイでは, 並列デバイス特有の動作抵抗の低さに由来する動作条件の難しさが明らかとなった. また吸収効率の向上のためには吸収体を用いることが必要となる. 本研究では新しく直列吸収体構造を考案した. これは通常TES上面に接着される吸収体をTESと同一平面に成膜し, 電気的に直列に接続したものである. 従来の吸収体構造と比較して作製プロセスが簡易化する利点の他, 吸収体の温度がETF動作により安定する, 吸収体の持つ抵抗によって動作温度下限付近における並列デバイスの不安定性を解消することが見込まれる. 理論検証として単一ピクセル型直列吸収体デバイスを作製し, 放射光を用いて実際に蛍光X線スペクトルの測定を行った. その結果, 5.9keVのX線に対して32.6eVというエネルギー分解能での測定に成功した(図2).

この実験で得られたデータを元に, 並列読出型直列吸収体TESについてシミュレーションを用いて検討を行なった結果, 2ピクセル並列, 4ピクセル並列についても十分動作可能であるということを示すことができた(図3).

第六章 結論

今回作製した単一ピクセルのZebra型TESにおいて, 15eV@5.9keVという半導体検出器では不可能なエネルギー分解能による測定に成功した. また新しく考案した直列吸収体TESにより, 放射光を用いた蛍光X線を行い, 5.9keVのX線に対して32.6eVというエネルギー分解能での測定に成功した. これを用いた並列型直列吸収体TESは, 時間分割や周波数分割といった他のマルチプレクス方式と組み合わせることができるため, これまでにない大面積と高検出効率, 高エネルギー分解能を実現する画期的なX線検出器を可能とし, 次世代のイメージング・スペクトロメータとして利用されることが期待されるものである.

今回作製したシミュレーションは並列アレイ構造や吸収体構造を含む様々なTESについて適用可能であり, 今後の新しい検出器開発に大いに役立つものと考えられる.

図1. 作製したZebra型TESによるスペクトル測定結果

図2. 作製した直列吸収体TESとそれにより得られたスペクトル

図3.シミュレーションによる並列型直列吸収体TES

審査要旨 要旨を表示する

X線を用いた分光技術は、微量元素の定量などに威力を発揮するが、分光結晶を用いた場合、検出効率が低くなるため、高分解能な分光能力を有するX線検出器の出現が望まれている。半導体を用いたX線検出器は、電荷信号を生成するために数eV程度のエネルギーを必要とするため、統計的なばらつきにより、エネルギー分解能は100eV程度に制限を受ける。本研究の対象である超伝導体を用いたマイクロカロリメータは、X線入射時の温度上昇を計測原理とするX線検出器であり、原理的に1eV以下のエネルギー分解能も可能とするものである。本研究は、そのような背景のもと、実験と計算の両面から新しい超伝導転移端マイクロカロリメータの動作特性を明らかにし、放射光施設における蛍光X線分析などの適用を通じて、従来の半導体検出器の性能を大きく超える能力を実証するところまでを行ったものである。

第一章は、序論であり、研究の背景としてX線分光法について述べられた後、放射線検出器として近年精力的な研究の展開されている極低温放射線検出器の現状を紹介するとともに、本研究の対象とする超伝導転移端センサ(TES)マイクロカロリメータの原理と応答特性、ならびに信号読み出し手法について示している。

第二章は、TESマイクロカロリメータの原理について、より詳細に示したものであり、熱浴との間の熱のやりとり、素子の実質的な高速化を達成するための工夫である電熱フィードバック(ElectroThermal Feedback:ETF)、TESの製作法、超伝導体としてイリジウムを選択したことなどが述べた後、冷却技術や信号読み出しに用いる超伝導量子干渉素子(SQUID)増幅器の原理が示され、さらに信号読み出しの多重化方式について紹介がなされている。その後、TESマイクロカロリメータの雑音について示され、エネルギー分解能を制限する要因について詳述され、最後は検出器の応答特性と転移状態の関連について議論をしている。

第三章は、TESマイクロカロリメータのモデル化について述べられた章であり、熱的なモデルと、電気的なモデルを組み合わせて支配方程式を構築し、実測した物性値などを入れて素子の動的な応答を示すシミュレーションが可能であるとしている。

第四章は、実際に第三章で開発したモデルを実装してシミュレーションを行った結果について詳細な解析を行い、検出器サイズが大きくなると、相分離の影響により、複雑な形状のパルスが生じることが再現されるとともに、大面積・小面積Ir-TES、吸収体バーを追加した検出器、並列アレイ型素子など種々のTESについて、代表的な実測値との比較を行い、シミュレーション結果と測定結果の対比について議論している。

第五章は、吸収体とTESを直列接続した、新しい構造のTESについて得失を議論したのち、作製した素子の詳細を示し、計算により設計したパラメータについて議論し、4ピクセルの素子について、信号波形の導出からピクセルの同定までを行っている。

第六章は、本研究のまとめであり、シミュレーション計算ならびに実験により、TESマイクロカロリメータの動作特性を明らかにすることができ、その知見を生かした新しい素子構造として、直列型吸収体を用いた素子の開発に成功したことを述べている。

以上のように、本論文は、X線分光において高エネルギー分解能を可能とする超伝導マイクロカロリメータの動作特性を計算ならび実験により明らかにし、生体試料中の微量元素を定量する蛍光X線分析など実際の応用への道を拓くものであり、工学、特にバイオエンジニアリングの進展に寄与するところが少なくない。

よって本論文は博士(工学)の請求論文として合格であると認められる。

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