学位論文要旨



No 125790
著者(漢字) 洞庭,葉子
著者(英字)
著者(カナ) ドウニワ,ヨウコ
標題(和) 核によるミトコンドリアの制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 125790
報告番号 甲25790
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3490号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 准教授 中園,幹生
 東京大学 准教授 伊藤,純一
 東京大学 准教授 吉田,薫
内容要旨 要旨を表示する

ミトコンドリアはほとんどすべての真核生物に存在し、その生存に必要不可欠な細胞内小器官である。クエン酸回路や電子伝達系を介してATPを効率よく産生する呼吸の場となっている。これに加えて、呼吸経路の中間産物は核酸やアミノ酸、脂肪酸などの合成の材料として利用され、植物が生きていく上でもミトコンドリアの機能が正しく働くことは不可欠である。ミトコンドリアの機能が異常になった植物では、重篤な生育阻害や細胞質雄性不稔が引き起こされることが知られている。このように、ミトコンドリアの機能は植物の生殖や生長に重要な役割を果たしており、これを人為的に制御、改変することは農業生産の上でも大きな影響を与えると思われる。

この細胞内小器官の起源については、独自の遺伝情報であるミトコンドリアゲノムやその転写翻訳系を持つこと、共生細菌の膜を宿主の膜が取り囲んだことによりできたと思われる二重膜構造を持つことから、15億年以上前に真核生物の祖先に取り込まれた好気性細菌(αプロテオバクテリア)がミトコンドリアの起源であるという細胞内共生説が一般に受け入れられている。共生を始めてから現在までの長い進化の過程において、ミトコンドリアはその機能や動態を様々に変化させ、宿主と密接な関係を築いてきた。植物のミトコンドリアの機能を人為的に制御するためには、宿主の核とミトコンドリアの相互作用をバランスよく保つことが必要である。そこで本研究では、植物細胞の核によるミトコンドリア機能の制御の分子的な機構について基礎的な知見を得るために、シロイヌナズナを主な材料として以下の実験を行った。

1.ミトコンドリアの動きと細胞骨格の関係

植物は動かないのでその中の構造物も静的であると思われがちであるが、実際は植物細胞の中では非常に活発な原形質流動が起こっている。生きた細胞内のミトコンドリアも細胞質中をダイナミックに移動しており、その成長段階や環境に応じて形態を柔軟に変えている。動物細胞においてもミトコンドリアが活発に動き回っていることが知られており、ミトコンドリアを細胞内の必要な場所へと配置することは、エネルギーの供給やシグナリングに不可欠であると示唆されている。ミトコンドリアに限らず、オルガネラを細胞内のある場所から他の地点に運搬するためには核にコードされた様々な遺伝子に由来するタンパク質が関わっている。様々な生物種におけるオルガネラの配置の研究から、細胞骨格を構成するアクチン繊維あるいは微小管とそれぞれのモータータンパク質がオルガネラの輸送に関わっているという知見が得られてきた。分裂酵母や動物では、ミトコンドリアの輸送は微小管によって行われている。一方、出芽酵母や動物の神経細胞において、ミトコンドリアの分配と動きはアクチン繊維に担われている。生物種、細胞の種類などによって使われる細胞骨格系が異なることが予想される。しかしながら、高等植物では、ミトコンドリアの動態や配置についての報告はこれまであまりなされていなかった。そこで本研究では、高等植物のミトコンドリアがアクチン繊維、微小管のどちらをどのように利用して動くのかを明らかにすることを目的として行った。

まず、ミトコンドリアを蛍光タンパク質で可視化したシロイヌナズナ形質転換体の葉を用いて、ミトコンドリアの細胞内での速度を測定した。細胞内ではブラウン運動しているものから5.21μm/sの速さで移動するミトコンドリアまでが観察され、平均速度は1.44μm/s(S.D.士0.89)であった。次に、細胞骨格の重合阻害剤を用いて細胞骨格をそれぞれ分解し、ミトコンドリアの移動能力、配置に変化があるか調べた。アクチン繊維、微小管のそれぞれの重合阻害剤を、細胞骨格を可視化したシロイヌナズナ植物体に処理し、薬剤の濃度、作用時間の条件検討を行った。その後、ミトコンドリアを可視化した植物体に薬剤を処理し、動きや細胞内分布の変化を観察した。この結果、アクチン繊維の重合阻害剤であるLatrunculin B(Lat-B)を処理した場合、ミトコンドリアの動きが阻害された。一方、微小管の重合阻害剤であるPropyzamideを処理した場合、ミトコンドリアの動きは阻害されなかった。

生きた細胞内でのミトコンドリアの動態と細胞骨格の配置を詳細に観察するために、赤色蛍光タンパク質(RFP)でミトコンドリア、緑色蛍光タンパク質(GFP)で細胞骨格を同時に可視化したシロイヌナズナ形質転換体を作製した。その結果、ミトコンドリアはアクチン繊維に沿って動くように観察されることが多く、ミトコンドリアの軌跡と微小管の配向は一致しないことが多かった。また、タバコ培養細胞BY-2を材料として細胞骨格をGFP、ミトコンドリアをMito Tracker染色により同時に可視化したところ、微小管よりもアクチン繊維に沿った動きが観察された。細胞骨格阻害剤を用いた実験ではシロイヌナズナの緑葉の場合と同様に、アクチン繊維の阻害剤によりミトコンドリアの動きが阻害され、微小管の阻害剤では阻害されなかった。以上より、シロイヌナズナ、タバコ培養細胞BY-2では共にアクチン繊維をレールのように用いることで、ミトコンドリアのダイナミックな動きが引き起こされることが示された。

2.ミトコンドリアのパーシャルRNAエディティングに関わるpentatricopeptide repeat(PPR)タンパク質の解析

ミトコンドリアは独自の遺伝情報であるミトコンドリアゲノムを保持しているが、もともとミトコンドリアの祖先の細菌が持っていた遺伝子の多くは核へ移行したか、消失している。そのため、ミトコンドリアの機能や構造を保持するには、ミトコンドリア自身のゲノムから翻訳されるタンパク質だけでは不十分であり、多くの核ゲノムコードの遺伝子が転写・翻訳されてミトコンドリアへ輸送されている。ミトコンドリアが機能的に働くためには、核ゲノムとミトコンドリアゲノムの両方における遺伝子発現が協調的に調節される必要がある。ミトコンドリアゲノムの遺伝子発現には、転写後や翻訳後修飾が重要であることが知られている。

ミトコンドリアでのタンパク質発現は、ミトコンドリア、核の両方にコードされるタンパク質によって制御される。ミトコンドリアのリボソームタンパク質はシロイヌナズナでは7つがミトコンドリアゲノム、40以上が核ゲノム上にコードされている。ミトコンドリアゲノムコードのリボソームタンパク質遺伝子には2つのイントロンや50を超えるエディティングサイトがあり多くの転写後修飾が行われている。そこで、ミトコンドリアゲノムコードのリボソームタンパク質遺伝子の転写後修飾に関与するタンパク質が存在するとすれば、これらの遺伝子は核コードのミトコンドリアリボソームタンパク質遺伝子と共発現する可能性が高いであろうと予想し、そのような遺伝子を探索した。

まずシロイヌナズナの共発現データベースを用いて、核コードのミトコンドリアリボソームタンパク質遺伝子の共発現遺伝子の中に、複数のPPRタンパク質をコードする遺伝子が含まれていることが分かった。PPRタンパク質は35アミノ酸からなる保存配列の繰り返しを持つタンパク質で、これまでにオルガネラゲノムの遺伝子の転写後修飾に関わることが知られている。今回見出されたPPR遺伝子のうちの1つは、タンパク質のN末端側に約70アミノ酸のミトコンドリア移行シグナルが存在することが予想された。この配列に緑色蛍光タンパク質を融合させたタンパク質がミトコンドリアに局在したことから、このPPRタンパク質はミトコンドリアに移行して機能することが示唆された。この遺伝子のT-DNA挿入突然変異体を用いてミトコンドリアゲノムにあるリボソームタンパク質遺伝子のRNAエディティングの状態を調べたところ、rps3遺伝子の1344番目のシトシン(rps3-1344)において、変異体では野生型に比べて顕著にエディティング効率が上昇していた。また、rρs3・603、rρs3-1534、pseudo-rps14-99、pseudo-rps14-194でも若干のエディティング効率の上昇が見られた。野生型遺伝子のゲノム断片を挿入した相補形質転換体では、当該サイトのエディティング効率は野生型と同程度に回復していた。これより、この遺伝子産物はサイト特異的なエディティングの維持、形成に阻害的に関わっていることが示唆された。そこでこの遺伝子をmitochondrial partial editing related protein1(MPERP1)と名付けた。なおスプライシング産物のパターンは野生型でも変異体でも同様であったことから、MEPRP1はスプライシングイベントには関与していないことが示唆された。シロイヌナズナゲノム中でMPERP1遺伝子と相同性の高い遺伝子をMPERP2遺伝子と名付け、そのT-DNA挿入変異体を用いてRNAエディティングの解析を行った。その結果、mperp2変異体でもmperp1変異体と同様にrps3-603、rps3-1344のエディティング効率が上昇していた。これよりこれらのパーシャルエディティングサイトの形成に、MPERP1とMPERP2タンパク質が共に機能していることが示唆された。さらに、mperp1/mperp2二重変異体では、rps3-603、rps3-1344のエディティング効率が相加的に上昇していたため、MPEPR1とMPEPR2はある程度の機能的冗長性を持ってこれらのサイトのRNAエディティングを抑制していることが示唆された。

本研究では、ミトコンドリアの機能を発揮させるための核による制御機構を、ミトコンドリアの動態とミトコンドリアゲノム遺伝子発現の制御の1つである転写後修飾に注目して解析を行った。シロイヌナズナやタバコ培養細胞において、ミトコンドリアの素早い動きはアクチン繊維に担われていることが明らかとなった。さらに、ミトコンドリアの遺伝子の転写後修飾に関わる因子を共発現解析により探索し、パラロガスな2つの遺伝子がミトコンドリアのパーシャルなRNAエディティングに阻害的に関わることを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

ミトコンドリアはほとんどすべての真核生物に存在し、生存に必要不可欠な細胞内小器官である。ミトコンドリアの機能が異常になった植物では、重篤な生育阻害や細胞質雄性不稔が引き起こされることが知られている。ミトコンドリアの機能は植物の生殖や生長に重要な役割を果たしており、これを人為的に制御、改変することは農業生産の上でも大きな影響を与えると思われる。植物のミトコンドリアの機能を人為的に制御するためには、宿主の核とミトコンドリアの相互作用をバランスよく保つことが必要である。本研究では、植物細胞の核によるミトコンドリア機能の制御の分子的な機構について基礎的な知見を得るために、シロイヌナズナを主な材料として以下の研究がおこなわれた。

1.ミトコンドリアの動きと細胞骨格の関係

生きた細胞内のミトコンドリアは細胞質中を活発に移動している。動物細胞において、ミトコンドリアを細胞内の必要な場所へと配置することは、エネルギーの供給やシグナリングに不可欠であると示唆されている。様々な生物種におけるオルガネラの配置の研究から、細胞骨格を構成するアクチン繊維あるいは微小管とそれぞれのモータータンパク質がオルガネラの輸送に関わっているという知見が得られてきた。生物種、細胞の種類などによって使われる細胞骨格系が異なることが知られている。しかしながら、高等植物では、ミトコンドリアの動態や配置についての報告はこれまであまりなされていなかった。そこで申請者は、高等植物のミトコンドリアがアクチン繊維、微小管のどちらをどのように利用して動くのかを明らかにすることを目的として実験をおこなった。

まず、ミトコンドリアを蛍光タンパク質で可視化したシロイヌナズナ形質転換体の葉を用いて、ミトコンドリアの細胞内での速度を測定した。細胞内ではブラウン運動しているものから5.21μm/sの速さで移動するミトコンドリアまでが観察され、平均速度は1.44μm/s (S.D.±0.89)であった。次にミトコンドリアを可視化した植物体に薬剤を処理し、動きや細胞内分布の変化を観察した。この結果、アクチン繊維の重合阻害剤であるLatrunculin B(Lat-B)を処理した場合、ミトコンドリアの動きが阻害された。一方、微小管の重合阻害剤であるPropyzamideを処理した場合、ミトコンドリアの動きは阻害されなかった。

生きた細胞内でのミトコンドリアの動態と細胞骨格の配置を詳細に観察するために、赤色蛍光タンパク質(RFP)でミトコンドリア、緑色蛍光タンパク質(GFP)で細胞骨格を同時に可視化したシロイヌナズナ形質転換体を作製した。その結果、ミトコンドリアはアクチン繊維に沿って動くように観察されることが多く、ミトコンドリアの軌跡と微小管の配向は一致しないことが多かった。また、タバコ培養細胞BY-2を材料として細胞骨格をGFP、ミトコンドリアをMitoTracker染色により同時に可視化したところシロイヌナズナの緑葉の場合と同様の結果が得られた。以上より、シロイヌナズナやタバコ培養細胞において、ミトコンドリアの素早い動きはレールのようにアクチン繊維を利用する方法で行われていることが明らかとなった。

2.ミトコンドリアのパーシャルRNAエディティングに関わるpentatricopeptide repeat (PPR) タンパク質の解析

ミトコンドリアでのタンパク質発現は、ミトコンドリア、核の両方にコードされるタンパク質によって制御される。ミトコンドリアのリボソームタンパク質はシロイヌナズナでは7つがミトコンドリアゲノムにコードされており、それらは多くの転写後修飾が施されている。また、ミトコンドリアにコードされていないリボソームタンパク質遺伝子は核にコードされている。そこで申請者は、ミトコンドリアゲノムコードのリボソームタンパク質遺伝子の転写後修飾に関与するタンパク質が存在するとすれば、これらの遺伝子は核コードのミトコンドリアリボソームタンパク質遺伝子と共発現する可能性が高いであろうと予想し、そのような遺伝子を探索した。

共発現解析から、核コードのミトコンドリアリボソームタンパク質遺伝子の共発現遺伝子の中に、複数のPPRタンパク質をコードする遺伝子が含まれていることが分かった。その中の1つは、タンパク質のN末端側に約70アミノ酸のミトコンドリア移行シグナルが存在することが予想された。この配列に緑色蛍光タンパク質を融合させたタンパク質がミトコンドリアに局在したことから、このPPRタンパク質はミトコンドリアに移行して機能することが示唆された。この遺伝子のT-DNA挿入突然変異体を用いてミトコンドリアゲノムにあるリボソームタンパク質遺伝子のRNA エディティングの状態を調べたところ、rps3遺伝子の1344番目のシトシン(rps3-1344)において、変異体では野生型に比べて顕著にエディティング効率が上昇していた。また、rps3-603、rps3-1534、pseudo-rps14-99、pseudo-rps14-194でも若干のエディティング効率の上昇が見られた。野生型遺伝子のゲノム断片を挿入した相補形質転換体では、当該サイトのエディティング効率は野生型と同程度に回復していた。これより、この遺伝子産物はサイト特異的なエディティングの維持、形成に阻害的に関わっていることが示唆された。そこでこの遺伝子をmitochondrial partial editing related protein 1 (MPERP1)と名付けた。なおスプライシングに関しては変異体で顕著な違いは見られなかったことから、MEPRP1はスプライシングイベントには関与していないことが示唆された。シロイヌナズナゲノム中でMPERP1遺伝子と相同性の高い遺伝子をMPERP2遺伝子と名付け、そのT-DNA挿入変異体を用いてRNAエディティングの解析を行った。その結果、mperp2変異体でもmperp1変異体と同様にrps3-603、rps3-1344のエディティング効率が上昇していた。さらに、mperp1/mperp2二重変異体では、rps3-603、rps3-1344のエディティング効率が単独変異体に比べてさらに上昇していたため、MPEPR1とMPEPR2はある程度の機能的冗長性を持ってこれらのサイトのRNAエディティングを抑制していることが示唆された。

以上本論文では,高等植物における細胞内でのミトコンドリアの移動とPPRタンパク質によるエディティングについての新たな知見が得られた.これらの知見は,核によるミトコンドリアの制御機構について新たな視点を与えるものであり,学術上きわめて価値あるものである.したがって,審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた.

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