学位論文要旨



No 125798
著者(漢字) 石本,容子
著者(英字)
著者(カナ) イシモト,ヨウコ
標題(和) 複合培養系を用いた腸管上皮細胞とマクロファージ様細胞の相互作用の解析
標題(洋)
報告番号 125798
報告番号 甲25798
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3498号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 准教授 八村,敏志
 東京大学 特任准教授 中井,雄治
 東京大学 准教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

小腸は栄養素の吸収器官としての働き以外に異物に対する防御機構を備えている。その1つが腸管免疫系であり、小腸上皮細胞とその直下の粘膜固有層等に存在する免疫細胞から構成されている。小腸上皮細胞と免疫細胞は液性因子などを介して互いに制御しあっており、その破綻が腸管の炎症の一因であることが知られている。例えば、近年患者数が増大しているクローン病や潰瘍性大腸炎などの炎症性腸疾患(Inflammatory Bowel Disease:IBD)は小腸や大腸に潰瘍ができる治療困難な腸疾患であり、腸管免疫系を制御するサイトカインの産生異常に起因する。特にクローン病では異常充進したマクロファージが産生する炎症性サイトカインであるTNF-αにより腸管上皮細胞が傷害を受けることが明らかにされており、臨床では抗TNF-α抗体が症状緩和に効果をあげている。しかしながらその副作用には十分な注意が必要であり、より安全な治療法が期待されている。本研究では、腸炎症発症の分子メカニズムに関するさらなる情報取得をめざして、小腸上皮様細胞と小腸の炎症時に活性化されていることが知られているマクロファージ様細胞からなる複合培養系を構築した。この複合培養系を、サイトカインの異常産生により引き起こされる腸炎症のin vitroモデル系として用い、2種の細胞間相互作用時に起きる現象の詳細な解明をおこなった。

第1章複合培養時のCaco-2細胞における傷害誘導の機構解析

腸管上皮細胞およびマクロファージ様細胞のモデルとして、それぞれヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2細胞およびヒト急性単球性白血病由来細胞株THP・1細胞を用いた。Transwellの透過性膜上にCaco-2細胞を単層培養して小腸上皮様に分化させ、そのbasal側にPMA処理によりマクロファージ様に分化させたTHP-1細胞を配置することで複合培養開始とした(図1)。今までに、複合培養することでCaco・2細胞層が傷害を受けること、その傷害にTHP-1細胞の産生するTNF・αが関与していることが、経上皮電気抵抗測定や細胞傷害試験であるLDH放出量測定により分かってきている。これらの現象は炎症時の小腸の状態と以ておりCaco-2細胞とTHP-1細胞からなる複合培養系を小腸炎症状態のモデルとみなして以下進めていくことにした。

第1節複合培養時にCaco-2細胞が示す傷害の性質にわる検討

複合培養によりCaco-2細胞が受ける傷害が細胞膜損傷を伴う細胞死に起因することが、LDH細胞傷害試験の結果から考えられた。そこでCaco-2細胞の形態変化の観察やカスパーゼ活性の測定をおこなうことで、Caco-2細胞層の受ける傷害がどのようなものであるか詳しく調べた。Hoechst染色を用いた顕微鏡観察より、複合培養する時間が長くなるにつれて透過膜上に接着している細胞の密度が低くなり、膨らんだ細胞の数が増えるなど、ネクローシス様の形態が観察される一方で、24時間以上複合培養したCaco-2細胞で典型的なアポトーシス像が観察された。同時にアポトーシス時に誘導されることが知られているカスパーゼ3の活性化も見られ、複合培養によるCaco・2細胞の傷害にアポトーシスとネクローシスの両方が混在しているという興味深い知見が得られた。また、アポトーシス時のミトコンドリア膜の透過性を制御するBcl-2ファミリータンパク質の発現量を調べたところ、Bcl-2の発現量低下が観察され、複合培養したCaco-2細胞の傷害にミトコンドリアからのアポトーシス誘導タンパク質の漏出が関与している可能性が示された。

第2節複合培養時にCaco-2細胞が示す傷害に関わるシグナル伝達経路の解析

TNF-αの結合しうる受容体にはTNFRI及びTNFRIIの2種類がある。また、MAPキナーゼカスケード及びNF-KBはTNF-α刺激により活性化されることが一般的に知られている。そこでTHP-1細胞と複合培養することでCaco-2細胞が受ける傷害がどのようなシグナル伝達経路を介しているか調べるために、各種阻害剤や中和抗体をそれぞれ培地に添加して複合培養をおこなった。その結果、THP-1細胞の産生するTNF-αはCaco-2細胞膜上のTNFRIを介してそのシグナルを伝達すること、Caco-2細胞の受ける傷害にNF-KB経路が関与することが示唆された。NF-KBの活性化はTNF-αなどのサイトカインや外来の菌体成分刺激に加え、ROSの生成によっても誘導されるという報告が数多くされている。そこでROSの除去において主要な働きを担う抗酸化物質グルタチオン(γ-L-glutamyl-L-cysteinyl-glycine:GSH)量を測定したところ、複合培養48時間後の細胞内GSH量は未処理時の半量程度まで減少しており、複合培養によりCaco-2細胞内でROSが生成している可能性も示された。

第3節Caco-2細胞との複合培養によりTHP-1細胞が受ける影

Caco-2細胞と複合培養したときにTHP-1細胞が受ける影響について調べるべく、単独で培養したTHP-1細胞および複合培養後のTHP-1細胞について、形態の観察およびLDH放出量・タンパク質量の測定をおこなった。その結果、複合培養群のTHP・1細胞において紡錘状の形態が破壊した様子や細胞密度の低下が観察された。さらに顕著なLDH放出量の上昇とタンパク質量の減少がみられ、複合培養することでTHP-1細胞は傷害を受けることが考えられた。またTHP-1細胞が分泌するTNF-α量を測定したところ、複合培養したTHP-1細胞のTNF-α分泌量が減少し、この減少がTNF-αmRNA発現量の減少に起因する可能性が示された。

第2章複合培養時のCaco-2細胞における遺伝子発現プロファイルの網羅的解析

複合培養時のCaco-2細胞層における遺伝子発現パターン変化を網羅的に解析すべく、THP-1細胞と0、1、3、6、24、48時間複合培養したCaco-2細胞についてDNAマイクロアレイをおこなった。複合培養初期、特に1時間後に発現量が変動する遺伝子を抽出するために、maSigProという時系列解析用にデザインされたRのパッケージを用いた。発現量の経時変化が2次関数で表現できるプローブセットを抽出したところ、複合培養初期に発現量が上昇する遺伝子群の中ではImmediate earlyresponse gene(IEX-1)が、低下する遺伝子群の中ではannexin a2 pseudogene 2が最もp-valueが小さい、すなわち発現量変動が大きい遺伝子として選抜された。次にIEX-1ならびにannexin a2pseudogene 2をテンプレートにしてパターンマッチングをおこない、相関係数の高い順に並び替えた。並び替えたプローブセットについてそれぞれ上位5%までを選抜しクラスタリングをおこなった結果、複合培養初期に発現量が上昇する遺伝子群には、免疫やアポトーシス、プロテインキナーゼカスケードに関わる遺伝子が、発現量が低下する遺伝子群には酸化的リン酸化や転写、翻訳、細胞周期に関わる遺伝子が多く含まれていることが分かった。ここから、複合培養したCaco-2細胞が炎症状態にあるということ、また初期防御反応と細胞死へと向かう動きが同時に起こり、結果的に死んでいくという示唆が得られた。

第3章IEX-1による複合培養時のCaoo-2細胞の傷害抑制機構の解析

発現量が上昇した遺伝子の中から最も発現量変動が大きいIEX-1に注目し、複合培養時のCaco-2細胞でみられる現象にどのように関与しているか調べることにした。まずIEX-1が腸管において発現しているか調べるために、C57BL/6マウスの小腸粘膜組織からRNAを抽出し、このRNAから作製したcDNAをテンプレートにRT-PCRをおこなった。その結果、IEX-1が正常な腸管粘膜に発現していることが分かった。

IEX-1は細胞周期の促進、増殖、アポトーシスの調節などに関与している初期応答遺伝子で、炎症性サイトカインにより転写が誘導されることが知られている。そこで複合培養開始時に抗TNF-αモノクローナル抗体を添加したところ、複合培養時に増加するIEX-1mRNA発現量が抑制され、THP-1細胞の産生するTNF-αがCaco-2細胞におけるIEX-1mRNAの発現を誘導していることが示された。

次に、IEX-1が複合培養時に生じるCaco-2細胞の傷害に実際に関与しているかを調べるために、IEX-1を安定的に過剰発現させた細胞株を作製した。この細胞を用いてTHP-1細胞と複合培養したところ、過剰発現株においてLDH放出量の減少がみられ、複合培養時のCaco-2細胞においてIEX-1は傷害を抑制する方向に働く可能性が示された。

総括

本研究により、活性化マクロファージにより傷害がひきおこされた腸管上皮細胞は死に向かうことが示された。またこのとき腸管上皮細胞は傷害を受けるだけでなく、マクロファージ側に作用してその傷害をも引き起こすことが分かった。このような一種の自己防御反応があるにも関わらずそれを上回る刺激に対して腸管上皮細胞が死んでいくという現象は、炎症時の腸管の一側面を表しており、絶え間ない刺激に曝された時に腸管上皮細胞で引き起こされる現象について分子レベルでの情報を得るのに、本系が有用であると思われる。炎症時の反応を腸管に存在する細胞間のやり取りの面から解析した研究はあまりない。本研究により得られた腸炎症に関わる傷害の性質やシグナル伝達経路、傷害発生時の遺伝子発現パターンなどの新たな知見を活かすことで、腸炎症の治療や予防につながることが期待できる。

Satsu, H., Ishimoto,Y., Nakano T., Mochizuki T., Iwanaga T., Shimizu M. Induction by activated macrophage-like THP-1 cells of apoptotic and necrotic cell death in intestinal epithelial Caco-2 monolayersvia tumor necrosis factor-alpha. Exp Cell Res. (2006) Vol.312 No.19 pp.3909-3919Ishimoto, Y., Nakai, Y., Satsu, H., Totsuka, M., Shimizu, M., Transient Up-regulation of Immunity- and Apoptosis-related Genes in Caco-2 Cells Cocultured with THP-1 Cells Evaluated by DNA Microarray Analysis.Biosci Biotechnol Biochem. in press

図1.小腸上皮様細胞とマクロファージ様細胞の複合培養系を用いた腸炎症in vitroモデル系

審査要旨 要旨を表示する

腸管上皮細胞は食品の消化吸収をおこなうほか、異物に対する防御機構を備えている。中でも、その上皮直下の粘膜固有屑に存在する免疫細胞とは液性因子などを介して互いに制御しあっており、その破綻が、近年増加している炎症性腸疾患などの腸炎症の一因であることが知られている。本研究は、サイトカインの異常産生により引き起こされる腸炎症のin vitroモデル系として構築された腸管上皮細胞とマクロファージ細胞の複合培養系を用い、腸炎症発症時に起こる細胞間の相互作用に関する分子レベルでの解析を試みたもので、序論および3章からなる。

研究の背景と目的が述べられている序章に続き、第1竜では、透過性膜上にヒト結腸癌由来Caco-2細胞を単屑培養して小腸上皮様に分化させ、その基底膜側にPMA処理によりマクロファージ様に分化させたヒト急性単球性白血病由来THP-1細胞を配置した複合培養系ではCaco-2細胞が傷害を受けること、その傷害にTHP-1細胞の産生するTNF-Ctなどの液性因子が関与していることが述べられている。第1牽第1節では、顕微鏡を用いた形態観察やカスパーゼ3の活性測定、Bc1-2ファミリータンパク質の発現鏑変化の結果から、複合培養したCaco-2細胞で誘導される傷害にアポトーシスとネクローシスの両方が関与していることが示された。また第2節では、各種中和抗体や阻害剤を用いた実験から、THP-1細胞の産生するTNF一αがCaco-2細胞膜上のTNFR1を介してそのシグナルを伝達すること、この傷害にNF-KBが関与していることが示された。さらに、細胞内の抗酸化物質グルタチオン量が減少していることから、複合培獲によってCaco-2細胞内に活性酸素種が増加している可能性も示唆された。第3節では、Caco-2細胞と複合培旋することでTHP・1細胞も傷害を受けること、このときTNF-α産生量も同時に低下していることが示唆され、両細胞は一方向ではなく、双方向に影響を与え合っていることが示された。

第2章では、複合培獲によってCaco-2細胞中に起こる遺伝子発現パターン変化を網羅的に解析すべく、THP-1細胞と0、1、3、6、24、48時間複合培養したCaco-2細胞についてDNAマイクロアレイ解析をおこなっている。複合培義初期、特に培義1時間以降に発現量が変動する遺伝子を抽出するために、maSigProという時系列解析用にデザインされたRのパッケージを用い、発現量の経時変化が2次曲線で近似できるプローブセットを抽出したところ、複合培養初期時に発現量が上昇する遺伝子群には免疫やアポトーシス、プロテインキナーゼカスケードに関わる遺伝子が、発現硅が低下する遺伝子群には酸化的リン酸化や転写、翻訳、細胞周期に関わる遺伝子が多く含まれていることが示され、複合培養したCaco-2細胞が炎症状態にあるということ、また初期防御反応と細胞死へと向かう動きが同時に起こるものの、結果的には細胞傷害が進行して行くという動的な変化が観察された。

第3章では、複合培義初期に発現臆が上昇した遺伝子の中で最も発現最変動が大きいimmediate early response gene(IEX-1)に注目し、複合培養時のCaco-2細胞でみられる現象にこの分子がどのように関与しているか検討している。まず、複合培養開始時にTNF-αのモノクローナル抗体を添加し、IEX-1のmRNA発現に与える影響を調べたところ、IEX-1の発現にTNF-α刺激が関与していることが示された。またIEX-1の過剰発現させたCaco-2細胞あるいはノックダウンCaco-2細胞をTHP-1細胞と複合培養し、細胞傷害の指標であるLDH放出量、カスパーゼ3活性、TNFRImRNA発現量を測定したところ、IEX-1がカスパーゼ3活性の抑制やTNFR1の発現の低下に寄与することで、複合培獲時にCaco-2細胞で誘導される傷害を抑制する方向に働いている可能性が示唆された。

総合討論では本研究の意義や課題についての考察がなされており、本複合培養系が、免疫細胞からの絶え間ない刺激に曝された時に腸管上皮細胞で引き起こされる傷害の分子メカニズムに関する新しい知見をもたらしたことが述べられている。

腸の炎症性疾患は近年増加しており、その予防や治療のための情報が求められている。本研究は、ヒトマクロファージ様細胞とヒト腸管上皮細胞の複合培養系を用いて、腸の炎症性疾患の原因の一つと考えられる免疫細胞の活性化が引き起こす上皮細胞傷害を新しい視点から詳細に解析したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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