学位論文要旨



No 125805
著者(漢字) 松倉,智子
著者(英字)
著者(カナ) マツクラ,サトコ
標題(和) イネの環境ストレス応答に関与するDREB2型転写因子の網羅的解析
標題(洋)
報告番号 125805
報告番号 甲25805
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3505号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学 准教授 柳澤,修一
 東京大学 講師 刑部,祐里子
内容要旨 要旨を表示する

序論

植物は移動の自由を持たないので、生育環境の影響を絶えず受けている。環境ストレスの中でも温度、乾燥、高塩濃度などの非生物学的ストレスは、植物の生存を左右する大きなダメージを与える。植物はこれに対して組織レベル、細胞レベルなど様々な段階での応答機構を持っており、それらは遺伝子発現の変化を伴う。DREBはストレス応答性の転写因子の1つであり、ストレス応答性シス因子であるDRE/CRT配列に特異的に結合することで多くの下流遺伝子の発現を制御し、結果として植物はストレス耐性を獲得する。モデル植物であるシロイヌナズナのゲノム中にはDREB2型の遺伝子が9種類存在し、その中で、DREB2Aが乾燥・高温ストレスに強く応答する。DREB2Aタンパク質は負の制御領域を欠損させることで転写因子としての活性を強く持つようになり、この活性型DREB2Aを過剰発現させたシロイヌナズナは乾燥や高温ストレスに対して高い耐性を示すことが報告されている。

近年の温暖化等による世界規模の環境劣化や開発途上地域での人口増加などによって不良環境においても生育可能な作物の開発は重要な課題となっており、作物においてストレス耐性獲得機構を解明することはこれらの課題解決に大きく貢献すると考えられる。多くの穀物がイネ科に属しているが、その中でイネは単子葉植物のモデル植物であり、ゲノム情報のデータベースや形質転換作物の作出方法が確立されているという利点があるために遺伝子のより詳細な解析が可能である。そこで本研究では、イネのDREB2型の転写因子をコードする遺伝子群を網羅的に解析し、その中で植物のストレス耐性獲得に強く関与する遺伝子を選出し、その機能解析を行うことを目的とした。

1.イネのDREB2型遺伝子(OsDREB2s)の網羅的解析

まず、イネがゲノム上に持っているDREB2型遺伝子をすべて単離した。シロイヌナズナの9種類のDREB2のアミノ酸配列データを用い、イネゲノム配列のデータベース上で相同性の高いタンパク質をコードする遺伝子を探索した。その結果、相同タンパク質は、6遺伝子座(OsDREB2A/B/C/D/E,OsABI4)にコードされていることが示された。DREB2型遺伝子は、コードするタンパク質の構造から4つの小グループ(サブタイプ)に分けられるが、アミノ酸配列の比較解析の結果、これらの4サブタイプにOsDREB2D以外の5遺伝子が分散して存在していることが明らかになった。系統的に離れた植物であるシロイヌナズナとイネが共に4サブタイプに属する遺伝子を持っていることから、これらの4サブタイプはそれぞれ異なる役割を担っていると考えられる。

シロイヌナズナのDREB2Aはストレス応答性遺伝子であるため、ストレス条件下におけるOsDREB2sのmRNA蓄積量の変化を定量RT-PCR法によって調べたところ、OsDREB2AのmRNAは非ストレス条件下で蓄積量が多く、乾燥・高温・高塩のストレス処理によって蓄積量が少し増加した。OsDREB2BのmRNAは非ストレス条件下での蓄積量はわずかであったが、乾燥・高温・低温・高塩の各ストレス処理によって蓄積量が増加しており、ストレス処理前と比較した蓄積量の増加率が最も大きかった。他のOsDREB2sは非ストレス条件下でのmRNA蓄積量が少なく、顕著なストレス応答性も示さなかった。

次に各OsDREB2の転写因子としての機能を調べるために、イネ由来のプロトプラストを用いた一過的発現系で細胞内局在と転写活性化能を調べた。GFPと各OsDREB2の融合タンパク質をプロトプラスト内で発現させたところ、GFP-OsDREB2E以外の融合タンパク質は核に特異的に局在していることが観察された。転写活性化能は、酵母GAL4のDNA結合領域とシス配列を利用する系を用いて解析した。その結果、OsDREB2Bが他と比較して特に高い転写活性化能を示した。また、シロイヌナズナのプロトプラストを用いた一過的発現系でDRE-GUSレポーター遺伝子に対するOsDREB2Bの転写活性化能を調べた結果、OsDREB2BがDRE配列に依存した下流遺伝子の発現を活性化できることが示唆された。以上の結果から、イネにおけるストレスに応答した遺伝子発現を制御するOsDREB2型転写因子としてOsDREB2Bが重要な役割を担っている可能性が高いと考え、以下で更に解析を行った。

2.OsDREB2Bの機能解析

2-1.選択的スプライシングによるOsDREB2Bの発現制御

OsDREB2Bは長さの異なる2種類の転写産物を持つ(OsDREB2B1、OsDREB2B2)。OsDREB2B2は上記1.で示したOsDREB2Bと一致しており、転写因子としての活性を持つタンパク質をコードしていた。一方OsDREB2B1は、OsDREB2B2でイントロンとなっている部分のうち53塩基がエキソン化しており、その結果起きるフレームシフトにより短いペプチドをコードしていると考えられた。OsDREB2B1のmRNAは、非ストレス条件下での蓄積量がOsDREB2B2と比較して多いが、ストレス応答性はあまり高くなかった。また、OsDREB2B1は核に局在せず、転写活性化能も持たないことが示された。OsDREB2Bのオルソログは他のイネ科植物からも単離されているが、そのいくつかはOsDREB2Bと同様に53塩基からなるエキソンを持つものも含めて複数の転写産物を持つことが報告されている。OsDREB2Bオルソログの発現制御システムがイネ科の植物間で類似していることから、このような選択的スプライシング機構を持つことが、ストレス応答にとって有利である可能性が考えられた。

OsDREB2B1の植物体における役割を考察するために、OsDREB2B1がOsDREB2B2の前駆体として蓄積している可能性を検証した。GFPとOsDREB2Blの融合遺伝子を恒常的に過剰発現させた形質転換イネを作出し、高温ストレス処理を行った。その結果、内在性のOsDREB2B2のmRNA蓄積量は増加したが、GFPとOsDREB2B2が融合した転写産物は検出されなかった。このことから、OsDREB2B2はストレス時にOsDREB2B1から53塩基のエキソンが抜かれて生じるものではなく、OsDREB2Bpre-mRNAから直接スプライシングされることで生じると考えられた。

2-2.植物体におけるOsDREB2Bの機能

シロイヌナズナのプロトプラストを用いた一過的発現系の実験から、OsDREB2BはDREB2Aと異なり全長配列でも高い転写活性化能を示した。そこでOsDREB2Bがシロイヌナズナの活性型DREB2Aと同等な機能を持つかどうか調べるため、OsDREB2BをCaMV35Sプロモーターの制御下で恒常的に過剰発現させた形質転換シロイヌナズナを作出した。これらの形質転換植物は、活性型DREB2Aを過剰発現させた植物と同様に、生育の遅れなどの性質を示し、DREB2A標的遺伝子の発現量が非ストレス条件下でも増加していた。また、対照区の植物体と比較して高い乾燥・高温耐性を示した。一方、OsDREB2Bを浸透圧ストレス誘導性のRD29Aプロモーターの制御下で発現させた形質転換シロイヌナズナも同様に作出したところ、これらの植物体は対照区の植物体と比較して生育に差はなかったが、乾燥ストレス耐性は向上していた。

以上の結果より、OsDREB2Bがシロイヌナズナ中において活性型DREB2Aと同様の機能を持ちうることが示された。しかし、OsDREB2Bの形質転換イネを作出し解析をおこなったところ、それらの植物体は形質転換シロイヌナズナのような顕著な形態変化を示さず、これまでのところ明確なストレス耐性の変化も見られていない。そのため、イネにおいてはシロイヌナズナ中とは異なり、OsDREB2Bが十分に活性を持つための特異的制御機構が存在する可能性が示唆された。

3.総括

本研究によって、イネのDREB2型の転写因子をコードする遺伝子群(OsDREB2)の全体像が明らかとなり、ストレス条件下での発現解析や形質転換シロイヌナズナを用いた解析から、OsDREB2Bがイネのストレス耐性獲得にとって重要な遺伝子であることが示唆された。またOsDREB2Bの制御にはストレス誘導性の選択的スプライシングが重要な役割を果たしていると考えられた。さらに、形質転換イネの解析結果から、OsDREB2Bが他にも翻訳後修飾などの制御を受けている可能性が示唆された。これらの制御機構を解明してイネのストレス耐性獲得機構を明らかにすることは、ストレス時のシグナル伝達について理解するために重要であるばかりでなく、環境ストレスに対して高い耐性を持つ作物の分子育種にも役立つと考えられる。

Matsukura S, Mizoi J, Yoshida T, Todaka D, Ito Y, Maruyama K, Shinozaki K, Yamaguchi-Shinozaki K.: Comprehensive analysis of rice DREB2-type genes that encode transcription factors involved in the expression of abiotic stress-responsive genes. Mol Genet Genomics, in press.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は第1章で、研究の背景および目的について述べた。DREBは植物の温度、乾燥、高塩濃度などのストレス応答性の転写因子であり、下流遺伝子のプロモーター領域に存在するDRE/CRT配列に特異的に結合することでそれらの発現を制御し、植物のストレス耐性獲得に寄与する。シロイヌナズナにおいてはDREB2Aが乾燥・高温ストレス耐性獲得に関与することが報告されている。近年の環境悪化等を理由としてストレス耐性作物の開発は大きな課題となっており、そのために作物のストレス耐性獲得機構の解明が重要であると考えられる。そこで本研究では重要な作物であり単子葉植物のモデル植物でもあるイネにおいてDREB2型の遺伝子群を網羅的に解析した。

第2章ではイネのDREB2型遺伝子の同定および比較解析の結果を示した。イネゲノム配列のデータベース上でシロイヌナズナのDREB2と配列の相同性の高い遺伝子を探索した。分子系統解析の結果、OsDREB2A/B/C/E,OsABI4の5遺伝子をOsDREB2遺伝子と定義した。ストレス条件下における各OsDREB2のmRNA蓄積量の変化を定量RT-PCR法によって調べたところ、OsDREB2AおよびOsDREB2Bはストレス条件下におけるmRNA蓄積量が多くなっていた。他のOsDREB2は非ストレス条件下でのmRNA蓄積量が少なく、顕著なストレス応答性も示さなかった。

次に、イネ由来のプロトプラストを用いた一過的発現系で細胞内局在と転写活性化能を調べた。その結果、OsDREB2E以外は核に特異的に局在していることが示唆された。また転写活性化能は、酵母GAL4タンパク質のDNA結合領域と結合配列を利用する系を用いた実験においてOsDREB2Bが他のOsDREB2と比較して特に高い転写活性化能を示した。以上の結果から、イネにおけるストレスに応答した遺伝子発現制御にOsDREB2Bが重要な役割を担っていると考えられた。

第3章ではOsDRB2Bに着目し、そのスプライシング制御と植物体での機能についての解析結果を示した。OsDREB2Bは2種類の転写産物を持ち、OsDREB2B2が、転写因子としての活性を持つタンパク質をコードしていた。OsDREB2B1は、フレームシフトにより転写因子をコードできないと考えられた。OsDREB2BIのmRNAは、非ストレス条件下での蓄積量がOsDREB2B2と比較して多いが、ストレス応答性はあまり高くなかった。通常条件下ではOsDREB2別を主に産生することで植物の生育にはほぼ影響を与えずに転写システムを活性化させておき、ストレス時にはスプライシングでOsDREB2B2を多く産生することでイネがより早くストレスに対処できるのではないかと考えられた。

一過的発現系の実験から、OsDREB2B2がDRE配列に依存した下流遺伝子の発現を活性化できること、全長配列で高い転写活性化能を持つことが示された。そこでOsDREB2B2を過剰発現させた形質転換シロイヌナズナを作出したところ、これらの植物はシロイヌナズナの活性型DREB2Aを過剰発現させた植物と同様に生育の遅れなどの性質を示し、DREB2A標的遺伝子の発現量が非ストレス条件下でも増加していた。また、対照区の植物体と比較して高い乾燥・高温耐性を示した。OsDRB2B2をストレス誘導性プロモーターの制御下で発現させた形質転換シロイヌナズナは対照区の植物体と比較して生育に差はなかったが、乾燥ストレス耐性は向上していた。

以上の結果より、OsDREB2B2がシロイヌナズナ中において活性型DREB2Aと同様の機能を持ちうることが示された。しかし、OsDREB2B2の形質転換イネは形質転換シロイヌナズナのような顕著な形態変化を示さず、これまでのところ明確なストレス耐性の変化も見られていない。そのため、イネにおいてはOsDREB2B2が十分に活性を持つための特異的制御機構が存在する可能性が示唆された。

第4章では総合考察と今後の展望について述べた。本研究によって、イネのDREB2型遺伝子群の全体像が明らかとなり、OsDREB2Bがイネのストレス耐性獲得にとって重要な遺伝子であることが示唆された。今後OsDREB2Bを介したイネのストレス耐性獲得機構を明らかにすることで、環境ストレス耐性を持つ作物の分子育種に利用できると考えられる。

以上、本論文はイネの乾燥耐性の獲得機構で重要な機能を持つDREB2型転写因子の機能を明らかにするとともに、環境ストレス耐性を持つ作物の分子育種へ利用できることを示唆したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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