学位論文要旨



No 125807
著者(漢字) 岸本,高充
著者(英字)
著者(カナ) キシモト,タカミツ
標題(和) イネのエンドファイトとして単離した窒素固定能を有する複合細菌系の解析
標題(洋)
報告番号 125807
報告番号 甲25807
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3507号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 准教授 石井,正治
 東京大学 准教授 日高,真誠
内容要旨 要旨を表示する

20世紀初頭にハーバー・ボッシュ法が開発された以後、農業は化学窒素肥料に依存する体質となっている。たとえば、日本の稲作ではヘクタール当り50kg-Nの化学窒素肥料が投入されている。しかし、大量の化学窒素肥料の投入は農地から流出した窒素による環境汚染をまねいており、しかもハーバー・ボッシュ法は大量の化石燃料を消費するプロセスである。

上記の問題点への対応策として、当研究室では、化学窒素肥料の使用量を抑制しつつ現在の収量を維持する方法として、イネと共存する窒素固定細菌を生物窒素肥料として活用する研究を行っている。ただし、イネと生物窒素固定との関係には、KlebsiellaやAzotobacterによる根圏や根表面での窒素固定、Azospirillumによる根の細胞間隙での窒素固定、Herbaspirillumによる地上部組織内での窒素固定など、多様な様式があることが知られている。そこで、本研究では、エンドファイト窒素固定細菌に着目した。この生物窒素固定には、固定された窒素の植物外への拡散が無いこと、また、窒素固定細菌と競争関係にある細菌が根圏よりは少ないため窒素固定細菌は植物からのエネルギー源供給を優先的に受けられることなどの利点が考えられる。

既知のエンドファイト窒素固定細菌であるAzospirillumとHerbaspirillumには、窒素能性をひろげることを目指した。

1.イネ体内からの好気性窒素固定細菌の分離

農環研の對馬らにより、コシヒカリ体内より分離される好気性細菌としてはMicrobacteriumとSphingomonasが優占することが報告されていた。また、当研究室では、イネ根圏から分離されたSphingomonas azotifigens Y39(Sphingomonas paucimobilis Y39を2005年に東大分生研の横田らが新種として再分類)が窒素固定能を有することを確認していた。そこで、コシヒカリよりSphingomonasを分離し、その中から窒素固定能を有するものをスクリーニングすることとした。

最初のスクリーニングとして、登熟期のコシヒカリの止葉を表面殺菌後摩砕し、その摩砕液をNY(肉エキス培地)プレートに塗布して培養した。Sphingomonasのスフィンゴリピッドの色である黄色のコロニーを234個釣菌し、細菌同定検査キット(API 20 NE)での解析や16S rDNAの解析を行った。その大部分はPantoeaと考えられた。Microbacteriumと考えられた2株に関して詳細に解析したところ、イネへの感染性は確認できたが、アセチレン還元能(ARA)は確認できなかった。

そこで新たなスクリーニングを行った。登熟期のコシヒカリの止葉の葉身と葉鞘を細分化し、表面殺菌後摩砕した。その摩砕液を4種の炭素源を含む無窒素培地である改変Rennie培地(MRM)プレートに塗布して培養した。現れた全てのコロニーを釣菌し1505株を取得した。それらのARAを高層軟寒天培地法(気相は、空気85%、アセチレン15%)で測定したところ、再現性をもってARAを示したのは1株(F-I-50)のみであり、その生育は培地表面でのみ起きた。16S rDNA解析を行ったところ、SphingomonasとRalstoniaという2種の配列が得られた。F-I-50株はこれらの細菌の複合系なのだろうか。もしそうだとして、Ralstoniaにも窒素固定遺伝子(nifH)の存在の報告があるので、どちらの細菌が窒素固定能を担っているのだろうか。以後、この解析を行った。

2.F-I-50の解析

F-I-50をあらためてNYプレートでシングルコロニー化した。当初は生じるコロニーに違いが認められずF-I-50は単一の細菌なのではないかと考えられたが、試行を繰り返すうちに形状の異なるコロニーが生じるようになり、最終的に安定して分離できる細菌はMicrobacterium、Sphingomonas、Variovoraxであった。F-I-50の保存株は、当初取得したものを何回か継代しているので、その間に構成する細菌の種類、存在比などが変わってしまった可能性が考えられる。しかし、上記3種の細菌が分離できる段階のF-I-50でもARAが維持されていたので、窒素固定能を担う細菌には変化がないものと判断して、その細菌の特定を試みた。

上記3種の細菌に対してPCRとサザンハイブリダイゼーションによりnifH遺伝子の有無を解析したところ、Microbacteriumにその存在が示唆され、SphingomonasとVariovoraxには示唆されなかった。しかしMicrobacteriumを単独で培養した場合にはARAが確認できず、また残りの2種の細菌と混合培養(共培養)してもARAは確認できなかった。

そこで、まだ分離できていない好気性窒素固定細菌がF-I-50に存在するのではと考え、NYプレート、MRMプレート、あるいは炭素源改変MRMプレート、アンピシリン含有NYプレートで分離を行った。その結果Bacillusが見つかったが、それ以外はすべて既出の細菌であった。ところが、このBacillusも単独培養ならびに共培養ともにARAを示さなかった。

以上のように、分離した細菌を共培養してもI-F-50の窒素固定能を再現することができなかった。そこで、F-I-50のARAそのものをあらためて確認した。この複合系のARAは高層軟寒天培地法でのみ発揮され、培地表面の2~3mm下に菌体の層が見える。なお、液体振盪培養ではARA発揮されないが、菌体の増殖そのものは濁度として確認できる。また、高層軟寒天培地法でも気層をアルゴンに置換して嫌気条件にするとARAはなくなり、菌体の増殖もなくなってしまう。以上のことから、F-I-50が窒素固定活性を発揮するには、複合系中に存在する嫌気性細菌からの作用が必要なのではないのかと考えた。つまり、液体振盪培養(強い好気条件)では嫌気性細菌が増殖できないため、Microbacterium属細菌に対する作用が無くなりARAを発揮できず、嫌気条件ではMicrobacteriumの生育が阻害され、やはりARAが観察できない、という現象なのではないかと考えた。

そこで、上記の嫌気性細菌を探る目的で、まずはF-I-50のARAを最も強く発揮する状態のものを取得することとした。F-I-50を高層軟寒天培地法により複数連で培養し、そのARAを計測する。ARAが最高値を示したものを、さらに新しい数十本の培地に植菌し、同様の操作を行う。これを二度繰り返し、安定的に高いARAを示す複合系(F-I-50S)を確保した。念のためにF-I-50Sを構成する好気性細菌をプレーティング法や限界希釈法により確認したところ、既出の細菌しか存在しなかった。そこで、このF-I-50SをNYプレートに塗布し嫌気条件で培養して嫌気性細菌の分離を行った。その結果、Anaerosporaを得ることができた。Anaerospora属は、新種のAnaerospora hongkongensisのみを含むClostridiales、Veillonellaceaeの属として2005年に提唱されたものである。

3.複合細菌系の再構築

獲得したAnaerosporaをMicrobacteriumと共培養したところ、上記の予想どおりARAが確認できた。ところが、AnaerosporaをSphingomonas、Bacillus、Variovoraxと共培養しても、予想に反してARAが確認された。

そこでAnaerosporaに対してサザンハイブリダイゼーションによりnifH遺伝子の有無を調べたところ存在が示唆されたので、nested PCRにより約300bpの配列を増幅して解析したところ、ClostridiumのnifHと相同性の高いnifHであった。

以上のことより、F-I-50において窒素固定能を担っていたのは、当初の予想のMicrobacteriumではなく、Anaerosporaであると考えざるを得なくなった。

Anaerosporaは、単独培養では好気条件でも嫌気条件でもARAを示さないのに対し、共培養では、気層が空気の場合にARAを発揮し、アルゴン置換するとARAを発揮しない。この特徴は、F-I-50の示すARAの特徴と完全に一致する。

Anaerosporaが単独培養でもARAを示す条件を探索するために、共存細菌のConditioned Mediumでの培養、炭素源やアミノ酸を添加したMRMでの培養、オートクレーブなどにより調製した共存細菌の死菌を添加した培地での培養を試みたが、今のところいずれの場合でもARAを確認できていない。

本研究では、当初の目的である好気性窒素固定細菌を得ることはできなかった。しかし、新規に発見した嫌気性窒素固定菌は、好気性非窒素固定菌との共存が窒素固定に必要であるという非常に興味深い性質を持っていることが見出された。

審査要旨 要旨を表示する

ハーバー・ポッシュ法による化学窒素肥料の製造と緑の革命による多収量穀物の創出は、人類の食糧に対する危機を大きく救った。しかしこの農業は、大量の化学窒素肥料の投入にともなう環境汚染をまねくとともに、ハーバー・ボッシュ法のための化石燃料の大量消費という問題もまねいている。これへの対応策として世界中で考慮されているのが、窒素固定細菌の生物窒素肥料としての利用である。本研究は、日本の稲作における生物窒素肥料の活用を実現するためにイネの体内に棲息する窒素固定エンドファイトを探索することを目的とし、イネから分離した窒素固定複合細菌系について解析したものである。

本論文は5章からなる。第1章の序論では登熟期のコシヒカリの止葉からはMierobaeterium属細菌とSphingomonas属細菌が優占して分離されるとの報告が紹介され、これに基づいて、第2章でイネからの好気性窒素固定エンドファイトとしてのSphingomonas属細菌の分離が目指された。農家の水田より採取した登熟期コシヒカリの止葉からの分離作業により、多数のPantoea属細菌とその他の細菌が分離された。これらの細菌の詳細を調べるなかで、イネの籾に接種することでエンドファイト能を評価する実験系を確立するとともに、16S rDNAの塩基配列を指標にMicrobacterium属細菌として認識するためには汎用されるPCRプライマー(B8FとB1500D)では不十分であることを見出したものの、目的とするSphingomonas属窒素固定細菌を得ることはできなかった。

第3章では、前章の結果に鑑みて好気性窒素固定細菌をより的確に分離する作業が行われた。登熟期コシヒカリ止葉より無窒素培地を用いて分離された1505コロニーに対して直ちに窒素固定能の評価方法の一つであるアセチレン還元能が測定され、1コロニー(F-I-50)に絞り込まれた。このコロニーより抽出したゲノムDNAで16S rDNAの塩基配列解析がなされ、このコロニーにはSphingomonas属細菌とともに他の細菌が混在していることが示された。そこで、F-I-50を無窒素培地で継代培養する中で強いアセチレン還元能を示す複合系(F-I-50S)が集積された。F-1-50Sは、高層軟寒天無窒素培地で培養する際の気相が空気の場合のみアセチレン還元能を発揮する。F-1-50Sからの好気性細菌の分離作業が繰り返され、Bacillus属細菌、Microbaeterium属細菌、Sphingomonas属細菌、Variovorax属細菌の4細菌が単離された。ジニトロゲナーゼレダクターゼの遺伝子(nifH)を標的としたサザンハイブリダイゼーションでは、Microbacterium属細菌がnifHを有する結果が得られたが、これらの細菌を単独で、ならびに各種に混合して培養してもF-I-50Sのアセチレン還元能を再現することはできなかった。

第4章では、F-1-50Sからの嫌気性細菌の分離作業が行われた。その結果、Anaerospora属細菌(Anaerospora sp.TK51)が分離された。TK51株と、第3章で分離されていた4種の細菌を混合して培養したところ、F-1-50Sのアセチレン還元能が再現された。ところが、TK51株を窒素固定能を持たない大腸菌と混合培養した場合にもアセチレン還元能が確認された。そこで、TK51株のnifHがPCRによって調べられ、増幅断片の塩基配列からClostridium属細菌のnifHと相同性を示すものを有することが示された。ところがTK51株は単独で培養するとアセチレン還元能を示さなかった。そこで、好気性細菌を培養して調製したコンディションド培地や、アミノ酸を添加した培地等が試されたが、これらの条件ではTK51株はアセチレン還元能を示さず、最終的には共存する好気性細菌が増殖することがTK51株のアセチレン還元能発揮に必要であると結論された。また、TK51株と4種の細菌を混合してイネの籾に接種することでエンドファイト能が調べられ、成長した苗の葉からアセチレン還元能を有するコロニーが回収された。このコロニーは、TK51株とMicrobaeterium属細菌、あるいはTK51株とSphingomonas属細菌の複合系であった。

以上、本研究は、イネの窒素固定エンドファイトである複合細菌系を取得し、その中の窒素固定細が嫌気性Anaerospora属細菌であることを明らかにした。さらに、この細菌の窒素固定能発揮には好気性細菌との共存が必要であること、そして複合細菌系としてイネのエンドファイトとなることを示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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