学位論文要旨



No 125808
著者(漢字) 櫻井,健太
著者(英字)
著者(カナ) サクライ,ケンタ
標題(和) 酢酸菌のエタノール代謝に関する研究
標題(洋)
報告番号 125808
報告番号 甲25808
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3508号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 准教授 大西,康夫
 東京大学 准教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

酢酸菌は振とう培養や静置培養下でエタノールを酸化することで酢酸を生成する。生成された酢酸は、一時的に培養液中に蓄積された後にさらに酸化される。振とう培養下ではエタノール酸化と酢酸酸化が分かれて起きることで、酢酸菌は三段階の生育期を示す。各生育期は培養開始から順に、エタノール酸化と酢酸蓄積が起きるエタノール酸化期、定常期、および、蓄積した酢酸を酸化する酢酸酸化期と呼ばれている。エタノール酸化期と酢酸酸化期では増殖がみられるが定常期では生育が停滞することから、diauxicな生育曲線を示す。エタノールの消費後に酢酸酸化が始まるまでの定常期は菌株ごとに時間が異なることが知られており、この期間の長さが酢酸醸造に重要な要因になっている。酢酸菌は静置培養でもエタノールの酸化により生成した酢酸を培養液中に蓄積する。また静置培養下で酢酸菌は菌膜を形成する。菌膜は細胞と多糖類で構成され培養液表面に浮遊するため、エタノール酸化に必要な酸素の獲得や、エタノールや酢酸に対する耐性の獲得の役割があるとされており、酢酸生産に必須なものと考えられてきた。本研究では酢酸菌によるエタノール代謝の視点から、酢酸蓄積や、菌膜形成と酢酸生産との関係に関する基礎的な知見を得ることを目的とし、菌株間の酢酸蓄積性や菌膜形成性の比較、ドラフトゲノム解析やトランスクリプトーム解析を行った。

2.培養条件と酢酸生成との関係

Acetobacter aceti NBRC14818とAcetobacter pasteurianus NBRC3283を用いて、振とう培養と静置培養の二つの培養条件下で、生育や菌膜の変遷と培養液中のエタノールの消費や酢酸の蓄積を経時的に解析した。振とう培養下で両株はエタノールの消費に伴って酢酸を蓄積したが、Aacetiはエタノール消費直後に蓄積した酢酸を急激に消費した。一方で、A.pasteurianusはエタノール消費から36時間後に蓄積した酢酸を穏やかに消費した。静置培養下では、A.acetiはエタノールを消費したにもかかわらず酢酸をあまり蓄積せず、エタノール消費後に蓄積した酢酸を急激に消費した。静置培養時のA.acetiによる酢酸の蓄積はグルコースの影響を受けなかった。一方、Apasteurianusは振とう培養時と同様にエタノール消費に伴った酢酸蓄積を示した。また、エタノール培地ではA.acetiはA.pasteurianusよりも高い菌膜形成性を示した。

3.エタノール酸化酵素活性の測定

酢酸菌によるエタノール酸化と酢酸生成は次のように考えられている。エタノールはAlcohol dehydrogenase(ADH)によってアセトアルデヒドに酸化され、このアセトアルデヒドはAldehyde dehydrogenase(ALDH)によってさらに酸化されることで酢酸が生成する。ADHにはPQQ依存型とNAD(P)+依存型があり、それぞれ細胞膜上と細胞質に局在する。また、ALDHにも膜結合型と細胞質型が存在する。そのため膜結合型のADHとALDHによってエタノールが酸化されると酢酸は細胞外に生成するのに対し、細胞質型のADHとALDHの場合は酢酸は細胞内に生成する。膜結合型のADHとALDHによってエタノールが酸化されることで得られた電子は直接電子伝達系に渡され、エネルギー生産が行われる。A.acetiとA.pasteurianusの振とう培養と静置培養時のPQQ-ADHとNAD(P)+-ADHの活性を比較したところ、培養条件に関わらずA.acetiはNAD(P)+-ADH、A.pasteurianusはPQQ-ADHの活性の割合が高かった。ALDHについてもADHと同様の結果が得られた。これらの結果からA.acetiはA.pasteurianusに比べて細胞質におけるエタノール酸化の割合が高く、酢酸は細胞内に生成しやすいことが示唆された。

4.A.acetiのドラフトゲノム解析と比較ゲノム解析

A.acetiのゲノムDNAの塩基配列をlllumina Genome Analyzer llを用いて決定した。Edenaによるアセンブルを行い1488個のcontigからなる約3.6Mbの配列を得た。次いで、CRITICAとglimmer2による遺伝子領域予測とBLASTによるアノテーションを行った。全ゲノム配列が得られている他の酢酸菌との比較によりAacetiのエネルギー代謝系や炭素代謝系の解析を行った。A.acetiはTCAサイクルを構成する遺伝子を全て保持していた。一方、A.pasteurianusではsuccinyl-CoA synthetaseが欠損していたが、欠損部分をバイパスするacetyl-CoA hydrolaseを保持していた。この遺伝子はA.acetiにもみられた。A.acetiは酢酸などacetyl-CoAを生じる基質を同化する際に必要なTCAサイクルの補充経路であるグリオキシル酸回路を構成する遺伝子を保持していた。一方で、A.pasteurianusはこの回路の遺伝子が欠損していた。呼吸鎖関連遺伝子にも違いがみられた。A.acetiは3つのシアン耐性quinol oxidaseを持っており、系統解析により、1つはcytochrome bd-type(cyd)であり、2つはcyanide-insensitive-type(CIO)であることが示唆された。2つのCIOのうち一方はA.pasteurianusは保持していなかった。

5.A.acetiのエタノール代謝時のトランスクリプトーム解析

A.acetiをエタノール培地で、振とうまたは静置培養した。振とう培養ではエタノール酸化期前期・後期、定常期、酢酸酸化期でサンプリングした。静置培養ではエタノールが培地中に残っている地点で菌膜を回収した。これらのサンプルからRNAを抽出しマイクロアレイ解析した結果、酢酸からacetyl-CoAを生成するacetyl-CoA synthetaseはエタノール酸化期後期以降急激な発現強度の上昇を示し、静置培養でも発現がみられた。TCAサイクルを構成する遺伝子は、振とう培養では培養時間の経過とともに発現強度が徐々に上昇し、静置培養でも高い発現強度を示した。グリオキシル酸回路を構成する遺伝子は、エタノール酸化後期以降に急激な発現強度の上昇を示し、静置培養でも高い値を示した。多くのADHとALDHは恒常的に発現していたことから、振とう培養・静置培養に関わらず酢酸は培養初期の段階から細胞内外に生成していたと考えられる。そのため、振とう培養の酢酸酸化期以前の早い時期や菌膜において、TCAサイクルやグリオキシル酸回路の遺伝子の発現強度が上昇したと考えられる。また、グルコース培地で振とう培養を行うと、エタノール培地に比べてグリオキシル酸回路の遺伝子の発現強度のみ低下した。これらの結果により、A.acetiにおいてエタノールの酸化によって生成した酢酸は主にTCAサイクルとグリオキシル酸回路により同化されることが示唆された。

また菌膜に特異的な遺伝子発現パターンとして、一部のALDHの顕著な発現や、走化性や運動性に関する遺伝子の発現強度の著しい低下がみられた。

6.まとめ

A.acetiは細胞質タイプのADHとALDHの活性の割合が高く、グリオキシル酸回路を構成する遺伝子を保持していた。また、エタノールの酸化によって生成した酢酸はTCAサイクルとグリオキシル酸回路を通して代謝されることが示唆される発現プロファイルが得られた。これらの結果から、A.acetiはエタノールを異化的と同化的のどちらにも代謝すると考えられる。そのため振とう培養時のエタノール消費後にみられた急激な酢酸消費や、静置培養時にエタノールを消費したにも関わらずあまり酢酸を蓄積せず、さらに蓄積した酢酸の急激な消費がみられたと考えられる。また、酢酸の一部は菌膜の構成成分である多糖の生合成に必要な炭素源として同化されたために高い菌膜形成性を示したと考えられる。

A.pasteurianusは細胞膜タイプのADHとALDHの活性の割合が高く、グリオキシル酸回路を構成する遺伝子を保持していなかった。これらの結果から、A.pasteurianusはエタノールを異化的に代謝しやすいと考えられる。そのため振とう培養時のエタノール消費後の酢酸消費が穏やかで、静置培養時には振とう培養と同様にエタノールの消費にともなった酢酸の蓄積を示し、菌膜形成性も低かったと考えられる。特に菌膜ではNAD+-ADH活性が検出されなかったことから、エタノールはより異化的に代謝されるため効率的に酢酸が培養液中に蓄積するので、A.pasteurianusにおいて静置培養は酢酸生産に有益であると考えられる。A.pasteurianusは酢酸醸造の産業利用菌株として繰り返し利用されることで、より酢酸を蓄積しやすい形質に変化していったことが予想される。

本研究では、酢酸菌によるエタノール代謝特性と、酢酸蓄積や酢酸生産と菌膜形成との関係が明らかになり、ここで得られた知見は食酢醸造の安定化などへの貢献が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は酢酸菌による酢酸生成メカニズムに関する研究である。申請者らはまずAcetobacter aceti NBRC14818 iは酢酸を蓄積しにくく、菌膜を形成しやすいのに対して、Acetobacter pasteurianus NBRC3283は酢酸を蓄積しやすく、菌膜を形成しにくいことを明らかにした。またA.acetiはNAD+-ADH活性が高く、A.pasteurianusはPQQ-ADH活性が高く、このことがA.acetiは酢酸を細胞質に生成しやすく、A.pasteurianusは酢酸を細胞外に生成しやすい要因であることを示した。

次にA.acetiのゲノムDNAの塩基配列を決定し他の酢酸菌と比較した。A.acetiはTCAサイクルの構成酵素、グリオキシル酸経路の構成酵素の遺伝子を保持していた。一方、A.pasteurianusはsuccinyl-CoA synthetase遺伝子、グリオキシル酸経路の構成酵素の遺伝子は全て欠損していた。このように菌株間の中央代謝経路の構成酵素の遺伝子構成の違いは、酢酸の消費の違いを反映していた。

さらにA.acetiのエタノール代謝時のトランスクリプトーム解析の結果、中央代謝系の構成酵素の遺伝子は、酢酸が生成するときに発現することが明らかとなり、A.acetiの酢酸の同化に、中央代謝系は寄与することが示唆された。

以上から、A.acetiは酢酸同化系が発達しており、細胞内に酢酸を生成しやすいことが明らかになり、酢酸を蓄積しにくく、菌膜を形成しやすいと考えられた。一方、A.pasteurianusは酢酸同化系が細く、細胞外に酢酸を生成しやすいことが明らかになり、酢酸を蓄積しやすく、菌膜を形成しにくいと考えられた。また、A.acetiにおいて、菌膜の形成に生成した酢酸の一部が使われることが示され、菌膜を形成することは酢酸生産に必ずしも有利ではないことが示された。

これらの知見は、食酢醸造の安定化などへ貢献すると期待される。以上、本論文は学術上また応用上寄与するところが多い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位にふさわしいと認めるものである。

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