学位論文要旨



No 125813
著者(漢字) 神谷,敦史
著者(英字)
著者(カナ) カミヤ,アツシ
標題(和) microRNA制御を介したアポトーシス誘導機構の解析
標題(洋)
報告番号 125813
報告番号 甲25813
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3513号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 特任教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

アポトーシスは、細胞の状態や個体の生育段階に応じて特定の細胞が死ぬ現象である。アポトーシスを誘導する経路にはデスレセプター依存的なシグナル経路とミトコンドリア依存的な経路が存在するが、このうちミトコンドリア依存的な経路において重要な役割を果たしているのが、Bcl-2ファミリータンパク質である。

Bcl-2ファミリータンパク質にはアポトーシス促進に働くタンパク質群(Bim、Bmf、Bax等)とアポトーシス抑制に働くタンパク質群(Bcl-2、Bcl-w、Bcl-xL等)が存在し、これらのタンパク質のバランスによって、アポトーシスが引き起こされるかどうかが決定される。どのBcl-2ファミリータンパク質がどの程度の重要性を持つのかは、細胞種やアポトーシス誘導シグナルによって異なると考えられている。

これまでの当研究室の先行研究により、大腸癌由来のRKO細胞においてDNAストレスによって引き起こされるアポトーシスでは、以下のようなシグナル経路が重要であることがわかっている。1)RKO細胞にDNAストレスを与えると、転写因子p53が活性化される。2)核内に移行した活性化型p53は、D8遺伝子の転写を活性化する。3)D8はRNA結合タンパク質をコードしており、D8タンパク質は細胞質においてBcl・2ファミリータンパク質であるBimのmRNAを安定化及び翻訳促進を誘導する。4)発現量が増加したBimがアポトーシス阻害因子であるBcl-2と結合することにより、アポトーシスが引き起こされる。しかし、D8がBimの発現を正に制御することはわかっていたものの、それがどのような機構により行われているのかは明らかでなかった。そこで本研究では、アポトーシス制御機構のさらなる解明を目指して、D8によるBimの発現制御機構を調べることにした。

D8とmiRNAによるBimの発現制御

通常、mRNAの安定性及び翻訳の制御は3'UTRを介して行われていると考えられている。一般的に3'UTRが長いmRNAほど分解速度が速く、翻訳制御の影響も受け易い。特にBimmRNAは約4,000bの長い3'UTRを持ち、半減期は非常に短い。実際に、BimはmiR-92、miR-221/222といったmiRNAによる翻訳抑制を受けていることが報告されており、Bim発現量制御における転写後調節の重要性が示唆されている。

特に近年はmiRNAとmRNA 3'UTRの関連について研究が進み、mRNAの安定性制御や翻訳調節に関しての理解が急速に進みつつある。miRNAはArgonauteを中心としたRISC複合体に取り込まれ、相補する配列を持つmRNAに結合することで翻訳を抑制する。当初miRNAは翻訳の抑制のみを行っていると考えられていたが、最近では翻訳の抑制とmRNAの分解を両方担うケースが数多く報告されている。D8のBimに対する機能もmRNAの安定性と翻訳効率を共に制御するというものであり、miRNAの関与が疑われた。

そこで、D8によるBimの制御に、miRNAが関与しているかどうかを検討した。miRNAの生合成に必要であるDrosha及びDicerをsiRNAによりノックダウンしたところ、D8を過剰発現させた場合と同程度にBim mRNAが増加した。しかし、Droshaをノックダウンした状態ではD8を過剰発現しても、それ以上のBim mRNA量の増加は見られなかった。D8の過剰発現とmiRNAの生合成阻害が同様の効果を示し、互いに相乗的に作用しないことから、これらは同一の経路を介してBim mRNAを制御していると考えられる。よって、D8がmiRNAの機能を阻害することによりBim発現量を増加させている可能性が示唆された。

次に、D8が阻害するmiRNAを同定することにした。Bim mRNAの3'UTR上に存在するmiRNAターゲットサイトを、インフォマティクスの手法により予測し、Bimの抑制に関与しているかどうかを個別に検討した。ルシフェラーゼアッセイによる解析を行った結果、Bim mRNA 3'UTRの3'末端側に存在するmiR-25/92のターゲットサイトがBimの発現を強く抑制していることがわかった。このmiR-25/92のターゲットサイトに変異を導入した配列を用いてルシフェラーゼアッセイを行うと、野生型のBim 3'UTR配列に比べて高い活性を示したが、D8の過剰発現と組み合わせてもそれ以上の活性の増大は示さなかった。これらの結果から、D8とmiR-25/92は同様の機構を介してBimの発現を制御していると考えられた。

内在性のBimの発現制御についてもルシフェラーゼアッセイと同様にmiR-25/92とD8の関連性が見出された。すなわち、miR-25/92を過剰発現するとBimの発現が抑制されたが、同時にD8も過剰発現すると、miR-25/92による発現抑制を解除することができた。また、miR-25/92に対するantisense配列をトランスフェクションした細胞では、BimのmRNA及びタンパク質量が増加した。その一方で、antisense配列とD8を同時に過剰発現しても、Bimの発現量は相乗的に増加しないことがわかった。一連の実験の結果より、D8はmiR-25/92の機能を抑制することにより、Bimの発現量を増大させていると考えられる。

D8とPumilioによるBimの発現制御

Bim 3'UTRにはUGUANAUという特徴的な配列が多数含まれている。この配列はRNA結合タンパク質Pumilioの認識配列であることが報告されており、PumilioがBim mRNAに結合している可能性が考えられた。PumilioはRNA結合ドメインであるPUFドメインを持つタンパク質であり、ショウジョウバエにおいてはNanosと結合してmRNAの翻訳を抑制することが知られている。PumilioがBimの翻訳を抑制している場合、D8がPumilioの機能を阻害することによって、Bimの発現を正に制御している可能性が考えられた。そこで、Bim mRNA 3'UTRに対するPumilioの作用を、ルシフェラーゼアッセイにより検討した。その結果、確かにPumilioはBimの発現を負に制御していることが確認できた。また、Pumilioによる認識配列に変異を導入するとD8による発現量増加が見られなくなることから、PumilioとD8は機能面において関連性を持っていることがわかった。

総括

本研究により、D8はmiR-25/92の機能を抑制することでBimの発現量を正に制御していることが明らかとなった。D8は遺伝子の転写後調節に関わるRNA結合タンパク質の1種であるが、このようなRNA結合タンパク質は単独または他のタンパク質と協調してRNAの発現制御に関わると考えられてきた。本研究のように、RNA結合タンパク質とmiRNAとの関連を指摘した論文は少数しか存在しないことからもわかるように、RNA結合タンパク質とmiRNAの関係についてはまだほとんど明らかにされていない。今後の解明が大いに期待される分野である。D8に関しても、D8がmiR-25/92の機能を阻害する具体的な様式については、まだ十分明らかにはなっていない。現在以下のようなモデルを検討中である。一つ目は、D8がBim mRNAに結合することによりmiRNA-RISC複合体とBim mRNAの結合を阻害するというモデルである(図1)。過去の報告においても、Dnd1がこれと類似した機構によってp27 mRNAを安定化していることが示されている。二つ目は、BimmRNA上のmiRNA・RISC複合体にD8が結合して機能を阻害しているというモデルである(図2)。miRNA・RISC複合体及びD8がmRNA上で巨大なRNA・タンパク質複合体を形成して、積極的に翻訳を促進している可能性も考えられる。このようなタンパク質複合体に関する報告はまだないが、近年miRNAが翻訳促進に関与しているという報告が複数発表されていることを考慮すると、miRNAとRNA結合タンパク質が一体となって翻訳促進に関わっているというモデルも検討する余地があると考えている。

また、今回の研究によりD8とPumilioとの関連も示すことができた。PumilioはmRNAの翻訳を抑制することで遺伝子の発現を制御することが知られており、D8同様に重要なRNA結合タンパク質の一種である。線虫におけるPumilioのホモログはmiRNA let-7の機能に必要であるという報告があり、PumilioとmiRNAの関連についても示唆されている。今回の研究の中でBim mRNAの発現がmiRNA、D8及びPumilioの3者によって制御されていることを示したが、これらが互いにダイナミックに協調して(または競合して)Bimの発現を制御している可能性があると考えられる。RNA結合タンパク質とmiRNAの関連を追究していくことにより、包括的な転写後調節の姿を明らかにすることができると期待している。

図1 D8がRISCと競合するモデル

図2 D8がRISCと協調して翻訳を促進するモデル

審査要旨 要旨を表示する

細胞内において、遺伝子の発現は様々な機構により厳密に制御されている。遺伝子発現の制御機構についての従来の研究は転写制御に関するものが中心であったが、近年は転写後の発現制御に注目が集まっている。たとえば、スプライシングの制御やmRNAの安定性の制御、mRNAからタンパク質への翻訳効率の制御などが精力的に研究されるようになり、その重要性が認識されるようになった。特に、20塩基程度の1本鎖RNA配列であるmiRNAは数多くの標的遺伝子の発現を負に制御しており、細胞内の生理現象に広範に関与していることが明らかになりつつある。

D8はTGF-βによって発現誘導される遺伝子として同定された。D8は569アミノ酸から成るタンパク質で、N末端側にRNA結合ドメインであるKHドメインが2つ存在する。先行研究により、D8がアポトーシス誘導因子BimのmRNAに結合し、Bim mRNAの安定化と翻訳促進を引き起こすことによってアポトーシスを誘導することが明らかになっていた。しかし、その具体的な機構については全く明らかにされていなかった。本論文ではD8によるBimの転写後調節機構の解明を試み、RNA結合タンパク質とmiRNAがBimの転写後調節に関わっていることを明らかにした。

まず、D8によるBimの発現制御に関与している因子の探索を行った。その結果、miRNAの生合成経路を阻害した細胞ではD8によるBimの転写後調節が見られなくなることから、D8によるBimの発現制御にはmiRNAが関与していることが明らかになった。

次に、D8によるBimの発現制御に関与しているmiRNAの同定を試みた。D8による発現制御に必要なBim mRNA領域を特定し、その領域に存在するmiRNAのターゲットサイトに変異を導入することにより、関与しているmiRNAの同定を行った。その結果、miR-92a/bがD8によるBimの発現制御に関与していることが明らかになった。miR-92a/bを過剰発現させた細胞ではBimの発現量が減少したが、D8の過剰発現によりその発現量の減少を打ち消すことができた。また、面R-92a/lbの機能を阻害した細胞ではBimの発現量が増加したが、その細胞にさらにD8を過剰発現しても、相乗的にBimの発現量が増大することはなかった。D8の過剰発現によってmiR-92a/bの発現量は変化しないことから、miR-92a/bはBimの発現を抑制しており、D8はmiR-92a/bの機能を阻害することによってBimの発現を正に制御していると考えられた。

さらに、D8によるBimの発現制御へのRNA結合タンパク質の関与についても検討した。Bim mRNA 3'UTRの中央領域にはRNA結合タンパク質Pumilioの結合配列が多数存在する。PumilioはmRNAに結合して翻訳を抑制する機能が報告されていることから、PumilioがBimの転写後調節に関与している可能性が考えられた。BimmRNAの3'UTRを用いたレポーターアッセイの結果、PumilioはBimの発現を負に制御していることが示唆された。また、D8もPumilio結合配列が存在する3'UTR領域に作用し、Bimの発現を正に制御している可能性が示唆された。PumilioとD8によるBimの発現制御の関連性を検討した結果、D8はPumilioによるBimの発現抑制を阻害することによって、Bimの発現を正に制御している可能性が示された。

最後に、D8がPumilioの機能を阻害する機構を検討した。プルダウンアッセイによってPumilioとBim mRNA断片の結合を調べた結果、PumilioはPumilio結合配列を含むBim mRNA配列に結合するが、D8の過剰発現によってその結合を阻害できることが明らかになった。よって、D8はPumilioとBim mRNAの結合を阻害することによってPumilioの機能を阻害し、Bimの発現を正に制御していると考えられた。

以上の結果より、miR-92a/bとPumilioがBim mRNAの発現を抑制しており、D8はそれらの機能を阻害することによってBimの発現を正に制御していることが明らかとなった。RNA結合タンパク質がmiRNAの機能を制御している例はほとんど報告されておらず、特にアポトーシスの分野では本研究が初めての報告である。したがって、本論文における研究結果は新規性が高く、学術上の貢献が大きい。なお、本論文は小田健昭、秋山徹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の単位論文として価値あるものと認めた。

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