No | 125817 | |
著者(漢字) | 西,謙一郎 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ニシ,ケンイチロウ | |
標題(和) | 分子動力学シミュレーションによるstaphylococcal protein AのBドメインのフォールディング機構の研究 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 125817 | |
報告番号 | 甲25817 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第3517号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 応用生命工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1、序 タンパク質は、生体内のあらゆる生命活動を支える生化学的過程に関わっている。生体中で合成されたアミノ酸の鎖状構造が、生化学的過程に関わる機能を発揮するためには、特異的な天然立体構造へ折れ畳むことが必要である。折れ畳み、即ちフォールディングの機構を解明し、その物理化学的知見を得ることができれば、構造未知タンパク質の構造決定や人工機能タンパク質の設計への貢献が期待できる。現在まで、タンパク質工学的アプローチ及び理論的アプローチの両面からフォールディングの研究がなされ、様々なフォールディングモデルが提案されている。しかしながら、アミノ酸配列から立体構造へのフォールディングの再現は未だ難しく、タンパク質構築原理の解明は現代構造生物学の最も大きな課題のひとつである。 理論的アプローチの1つとして、タンパク質のフォールディングを計算機による分子動力学シミュレーション(MDシミュレーション)を用いて再現する試みが行われている。MDシミュレーションは分子を構成する全原子の位置の時間発展を計算で求めることにより、実験では観測することが困難な原子レベルの分子運動の情報を得ることができる。よってMDシミュレーションを使って配列から立体構造の再現を成功させることができれば、フォールディングの詳細な物理化学的知見を得ることに繋がる。ところが、MDシミュレーションによるフォールディングの再現には2つの大きな問題がある。1つ目はポテンシャルエネルギー関数の精度の問題、2つ目は膨大な構造空間の探索に長時間のシミュレーションを必要とすることである 本研究では、これらの問題を解決するため、二次構造拘束を導入することにより、天然状態への到達を効率良く達成できるMDシミュレーションの新たな手法を開発した。そしてこの手法を1)staphylococcal proteinAのBドメイン野生体、2)実験的に野生体の天然状態をとらないことが確かめられているBドメイン変異体、3)Bドメインと同じhelix bundle構造をとるEngrailed homeodomainの3つに適用して実験結果と比較することで、本手法の有効性を確認し、またこれらの分子のフォールディング過程を原子レベルで詳細に解析した。タンパク質分子の主鎖二面角に天然二次構造と同一の二次構造を保ち続けるような拘束を加えることにより、天然状態に到達するまでに探索し得る構造空間を制限することができ、さらにポテンシャルエネルギー関数による誤った原子間相互作用がもたらす影響を軽減できる。対象に選んだstaphylcoccal proteinAのBドメインは、溶液中で3本のα-helixを2本のturnが繋ぐシンプルなthree helix bundle構造をとる。フォールディング過程で天然状態と変性状態の二状態遷移をすること、天然に存在するドメインの中で最も高速(10μs以内)に折れ畳むといわれていることから、フォールディングシミュレーションの対象として、しばしば取り上げられてきた。 2、方法 2.1計算手法 通常のMDフォールディングシミュレーションは、温度条件を常温付近に設定して行う。しかし、タンパク質分子は内部自由度が膨大であるため、構造探索範囲が初期構造近傍に限定され自由エネルギー最小構造への到達が困難になるローカルミニマム問題が発生する。この問題を克服するため、本研究では温度条件を、二次構造拘束を導入したMDシミュレーションにおいてフォールディング・アンフォールディングが頻繁に起こることが確かめられている温度([l])(400K)に設定した。溶媒効果に連続誘電体溶媒モデルであるGB/SA溶媒を適用した。GB/SA溶媒を使用することで、明示的に水分子を配置する場合に比べて計算コストを下げることができ、現実的な計算時間内でのシミュレーションを可能とした。 シミュレーションから得られたスナップショット構造群をクラスタリングによりグループ化し、クラスタに含まれる構造、クラスタ間遷移の解析を行った。また、3本のα-helixから求められる角度を反応座標とし、フォールディング自由エネルギー地形を求めて、フォールディング過程の解析を行った。 2.2staphylococcal proteinAのBドメイン野生体 staphylococcal proteinAのBドメイン野生体の46残基配列から作られた伸展構造に、天然構造と同一のα-helixを導入した構造を初期構造とし、主鎖二面角にα-helixを保ち続けるような拘束をかけてシミュレーションを行い、天然状態の再現を試みた。得られたトラジェクトリからフォールディング過程の解析を行った。 2.3staphylococcal proteinAのBドメイン変異体 実験的に野生体の天然状態をとらないことが確かめられているBドメインのL23G変異体とL20G/L23G二重変異体を対象に、野生体と同様の手法を適用した場合に実験結果を再現するかどうかを試みると同時に、変異がフォールディングにもたらす影響を明らかにすることを目的にシミュレーションを実行した。得られたトラジェクトリからフォールディング過程の解析を行った。 2.4Engrailed homeodomain Engrailed homeodomainはBドメインと同じhelix bundle構造をとる54残基のタンパク質である。本研究では、Engrailed homeodomainを対象に、Bドメインと同様の手法で、天然構造の再現を試みた。 3、結果と考察 3.1staphylococcal proteinAのBドメイン野生体 100nsの二次構造拘束を導入したシミュレーションを初速度を変えて10回行った結果、天然状態(天然構造に対するCαRMSD≦2.0A)への到達に成功した。天然構造に対するCαRMSDが8.0A以上を変性状態と定義すると、合計1μsのシミュレーション中にフォールディングイベント1アンフォールディングイベントを合計121回観測した。構造分布を調べたところ、最小自由エネルギー構造は天然状態の構造であった。またフォールディング過程の解析から、A)Helix1とHelix2が接近する過程、B)全てのHeliXが天然状態と同じ位置に移動する過程、C)Helix2とHelix3が接近する過程、D)全てのHeliXが噛み合う過程を経てBドメインが構築されていくことが示唆された(図)。 3.2staphylococcal proteinAのBドメイン変異体 100nsの二次構造拘束を導入したシミュレーションを、初速度を変えて5回行った。天然状態(野生体の天然構造に対するCαRMSD≦2.0A)をとる期間が、野生体に比べ減少(L23Gは野生体の3.7%、L20G/L23Gは野生体の0.02%)し、溶液中でアンフォールド状態であるという実験結果を再現する結果を得た。Leu側鎖が立体障害となって妨げていた非天然水素結合(Asn220D1-Leu23N)が、turnを形成するために必要な天然水素結合(Leu20O-Leu23N)の形成を阻害していることが、溶液中でアンフォールド状態である原因であることが示唆された。 3.3Engrailed homeodomain Engrailed homeodomainに対して50nsの二次構造拘束を導入したシミュレーションを、初速度を変えて5回行った。天然構造に対する最小CαRMSDは1.5Aで、天然状態への到達に成功した。Bドメインと同様のhelix bundle構造をとるタンパク質への適用が可能であることが示唆された。 4、まとめ 本研究では、天然状態への到達を効率良く達成できるMDシミュレーションの新たな手法を開発し、それをBドメイン野生体に適用することで、天然状態(天然構造に対するCαRMSD≦2.0A)への到達に成功した。また実験的に野生体の天然状態をとらないことが確かめられているBドメイン変異体に適用したところ、turnの形成に必要な天然水素結合を妨げる非天然水素結合の存在を見出し、フォールディング過程において各残基が果たす役割を原子レベルで解明することができた。さらに、Bドメインと同じhelix bundle構造をとるEngrailed homeodomainについても、天然状態への到達に成功し、提案手法が汎用的であることが確認できた。BドメインやEngrailed homeodomainのようなhelix bundle構造をとるタンパク質のフォールディング観測に、二次構造拘束を導入したMDシミュレーションは有効な手法であることが確認できた。この手法をさらに他のhelix bundle構造あるいはそれ以外のタンパク質に適用することで、普遍的なタンパク質立体構造構築原理の解明につながる知見が得られることが期待される。 図.Bドメイン野生体のフォールディング過程 | |
審査要旨 | タンパク質は、生体内のあらゆる生命活動を支える生化学的過程に関わっている。生体中で合成されたアミノ酸の鎖状構造が、生化学的過程に関わる機能を発揮するためには、特異的な天然立体構造へ折れ畳むことが必要である。折れ畳み、即ちフォールディングの機構を解明し、その物理化学的知見を得ることができれば、構造未知タンパク質の構造決定や人工機能タンパク質の設計への貢献が期待できる。 MDシミュレーションは分子を構成する全原子の位置の時間発展を計算で求めることにより、実験では観測することが困難な原子レベルの分子運動の情報を得ることができる。よってMDシミュレーションを使って配列から立体構造の再現を成功させることができれば、フォールディングの詳細な物理化学的知見を得ることに繋がる。ところが、MDシミュレーションによるフォールディングの再現には、サンプリング問題、ポテンシャルエネルギー関数の精度の問題、膨大な構造空間の探索に長時間のシミュレーションを必要とする問題がある。 本論文では、これらの問題を解決するため、二次構造拘束を導入したMDシミュレーションの新たな手法を開発し、staphylococcal proteinAのBドメイン野生型、実験的に野生型の天然状態をとらないことが確かめられているBドメイン変異体、Bドメインと同じhelix bundle構造をとるEngrailed homeodomainの3つに適用して実験結果と比較することで、本手法の有効性を確認し、またこれらの分子のフォールディング過程を原子レベルで詳細に解析した。 第一章序論に続き、第二章では、staphylococcal proteinAのBドメイン野生型を対象に二次構造拘束シミュレーションを行い、天然状態(天然構造に対するCαRMSD≦2.OA)への到達に成功した。天然構造に対するCαRMSDが8.0oA以上を変性状態と定義すると、合計1μsのシミュレーション中にフォールディングイベント1アンフォールディングイベントを合計121回観測した。構造分布を調べたところ、最小自由エネルギー構造は天然状態の構造であった。またフォールディング過程の解析から、Helix1とHeliX2が接近する過程、全てのHelixが天然状態と同じ位置に移動する過程、Helix2とHelix3が接近する過程・全てのHelixが噛み合う過程を経てBドメインが構築されていくことが示唆された。 第三章・第四章では、実験的に野生型の天然状態をとらないことが確かめられているBドメインのL23G変異体とL20G/L23G二重変異体を対象に、野生型と同様の手法を適用した場合に実験結果を再現するかどうかを試みると同時に、変異がフォールディングにもたらす影響を明らかにすることを目的にシミュレーションを実行した。天然状態(野生型の天然構造に対するCαRMSD≦2.0A)をとる期間が、野生型に比べ大幅に減少し、溶液中で変性状態であるという実験結果を再現する結果を得た。Leu23側鎖が立体障害となって妨げていた非天然水素結合(Asn22OD1-Leu23N)が、turnを形成するために必要な天然水素結合(Leu20O・Leu23N)の形成を阻害していることが、溶液中で野生型天然状態を安定してとることができない原因であることが示唆された。 第五章では、Bドメインと同じhelix bundle構造をとるタンパク質であるEngrailed homeodomainを対象に、Bドメインと同様の手法で、天然構造の再現を試みた。天然構造に対する最小CαRMSDは1.5Aで、天然状態への到達に成功した。Bドメインと同様のhelix bundle構造をとるタンパク質への適用が可能であることが示唆された。 本研究では、BドメインやEngrailed homeodomainのようなhelix bundle構造をとるタンパク質のフォールディング観測に、二次構造拘束を導入したMDシミュレーションは有効な手法であることが確認できた。この手法をさらに他のhelix bundle構造あるいはそれ以外のタンパク質に適用することで、普遍的なタンパク質立体構造構築原理の解明につながる知見が得られることが期待される。 以上、本研究は、タンパク質のフォールディング観測に二次構造拘束を導入したMDシミュレーションは有効な手法であることを示すとともに、天然タンパク質ドメインのフォールディングに新たな知見を提供するものであり、生物物理学研究の学術的・応用的意義は大きい。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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