学位論文要旨



No 125819
著者(漢字) 平野,節
著者(英字)
著者(カナ) ヒラノ,セツ
標題(和) ゲノム情報を利用した放線菌の形態分化・二次代謝に関わる遺伝子群の解析
標題(洋)
報告番号 125819
報告番号 甲25819
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3519号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 大西,康夫
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 准教授 有岡,学
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
内容要旨 要旨を表示する

放線菌Streptomyces は抗生物質をはじめとする多種多様な二次代謝産物を生産することで知られるグラム陽性の土壌細菌であり、発酵工業や医薬産業に重要な菌群である。一方で放線菌はカビに似た菌糸状の生育形態を示し、胞子を形成するために生物の形態分化に関する基礎研究の材料にもなっており、基礎・応用の両面から非常に重要な研究対象であると言える。

本研究の研究対象であるStreptomyces griseusにおいては、二次代謝と形態分化は自身の生産する微生物ホルモンA-ファクターによって厳密に制御されている。培養液中のA-ファクター濃度が閾値を超えるとA-ファクターレセプター蛋白質によるadpAの転写抑制が解除され、グローバルな転写因子AdpAが生産される。これまでの研究によりAdpAは様々な遺伝子の転写を活性化することで形態分化と二次代謝の両方を誘導することが明らかとなっているが、AdpAに依存して起こる現象のすべてが現在同定されている標的因子によって完全に説明されるには至っていない。そこで本研究はゲノム情報や網羅的な転写解析データから着目した個々の遺伝子について詳細な機能解析を行い、放線菌の形態分化・二次代謝の制御機構について新たな知見を得ることを目的とした。

1.プロテアーゼ阻害蛋白質(SSI)をコードするsgiAの機能解析1)

S.griseusは数多くの分泌型プロテアーゼを有するが、その多くはAdpAに応答して生産されることがわかっている。「放線菌は自身の菌糸を分解して栄養源として再利用する」というモデルも提唱されていることから分泌型プロテアーゼと形態分化との関連性に興味が持たれたが、その数の多さから分泌型プロテアーゼの網羅的な機能解析を行うことは難しい状況であった。そこで放線菌の有する分泌型プロテアーゼ阻害蛋白質SSI(Streptomyces subtilisin inhibitor)に注目した。SSIを用いることにより分泌型セリンプロテアーゼ活性を一斉に抑制することが可能である。本研究ではSSIの機能を解析し利用することで、分泌型プロテアーゼ活性と形態分化の関連性を明らかにすることを試みた。

S.griseusのゲノム上にSSI様蛋白質をコードする遺伝子を探索し、ただ1つ(sgiAと命名)を見出した。作製したsgiA遺伝子破壊株では分泌型プロテアーゼ活性は上昇していたが、その形態は野生株と同様であった。大腸菌を用いて生産した組換えSgiAを用いてin vitroプロテアーゼ阻害アッセイを行ったところ、精製SgiAはウシ由来トリプシンを阻害するがウシ由来キモトリプシンは阻害しないことが示された。一方、S.griseusのコロニーの傍に組換えSgiAを添加したところ、SgiAに近い部分の菌体で気中菌糸形成の大幅な遅れが観察された。この結果は分泌型プロテアーゼの活性を阻害することで形態分化が抑制されることを示しており、形態分化に対する分泌型プロテアーゼの重要性が強く裏付けられた。またsgiAの転写は他の分泌型プロテアーゼをコードする遺伝子と同じく、sgiAプロモーター上流に結合するAdpAによって活性化されることが明らかとなった。プロテアーゼとそのインヒビターという逆の機能を持つ蛋白質が、遺伝子発現において同様の転写制御を受けていることは非常に興味深い。

2.strRの転写制御に関わるAtrA-gの解析2)

S.griseusによる抗生物質ストレプトマイシン(Sm)の生産は経路特異的転写活性化因子StrRにより制御される。strRの転写はAdpAにより直接制御されること、またadpA破壊株でSm生産が大幅に減少することから、StrR発現のメインスイッチはAdpAであると考えられた。一方でstrRプロモーター上流にAdpA以外の蛋白質が結合することも示されており、この蛋白質がstrRの転写に与える影響についても興味が持たれていたが、結合蛋白質が未同定のために解析は行われていなかった。このような状況下、2005年にS.coeticolor A3(2)において抗生物質アクチノロージンの生産を正に制御する蛋白質として同定されたAtrA(以下AtrA-c)がS.griseusのstrRプロモーター上流にも結合すると報告された。そこでAtrAがSm生産に与える影響について解析を行った。

S.griseusのゲノム上にはAtrA-cと相同性を示す蛋白質(AtrA-g)がただ1つコードされており、大腸菌で発現、精製したAtrA-gはAtrA-cと同様にstrRのプロモーター上流部位に結合した。作製したatrA-g破壊株のSm生産能を評価したところ、ある培養条件において野生株と比較してSm生産量が減少していた。atrA-g自身の転写は恒常的であり、adpA破壊株においても同程度の転写が見られた。以上の結果から、strRを介してSm生産に多大な影響を与えるのは既知のA-ファクター、AdpAシグナル経路であり、AtrA-gはA-ファクターカスケードとは独立にSm生産のマイナーチューニングを行う役割を持つことが示された。

3.WhiBホモログをコードするwbl遺伝子群の解析

醗酵学研究室で野生株と種々の変異株を用いたトランスクリプトーム解析が行われた結果、WhiB-like(Wbl)蛋白質をコードする遺伝子のいくつかがA-ファクターに依存した転写パターンを示すことがわかった。WhiBはS.coelicolor A3(2)で同定された87アミノ酸の蛋白質であり、遺伝子破壊株の表現型解析から胞子形成に必須であることが知られている。Streptomyces属放線菌はゲノム上に7-13個と多くのWbl蛋白質をコードしており、それらの機能はほとんど未知のままであった。そこでS.griseusにおけるwbl遺伝子の転写調節機構と生体内での機能を明らかにすることを目的として研究を行った。

S.griseusは全部で7個のwbl遺伝子を有するが、その中の4遺伝子(wblA,wblC,wblI,whiD)の転写がAdpAにより活性化されることが詳細な転写解析から明らかとなった。ゲルシフトアッセイによりAdpAはwblC以外の3遺伝子(wblA,wblI,whiD)のプロモーター付近に結合することがわかった。しかしながら、AdpA結合部位への変異導入株を用いた転写解析の結果、AdpAはこれら3遺伝子の転写を間接的に活性化させることが示された。AdpA依存的なwbl遺伝子のin vivoでの機能を解析するため遺伝子破壊株を作製して表現型を解析したところ、wblA遺伝子破壊株は気中菌糸をほとんど形成することができず、whiD破壊株は異常な形態の胞子を形成することが明らかとなった。wblC遺伝子破壊株、wblI遺伝子破壊株は野生株と同様の形態分化能を有していた。また、s.griseusにおけるWhiBの機能を知るため遺伝子破壊株を作製したところ、S.coelicolor A3(2)での報告と同様にwhiB遺伝子破壊株は胞子を形成しなかった。以上の結果はWbl蛋白質が胞子形成だけでなく気中菌糸形成の段階にも関与することを示しており、WhiBファミリー蛋白質は放線菌の形態分化に大きな役割を担う蛋白質群であることが明らかとなった。

4.気中菌糸形成を制御するAdsAの標的遺伝子に関する解析

AdpAの標的遺伝子として同定されたadsAはECFシグマ因子をコードしており、遺伝子破壊株の表現型解析から気中菌糸形成に必須であることがわかっている。そこで気中菌糸形成に関与する遺伝子群を明らかにするため、AdsAによって転写される標的遺伝子を探索した。

はじめに野生株とadsA破壊株との転写比較をDNAマイクロアレイとS1マッピング法により行い、AdsAに依存した転写パターンを示す遺伝子を探索した。次に大腸菌で発現、精製したAdsAを用いてin vitro転写を行ったところ、二成分制御系の応答制御因子をコードするbldMがAdsAの標的遺伝子として同定された。bldM遺伝子破壊株は気中菌糸を形成することができず一見adsA破壊株と同様の表現型を示したが、adsA破壊株にbldMを強制発現してもadsA破壊株の気中菌糸形成能は回復しないままであった。以上の結果はBldM以外にもAdsAによって転写活性化される気中菌糸形成に必須な遺伝子が存在することを示している。続いて野生株とbldM破壊株との比較トランスクリプトーム解析を行い、BldMに依存した転写パターンを示す遺伝子群を同定した。大腸菌を用いて発現、精製したBldMを用いてゲルシフトアッセイを行ったところ、複数の候補遺伝子のプロモーター付近にBldMが結合することが明らかとなった。BldMの標的遺伝子の中には疎水性の気中菌糸コート蛋白質であるChp蛋白質をコードする遺伝子群が含まれており、これら遺伝子群の転写が大幅に減少するためにadsA,bldM遺伝子破壊株は気中菌糸を形成することができないと考えられた。

1) S. Hirano, J. Kato, Y. Ohnishi, and S. Horinouchi (2006) J. Bacteirol. 188:6207-62162) S. Hirano, K. Tanaka, Y. Ohnishi, and S. Horinouchi (2008) Microbiology 154:905-914
審査要旨 要旨を表示する

本論文は放線菌の形態分化、二次代謝の制御機構について新たな知見を得ることを目的とし、ゲノム情報や網羅的な転写解析データから着目した個々の遺伝子について詳細な機能解析を行った結果を論じたものである。本論は全部で5章からなる。

第1章では、分泌型プロテアーゼと形態分化の関連性を明らかにすることを目的として、放線菌の有する分泌型プロテアーゼ阻害蛋白質SSI(Streptomyces subtilisin inhibitor)に注目した解析を行った。放線菌StJvptomyces 91'iseusのゲノム上にSSI様蛋白質をコードする遺伝子をただ1つ見出し、sgiAと命名した。 SgiAはin vivo、 in vitroどちらにおいてもプロテアーゼ阻害蛋白質として機能することを示した。また、組換えSgiAを菌体の傍に大量に添加することでS.griseusの気中菌糸形成が大幅に遅れることを明らかにした。この結果から分泌型プロテアーゼの活性を阻害することで形態分化が抑制されることが示された。以上のように、本研究は形態分化に対する分泌型プロテアーゼの重要性を強く裏付けるものである。またsgiAの転写は他の分泌型プロテアーゼをコードする遺伝子と同じく、形態分化と二次代謝を司る転写因子AdpAによって活性化されることが示された。プロテアーゼとそのインヒビターという逆の機能を持つ蛋白質が、遺伝子発現において同様の転写制御を受けていることは非常に興味深い。

第2章では、ストレプトマイシン生産を制御する新規転写因子AtrA-gについての解析を行った。AtrA-gはストレプトマイシン生合成経路特異的転写活性化因子をコードするstrRのプロモーター上流配列に結合することを示し、atrA-gの遺伝子破壊によりS.griseusの生産するストレプトマイシン量が低下することを示した。この時AtrA-gがストレプトマイシン生産に対して与える影響はAdpAと比較して弱いものであった。また、adpA破壊株でatrA-gの転写は野生株と変わらず観察されることも明らかとなった。以上の結果はAtrA-gはA-ファクターカスケードとは独立にストレプトマイシン生産のマイナーチューニングを行う役割を持つことを示しており、またこの菌におけるA-ファクター、AdpA経路の重要性を強く示唆するものである。

第3章では、A-ファクターに応答して転写されるwbI(whiB-like)遺伝子に着目して解析を行った。S.griseusのゲノム上にコードされた7つのwbl遺伝子と1つのwhiB遺伝子のうち、5遺伝子(wblC,wblI,whiD,wblAとwhiB)の転写がAdpAに依存することを示し、これら遺伝子の転写は何らかの因子を介してAdpAにより間接的に活性化されることを明らかにした。またこれらAdpA依存的に転写されるwbl遺伝子のうち、wblAは気中菌糸の形成に、whiBは胞子形成初期に、whiDは胞子の成熟と隔壁形成位置に影響を与えることを示した。本研究は胞子形成に関わるものと予想されていたwbl遺伝子が気中菌糸形成をも制御することを示した初めての例であり、この研究からwbl遺伝子群は放線菌の形態分化を複数の段階にわたって制御する重要な遺伝子群であることが示された。

第4章では、ECFシグマ因子をコードする遺伝子adsAに注目して解析を行った。adsA破壊株は気中菌糸を形成できないが、AdsAはどのような遺伝子の転写を制御することにより気中菌糸形成を引き起こすのかを解析した。その過程において、bldMがAdsAの標的遺伝子であることを示し、BldMはchp、rdl遺伝子の転写を制御することを明らかにした。同時にAdsA-BldMにその転写が強く依存する遺伝子として新たにSGR3164、SGR4023、SGR4256を同定した。一方でadsA破壊株の表現型はbldMの強制発現では相補されないことを示し、AdsAがbldM以外の遺伝子の転写を制御する可能性を示唆した。

第5章では、AdpAが結合できる最短のオリゴヌクレオチドはどのくらいの長さであるのかを検討し、AdpAは結合コンセンサス配列に加えて2塩基程度の余裕がないとDNA断片に結合できないことを示した。

以上、本論文は放線菌S.griseusを研究対象として、着目した個々の遺伝子の転写制御と機能解析を介して放線菌の形態分化、二次代謝の制御機構に関する知見を深めたものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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