学位論文要旨



No 125820
著者(漢字) 張,文
著者(英字)
著者(カナ) ジャン,ムンスン
標題(和) 希少放線菌 Actinoplanes missouriensis の運動性胞子に関する分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 125820
報告番号 甲25820
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3520号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 大西,康夫
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 准教授 足立,博之
内容要旨 要旨を表示する

希少放線菌の1つであるActinoplanes属放線菌は、栄養菌糸(基底菌糸)として増殖した後、空中に向かって短い胞子嚢柄を伸ばし、その先端に胞子嚢を形成する。胞子嚢の成熟にともなって胞子嚢中では菌糸が数本に分岐して伸長するが、やがて隔壁により菌糸は等間隔に分割され、各コンパートメントが成熟して胞子が形成される。1つの胞子嚢は数十から百個程度の胞子を含む。十分に湿潤した環境に置かれると、胞子嚢の外皮が破れ、数十本のべん毛をもった胞子が泳ぎだす。この運動性胞子の形成がActinoplanes属放線菌の最大の特徴である。走化性により適当な環境まで移動した運動性胞子は、やがて運動性を失い、出芽して再び菌糸状の生育を開始する。このように、Actinoplanes属放線菌は最も複雑な生活環をもつ原核微生物の1つであり、その形態分化や運動性胞子のべん毛形成・走化性には大変興味が持たれるが、これまでの研究は形態の観察や走化性の検証にとどまっており、分子遺伝学的な研究は全く行われていなかった。Actinoplanes missouriensisの全ゲノム配列決定プロジェクトと連動して開始した本研究では、まずA. missouriensisの形質転換系の開発を行った。次に、ゲノム解析から見出されたべん毛タンパク質をコードする遺伝子クラスターと3つの走化性遺伝子(che)クラスターに着目し、これらの遺伝子群の転写解析と遺伝子破壊による機能解析を行った。

I.A. missouriensisの形質転換系の確立

接合により大腸菌からStreptomyces属放線菌に導入可能な染色体組込み型ベクターであるpTYM19を用いて、A. missouriensisにDNAを導入することを検討した。種々の抗生物質に対する感受性を調べた結果、本菌はアプラマイシンに感受性であったため、pTYM19にアプラマイシン耐性遺伝子を挿入したベクターを構築した。このベクターを用いて、A. missouriensisへの遺伝子導入について種々の検討を行った結果、大腸菌との接合によりpTYM19をA. missouriensis染色体DNAに組込む系を開発することができた。この系では、プレート1枚あたり数百個の形質転換体のコロニーが得られ、その効率は十分高いものであった。このようにして接合条件が決定できたため、次に接合伝達性プラスミドpKmobsacBを用いた遺伝子破壊系の構築を試みた。本菌におけるDNA相同組換え頻度は十分高く、2回の相同組換え(シングルクロスオーバー)によって、目的遺伝子を染色体上から完全に欠失させる形での遺伝子破壊株の作製が可能であった。一方、A. missouriensisで複製可能なプラスミドの取得を目的に、57種のActinoplanes属放線菌及び2種の近縁属放線菌からプラスミドを探索した。その結果、近縁属放線菌であるCouchioplanes caeruleus subsp. azureusから環状プラスミドpCAZ1を見出し、その全塩基配列(5,846 bp)を決定した。また、pCAZ1を利用してA. missouriensisと大腸菌とのシャトルベクターを構築した。A. missouriensisでの遺伝子破壊法の開発やA. missouriensisで複製可能な環状プラスミドの発見およびそれを利用した大腸菌とのシャトルベクターの開発は、本研究が初めてであった。これらのツールの開発により以下に述べるようなA. missouriensisの分子遺伝学的研究が可能になった。

II.べん毛生合成遺伝子群の機能及び発現制御に関する解析

II-1. べん毛生合成遺伝子群の機能解析 A. missouriensisのゲノム解析からべん毛生合成に必要な一群のタンパク質をコードする遺伝子クラスターが見出された(図1)。興味深いことに、FliQをコードすると考えられる遺伝子は、この遺伝子クラスターとは離れた遺伝子座にコードされていた(図1)。これらの遺伝子のうち、以下に述べる遺伝子を欠失させた株を構築し、それぞれの遺伝子破壊株の胞子の運動性を観察するとともに、電子顕微鏡による胞子べん毛の観察を行った。すべての遺伝子破壊株は野生型遺伝子の導入により、その表現型が相補されることも確認した。

(1) fliC:べん毛繊維を構成するタンパク質(フラジェリン)をコードする遺伝子。fliC破壊株では胞子の運動性が完全に失われた。また、べん毛基部やフックは観察されたが、べん毛繊維は形成されていなかった。

(2) fliK:べん毛形成時、フックの長さを制御するタンパク質をコードすると考えられる遺伝子。fliK破壊株では、胞子の運動性は失われた。また、野生株より約3倍長くなったフック(ポリフック)が観察された。ごく稀にべん毛繊維まで形成されたべん毛が観察されたが、大部分はポリフックのみでべん毛繊維は形成されなかった。

(3) lytA:ペプチドグリカンの分解に関与するlytic transglycosylaseをコードする遺伝子。lytic transglycosylaseがタンパク質分泌装置の細胞表層への局在に必要であるという報告があるため、べん毛形成に関与していると予想された。lytA破壊株では胞子の運動性が完全に失われた。また、べん毛基部さえも形成されなかったことから、A. missouriensisのべん毛形成には、LytAによるペプチドグリカンの分解が必要であることが示唆された。

(4) fliQ:fliO, fliP, fliRとともにべん毛タンパク質輸送装置を構成するタンパク質をコードする。fliQ破壊株では、胞子の運動性が完全に失われ、べん毛基部さえも形成されなかった。この結果より、他のべん毛生合成遺伝子とは離れた遺伝子座に存在する本遺伝子がべん毛合成に関与していることが確認された。このように、べん毛生合成に関与する遺伝子が、他の遺伝子群と離れた位置にコードされているという例は、これまで他の細菌においては知られておらず、これが初めてである。

II-2. べん毛生合成発現制御機構の解析 サルモネラ菌のべん毛生合成においては、50種類以上の遺伝子の発現が精巧に制御されている。A. missouriensisのべん毛遺伝子クラスター中には他の細菌で知られている制御因子FliA、FlgMのホモログはコードされていない。クラスター中で転写因子をコードする遺伝子はtcrAただ1つであり、二成分制御系応答因子ホモログをコードしている。そこで、A. missouriensisのべん毛生合成発現制御機構に関する知見を得ることを目的に以下の実験を行った。

(1) RT-PCRおよびS1ヌクレアーゼマッピングにより、べん毛遺伝子クラスターおよびそれと隣接するcheクラスター1は、10個の転写単位により発現していることが明らかになった(図1)。fliQ遺伝子を含む転写単位を加えて、11個の転写単位について、5'-RACEや高解像度S1ヌクレアーゼマッピング法により転写開始点を決定した。

(2) 液体培養した菌糸、胞子嚢形成培地上の基底菌糸と胞子嚢の混合物、運動性胞子のそれぞれから回収したRNAを用いて、半定量的RT-PCRにより、上述の転写単位について、その発現様式を解析した。その結果、tcrAとfliQは液体培養した菌糸でも転写されていたが、その他はすべて胞子嚢形成培地および運動性胞子でのみ強く転写されていた。この結果は、従来の定説とは異なり胞子べん毛は胞子嚢形成時にすでに形成されていることを強く示唆している。また、多くのべん毛遺伝子は胞子形成培地に一面に植菌してから32~42時間で転写が開始されることも明らかになった。

(3) TcrAがべん毛の形成や走化性に関連する遺伝子の転写活性化を担っている可能性を考え、tcrA破壊株を構築した。tcrA破壊株では、図1の転写単位の中で(6)の転写量が野生型と比較して著しく減少していた。一方、tcrA破壊株では適切な条件下でも胞子嚢の外皮が破れず、運動性胞子が胞子嚢から泳ぎださないという特異な表現型を示した。この結果はTcrAがべん毛遺伝子クラスター中の遺伝子だけでなく、胞子嚢形成や胞子嚢の亀裂形成に関与する未知の遺伝子の活性化にも関与することを示唆している。

III.3つのcheクラスターの機能解析

A. missouriensisのゲノム解析から走化性に関与する可能性があるcheクラスターが3つ見出された(図1)。cheクラスター1と2にはそれぞれ2つのcheYが存在し、cheクラスター3ではcheYはcheAとの融合遺伝子(cheA/Y3)として存在している。運動性胞子の走化性に関与するcheクラスターを同定するため、この5つのcheYやcheクラスター全体を欠損させることにした。cheY2-2破壊株とcheクラスター3の欠損株は得られなかったが、取得できた遺伝子破壊株のγ-コリジンに対する走化性をキャピラリーアッセイにより調べた。その結果、cheクラスター1と2の二重欠損株ではγ-コリジンに対する走化性がほぼ完全に失われることがわかった。cheクラスター1と2の単独欠損ではほとんど走化性には影響がなかったため、cheクラスター1と2はいずれも運動性胞子の走化性に関与していると考えられる。一方、cheYとcheAの融合遺伝子を含むcheクラスター3は走化性ではなく、その他のシグナル伝達に関与していると考えられる。なお、cheクラスター3の転写は、菌糸、胞子嚢、運動性胞子のいずれにおいても検出されたが、cheクラスター1と2は菌糸ではほとんど転写されず、胞子嚢および運動性胞子で強く転写されていた。この転写パターンはcheクラスター1と2が運動性胞子の走化性に関与することと一致している。

図1.A. missouriensisゲノム上に存在するべん毛遺伝子クラスター及び3つのcheクラスター

遺伝子の向きと大きさは、転写単位ごとに実線あるいは点線で記した矢印で表している。cheクラスター1はべん毛遺伝子クラスターと隣接しており、両者に含まれる転写単位はカッコ内に通し番号をつけた。

審査要旨 要旨を表示する

希少放線菌の1つであるActinoplanes属放線菌は、栄養菌糸(基底菌糸)として増殖した後、空中に向かって短い胞子嚢柄を伸ばし、その先端に胞子嚢を形成する。1つの胞子嚢は数十から百個程度の胞子を含む。十分に湿潤した環境に置かれると、胞子嚢の外皮が破れ、数十本のべん毛をもった胞子が泳ぎだす。走化性により適当な環境まで移動した運動性胞子は、やがて運動性を失い、出芽して再び菌糸状の生育を開始する。このように、Actinoplanes属放線菌は最も複雑な生活環をもつ原核微生物の1つである。本論文はActinoplanes missouriensisの形態分化や運動性胞子のべん毛形成・走化性に関して研究を行ったものであり、序論と4章からなる本論により構成される。

序論においては、放線菌、プラスミド複製、バクテリアべん毛の構成因子と生合成制御、バクテリアの走化性などについてのこれまでの知見をまとめるとともに、本研究の目的や本論文の構成について記述している。

第1章においては、A. missouriensisの形質転換系に関する実験結果をまとめている。まず、大腸菌との接合によりベクターDNAをA. missouriensisに導入し、染色体DNAに組込ませる系を開発した。次に、接合伝達性プラスミドpKmobsacBを用いた遺伝子破壊系を構築した。一方、57種のActinoplanes属放線菌及び2種の近縁属放線菌からプラスミドを探索した結果、近縁属放線菌であるCouchioplanes caeruleus subsp. azureusから環状プラスミドpCAZ1を見出し、その全塩基配列(5,846 bp)を決定した。さらに、pCAZ1を利用してA. missouriensisと大腸菌とのシャトルベクターを構築した。A. missouriensisにおける遺伝子導入法・破壊法の開発やA. missouriensisで複製可能な環状プラスミドの発見およびこれを利用した大腸菌とのシャトルベクターの開発によりA. missouriensisの分子遺伝学的研究が可能になった。

第2章においては、べん毛生合成遺伝子群の機能解析および発現制御機構に関する解析結果について記述している。A. missouriensisのゲノム解析から、べん毛生合成に必要な一群のタンパク質をコードする遺伝子クラスターが見出されていたが、FliQをコードすると考えられる遺伝子は、この遺伝子クラスターとは離れた遺伝子座にコードされていた。fliQ破壊株では、べん毛が形成されず、この遺伝子もべん毛形成に必須であることが示された。2つのべん毛遺伝子(fliC、fliK)については、遺伝子破壊により、それぞれ予想される機能をもっていることを確認した。さらに、べん毛遺伝子クラスター中の、ペプチドグリカンの分解に関与するlytic transglycosylaseホモログをコードする遺伝子lytAがべん毛形成に必須であることを示した。一方、RT-PCRおよびS1ヌクレアーゼマッピングにより、べん毛遺伝子クラスターおよびそれと隣接するcheクラスター1は、10個の転写単位により発現していることを明らかにした。さらに、fliQ遺伝子を含む転写単位を加えて、11個の転写単位について、5'-RACEや高解像度S1ヌクレアーゼマッピング法により転写開始点を決定した。また、液体培養した菌糸、胞子嚢形成培地上の基底菌糸と胞子嚢の混合物、運動性胞子のそれぞれから回収したRNAを用いて、半定量的RT-PCRにより、上述の転写単位について、その発現様式を解析した。さらに、クラスター中にコードされた唯一の転写因子TcrAについて、遺伝子破壊によりその機能を解析し、TcrAがべん毛遺伝子クラスター中の遺伝子だけでなく、胞子嚢形成や胞子嚢の亀裂形成に関与する未知の遺伝子の活性化にも関与することを明らかにした。

第3章においては、走化性に関与する可能性がある、3つのcheクラスターについての解析結果について記述している。遺伝子破壊株の走化性アッセイの結果より、cheクラスター1とcheクラスター2の2つが、運動性胞子の走化性に関与していることが示された。両クラスターの転写は胞子嚢および運動性胞子で強く観察された。また、CheYタンパク質が胞子の中の1点に局在していることもCheY-GFP融合タンパク質発現株の蛍光顕微鏡観察によって明らかにされた。

第4章では、以上の実験結果をまとめるとともに、今後の研究展望について述べている。

以上、本論文は、運動性胞子を着生する放線菌における形態分化や運動性胞子のべん毛形成・走化性に関して多くの新たな知見をもたらすものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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