学位論文要旨



No 125824
著者(漢字) 五名,美江
著者(英字)
著者(カナ) ゴミョウ,ミエ
標題(和) ボルネオ島低地・山地熱帯雨林における水・物質収支とそのメカニズムに関する研究
標題(洋) Studies on water and nutrient balances and their mechanisms in tropical lowland and montane rainforests in Malaysian Borneo
報告番号 125824
報告番号 甲25824
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3524号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 准教授 芝野,博文
 東京大学 准教授 大手,信人
 東京大学 講師 蔵治,光一郎
内容要旨 要旨を表示する

熱帯雨林は、保護地域を除き、伐採され減少している。また、エルニーニョ等の気候変動の影響を受けた降雨減少に伴う山火事や、泥炭湿地林・マングローブ林の伐採後の再造林や農地開発を困難にする酸性硫酸塩土壌の問題が知られており、問題解決のための基礎的知見を得るため、熱帯雨林を対象とした水・物質循環の研究を行う必要がある。これまで、生態学・水文学などの学問分野の研究が個別に推進されてきたが、気候・気象・水文・土壌・地質・生態学などの分野を融合し総合的にアプローチしている事例は少ない。また、これまでの研究は、単一サイトのみの研究が多く、低地・山地熱帯雨林のように異なるタイプの熱帯雨林において水文・水質研究を同時に数年間、継続して行い、水・物質収支の特徴を比較した研究はほとんどない。

このような背景を踏まえ、本論文は、ボルネオ島マレーシアの全域の降雨データを収集するとともに、低地熱帯雨林と山地熱帯雨林の2サイトに試験流域を設定して水文・水質観測を実施し、降雨特性、水・物質収支とそのメカニズムを明らかにしたものである。

本論文は全7章により構成されている。

第1章では、研究の目的と意義について述べた。

第2章では、本論文の観測サイトの概要と試験流域の詳細を示した。主たる対象流域として、ボルネオ島マレーシアサラワク州ランビル国立公園の低地熱帯雨林1流域(LT;23.25ha、標高90~250m)、サバ州キナバル国立公園の山地熱帯雨林1流域(KM;1.78ha、標高1697~1766m)を設定し、水文・水質観測を実施した。LT、KMにおける渓流水質の一般性を検討するために、LTに隣接した1流域(LC;21.97ha、標高180~250m)、KMに隣接した1流域(KB;4.06ha、標高1867~2033m)を設定し、LT、KM同様の観測を実施した。低地熱帯雨林については、渓流水質形成メカニズムを検討するために、小流域(LM;0.59ha、標高190~212m)を設定した。対象流域の地質はすべて第三紀堆積岩であり、土壌は、USDAの区分によると、LT、LC、LMはアルティゾル、KMはスポドゾル、KBはインセプティゾルである。

第3章では、サラワク州、サバ州全域を対象に、降雨季節変動の地理的分布と、エルニーニョ南方振動(ENSO)の影響について記述した。

降雨季節変動パターンとその空間分布を把握するため、サラワク州は17地点41年間(1963~2003)、サバ州は25地点20年間(1987~2006)の月降雨量データを使用し、地点別の長期平均季節変動パターンを基にクラスター解析を行った。その結果、サラワク州、サバ州は各々4クラスターに区分された。次に、ENSOと降雨季節変動の関係を明らかにするため、Nifio3.4海域(5°S-5°N、170°-120°W)月平均海面水温と、降雨季節変動の各パターンとのラグ相関解析を行い、その結果を基に12-2月の平均海面水温を指標としたエルニーニョ年のコンポジット解析を行った。その結果、エルニーニョの影響により、サラワク州では極めて限定された地点でのみ降雨減少が顕著となること、サバ州では全域にほぼ同じタイミングで降雨減少が発生するが、このタイミングにもともと少雨である限られた地点で降雨減少が顕著となることがわかった。

第4章では、低地・山地熱帯雨林の水・物質収支の特徴を記述した。

3年間(2006~2008)LTとKMで降雨、流出の連続観測を行った結果、平均年降雨量は各々2925.8、3216.7mm、平均年流出量は各々1271.8、2368.2mm、平均年気温は各々27.0、16.2℃であった。この結果とマレーシアの他の熱帯雨林流域の結果を用いて、年損失量と年降雨量、流域面積、流域末端部の標高との関係を調べたところ、年損失量と標高の間に、最も高い有意な相関が見られ、LTとKMの損失量の差を決めている主たる要因は標高であると考えられた。

物質収支について、LTとKMを比較した結果、収支に最も顕著な差が見られたのは硫酸態硫黄(SO4-S)であった。LT、KMの単位面積あたり平均年SO4-S流入量は、降雨では各々6.5、4.Okg/ha/year、林内雨では、各々6.1、6.5kg/ha/yearと大差はなかった。一方、渓流水として流出する平均年SO4-S流出量を比較すると、LT(64.6kg/ha/year)はKM(1.Okg/ha/year)の約65倍もの流出量があり、LTでは流入量より流出量が多く、KMでは流入量より流出量が少ないことが明らかとなった。

第5章では、低地・山地熱帯雨林の渓流水の溶存物質濃度の特性を明らかにし、世界の他の熱帯雨林の研究結果と比較して考察した。

渓流水のLT、KMの電気伝導度(EC)は、平水時には各々40~50、1~2μS/cmと1オーダー以上異なり、降雨よりもLTでは高く、KMでは低い特徴があった。降雨時の渓流水のECは、LTは低下、KMは上昇し、降雨時の渓流水の水質は降雨の寄与を大きく受けることがわかった。そこで、LTとKMそれぞれについて、流況曲線を基準として流量区分を行い、加重平均濃度を算出した。出水時を除いた渓流水のCl-、NO3(-)、so4(2-)、OH-濃度の合計(TA)は、LT、Lc(各々485.6、197.2μmolcL(-1))で、KM、KB(各々14.3、15.1μmo1cL(-1))の最大34倍、Na+、NH4(+)、K+、Mg(2+)、Ca(2+)、H+濃度の合計(TC)は、LT、LC(各々4025、216.9μmo1cL(-1))で、KM、KB(各々97.3、172.4μmo1cL(-1))の最大3.1倍であり、pHは、LT、LCで各々4.2、4.7、KM、KBで各々5,7、6.3であった。低地と山地では、SO4(2-)濃度の絶対値と、TAに占めるSO4(2-)濃度の割合、pHに特に明瞭な差があった。TA、TC、pHの関係を世界の他の熱帯雨林24流域で調べたところ、地質による違いが明瞭で、堆積岩の流域では、流域によるTA、TCおよびpHのばらつきが花商岩の流域に比べて2~3オーダー大きいことが明らかとなった。ぱらつきの要因について、本論文の4流域を追加して検討した結果、SO4(2-)濃度、TAに占めるSO4(2-)濃度の割合がTA、TCを決める主たる要因であり、SO4(2-)を緩衝するカチオンが十分にあるかどうかがpHを決める主たる要因であることが明らかとなった。

第6章では、低地と山地熱帯雨林の違いが明瞭である渓流水のSO4(2-)濃度について、なぜ低地熱帯雨林で高濃度SO4(2-)が形成されるのか、そのメカニズムを観測により検討した。LM流域を対象とし、土壌水・地下水・渓流水のSO4(2-)濃度の鉛直分布、SO4(2-)とFe濃度の関係、イオンバランス、土壌のpHを調べた。その結果、土壌水のSO4(2-)濃度は均一ではなく、下流域では最小0.5μmo1cL(-1)、上流域では最大420.5μmolcL(-1)で3オーダー大きいこと、渓流水のSO4(2-)濃度は上流の湧水点付近の土壌水、地下水、湧水のSO4(2-)濃度に近いことが明らかとなった。SO4(2-)濃度が200μmo1cL(-1)以上の濃い地点では、(TC-TA)が負でカチオンが不足しており、重金属イオンの寄与があると推察された。SO4(2-)とFeがすべて黄鉄鉱(FeS2)の酸化で生じており、他にない場合を仮定すると、FeとSのモル比は1:2となる。この仮説が満たされ、さらにFeがすべてFe(3+)の形で存在していると仮定すれば、Feの持っている電荷とSの持っている電荷の比は3:4となる。本論文より、SO4(2-)濃度が200μmolcL(-1)以上の流域上部の土壌水と湧水点の渓流水で、SO4(2-)とFe濃度がFe:S=1:2の線上にほぼのっていることがわかり、高濃度SO4(2-)の原因はFeS2の酸化と推察された。一方、SO4(2-)濃度が200μmo1cL(-1)より低い地点では、(TC-TA)が正で、SO4(2-)濃度とFeの関係は明瞭ではなかった。pHは5.3以下で、HCO3(-)の寄与はないと考えられることから、(TC-TA)が正である要因は有機酸イオンと推察された。LM流域内3地点で土壌を採取し、強制酸化pH測定を行った結果、いずれも3以下となり、酸性硫酸塩土壌と判定された。泥炭湿地林では、酸性硫酸塩土壌が存在することが知られているが、ランビル国立公園のようなフタバガキ林が成立する低地熱帯雨林において、酸性で高SO4(2-)濃度の渓流水が存在し、その起源が上流域の土壌に存在するFeS2の化学的風化であることが明らかになった。

第7章は、本論文結果の総括とした。

本論文により、ボルネオ島マレーシア全域の降雨特性、低地・山地熱帯雨林流域の水・物質収支の特徴やメカニズムについて、これまでにない新たな知見を提示することができ、その共通点と違いについて明らかにすることができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、マレーシア・サラワク州とサバ州の降雨特性解明とともに、低地熱帯雨林と山地熱帯雨林の2サイトに試験流域を設定して水文・水質観測を実施し、水・物質収支とそのメカニズムを明らかにしたものである。

第1章では、エルニーニョ等の気候変動の影響を受けた降雨減少に伴う山火事や、泥炭湿地林・マングローブ林の伐採後の再造林や農地開発を困難にする酸性硫酸塩土壌の問題が存在するアジアの熱帯雨林において、水・物質収支研究が不足している現状を述べ、本研究の目的と意義を示した。

第2章では、対象とする試験流域について、ボルネオ島マレーシア・サラワク州ランビル国立公園の低地熱帯雨林2流域(LT:23.25ha、標高90~250m、LC;21.97ha、標高180~250m)、サバ州キナバル国立公園の山地熱帯雨林2流域(KM;1.78ha、標高1697~1766m、KB;4.06ha、標高1867~2033m)、及びLC内部に設定した小流域(LM;0.59ha、標高190~212m)の地形、土壌、植生等の概要を示した。地質はすべて第三紀堆積岩である。

第3章では、降雨季節変動の地理的分布と、エルニーニョ南方振動(ENSO)の影響について、サラワク州17地点41年間(1963~2003)、サバ州25地点20年間(1987~2006)の月降雨量データにより検討した。サラワク州、サバ州の降雨季節変動パターンは、各々4クラスターに区分された。Nino3.4海域(5°S-5°N、170°-120°W)月平均海面水温と、各クラスターの降雨季節変動パターンとのラグ相関解析、エルニーニョ年のコンポジット解析により、Nino3.4海面水温から0~3ヶ月遅れる降雨減少と6ヶ月遅れた降雨増加がサラワク州、サバ州全域で見られ、エルニーニョ期間の降雨減少は、サラワク州のサバ州に近い一部地域とサバ州において著しいことが明らかにされた。

第4章では、低地・山地熱帯雨林の水・物質収支の特徴が解明された。3年間(2006~2008)LTとKMの平均年降雨量は各々2925.8、3216.7mm、平均年流出量は各々1271.8、2368.2mmで、LTとKMの損失量の差は標高の違いがもたらす蒸発散量である。両流域の物質収支の算定は、出水中の渓流水の濃度変化を溶存物質毎に検討した上で進められ、両流域における物質収支の著しい差異は、LTにおいて硫酸態硫黄(SO4-S)の流出が64.6kg/ha/yearとKMに比べて65倍あったことを示した。

第5章では、計測された陽イオン総量(TA)、陰イオン総量(TC)、pHの関係を世界の他の熱帯雨林24流域で調べ、これらの渓流水質は地質による違いが明瞭で、堆積岩の流域では流域によるTA、TCおよびpHのばらつきが花崗岩の流域に比べて2~3オーダー大きいことを明らかにした。また、SO4(2-)を緩衝する陽イオンが十分にあるかどうかがpHを決める主たる要因であることを示した。

第6章では、低地と山地熱帯雨林の違いが明瞭である渓流水のSO4(2-)濃度について、なぜ低地熱帯雨林で高濃度SO4(2-)が形成されるのか、1M流域を対象とし、土壌水・地下水・渓流水のSO4(2-)濃度の鉛直分布、SO4(2-)とFe濃度の関係、イオンバランス、土壌のpHを観測し解析した。土壌水のSO4(2-)濃度は均一ではなく、流域下部では最小0.5μmokL(-1)、流域上部では最大420.5μmolcL(-1)で3オーダー大きいこと、渓流水のSO4(2-)濃度は上流の湧水点付近の土壌水・地下水、湧水のSO4(2-)濃度に近いという結果であった。そして、SO4(2-)濃度が200μmolcL(-1)以上の流域上部の土壌水と湧水点の渓流水で、SO4(2-)とFe濃度がFe:S=1:2の線上にほぼのっていることなど、この観測結果より、高濃度SO4(2-)の原因はFeS2の酸化であるとする結論を得た。泥炭湿地林では、酸性硫酸塩土壌が存在することが知られているが、ランビル国立公園のような生物多様性が高く、蓄積の大きいフタバガキ林が成立する低地熱帯雨林において、酸性で高SO4(2-)濃度の渓流水が存在し、その起源が上流域の土壌に存在するFeS2の化学的風化でことは新規性の高い発見で、今後の熱帯林保全に重要な基礎となる知見である。

第7章では、以上の結果をまとめて、ボルネオ島マレーシア全域の降雨特性、低地・山地熱帯雨林流域の水・物質収支の特徴やメカニズムについて総括としている。

以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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