学位論文要旨



No 125827
著者(漢字) 飯田,碧
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,ミドリ
標題(和) 和歌山県太田川におけるボウズハゼの生活史に関する研究
標題(洋)
報告番号 125827
報告番号 甲25827
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3527号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 木村,伸吾
内容要旨 要旨を表示する

ボウズハゼ亜科魚類は熱帯から亜熱帯の島嶼を中心に約110種が生息し,全て両側回遊性の生活史を持つ。日本に生息するボウズハゼSicyopterus japonicusは本亜科唯一の温帯種であり,分布の北限に生息する種といえる。そのため,起源した熱帯とその後適応した温帯双方の生活史特性を合わせもつと考えられるが,その生活史に関する知見は乏しい。温帯のボウズハゼの生活史特性を他の熱帯種と比較することは,ボウズハゼ亜科魚類の分布拡大と進化の過程を理解する上で重要である。そこで本研究では,和歌山県太田川において,窮化から繁殖に至るボウズハゼの全生活史を明らかにすることを目的とした。さらに,本研究で得られた知見を他のボウズハゼ亜科魚類や両側回遊性魚類と比較して,魚類の両側回遊現象について理解を深めることもねらいとした。

1.分布

ボウズハゼの河川内分布とその季節変化を明らかにするため,流程27kmの太田川(和歌山県)に河口(St.1)から上流22km(St.7)にかけて計7定点を設け,2003年6月から2006年3月まで約3年間に亘り採集・観察を行った。得られた計1273個体の標準体長は24.0-120.0mm,体重は0.17-25.029の範囲にあった9雄は体長・体重共に雌より大きかった。体長はSt.5を除くと上流ほど大きかった。全体の性比は1:1と有意に異ならなかった。本種の分布密度を求めるため,St.1,2,4,6の瀬で潜水観察を行ったところ,中流域のSt.2とSt.4で高く(平均2.1個体/m2),下流(St.1:0.5個体/m2)と上流(St.6:0.1個体/m2)では低かった。ボウズハゼはSt.1では春にのみ出現し,冬は全定点でみられなかった。以上の結果から,春から初夏にかけて河川に加入した個体は,河口汽水域のSt.1にはほとんど定着せず,直ちに中流(St.2-5)まで成長しつつ遡上し,定着するものと考えられた。一部はさらに遡上して上流域(St.6,7)に達し,低密度のため大きな体サイズをもつようになったと推測された。低水温の冬季には岩や石の下で越冬するものと考えられた。

2.年齢と成長

耳石の輪紋が年輪であることを確認し,218個体の年齢査定を行ったところ,その範囲は1-6歳であった。これを基にベルタランフィーの式とexpanded vonBertalanffy growth equatienにより成長曲線を求めたところ,いずれの場合も雌は体長60-70mmで成長が停滞したのに対し,雄には成長の停滞は見られなかった。成長の季節変化をみるため,雌雄別にコホート解析を行って成長率を求めたところ,雌雄とも4月から10月にかけて0.3-3.2mm/月と大きく,10月から2月の問は0-0.7mm/月とほとんど成長がみられなかった。肥満度は,雌雄とも5月から7月にかけて増大し,7月に最大(平均21.0)となった。その後8月に急減したが,11月に再び増大し,冬にはまた減少した。春から夏の肥満度の上昇は繁殖準備,秋の上昇は越冬の準備と考えられた。

3.成熟と産卵

本種の産卵生態を明らかにするため,生殖腺指数と卵巣組織の経月変化を調べたところ,雌の生殖腺指数(N=171,範囲0.0-20.8)は夏季に高値(平均6.5)を示し,秋から春にかけては低値(平均0,7)を示した。これよりボウズハゼは高水温(20-26℃)の夏に年1回の産卵期を持つと考えられた。2歳魚で生殖腺指数20.8と高値を示す個体が出現したことから,少なくとも2歳になると産卵に参加するものと推察された。卵巣には通年卵径100μm以下の小型卵が観察され,産卵期の7月と8月には小型卵に加えて200μm以上の大型卵も観察された。卵巣の組織観察を行ったところ,7,8月の個体(雌:N=10)は全て大型卵を持ち,成熟が進んでいた。7,8月に採集した2,3,5,6歳の個体の卵巣卵径分布は,全ての個体で大型卵と小型卵に分かれる二峰型を示し,2歳に達するとどの年齢でも産卵期には成熟し,生涯複数回産卵するものと推察された。孕卵数(N=10)は22,540-109,290粒(平均56,030粒)で,そのうち大型卵数は10,820-52,460粒(平均26,900粒)と推定された。野外で卵塊を採集し(N=8),産着卵数を推定したところ,11,700-76,300粒であった。本種の孕卵数と産着卵数は他のボウズハゼ亜科魚類とほぼ同等であるが,ハゼ亜目魚類の中では多く,他の両側回遊魚と比較すると1桁から2桁多い値であった。

4.初期発生と流下

本種の発生初期の生態を明らかにするため,野外で採集した卵を飼育して,卵,仔魚の発育過程を観察するとともに,塩分と水温が発育と生残に及ぼす影響を検討した。卵は付着糸を備えた球形で,直径O.4mmの沈性付着卵であった。孵化仔魚は全長1.5mmで,ロと肛門は開いておらず,目は未黒化であった。本種の仔魚は他のボウズハゼ亜科魚類の孵化仔魚と類似した形態をもつが,他のハゼ科魚類と比較するとより未発達な状態で孵化するといえる。卵の孵化率は,淡水と113海水中で平均73.3%と高く,海水中では18.9%と低かった。仔魚の生残と発育を異なる塩分3区(淡水,113海水,海水)と水温3区(18,23,28℃)の組み合わせで比較したところ,原則として1/3海水区,海水区,淡水区の順に生残がよく,また低温ほど生残がよかった。淡水では初期発育は全く進行しなかったが,海水区と113海水区では目の黒化,開口,卵黄吸収と進みデ高温ほど発育が速いことがわかった。止水の水槽中で孵化仔魚の行動を観察すると,静止沈降と遊泳上昇の鉛直運動を休みなく繰り返した。1回の上昇距離,下降距離,上昇時間はいずれも,淡水,112海水,海水の順で大きかった。孵化仔魚の比重は1.034(23℃)-1.036(28℃)と海水(1.023)より大きかった。

流下仔魚調査を2004年から2008年の6-11月に行ったところ,7-9月にのみ仔魚が採集され,各年の仔魚の流下時期は夏の1・2ヶ月に限られることがわかった。いずれの年も流下仔魚量と水温,月周期に明瞭な関係は見られなかうた。24時間調査では,流下仔魚は日中にはほとんど採集されず,夜間に集中した。流下のピークは21時から0時にあり,これは日没後に欝化が起こるためと推測された。以上総合して,夏の夜間に卿化した仔魚は,河床に沈んで流下が遅れることを防ぐため,終始鉛直運動を行いながら降海し,発育と生残に好適な河口・沿岸域に速やかに到達するものと考えられた。

5.海洋生活期

本種の海洋生活期の生態を知るため,2005年から2008年に河川に加入した仔魚計123個体の耳石日周輪を用いて流下から河川加入までの海洋生活期間を推定したところ,173-283日の範囲にあり,平均217日であった。欝化日は8月11日から12月17日と推定され,採集年によって有意な差はなかった。この推定欝化期間は太田川の産卵期より長く,また遅いことから,他の地域の河川で生まれた仔魚が太田川に加入していることが示唆された。そこで粒子追跡数値シミュレーションにより,生息域の南限と考えられる台湾南東部の黒潮域から,水深5m,50m,120m層に粒子を投入したところ,50m層の粒子が90-150日で九州南部から紀伊半島沖を経て関東沿岸に接近したことから,台湾南部の河川で孵化,流下した仔魚が太田川に加入する可能性のあることが示された。

6.加入

ボウズハゼの河川加入時の生態を明らかにするため,2006年から2008年の3-9月に河口汽水域で仔魚の採集と観察を行った。仔魚は4-8月に採集され,盛期は4-6月であった。加入の大部分は水温20℃以下の6月末までに終了し,夏季の加入は散発的で個体数も少なかった。仔魚の体長と体重の範囲は22.5-34.Omm,0.11-0.53gであった。採集個体数は2006年には12,766個体,2007年には372個体,2008年には942個体と大きく変動した。いずれの年も一日で20-200個体以上採集されるピークが年に2-6回あった。干潮・満潮に合わせて1日4回の採集を6日間行ったところ,夜間(平均9個体)に比べ,昼間(266個体)に多く加入することがわかった。2006年と2008年に計63時間に亘り川岸から目視観察を行ったところ,2-300個体で構成された群れの遡上が,計183例(2006年:平均3.3例1時間,2008年:2.4例1時間)観察された。その約半数は20個体以上の群れであったが,単独で遡上する場合も計43例観察された。群れの出現ピークは干潮から4-6時間前後に見られ,上げ潮に同期していることがわかった。

本研究の結果,ボウズハゼはその生活史に明瞭な季節性をもち,温帯の河川水温の変動に合わせて,成長,繁殖,流下,加入などの規則的な生活史イベントをそれぞれ決まった季節に行うことが明らかとなった。これは周年に亘って繁殖・加入する熱帯のボウズハゼ亜科魚類が,仔魚の大規模分散による温帯への分布拡大に伴って獲得した生活史特性と考えられる。大量・小サイズの仔魚を未熟な状態で速やかに降海させ,海流を利用して大規模な分散を行うというボウズハゼの生活史戦略は,他の多くのボウズハゼ亜科魚類と共通している。一方でアユやヨシノボリ属など他科の両側回遊魚にみられる沿岸滞留型の両側回遊に比べると,より海洋依存度の高い,分散型の両側回遊と位置づけることができる。本研究で得られたボウズハゼの生活史に関する知見は東アジアにおける本種の保全に活用することができる。

審査要旨 要旨を表示する

ボウズハゼ亜科魚類は熱帯から亜熱帯を中心に生息し両側回遊性の生活史を持つ。ボウズハゼSicyopterus japonicusは本亜科唯一の温帯種であり熱帯と温帯双方の特性を合わせもつと考えられるが,その生活史に関する知見は乏しい。本研究の目的は,ボウズハゼの全生活史を明らかにすること,また本研究で得られた知見に基づいてボウズハゼ亜科魚類と魚類全体の両側回遊現象について理解を深めることである。

第1章の緒言に続く第2章では,本種の河川内分布と季節変化を明らかにするため,和歌山県太田川に7定点を設け2003年から2008年に亘って調査を行った。得られた計1273個体の標準体長は24.0-120.0mm,体重は0.17-25.02gの範囲にあり,雄は体長・体重共に雌より大きかった。上流ほど体長の大きい傾向があった。分布密度は中流域で高く,下流と上流で低かった。河口付近では春にのみ出現し,冬は全定点でみられなかった。本種は春から初夏に河川に加入して,成長しつつ遡上し,冬には石の下で越冬するものと考えられた。

第3章では,耳石による年齢査定(N=218)を行い,本種の成長パタンを明らかにした。1-6歳の個体が出現した。成長曲線を求めたところ,雌は体長60-70mmで成長が停滞したのに対し,雄には成長の停滞は見られなかった。成長速度は雌雄とも春から秋にかけて大きく,秋から冬の問はほとんど成長がみられなかった。肥満度は雌雄とも5-7月に増大し,7月に最大(平均21.0)となった。8月に急減したが,11月に再び増大し,冬には低値を示した。春から夏の肥満度の上昇は繁殖準備,秋の上昇は越冬準備と考えられた。

第4章では,生殖腺の観察により本種の産卵生態を把握した。雌の生殖腺指数(N=171,範囲0.0-20.8)は夏季に高値(平均6。5)を示し,秋から春にかけて低値(0.7)を示した。卵巣には通年卵径100pm以下の小型卵が観察され,7,8月には200pm以上の大型卵も観察された。孕卵数(N=10)は平均56,030粒,大型卵数は平均26,900粒と推定され,野外で採集した卵塊(N=8)の産着卵数は平均42,900粒と推定された。本種は夏に年1回の産卵期をもつと考えられた。

第5章では,室内実験と野外調査により発生初期の生態を明らかにした。孵化率は淡水と113海水中で平均73.3%と高く,海水中では18.9%と低かった。孵化仔魚(全長1.5mm)は未発達な状態で,連続的な鉛直運動が観察された。仔魚の生残と発育を異なる塩分と水温で比較したところ,原則として113海水区,海水区,淡水区の順に生残がよく,また低温ほど生残がよかった。淡水では初期発育は全く進行しなかったが,海水区と1/3海水区では順調に発育した。流下仔魚調査を2004年から2008年の6・11月に行ったところ,採集は7・9月に限られ,24時間調査では夜間に集中して採集された。夏に孵化した仔魚は,鉛直運動を行いながら降海し,発育と生残に好適な河口域に速やかに到達するものと考えられた。

第6章では,河川に加入した仔魚の耳石(N=123)から海洋生活期間を推定し,粒子追跡実験により,海洋における輸送過程を推定した。海洋生活期間は173・283(平均217)日で,推定孵化日は8月から12月であった。この期間は太田川における本種の産卵期より長いため,他の地域で生まれた仔魚が太田川に加入しているものと推察された。そこで生息域の南限の台湾南東部から,水深5m,50m,120m層に粒子を投入したところ,50m層の粒子が90・150日で紀伊半島沖を経て関東沿岸に接近したことから,台湾南部の河川で孵化した仔魚が太田川に加入する可能性のあることが示された。

第7章では,2006年から2008年の3・9月に河口汽水域で調査を行い,河川加入時の生態を明らかにした。仔魚は4・8月に河口に加入し,盛期は4-6月であった。体長と体重の範囲は22.5-34.0mmと0.11-0.53gであった。採集個体数には大きな年変動があった。夜間(平均9個体)に比べ,昼間(266個体)に多く加入することがわかった。

以上,本研究では6年間に亘る野外調査と室内実験を行い,これまで知見のなかったボウズハゼの生活史を詳述し,そこに明瞭な季節性のあることを明らかにした。一方で仔魚期に必ず海を利用するという本種の生活史は,他の多くのボウズハゼ亜科魚類と共通する。これを他の両側回遊魚と比べると,本亜科の両側回遊はより海洋依存度の高いものと位置づけられる。本研究で得られたこれらの知見は,両側回遊現象を理解する上で新しい視点を提供するものであり,学術上価値が高いと判断されたので,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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