学位論文要旨



No 125828
著者(漢字) 横内,一樹
著者(英字)
著者(カナ) ヨコウチ,カズキ
標題(和) 浜名湖水系におけるウナギの回遊多型に関する資源生態学的研究
標題(洋)
報告番号 125828
報告番号 甲25828
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3528号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 准教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

ウナギ属魚類にとって,降河回遊生態はその生活史の根幹をなす.外洋の産卵場と淡水の成育場の間で展開される数千キロもの回遊現象は,魚類の中でも他に類を見ない生活史イベントといえる.しかし近年,耳石の微量元素分析から,黄ウナギ期にも河川遡上せず,一生を海で過ごす海ウナギが発見され,ウナギ属魚類の回遊生態はこれまでいわれてきたような単純な降河回遊型のみではないことがわかってきた.すなわち,成育場として淡水域,河口域および海域を利用する,それぞれ川ウナギ,河ロウナギ,海ウナギが存在し,さらにはこうした生息域の間を行き来する個体も分化することが明らかとなった.ウナギ属魚類の回遊は多様な変異と柔軟な可塑性をもち,その生活史には様々な多型が生じているものといえる.しかし,黄ウナギ期において複数の回遊型が生じる原因は不明で,実際の回遊型の分化過程に関する記述や分化機構の解明を目指した研究はほとんどない.

そこで本研究では,まず浜名湖水系の流入河川と汽水・海水域の湖内において野外調査を実施し,それぞれの生息域におけるウナギAnguilla japonicaのサイズ,齢,成長,性比など基礎的な生物学的情報を集積して,全国の11水域から得られたウナギのデータと比較した.また,これらの知見を基に浜名湖水系におけるウナギ回遊型の分化過程を明らかにし,そのメカニズムを推定することを目的とした.さらに,ウナギにおける回遊多型現象の生態学的意義とその進化過程を考察することもねらいとした.

1.流入河川に生息するウナギ

2003年から2006年にかけ,浜名湖に流入する今川と西神田川で電気ショッカーにより黄ウナギを計491個体採集した.性判別を行った結果,両河川とも雌が優占した(84-85%).今川の雌の全長(平均±標準偏差)は481.6±102.4mm,雄は398.8±76.8mmで,体サイズに明瞭な雌雄差が認められた.耳石を用いて齢査定を行った結果,雌は5.2±1.3歳(n=61),雄は5.5±1.8歳(n=10)であった.西神田川では,上流に向かうほどウナギの体サイズは増大し,密度は減少する傾向がみられた.西神田川の採捕個体のうち252個体を標識放流した結果,放流後約2年半の間に計38個体(再捕率:15%)が再捕された.再捕個体のうち79%は放流地点から上・下流200m以内で再捕され,最大でも710mしか移動しなかった.これより黄ウナギ期には河川内で大規模な移動はないものと考えられた.50m以上移動した21個体の内,67%は放流地点から上流方向に移動しており,多くは成長に伴って個体密度の低い上流域へ分散移動するものと考えられた.この黄ウナギで見られる長期に亘る小規模な移動は,後述のシラスウナギの加入後当歳で起こる大規模な分散移動とは個体数,移動速度の点で区別される.

2.浜名湖に生息するウナギ

2003年から2007年にかけて浜名湖内の小型定置網でウナギ計615個体(黄ウナギ:356個体,銀ウナギ:259個体)を採集した.性比(雌%)は黄ウナギと銀ウナギでそれぞれ50%と61%であった.雌が優占した流入河川に比べ,湖内では比較的雄が多かった.黄ウナギの全長は324.6±92.1mm,銀ウナギは608.5±87.4mmであった.銀ウナギはすべて全長400mm以上であるのに対し,黄ウナギでは全長400mm以上の個体は25%以下と少なく,黄ウナギが一定サイズ以上に成長すると,銀ウナギに変態するものと考えられた.湖で採集された計368個体の齢査定を行った結果,銀ウナギの年齢は9.1±2.7歳(n=149)で,黄ウナギ(3.2±1.4歳,n=219)より高齢であった.銀ウナギの雌の年齢(9.9±2.6)は雄(8.3±2.5)より高く,また雌の全長(659.3±65.6mm)は雄(527.7±47.7mm)に比べ大きかったことから,雌は雄よりも高齢・大サイズになって銀化・成熟を開始するものと考えられた.成長の速い個体ほどより若齢で銀化したが,銀化時の全長と年齢には相関はみられなかった.以上のことから,銀化と成熟開始には年齢よりもむしろ成長率と体サイズの影響が大きいものと考えられた.

3.他水域に生息するウナギ

1999年から2003年にわたって実施された日本水産資源保護協会の内水面重要種資源増大対策委託事業報告書から,計8県11水域(茨城県洞沼,千葉県利根川,湊川,愛知県豊川,木曽川,徳島県吉野川,高知県物部川,仁淀川,大分県駅舘川,宮崎県大淀川,鹿児島県川内川)の黄ウナギの生物学的データ計6812個体分を抽出し,浜名湖水系で得た黄ウナギの雌雄,計213個体のデータと比較した.各水域のウナギの性比,全長,年齢,成長速度について,それぞれの水域の流域面積,流程,河川水の栄養状態との関係を調べたところ,水域の規模が大きくなるにつれてウナギの性比は雌に偏り,雌雄ともに大型となる傾向があった.しかし,雌の年齢と河川規模には相関はみられなかった.

これらのデータを浜名湖で採集されたウナギの全長,年齢および成長率と比較したところ,浜名湖のデータは汽水湖の洞沼および河口汽水域に調査定点をもつ物部川,駅舘川,大淀川に類似していた.調査水域中,最も若齢・高成長の洞沼のウナギは,浜名湖のウナギよりも雌雄の成長率が高く,雄が若齢であることを除けば,他の特性値は浜名湖のウナギと類似していた.浜名湖流入河川・今川のウナギは,性比,成長率ともに,計5河川(利根川,木曽川,吉野川,仁淀川,川内川)のウナギのそれと差はなかった。したがって,浜名湖内のウナギは一般河川の河口域・下流域におけるウナギの生態を,また浜名湖流入河川のウナギは一般河川の淡水域におけるウナギの生態をおおよそ代表すると考えられた.

4.耳石による回遊履歴推定法の検討

2007年2.月の夜間上げ潮時に浜名湖・湖口で採集したシラスウナギを用いて,耳石Sr/Ca比による回遊履歴推定法の実効性を検証した.海水中で60日間馴致した後,様々な塩分濃度(0,3.2,15,32psu)とSr/Ca比(2.0,3.4,7.8,8.2mmol/mol)をもつ環境水中で30日間飼育した結果,ウナギの耳石Sr/Ca比は環境水のSr/Ca比および塩分濃度と正の相関関係を示すことが確認された.また,実験開始時にウナギを淡水へ移行した実験区と,そのまま海水で30日間継続飼育した対照区の耳石Sr/Ca比を比較したところ,対照区の耳石Sr/Ca比は実験期間を通じて平均6.7-7.6mmol/molと安定していたのに対し,実験区は10日後に4.2,30日後には2.7にまで減少した.その後実験区のウナギをさらに30日間延長飼育しても,60日後の値(1.5)は大きくは変わらなかった.移行後10日目以降からすでに両区の耳石Sr/Ca比には有意差が検出されたが,生息域移動後の耳石のSr/Ca比が安定するには,少なくとも30日以上を要するものと考えられた.

5.回遊多型

浜名湖で採集された銀ウナギ172個体の耳石Sr/Ca比を測定して,従来の定義に基づいて回遊型を分類すると,川ウナギ(river eel,44%〉と河ロウナギ(esturineeel,47%)が優占し,海ウナギ(sea eel)は9%に過ぎないことがわかった.耳石中心から縁辺に至るSr/Ca比の線分析パターンに基づき,生息域移動に着目して回遊型をより厳密に定義したところ,一つの生息域内に留まって成長する定着個体(resident)は全体の83%で,黄ウナギ期に生息域を変える移動個体(habitat shifter)は17%となった.定着個体はさらに細分され,44%の川ウナギ(river resident),31%の河ロウナギ(estuaryresident),および8%の海ウナギ(sea resident)に分かれた。移動個体の中では淡移動個体はそれぞれ1-2個体出現したに過ぎなかった.銀ウナギの性比は回遊型ごとに異なり,川ウナギでは雌が68%と優占し,河ロウナギと下流移動個体ではともに雄が57-60%と優占した.個体ごとに耳石Sr/Ca比の変化パターンを解析すると,下流移動個体の生息域移動は主に当歳で起こることが示唆された.また,浜名湖に加入したシラスウナギの内,加入後直ちに河川遡上したものがそのまま淡水域に定着して川ウナギとなり,一方,加入後暫く汽水域で過ごした後に当歳の夏までに淡水域へ到達したものの中から移動個体が生じる可能性の高いことが示された.ウナギの回遊型は当歳における最上流到達点と移動時期の違いによって決定され,その後にそれぞれの生息域で性決定が起こるため,各回遊型に性差が生ずるものと結論された.

本研究の結果を総合的に考察すると,回遊多型は偶発的に接岸した成育場における生残の危険分散であり,幅広い生息域の利用を可能とし,高い個体密度を緩和するものと解釈される.また回遊多型は,海と川の間の生産性に大きな差のない温帯において生ずる回遊行動の可塑性と理解できる.さらにこの回遊多型は,熱帯の海水魚に起源するウナギ属魚類がより高緯度へ分布拡大する過程で生じた「先祖返り」の現象ともいえる.本研究で得られた知見は,魚類の回遊現象や黄ウナギの生態を理解するための基本情報となるだけでなく,現在地球規模で激減しつつあるウナギ資源を保全し,持続的利用を図るための必要不可欠な基礎知見として活用できる.

審査要旨 要旨を表示する

ウナギ属魚類の回遊は柔軟な可塑性をもち,その生活史には様々な多型が生じている.しかし,成育場(黄ウナギ期)において複数の回遊型が生じる原因は不明で,実際の回遊型の分化過程に関する研究はほとんどない.本研究は,ウナギ回遊型の分化過程を明らかにすることを目的として行われた.

第1章の諸言に続く第2章では,2003年から2006年にかけ,浜名湖に流入する今川と西神田川で採集された計491個体の黄ウナギの生物学的特性を明らかにした.加えて,西神田川において標識再捕調査を行い,河川内のウナギの分布と移動を明らかにした.西神田川の採捕個体252個体を標識放流した結果,放流後約2年半で計38個体が再捕された.再捕個体のうち79%は放流地点から200m以内で再捕され,黄ウナギ期には河川内で大規模な移動はないものと考えられた.これによって初めて,ウナギの河川利用実態が明らかとなった。

第3章では,2003年から2007年にかけて浜名湖内において採集されたウナギ計615個体の生物学的特性を明らかにした.銀ウナギはすべて全長400mm以上であり,黄ウナギでは全長400mm以上の個体は25%以下と少なかった.銀ウナギの雌の年齢は雄より高く,また雌の全長は雄に比べ大きかった.成長の速い個体ほどより若齢で銀化したが,銀化時の全長と年齢には相関はみられなかった.銀化と成熟開始には成長率と体サイズの影響が大きいものと考えられた.これらをまとめて,ウナギの天然における成熟初期の生物学的情報を初めて記載した.

第4章では,1999年から2003年にわたって実施された日本水産資源保護協会の委託事業報告書から,茨城県から鹿児島県にわたる全国8県11水域の黄ウナギの生物学的データ計6812個体分を抽出し,浜名湖水系のウナギのそれらを比較した.浜名湖のデータは汽水湖および河口汽水域に調査定点をもつ水域に類似していた.今川のウナギは,多くの淡水域のウナギと類似していた.浜名湖水系のウナギは一般河川の淡水域から下流域・河口域におけるウナギの生態をおおよそ代表しており,浜名湖水系はウナギのモデル水域として妥当であると結論された。

第5章では,正確な回遊履歴推定を行うために,異なる環境水中でウナギを飼育し,ウナギの耳石Sr/Ca比は環境水のSr/Ca比および塩分濃度と正の相関関係を示すことを確認した.また,環境水中のSr/Ca比の変化が耳石へ反映されるまでに必要な時間を明らかにした.ウナギを異なる環境水へ移行した実験区と,対照区の耳石Sr/Ca比を比較したところ,移行後10日目以降から両区の耳石Sr/Ca比には有意差が検出されたが,移行後の耳石のSr/Ca比が安定するには,少なくとも30日を要するものと考えられた.これによって,正確な履歴推定を行う際の指針が得られた.

第6章では,浜名湖で採集された銀ウナギ172個体の耳石Sr/Ca比を測定して,回遊型の分化過程を明らかにした.回遊型を定義し分類したところ,44%の川ウナギ,31%の河ロウナギ,および8%の海ウナギが出現した.また淡水域から汽水域へ移動した下流移動個体は13%出現した.性比は回遊型ごとに異なった.移動個体の生息域移動は主に当歳で起こることがわかった.浜名湖に加入後直ちに河川遡上したものがそのまま定着して川ウナギとなり,移動個体は汽水域に加入・滞在した後,当歳の夏までに淡水域へ到達したものの中から生じるものと考えられた.ウナギの回遊型は当歳における最上流到達点と移動時期の違いによって決定され,その後それぞれの生息域で性分化が起こるため,各回遊型に性差が生ずるものと結論された.これらの知見は,ウナギ属魚類で初めて回遊多型の発生機構を明らかにした成果となった.

第7章の総合考察においては,同属他種の成育場における生態と比較することでウナギの回遊多型の生態学的な意義とその進化過程について考察した.回遊多型とは偶発的に接岸した成育場における生残の危険分散であり,幅広い生息域の利用を可能とし,高い個体密度を緩和するものと解釈された.また回遊多型は,海と川の間の生産性に大きな差のない温帯において生ずる回遊行動の可塑性と考えられた.

以上,本研究ではこの研究分野で初めて,ウナギの回遊型の分化過程を明らかにしたものである。また黄ウナギ期の詳細な生物学的特性を記載している.本研究により得られた成果は,魚類の回遊現象や黄ウナギの生態を理解するための基本情報となるだけでなく,現在地球規模で激減しつつあるウナギ資源を保全し,持続的利用を図るための必要不可欠な基礎知見を提供するものである.従って,本研究は水産科学,生態学の発展に大きく貢献し,学術上,応用上重要な業績と判断されたので,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた.

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