学位論文要旨



No 125832
著者(漢字) 河津,静花
著者(英字)
著者(カナ) カワツ,シズカ
標題(和) シュモクザメおよびフトツノザメの遊泳行動に関する研究
標題(洋)
報告番号 125832
報告番号 甲25832
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3532号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,信之
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 准教授 小松,輝久
 東京大学 准教授 佐藤,克文
内容要旨 要旨を表示する

サメ類は軟骨魚類に属し、世界で約400種が知られている。国内では約43種が水族館で飼育され、水槽内での遊泳行動を観察することができる。その行動観察から、サメ類は底でほとんど動かない種類から絶えず泳ぎ回っている種類まで様々な遊泳特性を示している。多様性に富むサメ類の遊泳には過去多くの研究者が関心をもち、遊泳速度や尾鰭の振動周期を算出する研究がなされてきた。しかし、いずれも水槽内の実験にとどまり、自然環境下での彼らの遊泳行動に関しての知見は不十分である。一方、サメ類の野外における研究では、ピンガーやサテライトタグを用いたトラッキングが代表的である。しかし、これらのトラッキングによってわかるのは、サメ類の遊泳深度の頻度分布や水平移動距離、環境水温などであり、サメ自身の体の動きに関する知見は乏しく、捕食・被捕食とい.った他の生物との相互関係も十分に解明されていない。

加速度データロガーは、深度や環境水温の他に加速度を測定して記録することができる。サメ類に装着すれば、サメ自身が生み出す加速度から、遊泳姿勢や尾鰭を振る動作などを知ることができる。本研究では、アカシュモクザメSphyrna lewini幼魚とフトツノザメSqualus mitsukuriiの細かな遊泳データを自然環境下で取得した。本研究では次の4項目について明らかにした。(1)サメ類に適用可能なデータロガーの装着手法ならびに角度補正法。(2)浅い海域に生息し、泳いでいないと酸欠で死亡するという特徴をもち、生まれてから1年以内の致死率が90%と推定されるハワイ・カネオへ湾のアカシュモクザメ幼魚に特徴的な遊泳行動。(3)アカシュモクザメ幼魚を捕食した大型動物の遊泳の特徴。(4)深海に生息し、停止している間も酸欠になることはなく、上位の捕食者である相模湾のフトツノザメに特徴的な遊泳行動。

1.データロガー装着手法と角度補正法の確立

過去のデータロガーを用いた研究は、主にペンギン類やアザラシ類、サケ類などの捕獲・データロガー装着が比較的容易で帰巣性のある動物を対象に実施されてきたが、サメ類を対象にした研究は皆無である。そのため、データロガーの装着方法を独自に開発することになり、試行錯誤の末、生分解性の糸を用いて背中に柔らかいネットを縫いつけ、それを土台としてデータロガーを装着するという新しい方法を確立した。サメの体にネットを縫いつけ、タイマーによって自動的に切り離されて水面へ浮くよう設計したタグ(データロガーとVHF発信器を含む)を装着し、サメを再捕しなくてもVHFの電波をもとにタグを回収できるようにした。この新しい方法は、最近ではエイやブラックバスなど他の魚類にも応用されるようになった。また、加速度データからサメの遊泳姿勢(体軸の角度)を算出する際、データロガーの取り付け角度とサメの体の長軸とのずれを補正する必要があった。従来の補正方法は、海鳥類・カレイなどの底魚類・アザラシ類では有効であったが、サメ類には適用することができなかった。そこで、新たにサメ用の補正方法を確立した。これは従来の方法と比べ、正確に計測することができるだけでなく、サメにかかるストレスを最小限にすることができた。アカシュモクザメ幼魚のデータ解析の結果から生み出されたこの方法は、フトツノザメにも応用された。

2.アカシュモクザメ幼魚の遊泳行動

ハワイ・カネオへ湾はアカシュモクザメ幼魚の養育場として知られる。三方を陸地に囲まれ、外洋との境目を水深0~3mの広大な珊瑚礁がカバーしている。最大水深は19m、平均水深は14mである。幼魚は夏に生まれ、湾内で3~4ヶ月を過ごした後、外洋へ移動するといわれている。しかし、移動の前に90%近くが死亡するという。過去の研究から、死亡の原因は主に飢えであると推定されている。本研究では、アカシュモクザメ幼魚17個体(TL:54~58.5cm)にデータロガーを装着し、遊泳行動と日周性、被捕食の実態を把握することを目的とした。

データロガーを装着した17個体のうち16個体からデータロガーを回収し、一個体あたり2~67.5時間分の野外での遊泳行動データを得た。このうち7個体が大型動物によって捕食されていた。幼魚が捕食された根拠として、次の5つの要因が考えられる。(1)切り離し予定時刻を過ぎてもロガーが動物の行動を記録し続けていたこと。(2)深度に基づく遊泳行動がある時点を境に突然変化していたこと。(3)加速度の振動周期がある時点を境に突然変化していたこと。(4)深度と水温の関係が突然変化し、サメの外部環境の水温を継続して計測していたとは考えられなかったこと。(5)浮力体が生臭くなっていたこと。以上のことから、データロガーを装着した幼魚が大型の捕食動物に捕食され、データロガーは捕食者の行動を胃袋の中で記録し続け、その後タグが吐き出されて回収することができた、と推測された。

これまでデータロガーによる動物の捕食の行動データは報告されているが、被捕食の行動データが取得されたのは本研究が最初である。幼魚は、逃亡時の尾鰭の振動周期は0.57~1.3秒/回で巡航時のそれ(0.53~1秒1回)よりやや長かった。幼魚16個体中、昼夜のデータを取得した12個体で滞在深度の頻度分布を調べた結果、11個体が夜間に水面へ浮上していた。昼間に水面へ浮上する個体も8個体あったが、夜間の水面滞在時間の方が昼間のそれに比較して2.3~32.4倍も長かった。

カネオへ湾のアカシュモクザメ幼魚は高い確率で捕食されることが明らかになった。アカシュモクザメ幼魚がこの湾内を養育の場として利用している主な理由として、(1)餌生物が豊富であることと、(2)珊瑚礁がバリアーになって捕食者から保護されるということが考えられる。珊瑚礁がバリアーになっているとはいえ、実際は大型捕食者が時々湾内に入ってくるのではないだろうか。また、近年のカネオへ湾の底には十分な餌生物がいないという情報もあることから、幼魚は餌を探すために夜間に海面付近への浮上を頻繁に行なうと推測される。

3.アカシュモクザメ幼魚の捕食者の遊泳行動

データロガーを装着していた幼魚が捕食されたことにより、7個体分の大型捕食者の行動データが32~64.8時間1個体得られた。捕食者の尾鰭の振動周期は、0.8~2秒1回で、V字潜水を行なうなど、幼魚とは異なる遊泳行動を示した。深度の最大値を調べたところ、3個体が湾の最大水深である19mより深い深度で遊泳していたことがわかった(それぞれ21.7,75.8,134.7m)。この3個体は一度湾を出て再び戻ってきた可能性が高い。また、捕食者が幼魚を前後どちらの方向から食べたかを割り出したところ、4個体が頭から、3個体が尾鰭の方向から捕食されていた。捕食者は食べる向きにはこだわっていなかったようである。捕食した時間帯は、2個体が夜間、4個体が日中、1個体が日没から40分後であった。捕食者の種を同定することはできなかったが、湾での目撃情報と遊泳行動の特徴から、捕食者は大型のサメと推測できる。

4.フトツノザメの遊泳行動

フトツノザメは、相模湾で混獲されることが多い深海性のサメである。特にキンメダイの食害が問題となっており、フトツノザメの食性や季節ごとの釣獲率を調べた研究はあるが生息深度や行動特性については皆無である。本研究では、フトツノザメ12個体(TL:96~113cm)にデータロガーを装着し、深海に生息する種特有の行動特性を明らかにすることを目的とした。神奈川県横須賀市・秋谷港から漁船に乗り、釣ったフトツノザメに船上でデータロガー・VHF発信器を含むタグを装着した。装着は先に示した生分解性の糸を用いた方法で行なった。タグが自動的に切り離された後、水面へ浮くように設計した。

12個体中、11個体分のデータロガーを回収し、一個体あたり3~48時間分の行動データを得た。いずれの個体も、放流後すぐに潜行を始め、再び水面へ来ることはなかった。調査した11個体中10個体では、休止行動が占める割合は総記録時間の1.1~33.6%であった。このうち1個体は昼間にのみ休止し、9個体は夜間より昼間に長く休止していた(最大で夜間の188倍の時間)。休止行動は大きな深度変化を伴う遊泳の前に多くみられた。また、彼らの生活深度帯(>200m)よりも浅い深度では長く休止する傾向があった。平均的な遊泳速度は0.2~0.4m/sで、放流後、底まで泳ぐときの速度が最も速かった。放流後は急いで潜り、生活深度帯を目指すようである。

相模湾のフトツノザメは日中の休止を頻繁に行なうことが明らかになった。このような休止行動は、遊泳をしなくても鯉蓋を動かして呼吸ができる本種に特有の行動である。深海に生息するフトツノザメは、高い水圧に適応するためにエネルギーを節約している可能性が高いと考えられる。

5.まとめと今後の課題

本研究では、外部形態、生活様式、生理学的特徴の異なる2種のサメ(アカシュモクザメ幼魚とフトツノザメ)を用いて行動を調べ、それぞれの種で特有の遊泳行動を明らかにした。これら2種のサメの体重と尾鰭の卓越周波数の関係に、ドチザメのデータをプロットしたところ、非常によい相関が見られた。これにより、形態や生活様式が異なるサメ類の間で体重と尾鰭の卓越周波数の関係には共通な傾向があることが明らかになった。得られた回帰直線から、大型捕食者の体重を推定することができたが、正確に種を同定することができなかった。アカシュモクザメ幼魚のような被捕食に関する調査をする際には、捕食者が同定できるようにDNA組織も同時に収集できるシステムを考える必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、自然界におけるサメ類の游泳行動は、これらまで船上からの調査、スキュウーバを用いた調査、人工衛星を利用した調査、ピンガーを用いた調査などにより実施されてきたが、データロガーを使用した調査は皆無であった。そのために、第1章では、日本が開発した世界最先端の加速度データロガーをハワイ・カネオ湾に生息するアカシュモクザメ幼魚と相模湾に生息するフトツノザメに装着し,魚の目線で游泳行動や体の姿勢、および生息環境(深度や環境水温)の情報を収集し、「シュモクザメとフトツノザメの游泳行動に関する研究」の目的を述べた。第2章では、データロガー(M190L-D2GTとW380L-PD2GT)とVHF発信器を浮力体に取り付け、自動切り離し装置により、これらの機器が予定時刻に魚体から切り離されるように設置した。魚体から切り離されたこのロガーは八木式アンテナを使用して回収した後、コ、ンピュータに接続してデータを抽出し、解析方法を述べた。同時に、生分解性糸を使用たデータロガーの装着方法やサメに与える影響を最小限にする装着方法を開発し、世界で初めて、加速度データロガーを用いたサメ類の游泳行動の解析にも言及した。また、サメの游泳方向と体軸との関係を明確にするために角度補正を検討し、新しいサメの姿勢角の補正方法を確立した。第3竜では、この方法を用いて、2007年8月と10月および2008年7-8月、ハワイ・カネオ湾におけるアカシュモクザメ幼魚17個体にデータロガー(M190L-D2GT)を装着し、この動物の日周行動、捕食者に対する逃避行動などの調査を実施し、游泳行動の特徴を明らかにした。アカシュモクザメ幼魚は休むことなく昼夜の游泳を繰り返し、夜間の平均游泳深度は7.7mで、昼間のそれ(平均水深:9.8m)に比較して浅い水深層を游泳していた。同時に、アカシュモクザメ幼魚が大型捕食者から逃避するために、独特な游泳行動をとることが明らかになった。特に、アカシュモクザメ幼魚が捕食者から逃避するために、急激に加速度をあげて体をターンさせる興味深い行動を示していた。回収したロガーの記録から、アカシュモクザメ幼魚は大型動物により捕食されていることが示唆され、捕食者の体重は尾鰭の卓越周波数から10-100kgと推定された。第4章では、捕食者の游泳行動を解析し、刊内温度は23.7-2&6℃で、環境水温より最大値が0.3-1.5℃高くなっていた。捕食者の最大水深は134.7皿であった。カネオ湾の最大水深が19mであることから、捕食者はカネオ湾の外側で游泳していることが推測された。また、捕食者は20-200秒周期のV字潜水を行い、昼間に比較して夜間により浅い潜水を行っていたと考えられる。調査したアカシュモクザメ幼魚16個体の44%の個体が大型捕食者に捕食されていることが明らかになった。このような大型動物による捕食がアカシュモクザメ幼魚の死亡の主要な要因の一つと考えられる。この大型捕食者の胃内におけるロガーの記録から、捕食者と同じ向きで胃内に留まっていたのは3個体、反対向きで留まっていたのは4個体であることから、捕食者はアカシュモクザメ幼魚の向きをあまり特定しないで捕食していたことが示唆された。第5章では、相模湾に生息する深海性のフトツノザメ12個体にデータロガー(W380-PD2GT)を装着し、この動物の遊泳行動を四季にわたって調査し、底で尾鰭の動きを停止している休止行動を特定した。夏から秋の季節では多くの個体は200皿未満の浅い水深帯で、冬から春の季節では200m以深の深い水深帯で休息していることが明らかになった。プロペラ装着型データロガーを使用して推定された各個体の平均游泳速度は0.1m/s-0.5m/sの範囲であった。第6章では、以上の研究成果を、これまで得られた他のサメ類のデータと合わせて比較検討することによって、尾鰭の卓越周波数(Y)と体重(X)の関係には共通な傾向があり、Y=0.28X(-0・26)の関係式が得られた。他の海棲動物と比較すると、この負の傾きはほぼ同じであるが、周波数を示すY軸切片の値が小さいことから、同じ体重の個体では代謝率が相対的に低いことが推測された。以上のように、最先端のデータロガーを用いて、表届性のアカシュモクザメ幼魚と深海性のフトツノザメの游泳速度を調査した結果、上記2種の独特の行動様式を明らかにしただけでなく、サメ類が海棲哺乳動物などの水棲動物と比較して代謝率が低いことを示唆する興味深い成果が得られた。また、カネオ湾を養育場として利用しているアカシュモクザメ幼魚が大型の捕食者に頻繁に捕食されていることが明らかになり、カネオ湾周辺の生態系における「食う一食われる」関係がバイオロギング研究を通じて、より客観的に把握することが可能になった。本申請者は、野生のサメ類を対象にバイオロギング研究という新しい手法を駆使して、独自のアイデアで調査し、優れた研究成果を挙げたこと、ならびにその成果を他の水棲動物のそれと比較することによって、サメ類の独特な生物特性を明らかにしたことが高く評価できる。

以上、本研究は、海洋動物の游泳行動の解明に極めて有意義な知見を得たことから、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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