学位論文要旨



No 125834
著者(漢字) 丹藤,由希子
著者(英字)
著者(カナ) タンドウ,ユキコ
標題(和) ナメクジウオにおける視床下部-下垂体系の起源と糖タンパク質ホルモンの進化に関する研究
標題(洋) Studies on the origin of the hypothalamus-pituitary endocrine axis and the evolution of glycoprotein hormones in amphioxus
報告番号 125834
報告番号 甲25834
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3534号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 窪川,かおる
 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 准教授 朴,民根
 東京大学 准教授 井上,広滋
 九州大学 准教授 安東,宏徳
内容要旨 要旨を表示する

内分泌系は、魚類をはじめとする脊椎動物の恒常性の維持、成長、繁殖などの制御に必須の生体調節機構である。脊椎動物の内分泌器官あるいはホルモンとその受容体には、その存在の有無や構造の違いが動物群間にあるが、無脊椎動物と比較すればその特徴はほぼ同じと言える。一方、無脊椎動物の内分泌機構は、動物群によって大きく異なる。しかも、その多くはホルモンの合成・分泌に特化した内分泌器官をもたず、神経細胞が内分泌細胞を兼ねる神経内分泌機構を発達させている。

脊椎動物に固有の内分泌機構の一つに視床下部-下垂体系がある。中枢神経からの情報と体の各所の機能を結ぶ重要な内分泌経路で、今までにその役割の解明について膨大な研究がなされてきたが、なぜ脊椎動物だけにその内分泌機構が形成され、機能が獲得されたか、という進化の側面はよく分かっていない。したがって、視床下部-下垂体系の進化を研究することは、それらの内分泌器官の原型および根本的な役割を明らかにし、それらの理解を深めるために重要である。本研究では、脊椎動物と同じ脊索動物門に属し、脊椎動物の祖先と最も近縁なナメクジウオを対象とし、視床下部-下垂体系に相当する内分泌系の探索のために内分泌物質の分子生物学的解析を行った。

ナメクジウオは脊索をもつ無脊椎動物であるが、視床下部-下垂体系は確認されていない。しかし、体軸と平行する神経索があり、ハチェック窩という小器官が頭部にある。ハチェック窩はその形態と発生・分化の様式、分泌顆粒の存在のために下垂体と相同器官であるとみなされてきた。しかし、2008年に終了したフロリダナメクジウオのゲノム解析からは下垂体ホルモンと相同な遺伝子は見つかっていない。

本論文は、脊椎動物の視床下部-下垂体系の進化を、ナメクジウオの内分泌機構の解析から明らかにすることを目的として、ナメクジウオに下垂体ホルモンの存在を探索し、その候補となる遺伝子の単離、その発現組織について明らかにした。これらの結果に加えて、下垂体に存在する他の内分泌物質の存在を調べ、合わせて視床下部-下垂体系の進化について新たな考察を加えた。以下に研究の各論を記し、最後に総合的な結論を示す。

1.ナメクジウオにおける下垂体ホルモンの探索

ナメクジウオのハチェック窩は、脊椎動物の下垂体の発生初期に外胚葉の陥入によって形成されるラトケ嚢と同様な分化をすること、ペプチド顆粒が電顕で観察されることから、下垂体と相同な器官であると考えられてきた。そこで、ハチェック窩に存在する下垂体関連遺伝子を探索した。ハチェック窩は長さ約100μm、高さ50μmほどの小器官なので、レーザーマイクロダイセクション法によりハチェック窩だけを切除して集め、サブトラクションライブラリーおよびcDNAライブラリーの作製と網羅的解析を行った。約2000個の発現遺伝子の中に、成長ホルモン(GH)、プロラクチン(PRL)、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)および糖タンパク質ホルモンである濾胞刺激ホルモン(FSH)、黄体ホルモン(LH)、甲状腺刺激ホルモン(TSH)のホモログはなかったが、内分泌作用と関連のある転写因子AP-1、SREBP1等、及び分泌に関係するRab様タンパク質等の遺伝子発現が確認された。

なお、LC-MS/MSによるハチェック窩の網羅的アミノ酸配列解析でも、下垂体タンパク質ホルモンは得られなかったため、ハチェック窩が下垂体と同じ働きをもっ器官であるという結論は出せかったが、発現遺伝子の解析から何らかの分泌活動に関与していることは分かった。

2.ナメクジウオの糖タンパク質ホルモンの構造

フロリダナメクジウオのゲノム解析では、下垂体ホルモン遺伝子の存在は報告されていないが、詳細に再度の検索を行った。やはりGH、PRL、ACTH、さらにはFSH、LH、TSHの遺伝子もなかったが、下垂体、脳、生殖腺、膵臓等に存在するThyrostimulinのホモログ遺伝子が見つかった。Thyrostimulinは2002年に発見された糖タンパク質ホルモンで、ハエや線虫などの無脊椎動物にも存在する。脊椎動物のThyrostimulinは、FSH、LH、TSHのα鎖およびβ鎖それぞれと相同性の高いGPA2とGPB5の2つのサブユニットからなる。ナメクジウオのGPA2(AmpGPA2)とGPB5(AmpGPB5)は下垂体ホルモンには分類できないが、唯一の糖タンパク質ホルモンとして注目し、まずそれらのcDNAを取得し、構造を調べた。

PCR法で単離したナメクジウオcDNAのうち、AmpGPA2は全長1205bp、AmpGPB5は全長1129bpであった。脊椎動物のα鎖とβ鎖および他の無脊椎動物のGPA2とGPB5の遺伝子のアライメントは、糖付加部位の位置こそ異なるが、脊椎動物とナメクジウオの間に高い相同性を示した。また、カイコで発現させ作製したAmpGPA2とAmpGPB5の融合タンパク質の糖鎖切断処理により、糖の付加を確認した。また、化学的架橋処理によってヘテロダイマーを形成することを示した。さらに、N端のアミノ酸解析で、シグナルペプチド部分を同定した。

3.AmpGPA2とAmpGPB5のゲノム構造とシンテニー解析

AmpGPA2とAmpGPB5のイントロン・エキソン構造は、脊椎動物の下垂体糖タンパク質ホルモン遺伝子と同様の構造をもっていた。また、フロリダナメクジウオのゲノム上ではGPA2とGPB5遺伝子は約2kbpの間隔で近接していた。これは、両サブユニットが同一分子の遺伝子重複により生じた可能性を示す。また、染色体上の遺伝子の位置および並び順の異同を示すシンテニー解析を、ヒトの糖タンパク質ホルモンサブユニット(GPA1、GPA2と3種類のβ鎖)およびナメクジウオのGPA2とGPB5について行った。ヒトのβ鎖遺伝子とAmpGPB5を比較したシンテニーは高い類似性が示された。α鎖では、ヒトとナメクジウオそれぞれのGPA2が、FSHのβ鎖遺伝子あるいはAmpGPB5と近接し、同様のシンテニーを示した。他の脊椎動物のニワトリ、マウス、フグとの間においても類似性を示したが、染色体上の周辺の遺伝子の欠失がみられ、ヒトとのシンテニーよりも類似性は低かった。これらの結果は、α鎖もβ鎖も脊椎動物への進化における2回のゲノム重複で分化し、α鎖の一部はその後に欠失したこと、またヒトとナメクジウオは同じ祖先からの遺伝子をよく保存していることを示している。

4.AmpGPA2とAmpGPB5の発現

AmpGPA2とAmpGPB5の発現をin situハイブリダイゼーション(ISH)法で調べた。両遺伝子ともに発現は神経索、鯉、生殖腺にみられたが、ハチェック窩には発現はみられなかった。神経索では、咽頭前端から生殖腺前端の背側に位置する神経索前方の神経細胞に発現が局在した。AmpGPB5の抗体を作製し、免疫染色法でタンパク質の存在場所を調べた結果も、遺伝子発現部位と同様な場所における分布を示した。さらに、蛍光二重染色で両遺伝子が同じ細胞に発現することを明らかにした。以上から、ナメクジウオのThyrostimulinは同一細胞で合成されヘテロダイマーを形成する糖タンパク質ホルモンであることが示された。

5.下垂体ホルモン以外の内分泌物質の探索と遺伝子発現解析

視床下部-下垂体系には神経ホルモンやペプチドホルモン受容体が存在する。ナメクジウオのゲノム解析は、バソトシン遺伝子(AmpVT)と生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)受容体(AmpGnRHR)の存在を示したが、これら以外の遺伝子は見つからなかった。そこで、これらの遺伝子発現をISH法で調べたところ、AmpVTは神経索の先端腹側及びAmpGPA2とAmpGPB5の発現領域より少し前方の領域にある細胞に発現していた。また、2種類あるGnRHRの遺伝子はいずれも神経索の前半部分に発現し、そのうち1種類は神経索先端付近の細胞に強く発現していた。視床下部および下垂体には性ステロイド受容体も存在し、生殖腺から分泌された性ステロイドによるフィードバック調節を行っている。そこで、ナメクジウオのエストロゲン受容体(AmpER)とステロイド受容体(AmpSR)の遺伝子発現の局在を調べたところ、ERのみが神経索の先端部分に発現していた。

以上から、脊椎動物の視床下部-下垂体系に存在するホルモンおよび受容体は、ナメクジウオにその祖先型がみられ、それらの遺伝子発現は神経索前端に集中していることが明らかになった。このことは、視床下部-下垂体系が、脊椎動物の祖先では神経内分泌系として機能し、脊椎動物になって現在の系になったことを示唆する。

本研究は内分泌系の進化、ひいては脊椎動物の生体制御系の進化に新たな知見を与えるものである。魚類から哺乳類に至る脊椎動物の内分泌系の本質を理解する上で本研究の意義は大きく、今後の下垂体の発生と機能、さらには応用分野の研究への寄与が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

脊椎動物の重要な内分泌機構の一つに視床下部-下垂体系がある。これは中枢神経からの情報と体の各所の機能を結ぶ脊椎動物に固有の内分泌経路である。本論文は、この視床下部-下垂体系の進化の側面から研究し、この系を担う内分泌器官の原型および根本的な役割を明らかにすることから、脊椎動物における内分泌機能の理解を深めることを目的とする。そのために、脊椎動物と近縁なナメクジウオ(脊索動物門頭索動物亜門、Branehiostoma beleheri)を用い、内分泌物質の探索とそれらの存在部位を分子生物学的に解析し、さらには比較ゲノム解析を行い、内分泌系の進化について新たな知見を得た。

論文は7章からなり、第1章の序では本研究に関する過去の研究をレビューし、本研究の着想に至った経緯について述べている。第2・6章は各論である。第7章は総合考察で、視床下部-下垂体系の進化について、豊富な文献を引用して仮説の検証から立証へと論を進めている。

第2章では、ナメクジウオにおける視床下部-下垂体系に関与する遺伝子の有無を網羅的に解析した。分泌顆粒の存在と形態的特徴から下垂体と相同な器官であるとされてきたハチェック小窩を調べた。レーザーマイクロダイセクション法および超微量質量分析解析法を用い、ハチェック小窩で発現する遺伝子およびタンパク質断片を直接探索した。前者の方法ではハチェック小窩だけをレーザー切除して集め、遺伝子ライブラリーを作成し、網羅的遺伝子解析を行った。次に、LC-MS/MS法によるハチェック小窩のアミノ酸配列解析を行った。いずれの実験からも下垂体ホルモン遺伝子の転写産物ないしは下垂体ホルモンは得られなかったが、分泌に関係する遺伝子が得られており、ハチェック小窩は下垂体の祖先器官とは言えないが、分泌に関する器官であることが示された。

第3章では、動物界に広く存在する糖タンパク質ホルモンの1種で、下垂体でも合成・分泌されているThyrostimulinの相同遺伝子について、ナメクジウオにおけるこの糖タンパク質ホルモンの構造を解析した。脊椎動物の下垂体糖タンパク質ホルモンはα鎖とβ鎖のヘテロダイマーであり、Thyrostimulinはそれぞれに相当するGPA2とGPB5の2つのサブユニットからなる。ナメクジウオからAmpGPA2とAmpGPB5の遺伝子を単離し、脊椎動物との比較および立体構造の構築により重要な必須アミノ酸が保存されていることを示した。次に、カイコで発現させた両サブユニットを糖鎖切断処理し、糖の付加を確認した。さらに、化学的架橋処理によってヘテロダイマーの形成を確認し、ナメクジウオではThyrostimulinが唯一の下垂体ホルモンに相当する機能タンパクであることを明らかにした。

第4章では、下垂体糖タンパク質ホルモンの系統関係を明らかにした。AmpGPA2とAmpGPB5のイントロンーエキソン構造は、下垂体糖タンパク質ホルモン遺伝子と同様であり、ゲノム上の両サブユニット遺伝子座は近接していた。遺伝子の並び順を比較するシンテニー解析では、下垂体糖タンパク質ホルモン遺伝子は無脊椎動物から脊椎動物への進化に至る2回のゲノム重複で分化したこと、α鎖の一部は重複後に欠失したことが明らかとなった。

第5章では、AmpGPA2とAmpGPB5の発現をin situハイブリダイゼーション(ISH)法で調べた。神経索前方の頭部に相当する部分の神経細胞、鯉、生殖腺に発現がみられ、ハチェック小窩には発現がなかった。さらに、蛍光二重染色法で両サブユニットが同じ細胞で合成されることを明らかとし、ナメクジウオのThyrostimulinは下垂体糖タンパク質ホルモンと同様に合成・分泌される可能性を示した。

第6章では、視床下部-下垂体系のホルモンと相同なナメクジウオのホルモン遺伝子として、バソトシン、GnRH受容体、エストロゲン受容体の遺伝子発現をISHで明らかにした。いずれも神経索前部での発現が見られ、さらに総合すると、異なる局在部位が神経索に存在することがわかった。

第7章では、以上の各章での結果と考察から、ナメクジウオの神経索は神経内分泌機構の中枢であり、視床下部-下垂体系は神経索中の特異的な部位での連携であることが示唆された。そして、この系は脊椎動物に進化して獲得されたと考えられた。最後に下垂体の祖先器官は存在しないが、その内分泌機構は神経内分泌機構として祖先動物に存在していたと結論した。

本論文は脊椎動物の内分泌系の進化に新たな知見を与えた研究であり、水圏無脊椎動物および魚類における内分泌系の本質を理解する上で大きな意義を持つ。よって、審査委員会は、申請者丹藤由希子の本論文が、博士(農学)の学位授与に価するものと判断する。

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