学位論文要旨



No 125847
著者(漢字) 安藤,寛子
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,ヒロコ
標題(和) 氷及びガスハイドレートを利用した生鮮野菜の長期保存法に関する基礎研究
標題(洋)
報告番号 125847
報告番号 甲25847
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3547号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大下,誠一
 東京大学 教授 塩沢,昌
 東京大学 教授 横山,伸也
 東京大学 准教授 牧野,義雄
 東京海洋大学 教授 鈴木,徹
内容要旨 要旨を表示する

食品の長期保存技術として,凍結保存法は一般的に使用されている.しかし,生鮮野菜は,凍結・解凍処理後の組織軟化が著しい.これまで,凍結・解凍処理後の組織軟化の程度を抑制できるとされる,浸透圧脱水凍結法などが提案されているものの,その効果は曖昧なものであり,現状では,物理的変化を伴わずに生鮮野菜として凍結保存することはできない.そのため,これに代わる新しい長期保存法の提案が期待されている.

氷とは別に,水は0℃以上の温度においても,疎水性ガスの溶解によって氷様結晶を形成する.この結晶は「ガスハイドレート」と呼ばれ,食品保存法への利用のコンセプトも提案されている.しかし,ほとんど検討されない状態で,1971年を最後に研究報告が途絶えてしまっている[1].一方,収穫後の生鮮農産物の保存技術として,ガスハイドレートの形成能を持つキセノンガス(Xe)を用いた保存法が提案されている.この保存法では,ガスハイドレートの形成は利用していないものの,ガスハイドレート形成直前の過程で,Xeが水に溶解することで生成する「構造化した水」によって,生物代謝が抑制され,変色などが抑制されることが示されている[2].しかし,この構造化した水を利用した保存法の品質保持期間は,凍結保存法と比較すると短い.そのため,品質保持期間をより延長するためには,水の構造化と共にガスハイドレートを利用する必要があると考えられる.

このような背景を受けて,本研究では生鮮野菜の長期保存法の検討を目的に,まず1)凍結保存法の問題点である組織軟化に関して検討した.その後,新しい保存技術として,2)ガスハイドレートを用いた生鮮野菜の長期保存法について検討した.

本論は第7章から構成され,第1章は序論,第2章で既往の研究における問題点の抽出と本研究の目的を記した.

第3章は,凍結・解凍処理後の組織テクスチャーの変化の評価法を検討した.このため,既に凍結・解凍処理後の細胞壁に関係するテクスチャーの変化の評価に使用されている「破断強度」の測定に併せて,生鮮植物細胞の膨圧の変化と関係することが報告されている「初期弾性値」の測定を行った.また,初期弾性値の変化と細胞膜の水透過性に関する機能低下との関係を明らかにするため,NMRを用いた細胞膜水透過係数の測定を行った.以上の検討より,凍結・解凍処理後の組織軟化は,細胞壁と細胞膜の両方に関係したテクスチャーの低下より,引起されていることを明らかにした.そして,凍結保存法における組織軟化の程度を詳細に理解するためには,破断強度と共に,初期弾性値を測定する必要があることを示した.

第4章は,浸透圧脱水凍結法による組織テクスチャーの保持効果について検討した.この凍結法は,生鮮農産物の凍結・解凍処理後の組織軟化の程度を抑えるといわれている.その効果を評価する方法として,第3章で提案したテクスチャーの評価法を用いた.また併せて官能試験を行うことで,浸透圧脱水凍結法において,食感として感知できるほどの効果が得られるかについても検討した.その結果,凍結・解凍処理後の生鮮野菜のテクスチャーの保持に関する浸透圧脱水凍結法の効果は,細胞壁に関係するテクスチャーの低下を抑える効果を意味していることを確認した.しかし,細胞膜に関係するテクスチャーの変化を抑制する効果はないことを示した.また食感においても,その効果は,はっきりと感じることはできないことを確認した.従って,浸透圧脱水凍結法を用いても,やはり,凍結・解凍処理後,生鮮組織の状態のテクスチャーは保持できないことを確認した.

これらの凍結保存に関する結果を受けて,第5章と第6章では,ガスハイドレートを用いた生鮮野菜の長期保存法に関する検討を行った.

まず第5章では,ガスハイドレートを利用した生鮮野菜の保存の検討に先立って,疎水性のガスであるXeを用いて,野菜組織におけるガスハイドレートの形成の確認を行った.その結果を,粉末X線回折測定(PXRD)より検証した.また併せて,非破壊の組織内でのガスハイドレートの形成割合を把握できる方法として,NMRによる水の固液状態変化の測定についても検討した.さらに,NMRマイクロメージング測定(MRI)を用いることで,ガスハイドレート形成・成長に伴う組織内の細胞構造の変化についても検討した.その結果,PXRDより,野菜組織においてガスハイドレートが形成可能であることを示した.また,NMR測定による組織内の水の固液状態変化を測定することで,組織を破壊しなくとも,ガスハイドレートの形成割合を推定できることを確認した.併せて,MRI測定により,組織内においても一様に,ガスハイドレートの微細な結晶が形成されることを確認した.しかし,組織内の水がガスハイドレートへ多量に変化すると,組織内の構造にゆがみを与えてしまう可能性があることを確認した.従って,ガスハイドレートを利用した保存法を検討するにあたり,組織内に形成するガスハイドレートの量を調節する必要があると考えられた.

次の第6章で,ガスハイドレートを利用した生鮮野菜の保存法の効果を検討した.付加する圧力を調節することで,ガスハイドレートの形成割合を調製した組織を用い,ガスハイドレート形成・解離処理後の組織のテクスチャーの変化を評価した.テクスチャーの変化の評価には,第3章で提案した方法を用いた.併せて,食品の品質低下の指標の1つ「腐敗」を,一般生菌数の測定より検討した.その結果,ガスハイドレートを用いた生鮮野菜の保存法は,組織内に形成するガスハイドレートの割合を35%以下に留めることで,細胞壁さらには細胞膜に関係するテクスチャーの低下を抑制できることを示した.また,保存温度5℃において,腐敗に至るまでの期間を延長できることを確認した.従って,凍結保存法にかわる新しい生鮮野菜の長期保存法として利用できる可能性を示した.

そして第7章において,本論文で得られた知見を結論としてまとめた.また,凍結保存における生鮮野菜組織の組織軟化メカニズムおよび,生鮮野菜組織内におけるガスハイドレートの形成過程と組織軟化メカニズムについて考察した.

以上,本論文では,生鮮野菜の長期保存法の提案を目的に,凍結保存法とガスハイドレートを利用した保存法について検討した.凍結保存に関する研究では,凍結・解凍処理後に生じる組織軟化が,細胞膜と細胞壁の両方に関係したテクスチャーの低下によって引起されることを示した.また,既往の研究において,凍結・解凍処理後の組織軟化を抑制すると報告されている,浸透圧脱水凍結法を適用しても組織軟化を完全に抑制できるわけではないことを確認した.

一方,凍結保存法に代わる生鮮野菜の長期保存法として,ガスハイドレートの利用を提案した.先ず,野菜組織におけるガスハイドレートの形成・成長の様子を観察した.組織におけるガスハイドレートの形成・成長の過程を,形成割合として評価する方法として,NMRを用いた組織内の水の固液状態変化の観察を提案した.併せてMRI測定を行うことで,ガスハイドレートの形成割合と組織内部構造に対するダメージの関係について論じた.得られた結果を基に,ガスハイドレートを用いた保存法の効果を検討した.その結果,ガスハイドレートを利用することで,0℃以上の低温においても食品としての品質保持期間を延長できるのみならず,ガスハイドレート形成割合をコントロールすることで,ガスハイドレート形成・解離処理後の組織テクスチャーの低下をも抑制できることを示した.以上の結果より,ガスハイドレートを用いた保存法が,凍結保存法に代わる,新しい生鮮野菜の長期保存法として利用できる可能性を確認した.

[1] Hulle G.V.&Fennma O.1971.Cryobiology,7,4-6.[2]橋本篤,大下誠一.1996.震業麓擬学会誌,58,35-41.
審査要旨 要旨を表示する

収穫後の生鮮野菜は劣化が早く,このことが多量廃棄や消費量の低下を引起す大きな要因の1つとして問題視されている。この解決策として凍結保存技術の適用が検討されてきたが、生鮮野菜は凍結・解凍処理によって著しい組織軟化を起すため、生鮮の状態を維持し、長期間保存することは不可能と考えられている.また、凍結・解凍処理後の組織軟化の原因は,氷の形成による細胞構造の物理的損傷とされているものの、未だ、その原因は明瞭でない。一方、水は、疎水性ガスの溶解によって、0℃以上の温度においても固化し、氷様結晶であるガスハイドレートを成す。食品保存法へのガスハイドレートの利用は、コンセプトとしては提案されているものの、ほとんど検討されない状態で研究が途絶えていた。しかし、ガスハイドレートは麻酔や代謝抑制と関係する物質であることが示唆されており、生鮮野菜の保存法として利用できる可能性が少なくない。この様な背景を受けて、組織軟化を伴わない、生鮮野菜に適切な長期保存法を提案することを目的とし、凍結・解凍処理後の組織軟化の原因解明を通して、ガスハイドレートを利用した保存法について検討した。

第1章では序論を述べ、第2章において、生鮮野菜の劣化の要因と、現行使用されている長期保存法である凍結保存法の問題点、凍結・解凍処理後の組織軟化の観点から既往の研究の結果についてまとめ、生鮮野菜の保存法を検討する意義について述べた。また、氷とは異なる水の固体としてガスハイドレートについて、保存法への利用の意義を述べ、本研究の背景と目的を示した。

第3章と第4章では、ガスハイドレートを利用した保存法の検討に先立ち,凍結保存に伴う生鮮野菜の組織軟化について検討した.第3章では、植物組織に特有な細胞壁,さらに動物性食材とは明らかに異なる細胞膜の性質に着目し、凍結・解凍処理後の組織軟化の程度を、より詳細に理解できる評価法を示した。さらに、第4章において、この評価手法を現行の凍結保存法に適用し、解凍処理後の組織軟化の程度を比較・理解できることを示した。その上で、現行の凍結保存法において改善するべき課題、さらに凍結・解凍処理後の生鮮野菜の組織軟化の原因を示した。

続く第5章と第6章では,ガスハイドレートを利用した保存法について検討した.まず,基礎事項として,第5章では、保存温度5℃においても野菜組織内でガスハイドレートが形成されることを実験的に確認した。また、野菜組織におけるガスハイドレートの形成箇所を可視化し、その生長プロセスを示した。これらの結果を受けて、第6章では、ガスハイドレート形成・解離処理後の野菜組織のテクスチャーの変化を、第3章で示した組織軟化の評価法を用いて測定した。その結果、ガスハイドレートの形成量を調整することで、組織軟化を抑えた生鮮野菜の保存が可能であることを示した。併せて、一般生菌数の測定より、ガスハイドレートを利用した保存により、腐敗に達する期間が延長できることを確認した。これにより、ガスハイドレートを利用した保存法は、組織軟化を伴わずに保存できる、新たな長期保存技術となる可能性を示した。

以上、本論文は、凍結・解凍処理による生鮮野菜の組織軟化の原因とその評価手法を示すと共に、氷とは異なる水の固体としてガスハイドレートの利用を提案し、生鮮野菜の長期保存技術として有用に利用できる可能性を示したものであり、学術上・応用上貢献することが少なくないと考えられる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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