学位論文要旨



No 125849
著者(漢字) 西,伊吹
著者(英字)
著者(カナ) タカニシ,イブキ
標題(和) アーバスキュラー菌根共生系におけるリン・窒素の輸送
標題(洋)
報告番号 125849
報告番号 甲25849
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3549号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,一行
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 新藤,純子
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東北大学 教授 齋藤,雅典
内容要旨 要旨を表示する

菌根(Mycorrhiza)とは菌類と植物根の共生系のことで、陸上植物の8割以上の種が菌根共生を形成している。アーバスキュラー菌根菌(Arbuscular Mycorrhizal Fungi、以下、AM菌)は、Glomeromycota門に属する菌類で、草本植物を中心に幅広い分類群の植物種と菌根共生を形成する。AM菌は植物根よりも広範囲の土壌中に伸長する外生菌糸から養分を吸収し、植物に供給する働きがある。特に土壌中での移動性が低いリン酸を供給することによる植物生育促進効果は顕著である。そのため、枯渇が危惧されているリン資源を効率的に利用するために農業分野での利用が期待されている

AM菌から植物へのリン酸供給機構は次のように考えられている。AM菌は土壌中に伸長した外生菌糸から吸収したリン酸を、リン酸重合体であるポリリン酸に変換し菌糸内に蓄積する。ポリリン酸は植物根内の内生菌糸まで輸送された後、加水分解され無機リン酸として植物に供給される。リン酸供給機構の背景にある生化学的な特性はAM菌の種類により異なると考えられるが、その違いがAM菌から植物へのリン酸供給に及ぼす影響については十分な情報が得られていない。

また、AM菌はリンだけでなく窒素など他の元素についても、土壌中から吸収し植物に供給することが知られている。窒素は植物生育を制限する最も重要な養分であり、AM菌の窒素供給が植物の生育を促進するならば、これまで考えられていた以上にAM菌が植物の養分獲得に影響を及ぼしている可能性が高い。しかし、リンに比べ土壌中での窒素の移動性は高く、AM菌による窒素供給が植物の生育にどの程度寄与しているのかに関してはほとんど分かっていない。

近年、AM菌から植物への窒素供給に関わる代謝過程が明らかにされている。すなわち、AM菌は土壌中の無機態窒素を吸収し、アルギニンに変換する。アルギニンは内生菌糸まで輸送された後、尿素サイクルを経てアンモニアとして植物に供給されると考えられている。アルギニンはポリリン酸のカウンターイオンとしての機能を持つのではないかとも推測されており、AM菌においてリンと窒素が互いに関連している可能性が考えられるが、これまでそのような情報は得られていない。

本研究では、AM菌のリン貯蔵物質であるポリリン酸に着目しで植物へのリン酸供給との関係を明らかにするために、1)異なるAM菌感染根におけるポリリン酸蓄積の比較、2)AM菌感染根内のポリリン酸代謝速度の推定、3)ポリリン酸の蓄積様式と植物の生育との関係の検討を試みた。また窒素に関しては、AM菌による窒素供給が植物の生育に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした。さらに、AM菌におけるリン吸収と窒素吸収の関連性を明らかにするために、AM菌のリン吸収に及ぼす土壌中の無機態窒素の影響を評価した。

1.アーバスキュラー菌根におけるポリリン酸

1-1.種のアーバスキュラー菌根菌感染根におけるポリリン酸蓄積の比較

AM菌のリン酸供給における生化学的な特性を比較するため、AM菌感染根内のポリリン酸に着目し、その蓄積様式の違いを数種のAM菌間で比較した。AM菌体内には、数リン酸残基からなる短鎖ポリリン酸から千残基を越える長鎖ポリリン酸まで存在することが知られている。そこで、ポリリン酸を定量するために、ポリリン酸に特異的なPPK(ポリリン酸キナーゼ)法とPPX(ポリリン酸ボスファターゼ)法を用いることとした。PPK法は、測定感度が高いが短鎖のポリリン酸に対する定量性が低い。その一方でPPX法は、短鎖のポリリン酸に対する定量性がPPK法より高いが感度が低い。これらの方法を同時に用いることによって、全ポリリン酸(PPX法)、長鎖ポリリン酸(PPK法)、両者の差を短鎖ポリリン酸と分別定量することができた。

系統的に異なるArchaespora Ieptoticha,Giaspora margarita,Glomus etunicatumおよび農業資材として利用されているGlomus sp.R10をそれぞれタマネギに接種して栽培し、栽培期間中のAM菌感染根におけるポリリン酸の蓄積を、植物の生育やAM菌感染率と合わせて比較した。

AM菌感染根におけるポリリン酸の蓄積は菌の種類によって異なり、必ずしも植物に対する生育促進効果やAM菌感染率が高いほどポリリン酸が蓄積しているわけではなかった。また、栽培期間が長くなるにつれて感染根内のポリリン酸が減少し、それにともない生育促進効果が大きくなる傾向が認められた。このことは、根内のAM菌菌糸内に蓄積したポリリン酸が加水分解されて植物に供給される代謝回転の重要性を示唆するものである。

1-2.アーバスキュラー菌根菌感染根におけるポリリン酸代謝速度

AM菌から植物へのリン酸供給速度は、根内のAM菌菌糸に蓄積するポリリン酸が加水分解され、無機リン酸として放出する過程で律速されていると想定し、AM菌感染根におけるポリリン酸消失速度からAM菌から植物へのリン酸供給速度を推定しようと試みた。すなわち、Glomus sp.R10を接種してポット栽培した植物(タマネギ)を培地より分離し、根外のAM菌を取り除いた後、水耕液中で培養し、根内におけるポリリン酸の消失を調べた。

その結果、AM菌感染根内のポリリン酸は培養6時間で約50%減少した。このことは、植物根内のAM菌菌糸におけるポリリン酸代謝速度がかなり速いことを示唆するものである。しかし、実験系の制御が難しく、植物へのリン酸供給速度の推定にはいたらなかった。

1-3.Glomus属感染根にお短鎖ポリリン酸量と生育との関係

植物の生育やAM菌のリン酸供給に人為的に差を生じさせることができれば、AM菌感染根内のポリリン酸の蓄積と植物の生育との関係を推測できるのではないかと考えられる。そこで、植物生育量に差を生じさせるために、培地のリン酸濃度を4段階に設定した条件で、長ネギを用いて栽培試験を行った。供試菌株には、生化学的な特性が比較的類似すると考えられる、同じGlomus属の2菌株(Glomus sp,R10およびG.etunicatum)を用い、根内のポリリン酸蓄積様式と植物の生育との関係を検討した。

両AM菌とも、培地のリン酸水準に関わらず比較的高い感染率を示し、植物の生育は培地のリン酸水準に従い増加した。AM菌感染根内の長鎖ポリリン酸量と地上部乾物重との関係は菌の種類によって異なった。その一方で、AM菌感染根内の短鎖ポリリン酸量と地上部乾物重の間には、菌の種類によらず高い正の相関関係が認められた。このことから、Glomus属感染根においては、短鎖ポリリン酸が植物に供給されるリン酸プールとして機能していると考えられた。

2.アーバスキュラー菌根菌による宿主植物への窒素供給

AM菌がリンだけでなく窒素に関しても土壌中から吸収し植物へ供給することは15Nトレーサーを用いた実験により1980年代より知られていた。しかし、土壌中の無機態窒素(硝酸イオン)は水分の移動とともに容易に移動するため、植物自身による窒素吸収とAM菌を通した窒素供給を区別して定量的に評価されてこなかった。そこで、植物根と外生菌糸のコンパートメントに分けた根箱において、両コンパートメントの間に空隙を設けることによって、コンパートメント間を菌糸は通過できるが水分は移動できない装置を作成した。

この根箱の片側あるいは両側に15N標識NH4NO3を加えて、AM菌Glomus Sp.R10を接種して植物(長ネギ)を栽培した。菌糸側に15Nを添加した場合、植物体に検出される15N量および植物乾物重が有意に増加することを確認した。このことから、少なくとも根圏への窒素供給が制限される条件では、AM菌の窒素供給により植物の生育が促進されることが明らかとなり、AM菌の窒素供給が植物の生育を促進することを初めて示した。また菌糸側への窒素添加により、植物体のリン濃度および根内のポリリン酸濃度も有意に増加することが示され、AM菌の窒素吸収とリン吸収の間に関連がある可能性が示唆された。

3.アーバスキュラー菌根菌のリン吸収に及ぼす窒素の影響

上記の結果から、土壌中の窒素の存在によってAM菌のリン吸収が影響を受ける可能性が示唆された。また、AM菌菌糸内の窒素輸送態と考えられているアルギニンはポリリン酸のカウンターイオンとしての機能を有するのではないかと推測されていることからも、AM菌においてリンと窒素の関連性が予想される。そこで、ポリリン酸をAM菌のリン酸吸収の指標として、AM菌のリン吸収に及ぼす土壌中無機態窒素の影響を調べた。すなわち、AM菌を共生させた植物(長ネギ)を砂耕で栽培し、途中で培地中の窒素養分を洗い流し窒素飢餓条件にさらした後、窒素添加(窒素濃度2水準)または無添加の処理を行い、その後のAM菌感染根内および外生菌糸のポリリン酸蓄積を調べた。

その結果、AM菌感染根内および外生菌糸におけるポリリン酸蓄積は窒素添加により有意に促進されることが明らかとなった。また植物根リン濃度も窒素添加により高く維持されており、土壌中の無機態窒素濃度の上昇によってAM菌のリン酸吸収および植物へのリン酸供給が促進されたと考えられた。このことは、AM菌のリン吸収は土壌中の無機態窒素濃度によって制限され得ることを示唆するものである。

以上、本研究によって、AM菌感染根内のポリリン酸蓄積の菌株による違いと植物の生育との関係を明らかにした。またAM菌による窒素供給は植物の生育を促進する効果があることを明らかにした。さらに、AM菌のリン吸収には窒素が必要であり、土壌中の窒素がAM菌のリン吸収の制限因子となり得ることを明らかにした。これらの成果は、AM菌のリン酸供給機構のさらなる理解を助け、また土壌圏の物質循環においてAM菌がリンだけでなく窒素に関しても影響を及ぼしていることを示唆させるものである。さらに、AM菌を農業分野などの応用面で効果的に利用するために有益な知見であることが予想される。

審査要旨 要旨を表示する

アーバスキュラー菌根菌(AM菌)により形成されるAM菌根共生系は土壌中に伸長する外生菌糸から養分を吸収し、幅広い種類の植物に供給する働きがあるため、その農業分野での利用が期待されている。AM菌のリン貯蔵物質であるポリリン酸がAM菌から植物へのリン供給を規定する主要物質であることは明らかにされていたが、その供給量を評価するための適切な方法は開発の途上にあった。また、AM菌による窒素供給が植物の生育に及ぼす影響やリン吸収と窒素吸収との相互作用については不明であった。本研究は、.ポリリン酸に着目し、一連の実験から、AM菌から植物へのリンと窒素の供給、およびその相互作用を明らかにすることを目的としたものであり、本論文は7章からなる。

第1章は緒言であり、本研究の背景であるAM菌根共生系の構造、分類、機能等についてこれまでの知見をまとめるとともに、本研究の目的と概要を提示した。

第2章では、AM菌感染根内のポリリン酸蓄積と植物の生育との関係を明らかにするため、ポリリン酸をその重合度別に定量する方法を検討し、2種類の方法を併用することで、全ポリリン酸、長鎖ポリリン酸、および両者の差から短鎖ポリリン酸を分別定量する方法を開発した。この方法を用いて系統的に異なる4種のAM菌について実験を行い、感染根内のポリリン酸蓄積量と植物の生育との関係はAM菌の種類によって多様であるものの、何らかの関係がある可能性を示した。

第3章では、根外からのリン酸の流入を遮断した条件でAM菌感染根におけるポリリン酸消失速度を求めることから、AM菌から植物へのリン酸供給速度の推定を試みた。実験の結果、ポリリン酸量の値が大きくばらつき、その速度を正確に推定するまでには至らなかったが、AM菌におけるポリリン酸代謝速度はかなり速いことが示唆され、このような速い代謝が植物の生育に影響を及ぼすほどのリン酸供給を可能にしていることが考えられた。

第4章では、ポリリン酸蓄積量がAM菌から植物へのリン酸供給力の指標となりうるかどうかを明確にするために、培地のリン酸濃度を数段階に設定してAM菌感染根内のポリリン酸蓄積と植物の生育との関係を検討した。その結果、AM菌感染根内の短鎖ポリリン酸量と地上部乾物重の間には、菌の種類によらず高い正の相関関係が認められ、短鎖ポリリン酸が植物に供給されるリン酸プールとして機能しており、根内の短鎖ポリリン酸量はAM菌から植物へのリン酸供給力の指標として有望であることが示唆された。

第5章では、AM菌による窒素吸収が植物生育に及ぼす影響とそのリン吸収との相互作用を検討した。その際、植物自身による窒素吸収とAM菌を通した窒素吸収を区別して定量的に評価するため、植物根と外生菌糸の2つのコンパートメントに分け、両コンパートメントの間に空隙を設けた根箱装置を考案した。15Nトレーサー実験の結果、少なくとも根圏への窒素供給が制限される条件では、AM菌から植物への窒素供給が植物の生育を促進することを明らかにした。さらに、AM菌の窒素吸収とリン吸収の間に関連のある可能性が示唆された。

第6章では、第5章で示唆された窒素によるAM菌のリン吸収促進の可能性を確認するため、ポリリン酸を指標としてAM菌のリン吸収に及ぼす土壌中の無機態窒素の影響を検討した。すなわち、砂耕条件で植物(長ネギ)にAM菌を感染させた後、砂培地中の養分を洗い流して根・外生菌糸からの養分供給を絶ち、その後窒素濃度の異なる養分を新たに供給した場合のAM菌と植物の応答を解析した。その結果、添加窒素濃度の上昇にともないAM菌感染根および外生菌糸のポリリン酸蓄積が促進され、土壌中の無機態窒素濃度はAM菌のリン吸収に影響を及ぼし、窒素が欠乏する条件ではAM菌のリン吸収が制限され得ることが示唆された。

第7章は総合考察であり、本研究の意義が総合的に考察されるとともに、研究全体のまとめが示された。

以上、本研究によって、ポリリン酸分析の新たな方法が開発され、AM菌から植物へのリン酸供給の評価におけるポリリン酸分析の有効性を示すことができた。また、AM菌におけるリン吸収と窒素吸収は互いに関連しており、AM菌は植物のリン吸収だけでなく窒素吸収にも寄与していること、土壌中の無機態窒素濃度によってAM菌のリン吸収が影響を受けることを明らかにした。これらの知見は、菌根共生系における養分輸送機構の解明に対し新たな知見を与えるとともに、生態系における菌根共生系の機能の理解、およびその農業分野での利用に対して基礎的な情報を提供するものであり、本論文は学術上、応用上貢献するところが少なくない。

よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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