学位論文要旨



No 125859
著者(漢字) 和田,朋子
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,トモコ
標題(和) 木材の腐朽環境に存在する担子菌類のモニタリング手法の開発と評価
標題(洋)
報告番号 125859
報告番号 甲25859
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3559号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 准教授 五十嵐,圭日子
 東京大学 教授 太田,正光
 東京農工大学 特任准教授 吉田,誠
 森林総合研究所 チーム長 桃原,郁夫
内容要旨 要旨を表示する

第1章 緒言

木材腐朽菌は木質構造の強度低下や損壊の大きな原因のひとつになるとされている。このことから、木質住宅や木製外構施設の維持管理のために木材腐朽菌の動態をモニタリングすることは重要な課題と言える。木材腐朽菌の多くは担子菌に分類されることから、これまで木材腐朽菌のモニタリングは腐朽の疑われる箇所から担子菌を採取・培養し、その菌糸形態を観察することで評価を行ってきた。しかしながら、このような培養を介した手法は、時間と手間が必要とされるだけでなく、難培養性の菌は検出されない、さらに腐朽初期段階における菌の検出ができないなど多くの問題点がある。これに対して、ポリメラーゼ鎖反応(PCR)によって増幅されたリボゾームDNA(rDNA)断片の塩基配列解析から腐朽菌を同定する手法が最近開発された。本PCR法は菌を単離することなく同定できるという利点がある一方で、木材含有成分によるPCR阻害や、鋳型DNAを得るために多量のサンプルが必要となる等の問題点が残されている。

そこで、本研究ではこれらの問題点を克服するため、極微量のゲノムDNAを鋳型として非特異的なDNA増幅を行う枯草菌ファージPhi29 DNAポリメラーゼに着目した。この増幅法とその後段にPCRによるrDNA断片の増幅を組み合わせることで、微量試料から培養過程を経ずにそこに存在する担子菌類を同定し、さらに腐朽材中の担子菌叢中における各菌の存在比を定量評価するためのDNA増幅条件について検討した。

第2章 非特異的DNA増幅とrDNA断片のPCR増幅を利用した担子菌類の同定

本章では、Phi29 DNAポリメラーゼによるDNAの増幅をPCRの前段階に組み入れることで、微量試料から担子菌類を同定することが可能となる手法を確立し、さらにその実地試験を行った。

まず、担子菌類の木材腐朽菌の菌糸、胞子ならびに木材腐朽菌を植菌後1週間経過した木片を破砕し得られた木粉試料約1 mgをPhi29 DNAポリメラーゼによる非特異的増幅に供し、その後担子菌rDNAに特異的なプライマーを用いたPCRを行うことによって、そこに存在する木材腐朽菌のrDNAの検出が可能であることを示した。さらに、そのrDNAのInternal Transcribed Spacer (ITS)領域の塩基配列をBLAST検索に供することで菌株同定ができることを示した。

さらに、上記の手法に対する実地試験として、木造住宅(築41年)の周囲16カ所に埋設したベイトステーション用器具キープオフTM中に設置後一年経過した木片から採取した微量木粉に適用した。各試験体から得たPCR増幅産物をプラスミドベクターにライゲーションし大腸菌へ形質転換した。その後、任意の10個の形質転換体について配列情報の取得を試みた。その結果、16箇所のベイトステーションから得た合計160検体中、103の検体についてはITS領域の塩基配列の解析ができた。このうち80検体については、データベース上に種名あるいは属名が登録されている担子菌あるいはその近縁種と92-100 %の相同性で同定された。残りの23検体は、データベース上に登録されていない配列、難培養性の菌、種属の明らかにされていない担子菌であった。同定された80検体の菌種は10属17種に及び、一軒の家屋敷地内でサンプリングをした,それぞれの腐朽木材中において様々な担子菌が存在していることが確認された。

以上のことから、PCR法では困難と考えられる約1 mgの木粉試料からでもPCR阻害を受けることなく、迅速・簡便に腐朽木材中に存在する担子菌を同定することが可能になった。さらに木材腐朽環境中には複数の担子菌が関与している可能性が示唆された。

第3章 木材腐朽菌叢の定量的評価を目的としたDNA増幅条件に関する評価

前章の結果から微量の腐朽木材から担子菌類の同定ができることを示した。その一方で、腐朽木材中には多種の担子菌が存在することが示され、木材腐朽への各菌の関与などをモニタリングするためには菌叢中での各菌の量比を定量的に評価することが重要であることが考えた。そこで本章では、二種類の木材腐朽菌から抽出したゲノムDNAを混合したサンプルに対して、Phi29 DNAポリメラーゼによるDNAの非特異的増幅および引き続くPCRによるITS領域の特異的増幅を行い、得られたPCR産物に対してPCR-Restriction Fragment Length Polymorphism (RFLP)法によって増幅条件における混合比の定量性を評価した。さらに、リアルタイムPCR装置を用いて増幅産物の融解挙動を調べ、PCR-RFLPによって得られた結果を検証した。

まず、様々な濃度の木材腐朽菌ゲノム溶液を調製し、これを鋳型として、Phi29 DNAポリメラーゼを用いた非特異的DNA増幅法の条件を検討した。その結果、初期鋳型DNA濃度が1 pg/μl以下では反応初期から増幅が認められ、鋳型DNA濃度が低いほど増幅効率が良いことが示された。このことからPhi29 DNAポリメラーゼによるDNAの非特異的増幅を行うことで、0.1~1 pgというごく微量なDNAをPCRの鋳型として使用できるまで増幅可能であることが明らかとなった。

次に、同一濃度の2種の木材腐朽菌ゲノム溶液を1:1の比に混合し、Phi29 DNAポリメラーゼで増幅した後さらにPCR-RFLP解析に供した。その結果、非特異的DNA増幅時間に関わらずPCRの指数的増幅期ではゲノムの混合割合がほぼ反映されていたのに対して、PCRのプラトー期では混合割合が反映されておらずバイアスが生じていることが明らかとなった。このバイアスの発生原因について検証するため、リアルタイムPCRから得た増幅産物のTm値をPCRの指数的増幅期とプラトー期で比較した結果、サイクル数の増加に伴い、高温側にTmがあるピークが優先的に増幅することが明らかとなった。

第4章 総括

本研究の結果から、Phi29 DNAポリメラーゼによる非特異的増幅とPCR増幅を組み合わせることで、微量試料から培養過程を経ずに菌叢中に存在する担子菌類を同定する手法について以下の通り確立した。腐朽木材から得た微量木粉からDNAを抽出する。これを1/10オーダーで逐次希釈した各試料液を調製する。得られた各試料液に対して、Phi29ポリメラーゼによりDNAの非特異的増幅を18時間行う。その結果、DNA増幅が確認できたサンプルを用いて、定められた条件下においてPCRを20サイクル行う。得られたPCR産物に対して、PCR-RFLP解析を行って試料中に存在する各担子菌の存在比を求める。PCR-RFLPのパターンに基づいて分類した各菌に対して、それぞれの菌種の同定をITS領域の配列情報解析により行う。本研究により、腐朽木材中に存在する担子菌類について同定ならびにその存在比を確認するモニタリング手法を確立した。

審査要旨 要旨を表示する

担子菌による木材腐朽は木質構造の強度低下や損壊の大きな原因のひとつになる。このことから、木質住宅や木製外構施設の維持管理のために木材腐朽担子菌の動態をモニタリングすることは重要な課題と言える。これまで、その目的に対しては腐朽の疑われる箇所から担子菌を採取・培養し、その菌糸形態を観察することで評価を行ってきた。しかしながら、このような培養を介した手法は、時間と手間が必要とされるだけでなく、難培養性の菌は検出されない、さらに腐朽初期段階における菌の検出ができないなど多くの問題点がある。これに対して、ポリメラーゼ鎖反応(PCR)によって増幅されたリボゾームDNA(rDNA)断片の塩基配列解析から腐朽菌を同定する手法が最近開発された。PCR法は菌を単離することなく同定できるという利点がある一方で、木材含有成分によるPCR阻害や、鋳型DNAを得るために多量のサンプルが必要となる等の問題点が残されている。そこで、本研究ではこれらの問題点を克服するため、極微量のゲノムDNAを鋳型として非特異的なDNA増幅を行う枯草菌ファージPhi29 DNAポリメラーゼに着目し、この増幅法とその後段にPCRによるrDNA断片の増幅を組み合わせることで、微量試料から培養過程を経ずにそこに存在する担子菌類を同定する手法を開発した。さらに、腐朽材中の担子菌叢中における各菌の存在比を定量モニタリングするためのDNA増幅条件の確立を行った。

本研究では、まず担子菌類の木材腐朽菌の菌糸、胞子ならびに木材腐朽菌を植菌後1週間経過した木片を破砕し得られた木粉試料約1 mgをPhi29 DNAポリメラーゼによる非特異的増幅に供し、その後、担子菌rDNAに特異的なプライマーを用いたPCRを行うことによって、そこに存在する木材腐朽菌のrDNAの検出が可能であること、さらにrDNAのInternal Transcribed Spacer (ITS)領域の塩基配列をBLAST検索に供することで菌株同定ができることを示した。また、上記の手法を利用する実地試験として、木造住宅の周囲に埋設したベイトステーション用器具中に設置後一年経過した木片中に存在する担子菌の同定を行った。その結果、16箇所のベイトステーションから得た合計160検体中、103の検体についてはITS領域の塩基配列の解析ができた。また、このうち80検体については、データベース上に種名あるいは属名が登録されている担子菌あるいはその近縁種と92-100 %の相同性で同定された。残りの23検体は、データベース上に登録されていない配列、難培養性の菌、種属の明らかにされていない担子菌であった。同定された80検体の菌種は10属17種に及び、一軒の家屋敷地内で得た腐朽木材中においても非常に多様な担子菌が存在していることが明らかとなった。

上記の結果から、微量の腐朽木材から担子菌類の同定ができる一方で、腐朽木材中には多種の担子菌が存在することが示されたことから、木材腐朽への各担子菌の関与などをモニタリングするためには菌叢中での各菌の量比を定量的に評価することが必要となった。そこで、二種類の木材腐朽菌から抽出したゲノムDNAを混合したサンプルに対して、Phi29 DNAポリメラーゼによるDNAの非特異的増幅および引き続くPCRによるITS領域の特異的増幅を行い、得られたPCR産物に対してPCR-Restriction Fragment Length Polymorphism (RFLP)法によって増幅条件における混合比の定量性を評価した。まず、Phi29 DNAポリメラーゼを用いた非特異的DNA増幅法の条件を検討した。その結果、鋳型DNA濃度が低いほど増幅効率が良いことが示され、増幅にあたっては初期DNA濃度1 pg/μl以下とすることが適切であることが明らかとなった。次に、2種の木材腐朽菌ゲノム溶液を1:1の比に混合し、Phi29 DNAポリメラーゼで増幅した後、さらにPCR-RFLP解析に供した。その結果、非特異的DNA増幅時間に関わらずPCRの指数的増幅期ではゲノムの混合割合がほぼ反映されていたのに対して、PCRでのDNA増幅が完了したプラトー期になると混合割合が反映されておらずバイアスが生じていることが明らかとなった。このバイアスの発生原因について検証するため、リアルタイムPCRから得た増幅産物のTm値をPCRの指数的増幅期とプラトー期で比較した結果、サイクル数の増加に伴い、高温側にTmがあるピークが優先的に増幅することが明らかとなった。

以上の結果に基づき、微量試料から培養過程を経ずに菌叢中に存在する担子菌類をモニタリングするために、Phi29 DNAポリメラーゼによる非特異的増幅とPCR増幅を組み合わせた手法を以下の通り確立した。腐朽木材から得た微量木粉からDNAを抽出する。これを1/10オーダーで逐次希釈した各試料液を調製する。得られた各試料液に対して、Phi29ポリメラーゼによりDNAの非特異的増幅を18時間行う。その結果、DNA増幅が確認できたサンプルを用いて、定められた条件下においてPCRを20サイクル行う。得られたPCR産物に対して、PCR-RFLP解析を行って試料中に存在する各担子菌の存在比を求める。また、PCR-RFLPのパターンに基づいて分類した各菌に対して、それぞれの菌種の同定をITS領域の配列情報解析により行う。

以上、本研究により木材の腐朽環境に存在する担子菌類のモニタリングを目的とした新たな手法の開発されたことは,木材保存学における学術上,応用上貢献することが少なくない。よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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