学位論文要旨



No 125863
著者(漢字) 石塚,雅規
著者(英字)
著者(カナ) イシヅカ,マサノリ
標題(和) TEMPO酸化パルプシートの特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 125863
報告番号 甲25863
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3563号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 特任教授 木村,実
 東京大学 准教授 和田,昌久
 東京大学 准教授 江前,敏晴
内容要旨 要旨を表示する

例えば木材セルロースは幅約4 nmで、70%以上の高結晶化度を有するセルロースミクロフィブリルを生合成の過程で生成し、セルロース分子に次ぐ構成要素として植物体の階層構造を形成しているのが特長である。その高結晶性セルロースミクロフィブリルにより、セルロースは化学処理、生物による劣化・分解、外的応力に対して比較的安定で強固な素材である。従って、例えばセルロース水酸基のエステル化、エーテル化などの化学改質による誘導体化、特性変換には、通常セルロース水酸基に対して過剰量の反応薬品が必要となり、水分量の制御や反応条件の精密な制御が必要であり、必ずしも環境に優しいプロセスとはいえなかった。次世代のセルロース化学改質方法は、水系媒体のグリーンプロセスである必要がある。

一方、近年セルロースをpH10の水媒体中、温和な条件でTEMPO(2,2,6,6-tetramethyl piperidine-1-oxy radical)触媒酸化することで、位置選択的な化学改質が可能であることが報告された。このTEMPO触媒酸化を木材セルロース(製紙用広葉樹漂白クラフトパルプ)に適用することにより、セルロースミクロフィブリル表面に露出しているC6位の1級水酸基のみ、位置選択的にアルデヒド基を経てカルボキシル基のナトリウム塩に変換できることが判明した。更に、一定量以上のカルボキシル基をTEMPO触媒酸化反応によって導入した酸化セルロースは、水中での軽微な解繊処理(例えば家庭用ミキサーによる攪拌処理)により、透明高粘度のゲルに変換でき、そのゲルは幅4 nmのセルロースミクロフィブリルが個々にナノ分散した新規バイオ系ナノ素材であることが明らかになった。

同一条件で水中解繊処理しても、TEMPO酸化条件により、ナノフィブリル化の程度も異なることが予想される。ナノフィブリル化の程度が異なれば、ワイヤー上での濾過-湿紙成形工程を経ることが不可欠な抄紙プロセスでも、ある程度のシート成形が可能であると考えた。シート化プロセスは低エネルギー消費型の効率的成形技術であり、更にシートの形態であることは、汎用性、利便性、加工性の観点から求められているため、TEMPO酸化パルプの応用範囲と可能性を広げることが可能になる。TEMPO酸化して一部がナノフィブリル化したパルプ繊維をシート化することで、微小サイズの異物をろ過する生分解性あるいはカーボンニュートラルフィルターとして(フィルターの多くは使用後に廃棄-焼却処理されるので土中埋め込み処理で生分解するか、焼却処理してもカーボンニュートラルな素材が求められるため)、あるいはTEMPO酸化処理で導入されたカルボキシル基により、サイズでの分離によるフィルター機能だけではなく、陽イオン交換機能の発現も期待できる。そこで、TEMPO酸化と水中解繊処理で一部ナノフィブリル化したセルロース繊維素材を、抄紙プロセスでシート化し、機能性フィルター用シートとして利用するための基礎的知見を得るため、各種条件で調製したTEMPO酸化パルプを同一条件で水中解繊処理して手抄きシートを調製し、その特性解析を行った。

未解繊TEMPO酸化パルプのシート化

市販の製紙用広葉樹漂白クラフトパルプを各種条件でTEMPO酸化処理し、解繊処理することなく、手抄きシートを作製し、そのシート特性を評価した。定着助剤などの薬剤を添加せずに、水道水を用いて抄紙を行った場合、TEMPO酸化パルプから調製したシートは、TEMPO酸化していないパルプから調製した対照シートと比較して、外観上の差異はほとんどなかった。また、通気抵抗度および平均細孔径分布などのシート特性も大きく変化せずに、良好な地合(シート中の繊維集合体の均一性)を維持していることが確認された。また、TEMPO触媒酸化反応時に、パルプに添加する次亜塩素酸ナトリウム水溶液の添加量が増加するに従い、シート中のカルシウム含有量が増加することが確認され、最大で対照シートの15倍のカルシウムを含有していた。この結果から、既存の抄紙設備においても特に製造工程で課題となることなく、カルシウム塩型のカルボキシル基を多く含む新規機能性シートを調製できる可能性が示された。

解繊TEMPO酸化パルプのシート化

次に軽微な水中での機械的解繊処理により、TEMPO酸化パルプを部分的に解繊-ナノファイバー化した0.2%固形分濃度パルプ懸濁液を用いて手抄きシートを作製した。TEMPO酸化パルプは軽微な解繊処理によって、繊維長方向に切断されて微細化が進行する。しかし、解繊したTEMPO酸化パルプ懸濁液からも、水道水を用いた抄紙法によってシート化することができた。すなわち、全てのパルプ成分がろ過工程で濾水側成分として失われることなく、積層してシートに成形することができた。水分散状態でフロックの形成が確認されていることから、解繊処理によって一部ナノ分散した微細化物は、ある程度の大きさの凝集体を水道水中で形成し、これらがワイヤーやスパンボンド不織布上に紙層を形成することで、ろ過作用によってシート形成したものと考えられる。パルプのTEMPO酸化によるナノ分散の程度が進行するに従い、シート特性は変化し、見かけ密度は増加する傾向があった。従って、TEMPO酸化時の次亜塩素酸ナトリウム水溶液の添加量を調節すれば、対応して同一条件の水中解繊処理でナノフィブリル化の程度が制御でき、結果として特性が異なるシートの調製が可能であることが示された。

解繊TEMPO酸化パルプのシートの通気性

フィルターとしての特性を評価するため、解繊TEMPO酸化パルプから作製したシートの表面から裏面への空気の流路を確認するため、シート断面を走査型顕微鏡で観察を行った。その結果、水中解繊処理によってパルプの繊維長方向の切断がほとんど起きない範囲では(すなわち、次亜塩素酸ナトリウムの添加量が少なく、酸化の程度が弱い場合には)、パルプ繊維間を閉塞・密着させる繊維状態は確認できず、対照シート同様多くの空隙を有していた。しかし、次亜塩素酸ナトリウムの添加量が増加して酸化条件が厳しくなると、水中解繊時のパルプ繊維の切断が進行し、シート中で積層しているパルプ繊維同士が密着している状態が観察された。すなわち、微細化パルプはパルプ繊維間を閉塞・密着を促進している。これらの手抄きシートについて、バブルポイント法による平均細孔径分布測定を行ったところ、約1umにピークを持つシートも調製することができたが、多孔質体としてのレベル以上の通気性を付与することはできなかった。特に、TEMPO酸化時に3 mmol/g-pulp以上の次亜塩素酸ナトリウム水溶液を添加して水中解繊処理したパルプから調製したシートは、対照シートと比較して急激に見かけ密度が高くなり、通気抵抗度の高い、フィルムのようなシートになった。

水質の差異によるシートの特性変化

TEMPO酸化後水中解繊処理パルプ分散液を水道水で抄紙した場合、シートの地合が低下(不均一化)することが確認された。そこで、TEMPO酸化条件による酸化度の変化(=カルボキシル基量の変化。ナノフィブリル化の程度とも関連)が、水道水中のイオン種の影響を受けてフロック形成に関与するという仮説を証明するための検討を行った。その結果、(1)水道水を用いるとフロック形成が促進され、脱イオン水では抑制されること、(2)TEMPO酸化の程度の高いパルプを水中解繊処理した場合には、水道水中でのフロック形成が促進されることが確認された。

TEMPO酸化処理およびその条件によって、パルプ中に解離したカルボキシル基のナトリウム塩が生成しており、その負電荷によるフィブリル間の静電的反発力が作用するため、基本的には水への分散性は極めて高いはずである。実際、イオン交換水を用いて分散させた場合には、高い分散性が確認できた。しかし、水道水中に分散した場合には、水道水中の陽イオン、特にカルシウムイオンが、カルボキシル基の対イオンとして吸着することで、フィブリル表面の負の電荷が抑制され、また一部二価のカルシウムイオンによるフィブリル間のカルボキシル基を介した架橋構造が形成されるため、結果としてパルプのフロックが形成しやすくなったと考えられる。また、TEMPO酸化処理と水中解繊処理によるパルプの一部ナノ分散化により、極めて大きな比表面積を有するとともに、ナノ分散したフィブリル数も急増することから、相互作用しやすくなり、結果的にフロックを形成しやすくなったものと考えられる。TEMPO酸化時の次亜塩素酸ナトリウム水溶液添加量が0.5 mmol/g-pulpと比較的低い酸化条件で調製したパルプは、解繊処理による繊維幅および繊維長の変化はパルプの繊維長測定装置ではほとんど見られない。しかし、一部は当該装置では検出できないレベルでナノ分散化しているはずであり、少量のナノ分散成分の存在でもフロック形成に大きく関与することが明らかになった。

添加剤を用いて作製したシートの特性解析

代表的な定着助剤である硫酸アルミニウム、カチオン性ポリアクリルアミド(C-PAM)を、TEMPO酸化-水中解繊処理したパルプ分散液に添加して手抄きシートを作製し、添加剤成分のシートへの定着挙動を解析した。その結果、(1)硫酸アルミニウム添加では、アルミニウムがシート中に多く含まれること、(2)脱イオン水にてC-PAMを添加した場合には、Na型のカルボキシル基を有するシートが得られることが判明した。また、TEMPO酸化パルプの陽イオン交換能は、パルプの乾燥履歴によって変化していないことが明らかになった。以上の結果から、従来の抄紙技術を用いて、TEMPO酸化パルプの特性を有したシートおよびロールを製造することができることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

近年セルロースを水媒体中、温和な条件で製紙用の漂白木材クラフトパルプをTEMPO触媒酸化し、水中での軽微な解繊処理することにより、幅約4nmの均一幅で完全ナノ分散したTEMPO酸化セルロースナノファイバーの調製方法が見出された。そこで本研究では、TEMPO酸化条件の異なるパルプを調製し、同一条件で水中解繊することで、解繊程度の異なるTEMPO酸化フィブリル化素材を調製した。これらを抄紙工程によりシート化し、環境適合性フィルターあるいは陽イオン交換体として利用するための基礎的知見を得ることを目的とした。得られた成果の概要を以下に示す。

まず、市販の製紙用広葉樹漂白クラフトパルプを各種条件でTEMPO酸化処理し、解繊処理することなく、手抄きシートを作製して特性を評価した。水道水を用いて抄紙を行った場合、通気抵抗度および平均細孔径分布などのシート特性も大きく変化せずに、良好な地合を維持していることが確認された。また、TEMPO触媒酸化反応時に、パルプに添加する次亜塩素酸ナトリウム水溶液の添加量が増加するのに従い、シート中のカルシウム含有量が増加することが確認され、最大で対照シートの15倍のカルシウムを含有していた。この結果から、既存の抄紙設備においてもカルシウム塩型のカルボキシル基を多く含む新規機能性シートを調製できることが示された。

続いて、軽微な水中での機械的解繊処理により、TEMPO酸化パルプを部分的に解繊-ナノファイバー化して手抄きシートを作製した。この場合も、水道水を用いた抄紙法によって積層化が可能であり、シート化することができた。水道水中の分散状態で繊維状成分の凝集体形成が確認されていることから、一部ナノ分散した微細化物は、ある程度の大きさの凝集体を水道水中で形成し、これらが紙層を形成することで、ろ過作用によってシート形成したものと考えられる。パルプのTEMPO酸化によるナノ分散の程度が進行するに従い、シートの見かけ密度は増加し、結果として物性が異なるシートの調製が可能であった。

解繊TEMPO酸化パルプから作製したシートの表面から裏面への空気の流路を確認するため、シート断面を走査型顕微鏡で観察した。その結果、TEMPO酸化時の酸化剤添加量を増加させることにより、得られたシート中で積層しているパルプ繊維が密着し、シート密度が上昇することを裏付けた。これらの手抄きシートについて、バブルポイント法による平均細孔径分布測定を行ったところ、通気抵抗度の高い、フィルムのようなシートになった。

TEMPO酸化の水中解繊処理した高フィブリル化物を水道水中に分散した場合には、水道水中の特にカルシウムイオンが、カルボキシル基の対イオンとして吸着することで、フィブリル表面の負の電荷が抑制され、また一部二価のカルシウムイオン等によるフィブリル間のカルボキシル基を介した架橋構造が形成されるため、結果としてパルプ成分の凝集体が形成しやすくなる機構を明らかにした。

続いて、代表的な定着助剤である硫酸アルミニウム、カチオン性ポリアクリルアミド(C-PAM)を、TEMPO酸化-水中解繊処理したパルプ分散液に添加して手抄きシートを作製し、添加剤成分のシートへの定着挙動を解析した。その結果、(1)硫酸アルミニウム添加では、アルミニウムがナトリウムとイオン交換してシート中に多く含まれること、(2)3価アルミニウムイオンがTEMPO酸化-フィブリル化物中の複数のカルボキシル基と架橋構造を形成すると共に、一部のカルボキシル基はCOOH型に変換されること、(3)脱イオン水に分散させたTEMPO酸化パルプ-水中解繊物にC-PAMを添加した場合には、Na型のカルボキシル基を有するシートが得られることが判明した。また、TEMPO酸化パルプの陽イオン交換能は、パルプの乾燥履歴によって変化していないことが明らかになった。これらの結果から、従来の抄紙技術を用いて、TEMPO酸化パルプの特性を有したシートおよびロールを製造可能であることが明らかになった。

以上のように、本研究によってTEMPO酸化パルプを未解繊のまま、あるいは水中解繊して高フィブリル化物を素材として、水道水中のカルシウム等の二価の陽イオンを架橋剤として利用することで、抄紙法によるシート化が可能であることを明らかにした。この結果、従来の塗工-乾燥工程に比べて加工性、汎用性の高い機能性エアーフィルター、陽イオン交換シートとしての利用の可能性を見出した。また、水道水中でのTEMPO酸化パルプ中のカルボキシル基のイオン交換挙動、そのメカニズムを明らかにすることができた。これらの成果は、TEMPO酸化セルロースの応用技術の展開に大きく寄与できると共に、新しい機能紙製造技術、新規の環境対応材料の創成等の観点からも高く評価される。従って、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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