学位論文要旨



No 125864
著者(漢字) 木本,次憲
著者(英字)
著者(カナ) キモト,ツグノリ
標題(和) 法隆寺金堂のトラス効果とその立体架構に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 125864
報告番号 甲25864
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3564号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 稲山,正弘
 東京大学 教授 安藤,直人
 東京大学 教授 太田,正光
 東京大学 准教授 佐藤,雅俊
 東京大学 教授 藤井,恵介
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

世界最古の木造建築といわれる法隆寺金堂は以前からその構造的欠陥を指摘されてきた。また中国朝鮮半島に現存する古代の宮殿・仏教建築は総て扇垂木であるのに,日本では最古の法隆寺を含め全て平行垂木とされていた。ところが昭和31年難波の四天王寺講堂発掘現場から奈良時代の扇垂木落下跡が発見され,仏教移入当初は扇垂木を採用していた事が判明した。そこで「扇垂木を捨て平行垂木を採用した法隆寺は本当に欠陥建築であったのか」という問題定義に対し,本論文では以下の仮説に立ち1/2縮尺モデルによる垂直加力実験に基づいた考察を行った。さらに中国大陸・朝鮮半島・日本に残された古代建築の調査等から,法隆寺につながる構造的特徴を指摘し世界最古の木造建築に秘められた「創意」と「技術的裏付け」を検証する。

仮説:1300年前に,法隆寺金堂は「トラス原理を応用した立体架構」を意図して創られた.

本論文は(I)実験編と(II)歴史編の2部構成とし,法隆寺の特殊な架構方法について実験的検証と歴史的考察の両面から論じている。

第2章 (I)実験編

[実験概要]今回の実験では金堂初層の一隅部分を抽出し,各水平部材が軸力で釣り合っていると仮定して垂直荷重をかけた(図1,2,3)。その時の尾垂木掛け(上段水平材)と通り肘木(中段水平材)の引張軸力,尾垂木(斜材)先端部分の垂直変位,主要部材の絶対変位と相対変位,トラスを構成する尾垂木と力肘木の表面歪を計測した。それらの実測結果から試験体全体の挙動,力肘木の破壊モードなどを検証した。さらに軒先荷重が「トラス抵抗要素」と「片持ち梁抵抗要素」に分担されていると仮定し,歪ゲージの値と尾垂木先端垂下値からその分担率を計算した。

[実験結果とその考察] 試験体6体に対し先端ダボあり3回・ダボなし3回の加力実験を行った結果(図3),ダボありが初期状態から剛性が大であった(図4)。また外陣柱(B)点付近の力肘木(水平材)に取り付けた歪ゲージ値(図5)から,力肘木の上辺仕口のせん断割裂による断面欠損が原因で軒先垂下が生じたと考えられた。修理工事報告書の写真と観察記録から保存部材にも同様の瑕疵が確認された。更に先端垂下に伴いダボは引張上げられ反時計回りに回転したが,ダボなし時に比べ試験体各部の変位が少なく三角形全体の変形は明らかに減少しダボの効果が確認された。

[検証1] [検証2] 歪ゲージから推測するトラス効果

軒先荷重を「トラス抵抗要素」(図6)「片持ち梁抵抗要素」(図7)に分担した力学モデルに基づき,尾垂木(斜材) B点付近での理論上の曲げモーメントを計算し実測された歪ゲージ値との比較からトラス抵抗要素の割合を推定した。その結果トラス効果は60%前後,そのうち摩擦効果40%前後,ダボ効果が20%前後と予測された。

[検証3] 先端垂下から推測するトラス効果

同様に「片持ち梁抵抗要素」だけが作用するときの先端垂下変位が理論的に求められるので,実験での実測値との比較から「トラス抵抗要素」が推測できる。その結果トラス効果は40%前後,そのうち摩擦効果は20%前後,ダボ効果は20%前後と推定された。以上[検証1,2,3]の結果を総合すると約50%をトラス架構による軸力で負担し,その内の約半分は境界面の摩擦力で負担していると推定される。

[尾垂木軸力の立体架構成分]

測定結果から尾垂木(斜材)先端荷重に対して上段水平材 (尾垂木掛け)と中段水平材 (通り肘木)に引張応力が伝達された(図8)。さらに古代鎌継手の破断によりそれらの引張応力が四方にバランスしている事が確認された。

[実験結果の結論]

*トラスにより四隅の尾垂木(斜材)にかかった引張軸力は尾垂木掛け(上段水平材)と通り肘木(中段水平材)に伝達され建物四周で立体的に釣り合っている。

*法隆寺金堂は初層軒先にかかる垂直荷重の約50%をトラス架構による軸力で負担し,残りを片持ち梁の曲げで負担していると考えられる。

*トラス先端の尾垂木と力肘木のせん断力伝達には,尾垂木先端に挿入されたダボのせん断力と境界面の摩擦力が考えられ,せん断力伝達の約半分は摩擦力が負担していると推定される。

*尾垂木先端ダボ挿入により尾垂木(斜材)と力肘木(下段水平材)の縁応力度減少が確認され,曲げ抵抗の割合が減少しトラス抵抗の割合が増加することで架構全体の鉛直方向の剛性が増大したと考えられる。

*力肘木上端の「渡り腮」の初期亀裂が端緒となり,力肘木の断面2次モーメントは半減したと推測され,これが法隆寺金堂の軒先垂下の要因となったと考えられる。

第3章 (II)歴史編

百済聖明王による仏教伝来(552年)以降,日本最初の仏教寺院である飛鳥寺(588年),四天王寺(593年),創建法隆寺(若草伽藍607年)の建設に百済の職人が関与したとされ,初期のものは扇垂木であったと推測される。643年に竣工した山田寺金堂の特殊な柱配置も扇垂木架構の一形式と解釈でき(図9),入母屋形式と扇垂木の深い関係が導かれる。その後天智9年(670年)に創建法隆寺が焼失したとされるが,この直前663年百済,668年高句麗が新羅・唐の連合軍により滅亡した。現存法隆寺の施工時期は確定できていないが,金堂再建にこれらの朝鮮半島から亡命した人々が関わった可能性は高い。7世紀中期の作とされる玉虫厨子は「平行垂木」であるが放射状に飛び出た組物に「扇垂木」の痕跡が残っている。再建された法隆寺(図10)は平行垂木を使用しているが,金堂・中門の架構には扇垂木を連想させるものがある。このように法隆寺には両方の要素が混在し成立過程には謎が多い。

また伊東忠太が法隆寺の価値を発見して以来「北魏→高句麗」と「南朝→百済」の二つの流れが指摘されてきた。そこで軒先構造に関する部材に限ってその流れを整理してみると(表1),百済から扇垂木と共に「尾垂木」が渡来している(C-2)。そこに高句麗から「平行垂木」の技法が数十年遅れて来たとすれば,それらが法隆寺金堂で合体した可能性を否定できない(図11)。当時では調達が困難であった長大部材を使って最大のボリュームを創出する為には,トラスに組んだ平行垂木を使用するのが最善の方法であった。本論文の実験編からもその事は明らかで,法隆寺を創出した技術者たちが力の流れを正確に理解していたことが見て取れる(図12)。

一方唐代以降の中国に残る古代建築は平行垂木を捨ててしまったが法隆寺式のルーツを見出すことができる。塁木・積み重ね方式は法隆寺金堂につながると考えられる。また日本国内において薬師寺東塔(図13)になると尾垂木をトラスとする意識が薄くなる。尾垂木先端にダボを使用しているがその位置が側柱に近すぎトラス効果は小さいと思われる。唐招提寺金堂(図14)では尾垂木尻に屋根荷重が乗っておらず梃子としては作用していない。更に三角形先端は組物に飲み込まれトラスとしての機能を失っていく。以後法隆寺様式は二度と使用されなかった事実から,法隆寺金堂は7世紀後半の飛鳥の地で発明されたものであり,その「トラス原理を応用した立体架構」は余りに斬新的すぎて「一代限りの特殊解」であったと考えられる。

図1 金堂初層 軒先断面図

図2 立体架構概念図

図3 実験装置全体写真

図4 尾垂木先端の垂下(D点・変位計1)

図5 力肘木 柱心近辺(歪11,歪13)

図6 トラス抵抗要素の力学モデル

図7 片持ち曲げ抵抗要素の力学モデル

図8 引きボルト張力図 第5-1回~第5-3回実験平面図

図9 山田寺 推定架構図

図10 法隆寺金堂

表1 軒先構造の特徴の抜粋

図11 古代仏教建築伝搬 想定図

図12-1 法隆寺 五重塔(隅一組物)

図12-2 法隆寺 金堂

図13-1 薬師寺 西塔(隅三組物)

図13-2 薬師寺 東塔

図14-1 唐招提寺金堂 尾垂木(隅三)

図14-2 唐招提寺金堂 復原断面図

審査要旨 要旨を表示する

提出された学位請求論文は,法隆寺金堂の特殊な屋根架構方法を「トラス原理を応用した立体架構」と仮説したうえで,実験的検証と歴史的考察の両面から論じている。基本構成は序論,(I)実験編,(II)歴史編の3章からなる。

第1章序論では,中国朝鮮半島に現存する古代の木造建築は扇垂木であるのに日本では法隆寺を含め平行垂木とされていた通説に対し,それぞれの長所短所を構造的に指摘し且つ修理工事報告書の精読から,法隆寺金堂は扇垂木から平行垂木への構造的転換をトラス原理を応用し合理的に実現したと推論している。そこで1/2縮尺モデルによる垂直加力実験と,中国大陸・朝鮮半島・日本に残された古代木造建築等の調査から法隆寺につながる構造的特徴を指摘し,世界最古の木造建築に秘められた「創意」と「技術的裏付け」を検証することを本研究の目的としている。

第2章(I)実験編では、法隆寺金堂の1/2スケールの隅部屋根架構試験体に対する鉛直加力試験を実施し、変形挙動の観察と計測結果の解析にもとづき以下の結論を得た。

1.トラスにより四隅の尾垂木(斜材)にかかった引張軸力は尾垂木掛け(上段水平材)と通り肘木(中段水平材)に伝達され建物四周で立体的に釣り合っている。

2.法隆寺金堂は初層軒先にかかる垂直荷重の約50%をトラス架構による軸力で負担し,残りを片持ち梁の曲げで負担していると考えられる。

3.トラス先端の尾垂木と力肘木のせん断力伝達には,尾垂木先端に挿入されたダボのせん断力と境界面の摩擦力が考えられ,せん断力伝達の約半分は摩擦力が負担していると推定される。

4.尾垂木先端ダボ挿入により尾垂木(斜材)と力肘木(下段水平材)の縁応力度減少が確認され,曲げ抵抗の割合が減少しトラス抵抗の割合が増加することで架構全体の鉛直方向の剛性が増大したと考えられる。

5.力肘木上端の「渡り腮」の初期亀裂が端緒となり,力肘木の断面2次モーメントは半減したと推測され,これが法隆寺金堂の軒先垂下の要因となったと考えられる。

*上記1.2.3.4.により法隆寺金堂の「トラス原理を応用した立体架構」の力学的性状が明らかとなり、跳ね出し梁形式の架構と比較して剛性・耐力上の優位性が確認されたと考えられる。更に5.では修理工事報告書の写真と記述により,実験結果と同様のせん断亀裂が実物にも生じていた事を指摘している。これは法隆寺金堂の軒先垂下の原因に関する具体的な新説である。

第3章(II)歴史編では中国北部に現存する古代木造建築や雲崗石窟の浮彫彫刻,四天王寺講堂の扇垂木落下跡の現地調査等から,法隆寺金堂が日本建築として扇垂木から平行垂木へと移行する構造的転換点に位置する建造物であった可能性を指摘している。更に当時では調達困難であった長大部材を使って最大の建物規模を創出する為には,トラスに組んだ尾垂木に平行垂木を組み合わせるのが最善の方法であったと推論している。また修理工事報告書の部材計測データ・観察記録・写真等から,法隆寺を創出した技術者たちが力の流れを正確に理解していたことを明らかにしている。

さらに本研究では古代木造建築の解明にあたり「木造架構モデルを使用した構造実験の結果と,過去に実施された修理工事の詳細な報告書とを比較検討する」という今までにない研究手法を用いたことが特筆される。

以上本論文は、法隆寺金堂の構造的特殊性を実験により明らかにし、また中国・朝鮮半島・日本に残された古代木造建築の調査等から法隆寺に繋がる構造的特徴を歴史的に指摘したもので、それらを新しい研究手法で実践したことが高く評価され、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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