学位論文要旨



No 125867
著者(漢字) 福嶋,崇
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,タカシ
標題(和) 吸収源CDM政策の評価と課題 : 環境ガバナンスの視点からの再検討
標題(洋)
報告番号 125867
報告番号 甲25867
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3567号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 小林,和彦
 東京大学 教授 鈴木,宣弘
 東京大学 教授 永田,信
 早稲田大学 教授 天野,正博
内容要旨 要旨を表示する

本研究は京都議定書のもとに認められた気候政策の1つである吸収源クリーン開発メカニズム(CDM)を研究対象とする。吸収源CDMは途上国における新規植林、再植林を通じた温室効果ガス(GHG)排出削減政策であり、CO2吸収による気候政策としてのみならず、森林の回復を同時に満たす政策といえる。

しかし吸収源CDMの政策ステージは、大部分の事業者が事業の検討を行っている段階にとどまっている。このような吸収源CDMの現状を明らかにするために、吸収源CDMの対象資源である森林の特性を踏まえた上で、「環境ガバナンス」に着目し、アクター、レジーム、企業の社会的責任(CSR)などの視点から吸収源CDMを総合的に政策分析した。政策分析の結果を踏まえ、さらに、独自に設定した評価指標をもとに政策評価を行い、多様なアクターにおける個々の視点の違いを踏まえた上で、現行ルールのもとでの吸収源CDMが気候政策としてどのように位置づけられており、また、どのような特徴を持つ政策であるかを明らかにすることを目的とした。この結果をもとに、政策としての吸収源CDMの推進、事業そのものの持続可能性の向上のそれぞれの方向性、とりわけ前者に重点を置いて考察、提言を行った。

まず序章では研究の枠組みについて述べた。本研究においては既存理論として環境ガバナンス論、レジーム論、CSR論、政策評価論を援用し、これらのレビューを通じ分析枠組みを構築した。調査の方法としては文献調査、主に行政、専門家、事業者、投資者などを対象とした日本側における国内聞き取り調査、主に地域住民、途上国政府、カウンターパートなどを対象とした事業対象地における現地調査を実施した。対象事例としては、事業の実現可能性を勘案し、泰至デザイン設計事務所によるマングローブを対象としたフィジー事業、王子製紙による主にユーカリを対象としたマダガスカル事業、国際生物多様性センターによる在来果樹を対象としたケニア事業を選定した。

第1章では、背景として気候変動問題、京都議定書、CDM、日本の取り組みなどを解説した。

第2章では、環境ガバナンスの観点から政策分析を行った。

まずは対象資源としての森林の特性として多面性、公共性、地域性、非永続性、不確実性、長期性があり、非永続性、不確実性、長期性のみが吸収源CDMのルールに反映されたことを指摘した。

次に、関係アクターの吸収源CDMへの参加状況及び水平的・垂直的ネットワークを分析し、個々のアクターの参加及び関係アクター間のネットワークの構築は十分ではなく、とりわけ事業者が孤立していることを明らかにした。さらに、垂直的ネットワークはレジーム決定アクター、GHG削減義務アクター、事業実施・運営アクターの階層毎の視点の違いを生じさせ、これが議論の平行線を生み出す大きな原因となっていた。

レジームの観点からは吸収源CDMの利点・問題点及び形成経緯を分析した。利点としては途上国の農村部が京都議定書に参加できる数少ない機会の1つであり、環境保全と地域振興の両立、さらに生物多様性の保全や適応策としての機能など様々な副次的機能を併せ持つ点が挙げられる。一方でルールが煩雑、採算性が低い、政府の補助体制が不十分、住民参加型の導入・定着が困難、ホスト国側の優先順位の低さ、吸収源に対する反対国の多さ、国際的な議論の遅れ、など数多くの問題点があり、多くのアクターにとって実施、推進が困難な政策となっていた。レジームの形成経緯について、利益、力、知識の観点から分析し、いずれの要因も吸収源CDMを有用性の高いレジームとせず、かつ政策を推進する方向には働かなかったこと、対策、交渉の優先順位がいずれも低いことを指摘した。

さらに、試験植林段階ではあるが、フィジー、マダガスカル、ケニアでの現地調査から、吸収源CDMが地域開発の要素や低所得者層への貢献可能性を持つことを明らかにし、事業者には持続可能な森林経営(SFM)を念頭に環境、社会、経済面への配慮を行い、順応的管理を行っていく必要があることを指摘した。ただし、開発効果を有する吸収源CDMであるが、その効果が地域住民まで及ぶには至らないレベルにあるというのが多くの事業に当てはまる現実と言える。

第3章では、現状では吸収源CDMの推進のためには自主的取り組み手法に期待するしかないとの観点からCSRに着目し、主に日本企業への質問票調査を通じ、CSRが吸収源CDM推進のドライバーとなりえるのかについて分析した。

まず、「CSR活動はビジネスチャンス」、「CSR活動をしないことはビジネスリスク」であるとする企業はほぼ同数で約6割であった。次に、これまで何らかの森林関連活動に参加したことのある企業は約6-7割と業種の枠を超えて多くの企業が参加していた。京都議定書・吸収源についての関心は「国内森林保全・整備」が約4割と最も多かったものの、「吸収源CDM」は約2割と比較的関心が高いことが分かった。

排出権取引・カーボンオフセットへの関心については「排出権を購入した/する予定がある」とする企業は約4分の1で、カーボンオフセットへの関心について、「大変関心がある」、「関心がある」と回答した企業は約7割存在した。

最後に、森林関連活動であり、かつ排出権創出活動でもある吸収源CDMについて、「大変良く知っている」、「知っている」と回答した企業は約7割と認知度は高いものの、参加状況については7割以上の企業が「情報収集段階」にとどまっていることが分かった。

以上より、第3章の結論として、CSRは吸収源CDM推進のドライバーとしては不十分だと考えられる。しかし一方で、今後ますます関心の高まるカーボンオフセット型森林関連活動のドライバーとしては十分に機能することも指摘できる。

第4章では、第2、3章の政策分析結果を踏まえて政策評価を行った。評価の指標は気候変動枠組み条約、京都議定書のみならず、森林が横断的に関連性を持つ生物多様性条約、森林原則声明、アジェンダ21、リオ宣言などもあわせてレビューし、必要性、有効性、効率性、衡平性、持続可能性、地域性、多面性の7指標を抽出した。さらに、第2章で指摘したレジーム決定アクター、GHG削減義務アクター、事業実施・運営アクターの階層ごとに評価を加え、総合的な評価を試みた。

評価の結果は以下の通りである。まず、多面性は、ルール決定にあたり考慮されなかった。効率性は、ルールが煩雑であり投入する労力、コストが大きく、また採算性が低かった。衡平性については、先進国政府は責任を十分に果たしておらず、費用負担は事業者に集中していた。また、ルール決定などの政策の各段階においてアクターの参加は不十分であった。地域性は、参加に求められる能力は地域の能力を超過しており、地域住民の事業への参加は受動的であった。有効性については、案件数が少なく有効活用されていない。事業者にとってもビジネスとしての魅力に乏しく、途上国側も政策受け入れ体制の構築は不十分であった。持続可能性についてはGHGの持続のみに焦点が当てられており、SFMの達成は様々な困難を伴う。最後に必要性について、交渉の際に積極的な姿勢を見せていた中南米、大きなインフラを必要とせず土地さえあれば実施可能であることから小島嶼国や最貧国といったホスト国にとっての必要性は大きいと言えるものの、交渉時に反対国が多く、また事業者にとっても必ずしもビジネスとしてのニーズを満たすものとはなっていなかった。

これらを総合的に政策評価すると、現行ルールのもとでの吸収源CDMは「多くの指標について問題のある政策である」である、と結論付けられた。

以上の第2、3章の政策分析結果、第4章の政策評価結果を踏まえ、本研究の結論として「現行ルールにおける吸収源CDMの実施・推進の限界」が導かれた。

第5章では、この限界を踏まえた上で吸収源CDM推進の方向性について考察、提言を行った。

まずはルールの改正である。排出源などと比してとりわけ実施が難しい政策である吸収源CDMに対しセクター別アプローチを適用し、ルールの簡易化、副次的効果のクレジット価格への転化などを提言した。次に、関係アクター間、とりわけ孤立している事業者とのネットワークの構築・強化が望ましいとして、事業者と投資者、さらに市民、事業者と政府、開発援助機関、事業者と地域住民、それぞれの関係性について考察した。

さらに、アクター間の議論の際には、アクター・階層間の視点・関心の違いを十分に踏まえた上で行うべきであること、そして視点の違いをこえて合意形成に至るために、衡平性・持続可能性の観点を重視し、途上国やとりわけ社会的弱者である地域住民に配慮すべきであることを提言した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、京都議定書のもとに認められた、途上国における新規植林、再植林を通じた温室効果ガス排出削減政策である吸収源クリーン開発メカニズム(CDM)についてガバナンスの視点から評価と検討をおこなったものである。

序章の研究方法論では、環境ガバナンス論、レジーム論、CSR論、政策評価論を援用し、独自の分析枠組みを構築した。そして、情報収集方法として、文献調査、国内聞き取り調査、フィジー、マダガスカル、ケニアを事例とする事業対象地について説明した。

第1章では、背景として気候変動問題、京都議定書、CDMなどについて整理した。

第2章では、環境ガバナンスの観点から政策分析を行った。まずは対象資源としての森林の特性として多面性、公共性、地域性、非永続性、不確実性、長期性があり、非永続性、不確実性、長期性のみが吸収源CDMのルールに反映されたことを指摘した。次に、関係アクターの吸収源CDMへの参加状況及び水平的・垂直的ネットワークを分析し、個々のアクターの参加及び関係アクター間のネットワークの構築は十分ではないこと、垂直的ネットワークはレジーム決定アクター、GHG削減義務アクター、事業実施・運営アクターの階層毎の視点の違いを生じさせていることを明らかにした。続いて、レジームの観点から、吸収源CDMの利点・問題点及び形成経緯を分析した。利点としては環境保全と地域振興の両立、様々な副次的機能を併せ持つ点などが挙げられる。一方でルールが煩雑、採算性が低い、政府の補助体制が不十分など数多くの問題点があり、多くのアクターにとって実施、推進が困難な政策となっていた。レジームの形成経緯について、利益、パワー、知識のいずれの要因も吸収源CDMを有用性の高いレジームとする方向には作用せず、対策、交渉の優先順位が低いことを指摘した。さらに、現地調査結果から、吸収源CDMが地域開発の要素や低所得者層への貢献可能性を持つこと、一方で、多くの事業において開発効果が地域住民まで及ぶには至らないレベルにあることを指摘した。

第3章ではCSRに着目し、主に質問票調査を通じ、CSRが吸収源CDM推進のドライバーとなりえるのかについて分析した。調査の結果、約6-7割の企業が業種を超えてこれまで何らかの森林関連活動に参加していること、吸収源CDMの認知度は高いものの、参加状況については7割以上の企業が情報収集段階にとどまっていることなどが分かった。以上をもとに、CSRは吸収源CDM推進のドライバーとしては不十分であることを明らかにした。

第4章では、様々な条約をレビューし抽出し、必要性、有効性、効率性、衡平性、持続可能性、地域性、多面性を評価指標として選定し、政策評価を行った。さらに、アクターの階層ごとに評価を加え、総合的な評価を試みた。その結果、大きなインフラを必要とせず土地さえあれば実施可能であることから中南米諸国や最貧国といった一部のホスト国にとっての必要性は大きいことがわかった。ところが、投入する労力やコストの大きさから効率性が低く、また案件数が少なく有効性が低いことなどから、現行ルールのもとでの吸収源CDMは多くの指標について問題のある政策である、と結論付けられた。

以上の政策分析結果、政策評価結果を踏まえ、本研究の結論として「現行ルールにおける吸収源CDMの実施・推進の限界」が導かれた。

第5章では、この限界を踏まえた上で吸収源CDM推進の方向性について考察、提言を行った。まずは吸収源CDMに対しセクター別アプローチを適用し、ルールの簡易化、副次的効果のクレジット価格への転化などを提言した。次に、関係アクター間、とりわけ孤立している事業者とのネットワークの構築・強化が望ましいとして、事業者と投資者や政府、地域住民などとの関係性について考察した。さらに、アクター・階層間の視点・関心の違いをこえて合意形成に至るために、衡平性・持続可能性の観点を重視し、途上国やとりわけ社会的弱者である地域住民に配慮すべきであることを提言した。

以上のように、本研究は複雑な側面を抱える吸収源CDM政策をガバナンスの視点から評価・検討し、将来の政策に示唆的な結論を得ることに成功しており、学術上および政策上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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