学位論文要旨



No 125872
著者(漢字) 酒井,寿夫
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ヒサオ
標題(和) 人間活動が森林の土壌炭素動態に及ぼす影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 125872
報告番号 甲25872
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3572号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田内,裕之
 東京大学 教授 岡田,謙介
 東京大学 教授 丹下,健
 森林総合研究所 企画科長 高橋,正通
 森林総合研究所 領域長 金子,真司
内容要旨 要旨を表示する

森林生態系は地球上で巨大な炭素プールの一つであり、そこでの人間活動が大気に及ぼす影響は無視できないと考えられている。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は大気中のCO2濃度予測シナリオにもとづいて、気候変動の予測を行っている。そのため森林における炭素収支の推定精度の向上は、IPCCの温暖化予測に貢献する。森林における人間活動は、将来の経済の状況によっても変化するので、こうした状況に対応するにはモデルの開発が最適と考えられる。一方、既に始まっている京都議定書の第一約束期間(2008~2012)では、森林による炭素吸収量を計上するために、IPCCのガイドラインに基づいた報告書を作成する必要があり、森林は地上部・地下部のバイオマスだけでなく、土壌、リター、枯死木の炭素プールについても報告する必要がある。しかもこの枠組みは今後も継続していくと予想される。そこで本研究では、気候変動枠組み条約にも対応可能な森林の炭素収支モデルを構築すること、そして現在情報が不足している人間活動(森林施業)が土壌、リター、枯死木の炭素ストック量に及ぼす影響について明らかにすることを目的とした。

本研究では、日本の森林における人間活動が土壌炭素動態に及ぼす影響について、モデルアプローチにより明らかにすることを目標とし、5つの章で構成した。第1章では、人間活動が森林のバイオマス以外の炭素収支に及ぼす影響を調べる意義について述べた。第2章では、森林における人間活動が土壌炭素収支に及ぼす影響の実態について、既往の文献とスギ、ヒノキの新規植林地を対象にした野外調査により明らかにした。第3章では、生態系の炭素動態モデルとして世界で広く用いられているCETURY (Parton et al. 1987) をベースに、日本の森林に対応したモデルCENTURY-jfosを開発した。第4章では、CENTURY-jfosにより森林施業が枯死木、リター、土壌の炭素ストック量の短期的変動に及ぼす影響を明らかにした。さらに、短伐期化、長伐期化の影響、林地の枝葉残渣の扱い、気象条件や樹種特性の影響について明らかにした。第5章では、温暖化が森林生態系に及ぼす影響について、想定されるシナリオをもとに、その影響規模を予測した。

モデルはCENTURYをベースに、生産量を再現しやすいように森林モデルを変更した。全国的な統計データである収穫予想表の成長量を参考に、森林モデルのパラメータを決定した。このCENTURY-jfosが実際に計算している森林の成長量は、林齢0-80年における平均のNPP(純一次生産量)はスギ林で7.36-8.68 Mg C ha-1 yr-1、ヒノキ林で6.98-7.79 Mg C ha-1 yr-1、カラマツ林で4.91-5.17 Mg C ha-1 yr-1、トドマツ林で5.96 Mg C ha-1 yr-1, アカエゾマツ林で5.94 Mg C ha-1 yr-1、マツ林で6.46 Mg C ha-1 yr-1、そして落葉広葉樹で5.54 Mg C ha-1 yr-1であった。只木・蜂屋(1968)は日本を代表する森林についてのNPP(支持根を含む)を整理しているが、それぞれのNPPの平均値(nは調査地点数)はスギ林で9.1 ± 2.8 Mg C ha-1 yr-1 (n = 92)、ヒノキを含む常緑針葉樹林で6.8 ± 2.1 Mg C ha-1 yr-1 (n = 46)、カラマツ林で5.1 ± 2.2 Mg C ha-1 yr-1 (n = 44)、マツ林で7.4 ± 2.1 Mg C ha-1 yr-1 (n = 52)、そして温帯と亜寒帯の落葉広葉樹林で4.4 ± 1.5 Mg C ha-1 yr-1 (n = 64)であった。ヒノキと落葉広葉樹林でやや異なっていたものの、只木らが示した各森林のNPPはCENTURY-jfosの計算値とほぼ同等であった。

土壌有機物分解サブモデルについては、既往の文献を参考に枯死木、リター、土壌(0-30cm)の分解パラメータを決定した。CENTURY-jfosにより60年伐期を繰り返して定常状態に保った場合における土壌炭素収支バランスについて検討すると、土壌炭素の定常値の範囲は沖縄の39.1 Mg C ha-1から北海道の94.3 Mg C ha-1であった。これらの値は日本の褐色森林土の0-30cmに蓄積されている炭素量とほぼ同等であり(Morisada et al., 2004)、CENTURY-jfosによって予測される土壌炭素量は、0-30cmのそれに適用可能と判断された。一方、鉱質土層から放出される土壌有機物分解呼吸については、モデルでは1.8~4.7 Mg C ha-1 yr-1であった。スギ、ヒノキ人工林を含む26の調査地で調べられた土壌呼吸量の範囲は2.0~10.0 Mg C ha-1 yr-1と報告されているが(Ishizuka et al, 2006)、一般的には野外で観測される土壌呼吸の半分が土壌有機物分解呼吸と考えられていることから (Luo and Zhou, 2006)、CENTURYの土壌有機物分解モデルにより計算される土壌呼吸量は現実の値と比較してもほぼ適正な範囲にあると考えられた。以上からCENTURY-jfosの土壌炭素収支は適正なレベルであると考えられた。

このCENTURY-jfosを用いて、間伐を含む皆伐施業が枯死木、リター、土壌のそれぞれにおける炭素ストック量にどれくらい影響を及ぼすのかについて、モデル中の皆伐周期(20、40、60、80、100年)やその際に発生する林地残渣(林地に残す枝葉)の量(10%、30%、70%、90%)を変え、皆伐周期を繰り返すことによって得られる定常状態における一皆伐周期の平均値によって検討した。この結果、皆伐周期の長さは枯死木、リター、土壌の炭素ストック量に大きく影響すると考えられた(図1)。特に、20年周期の短伐期施業は枯死木、リター、土壌の炭素ストック量を大きく減少させる原因となることが明らかとなった。一方、80年や100年周期の長伐期施業もまた、40年や60年周期の施業に比べて若干ではあるが枯死木、リター、土壌の炭素ストック量を減少させることがわかった。枝葉の処理方法もまたリターと土壌の炭素ストック量に影響するが、その影響はとても小さいと予測された(図1)。長伐期化は枯死木、リター、土壌の平均的な炭素ストック量の増加にほとんど寄与しなかったが、長伐期施業への変更は長期的には森林の炭素ストック量を増加する方向に作用することも明らかとなった。その理由は長伐期化により森林のバイオマスが増加するからである。また皆伐周期を60年から80年に変えることによって森林全体の炭素ストック量はスギ、ヒノキ、カラマツ林でそれぞれ8.4%、8.0%、6.9%増加すると予測された。長伐期化は森林の平均的な炭素ストック量を増加させるのに有効な方法と考えられた。

モデルシミュレーションの結果から、枯死木、リター、土壌における炭素ストック量の変動は間伐や皆伐の直後からはじまっており、特に伐採による枯死根の発生と分解による増減量が最も大きく、伐採後、少なくとも十数年間はこの部分が炭素の大きな放出源になっていることがわかった(ただし、バイオマス増加を加味すると、森林全体としてはそれほど大きな放出にはならない)。そして、これらの増減はスギやヒノキのように大きな葉量をもち、かつ成長量の大きい植林地で大きくなることがわかった。一方、土壌については、温度も炭素変動量の決める要因の一つであることがわかった。モデルでは気温の増加にともなって土壌炭素変動量が大きくなっていた。これは暖かい地域ほど土壌炭素の減少速度が速いことを示しており、温暖化により温かい地域ほど土壌有機物の分解が加速される可能性があると考えられた。

気象庁(2005)が発表している日本の温暖化予測(RCM20, 2081~2100年の日本全体の平均気温が現在よりも2.9℃上昇するという予測)シナリオを用いて、地球温暖化が森林全体の炭素量に及ぼす影響について検討した。今のところ温暖化が森林生態系の純生産量に及ぼす影響については明らかにされていないので、温暖化により森林の純生産量が現在よりも+10%、0%、-10%、-20%変化するという仮定条件の下でCENTURY-jfosを用いて解析した。その結果、地球温暖化により森林の純生産量が10%増加するという条件であれば、森林全体としての炭素量の減少はほとんどないが、成長量がそれよりも少ない場合は、森林は炭素の大きな放出源となり、もし純生産量が20%減少した場合は森林全体の炭素量は現在と比べて最大35%くらい減少すると予測された。

主な結論として1)森林が持続している場合は、森林施業が土壌の炭素収支に及ぼす影響は小さい。2)伐出により林地に残される根の分解は炭素放出源として大きく作用する(ただし、バイオマス増加を加味すると、森林全体としてはそれほど大きな放出とはならない)。3)長伐期化により土壌炭素はわずかに減少するが、バイオマス増加により森林全体としての炭素吸収量の増加が期待できる。本研究で構築したモデルCENTURY-jfosによる解析から以上のことが明らかとなった。

図1 皆伐周期(20, 60, 80, 100yr)と林地枝葉残渣の量(10%, 70%, 90%)が土壌炭素貯留量(Mg C ha-1)に及ぼす影響について

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、地球上で巨大な炭素プールである森林生態系について、人間の活動がその炭素動態、特に土壌炭素におよぼす影響を明らかにしたものである。既に始まっている京都議定書の第一約束期間(2008~2012)では、森林による炭素吸収量を計上するために、IPCCのガイドラインに基づいた報告書を作成する必要があり、森林は地上部・地下部のバイオマスだけでなく、土壌、リター、枯死木の炭素プールについても報告する必要がある。本論文では、気候変動枠組み条約にも対応可能な森林の炭素収支モデルを構築し、そして現在情報が不足している人間活動(森林施業)が土壌、リター、枯死木の炭素ストック量に及ぼす影響について明らかにしている。

本論文のオリジナリティーは、森林の炭素貯留量およびその変動量予測について、1)日本国の森林バイオマス評価に利用されている国家森林資源データベースの情報と整合性をとったこと、2)森林施業(短伐期化、長伐期化)の影響を評価したこと、3)枯死木、リター、土壌を含む森林全体の炭素変動を評価したこと(国家レベルのデータを用いて、土壌を含む炭素動態モデルを開発している国は、カナダやオーストラリアなどごく一部の国に限られる)、4)炭素吸収源としての森林政策の方針に必要な情報を提供できるようにしたこと、5)森林モデルを簡略化し、フィールドで得られた成長量の情報にフィットしやすくしたこと、であり、非常に有意義な研究であると認められた。

本論文は、5つの章で構成されている。第1章では、人間活動が森林のバイオマス以外の炭素収支に及ぼす影響を調べる意義について述べ、モデル開発の背景やその目的等、本研究の概要を示してある。第2章では、森林における人間活動が土壌炭素収支に及ぼす影響の実態について、既往の文献とスギ、ヒノキの新規植林地を対象にした野外調査により明らかにし、日本の森林土壌での特性を海外の事例等と比較しながら、丁寧に考察している。第3章では、生態系の炭素動態モデルとして世界で広く用いられているCETURY (Parton et al. 1987) をベースに、日本の森林に対応したモデルCENTURY-jfosを独自に開発した。第4章では、CENTURY-jfosにより森林施業が枯死木、リター、土壌の炭素ストック量の短期的変動に及ぼす影響を明らかにした。さらに、伐採周期が変化した場合(短伐期化や長伐期化)の影響、伐採時の枝葉残渣の扱い(林内に放置するか林外に持ち出すかの違い)、気象条件や樹種特性の影響について明らかにしている。第5章では、温暖化が森林生態系に及ぼす影響について、想定される温暖化シナリオをもとに、その影響規模を中長期にわたって予測し、その影響を検討している。

予測モデルは、海外で最も注目されているCENTURYをベースに、全国的な統計データである収穫予想表の成長量を参考に、森林モデルのパラメータを決定、各森林の純生産量(実測値)とほぼ同じ値を再現できるモデルを構築し、CENTURY-jfosと命名している。土壌有機物分解サブモデルについては、既往の文献を参考に枯死木、リター、土壌(0-30cm)の分解パラメータを決定し、値が日本の褐色森林土の0-30cmに蓄積されている炭素量とほぼ同等で、モデルが土壌炭素量の動態にも適応できることを検証している。

このCENTURY-jfosを用いて、間伐や皆伐等の森林施業が枯死木、リター、土壌のそれぞれにおける炭素ストック量にどれくらい影響を及ぼすのかについて、伐採(皆伐)周期やその際に発生する林地残渣量を変え、伐採を繰り返すことによって得られる定常状態での値(平均値)によって検討している。その結果、伐採周期の長さは枯死木、リター、土壌の炭素ストック量に大きく影響する事を示した。特に、20年周期の短伐期施業は枯死木、リター、土壌の炭素ストック量を大きく減少させ、80年や100年周期の長伐期施業もまた、40年や60年周期の一般的な施業に比べて若干ではあるが枯死木、リター、土壌の炭素ストック量を減少させることを明らかにした。しかし、長伐期化は長期的には森林全体の炭素ストック量を増加する方向に作用することも明らかにしている。

今後予想される温暖化の影響による土壌炭素の動態を調べるために、日本の温暖化予測(RCM20, 2081~2100年の日本全体の平均気温が現在よりも2.9℃上昇するという予測、気象庁2005)シナリオを用いて、モデルによる予測も行っている。温暖化が森林生態系の純生産量に及ぼす影響については知見がないため、温暖化により森林の純生産量が現在よりも+10%、0%、-10%、-20%変化するという仮定条件の下で解析をしている。その結果、地球温暖化により森林の純生産量が10%増加するという条件であれば、森林全体としての炭素量の減少はほとんどないが、増加量がそれよりも少ない場合は、森林は炭素の大きな放出源となり、もし純生産量が20%減少した場合は森林全体の炭素量は現在と比べて最大35%くらい減少すると予測した。森林の純生産量は温暖化によってプラスに働かないという見解が多く、このことから、温暖化が森林生態系を炭素の放出源にしてしまう恐れが強いことを明らかにした。

以上、申請者は、以下を明らかにした。つまり、1)日本の森林土壌の炭素収支を予測することが可能なモデルCENTURY-jfosを開発し、2)人間活動(森林施業)が、森林の土壌炭素収支に影響を及ぼし、一方で持続的に森林を維持した場合は、その影響をかなり軽減できることを明らかにし、3)土壌への影響が最も大きいのは森林から農地もしくは荒れ地などへ土地利用変化であることを明らかにした。さらに、4)長伐期施業は土壌炭素ストック量に大きな影響を及ぼさず、長期的な視点から見れば森林全体の炭素量の増加に有効な方法であることを明らかにし、5)温暖化により、もし森林の成長量が減少するようなことがあった場合は、森林全体の炭素量は大きく減少し、森林生態系は巨大な二酸化炭素放出源に転じる恐れがある事を明らかにした。

このようなモデルの作成と、それを人間活動の影響評価へと適用した研究は日本では無く、今後温暖化による大きな環境変動が予想される状況下において、より有効な推定モデルの開発という点で科学の進歩に寄与したと言える。また、このモデルによる予測値は政策立案への提言にもなる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値があるものと認定した。

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