学位論文要旨



No 125873
著者(漢字) 森口,紗千子
著者(英字)
著者(カナ) モリグチ,サチコ
標題(和) マガン越冬個体群の分布と動態に関する研究 : 将来的な個体群管理を目指して
標題(洋) The distribution and dynamics of the wintering population of Greater White-fronted Geese : For future population management
報告番号 125873
報告番号 甲25873
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3573号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,廣芳
 東京大学 教授 佐野,光彦
 東京大学 准教授 石田,健
 立教大学 教授 上田,恵介
 新潟大学 准教授 永田,尚志
内容要旨 要旨を表示する

近年の保全の努力が実り、いくつもの種が絶滅の危機を脱した。しかし皮肉なことに、その中には個体数が激増し、環境破壊や人間活動との軋轢を生じる種も現れてきた。そのため、個体群が絶滅や過多にならないよう維持する個体群管理の必要性が叫ばれている。特に渡り鳥などの移動能力の高い生物は複数の国にまたがって生息するため、個体群の状況把握だけでなく、関係する国家間で管理計画の合意を得ることが困難であることも個体群管理の障害となっている.

東アジアに生息する渡り鳥であるマガンAnser albifronsは、個体群の状態の解明が必要な一例である.このマガン個体群はロシアで繁殖し、日本、韓国、および中国に中継地と越冬地をもつ冬鳥として渡来する。日本と韓国では一時個体数が減少したが、狩猟の禁止や生息地保全などの保護対策が成功を収め、現在、個体数は増加している。反対に、中国では近年急激な個体数減少が報告されている。これらの事実より、東アジア個体群の状態を個体数の情報だけで判別することは難しい。そのため、遺伝的構造から管理ユニットを決定し、それら個別の個体群動態を予測する方法が有効と考えられる。

一方、効果的に個体群を制御できる生息地を特定することも、個体群管理の計画を立てる上で重要である。ガン類では繁殖のためのエネルギーを繁殖地だけでなく中継地でも蓄積することが知られており、繁殖直前の春の中継地における追い払いや狩猟に伴う撹乱に繁殖抑制の効果があることがいくつかの研究で示されている。春に繁殖の主なエネルギーとなる脂肪を蓄積する中継地を特定することで、日本では準絶滅危惧種や天然記念物に指定され保護対象となっているマガンの狩猟解禁を待たずとも個体数を制御できる可能性を示すことができるだろう。

そして、個体群管理では安定した個体群サイズの維持と共に生息地の確保が不可欠とされている。とりわけ日本の生息地数は回復していないため、特定の生息地への一極集中が進み、小麦食害などの深刻な農業被害が拡大している。マガンの分布予測は、今後の個体群管理の焦点となる潜在的な生息地を特定する助けとなるだろう。

本研究では、韓国を含めた地域の遺伝的構造から管理ユニットを決定した上で個体群動態パラメータを推定し、日本のマガン個体群の状態を評価する。そして、効果的に個体群管理を行なえる生息地の解明と生息地の分布予測を通して、今後の個体群管理のあり方について提言する.

まずはじめに、日本と韓国の越冬地17ヵ所及び中継地2ヵ所について遺伝的構造を調べた。各生息地において、ペアワイズFSTに有意差がある組み合わせは全171ペア中2ペアしか認められなかった。さらに、STRUCTURE解析によってすべての生息地が同じ遺伝集団である可能性が高いと推定されたため、同一の管理ユニットとして扱うのが適当であると判断された。

次に日本国内の越冬地を同一個体群として、個体群パラメータである生存率、成幼比、および真の個体数を推定し、個体群動態予測を行なった.年平均生存率は成鳥で0.85、幼鳥で0.80とともに高く、成幼比も年平均0.47と他の個体群や近縁種と同様であった。年間個体群成長率の平均は11%と推定され、報告されている他の個体群もしくは近縁種よりも高かった。これらの結果より、個体群は今後も増加すると予測されたため,個体群管理の必要性が示唆された.

また、春と秋の中継地の利用パターンを標識個体の渡りのタイミングおよび脂肪蓄積について調べ、日本で越冬するマガンの50%以上が利用する中継地、宮島沼が、追い払いなどの撹乱によって効果的に個体群制御できる生息地であるかどうかを検討した。春の滞在は長く、卵形成や抱卵など繁殖のためのエネルギーの蓄積をより必要とする雌が、脂肪をより多く蓄積していた。一方、秋の滞在は短く、雌雄ともにほとんど脂肪を蓄積していなかった。つまり、春は重要な脂肪蓄積の場であるため、この中継地で追い払いなどの撹乱を起こし,脂肪蓄積を抑制することで繁殖抑制効果が期待できる可能性が示唆された.また、秋のこの中継地は脂肪を蓄積するような重要な場ではないため、この時期に撹乱や狩猟を行なうことは、この地を利用しなくなる可能性があることが明らかになった。

最後に、マガンが好んで利用する生息地の特徴を、日本の越冬地における39年間の個体数データと各越冬地の環境要素および地理的位置を用いて解析した。各越冬地で観察された最大個体数と観察した年数を説明変数とし、越冬期にねぐらとして利用したと考えられる水域周辺の水田などの環境要素や、湖沼、河川など水域の形態、そして緯度経度による地理的位置などを独立変数とし、モデル選択を行なった。繁殖地に近いより北東に位置し,周囲に水田の多い湖沼の越冬地に多くの個体が集まり、継続的に利用することが明らかになった。

以上の結果より、日本に生息するマガン個体群は、韓国の個体群を含めて同一の管理ユニットとして扱うことが適切であり、推定された個体群パラメータから、世界的に見ても高い成長率で今後も増加することが予測された。個体数増加を抑制する一時的な対策として、春の中継地での撹乱による繁殖抑制が効果的である可能性があるが、撹乱を定量化し、繁殖成功への影響を評価する必要がある。また、日本の越冬地として、繁殖地により近く、周囲に水田の多い湖沼を優先的に保全しつつ、マガンの個体数を管理する必要がある.今後は、中国を含めた東アジア全体の管理ユニットを解明し、国家間の移出入を考慮した上で個体群の管理システムを構築することが課題である。

審査要旨 要旨を表示する

東アジアに生息する渡り鳥であるマガンは、保全・管理上、個体群の状態の解明が必要な鳥類である。マガンはロシアで繁殖し、日本、韓国、および中国に中継地と越冬地をもつ冬鳥として渡来する。日本と韓国では一時個体数が減少したが、狩猟の禁止や生息地保全などの保護対策が成功を収め、現在、個体数は増加している。本研究では、韓国を含めた地域の遺伝的構造から管理ユニットを決定した上で個体群動態パラメータを推定し、日本のマガン個体群の状態を評価した。そして、効果的に個体群管理を行なえる生息地の解明と生息地の分布予測を通して、今後の個体群管理のあり方について提言した。

まず、日本と韓国の越冬地17か所及び中継地2か所について遺伝的構造を調べた。各生息地において、ペアワイズFSTに有意差がある組み合わせは全171ペア中2ペアしか認められなかった。さらに、STRUCTURE解析によってすべての生息地が同じ遺伝集団である可能性が高いと推定されたため、同一の管理ユニットとして扱うのが適当であると判断された。

次に日本国内の越冬地を同一個体群として、個体群パラメータである生存率、成幼比、および真の個体数を推定し、個体群動態予測を行なった。年平均生存率は成鳥で0.85、幼鳥で0.80とともに高く、成幼比も年平均0.47と他の個体群や近縁種と同様であった。年間個体群成長率の平均は11%と推定され、報告されている他の個体群や近縁種よりも高かった。これらの結果より、個体群は今後も増加すると予測されたため、個体群管理の必要性が示唆された。

また、春と秋の中継地の利用パターンを標識個体の渡りのタイミングおよび脂肪蓄積について調べ、日本で越冬するマガンの50%以上が利用する中継地、宮島沼が、追い払いなどの撹乱によって効果的に個体群制御できる生息地であるかどうかを検討した。春の滞在は長く、卵形成や抱卵など繁殖のためのエネルギーの蓄積をより必要とする雌が、脂肪をより多く蓄積していた。一方、秋の滞在は短く、雌雄ともにほとんど脂肪を蓄積していなかった。つまり、春は重要な脂肪蓄積の場であるため、この中継地で追い払いなどの撹乱を起こし、脂肪蓄積を抑制することで繁殖抑制効果が期待できる可能性が示唆された。

最後に、マガンが好んで利用する生息地の特徴を、日本の越冬地における39年間の個体数データと各越冬地の環境要素および地理的位置を用いて解析した。各越冬地で観察された最大個体数と観察した年数を説明変数とし、越冬期にねぐらとして利用したと考えられる水域周辺の水田などの環境要素や、湖沼、河川など水域の形態、そして緯度経度による地理的位置を独立変数とし、モデル選択を行なった。繁殖地に近いより北東に位置し、周囲に水田の多い湖沼の越冬地に多くの個体が集まり、継続的に利用することが明らかになった。

以上の結果より、日本に生息するマガン個体群は、韓国の個体群を含めて同一の管理ユニットとして扱うことが適切であり、推定された個体群パラメータから、世界的に見ても高い成長率で今後も増加することが予測された。個体数増加を抑制する一時的な対策として、春の中継地での撹乱による繁殖抑制が効果的である可能性があるが、撹乱を定量化し、繁殖成功への影響を評価する必要がある。また、日本の越冬地として、繁殖地により近く、周囲に水田の多い湖沼を優先的に保全しつつ、マガンの個体数を管理する必要がある。

以上より、本研究は、個体群の遺伝的構造や動態予測を通じて、マガンの保全・管理のあり方について考察した重要な研究と考えられる。したがって、本研究は基礎、応用両面から学術上貢献するところが大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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