学位論文要旨



No 125874
著者(漢字) 小柳,知代
著者(英字)
著者(カナ) コヤナギ,トモヨ
標題(和) 関東平野里地里山における歴史的景観変化が現在および将来の草原性植物の分布に与える影響
標題(洋) Impacts of historical landscape changes on the present and future distribution of grassland plant species in a satoyama landscape of the Kanto Plain
報告番号 125874
報告番号 甲25874
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3574号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 准教授 大黒,俊哉
 東京大学 准教授 山本,勝利
 京都大学 准教授 深町,加津枝
内容要旨 要旨を表示する

序論

日本の里地里山を構成する樹林地や草地の植生は、周期的な人為的撹乱に適応した多様な植物相によって特徴付けられる。こうした二次的自然における生物多様性保全の重要性は広く認められており、市民等による積極的な植生管理も各地で行われるようになった。しかし、実際に管理される範囲は依然として限定的で、都市開発や管理粗放化という二極分化が進行している。とくに、ある程度強度な人為的撹乱を必要とする草原性植物相に関しては、生育地の減少が著しく、地域的な多様性の消失が問題となっている。限られた人的資源を有効に活用し、地域的消失の著しい草原性植物相を効果的に保全していくためには、より多様な草原性植物が生育しうる立地を明確にしていくことが重要である。

現在の生物相の分布は、将来の種の分布可能性を左右する重要な要素である。近年、この現在の生物相の分布や構成に対して、過去100年以上に渡る長期的な景観変化が大きく影響することがヨーロッパの草地生態系を中心に指摘されている。日本の里地里山においても、こうした長期的な景観変化の影響が認められる可能性は高いと考えられるものの、これまで草原性植物相の分布や構成を説明する上で、過去の履歴がもつ相対的な重要性については明らかにされていない。

そこで、本研究では、里地里山における長期的な景観構造の変化が、草原性植物の現在および将来の分布可能性に与える影響をGIS(地理情報システム)解析と現地植生調査・回復実験を統合しながら把握することで、多様な種構成が成立しうる立地に共通する景観履歴とその指標となる種群を明らかにすることを目的とした。具体的には、まず研究対象地域における過去100~150年間の半自然草地の変遷をGISで解析し、草原性植物相の現状と景観履歴との関連性を把握した。その上で、現在の草原性植物の分布と、明治時代以降の畑地化の履歴および周辺の生育地割合との対応関係について検証することで、有意な関係性を示す景観構造上の特徴と種特性の異なる種群ごとの過去の履歴に対する指標性の違いを明らかにした。さらに、草原性植物の種ごとの個体群回復の可能性とその供給源を検証するため、埋土種子発芽試験および刈取実験を行った。最後に、草原性植物の過去の履歴に対する指標性と回復の際の主要な制限要因とを合わせて検討することで、保全の効果が高いと考えられる場所に共通する履歴とその指標となる種群を明らかにした。

本研究の対象地は、関東地方東部に位置する筑波稲敷台地域とした。選定理由は、当地域に、かって草原性植物の主たる生育地であった採草地や薪炭林(主にマツ林)が広範に分布していたことが知られており、明治初期測量の迅速測図から過去100年以上に渡るこれら生育地の分布域の変化を把握することが可能なためである。また、現在も都市開発と管理放棄という二極分化が進む典型的な都市近郊の里地里山地域として位置付けられるためである。

第2章草原性植物の潜在的生育地の変遷と現在の分布状況

まず、迅速測図と旧版地形図を用いて、1880年代以降の土地利用をGISにより解析した。その結果、過去の採草地や薪炭林に相当する「荒地」と「樹林」の面積は現在までに1880年代の38%に減少し、特に戦後1950年代から高度経済成長期の1970年代にかけて急速に減少したことがわかった。1880年代の「荒地」はすべて他の土地利用へと転用され、現在では「樹林」としてのみ存在することが明らかになった。

次に、GIS解析の結果から1880年代に「荒地」「樹林」であった樹林地を抽出し、現在の草原性植物の分布状況を調査した。その結果、林内での草原性植物の分布は限られていたものの、林縁部には道路沿いでの定期的な草刈によって多様な草原性植物が生育していることが明らかになり、草原的環境の履歴を持つ現在の樹林地に、かつての草原性植物相が依存していることが示された。

第3章歴史的な景観構造の変化が現在の草原性植物の分布に与える影響

かつての採草地や薪炭林の分布域に残存する樹林地における草原性植物の分布状況と歴史的景観構造の変遷との対応関係を把握した。その結果、林縁部における草原性植物の種数は、戦後畑地化された立地において有意に少なかった。また、現在ではなく過去(特に1950年代)の周辺500~700m四方内での潜在的生育地(「荒地」と「樹林」)割合と有意な正の関係性を示すことがわかり、生育地の急激な減少が起こった高度経済成長期以前の景観構造の影響を強く受けていることが明らかになった。有意な関係性を示した空間スケールについては、対象地域における伝統的な土地利用配置パターンが500m~1kmごとに繰り返されていたことによる影響が考えられた。

さらに、対象となる草原性植物の分散能力を反映する種特性に着目して、高茎の風散布型広葉草本(以下HW)、高茎の重力散布型(アリ、機械的散布含む)広葉草本(以下HG)および低茎の春開花植物(以下SS)に分類し、これら種群ごとの種数と景観構造との関係性を検証した。その結果、過去の履歴との対応関係は、種特性の異なる種群ごと明確に異なることが明らかになった。HWは、1880年代の広域スケール(半径1km圏内)での生育地割合と最も有意な正の関係性を示したのに対して、HGとSSは、より近年(2000年代と1980年代)の狭い空間スケール(半径250mと100m圏内)での生育地割合と有意な関係性を示した。これは、HGやSSは分散距離が短いため、生育地の分断化により敏感に反応したのに対して、HWは分散距離が長く個体群間の交流が広域スケールでより活発に行われたことにより、長期的に生存可能な個体が現在まで残されてきたためと考えられた。現在も林縁部にHGに分類されるワレモコウやアキカラマツを主とした草原性植物が分布する管理放棄林は、畑地化の履歴がなく近年まで周辺に潜在的生育地が多く残されてきた立地であり、保全上注目できる立地であると考えられた。

第4章草原性植物の個体群回復における主要な制限要因

対象となる草原性植物の個体群の回復可能性を埋土種子特性から明らかにするため、現在多様な草原性植物が生育する草地において、土壌を層別に採取し発芽試験を行った。その結果、地上部に生育する草原性植物の半数が埋土種子から出現せず、埋土種子からの供給可能性は限られていることが示唆された。その一方で、草原性植物の中にも長期的なシードバンクを形成する可能性が高い種(アキノキリンソウ、オトギリソウ、タカトウダイ等)が存在することが明らかになった。

さらに、草原性植物の回復可能性およびその際の供給源の違いを検証するため、戦後畑地化の履歴がなく、現在も林縁部にHGに分類される種(ワレモコウ)をはじめとした草原性植物が生育している放棄年数10年以内の樹林地において刈取実験を行った。その結果、刈取再開一年後に地上植生は大きく変化し、林縁で3種、林内で11種の草原性植物が新たに出現した。これらの種の供給源としては、長期的なシードバンクからの回復(ミツバツチグリ等)、林縁からの種子の供給(ヒヨドリバナ、ノハラアザミ等)、および地下部に存在した株からの回復(シラヤマギク)という3通りが考えられた。

第5章草原性植物の効果的な保全が可能な立地の履歴およびその指標種群

以上の結果をふまえ、対象地域において多様な草原性植物が生育しうる立地に共通する履歴を明確にするとともに、これら立地を指標する種群の抽出を試みた。まず、戦後畑地化の履歴がなく、近年まで周辺(特に250m圏内)に潜在的生育地が多く分布していた樹林地は、保全上特に注目できる立地と考えられ、刈取実験の結果からもこうした履歴をもつ管理放棄林における草原性植物の回復可能性は高いことが示唆された。また、景観構造に対する反応性の違いと個体群回復の際の制限要因の違いから、HGは特に注目すべき種群だと考えられる。これは、HGが生育地の分断化に対して最も敏感に反応する傾向を示すとともに、地上植生(特に林縁)からの消失により回復が困難(埋土種子からの低い発芽率と低い種子散布能力)になると考えられるためである。そのため、これらの種群の回復には隣接する立地(林縁)からの種子供給が重要といえる。一方、HG同様に、生育地の分断化に対して比較的敏感に反応すると考えられたSSには、地上植生からの消失後も回復可能性が高い種(高い埋土種子密度と長期的なシードバンクの存在)が多く存在した。また、分断化の進んだ立地にも分布する傾向を示したHWに分類される種群(ヒョドリバナ等)は、種子分散範囲が広いため、林縁部を主とした周辺からの種子の供給により回復可能性は高いと考えられた。以上より、HGに分類される草原性植物種群(ワレモコウ、アキカラマツ、ツリガネニンジン等)は、立地の保全再生の優先順位を考える上で、特に指標となりうる種群と考えられる。

結論

本研究より、里地里山における現在の草原性植物の分布は、戦後の畑地化および50年以上前の景観構造の影響を強く受けていることが明らかになった。種特性の異なる種群ごとに景観履歴に対する指標性は異なっており、現在も林縁部にワレモコウやアキカラマツなどの高茎の重力散布型広葉草本が生育する放棄林の林内における草原性植物の回復可能性は高いことが示唆された。分断化の進んだ里地里山において、里山管理の一貫として草原的な環境を再生していくことは重要であり、その際、長期的な履歴による影響を考慮することで、より多様な草原性植物が生育可能な場所およびその優先順位を明確にしていくための具体的な基準を得ることができると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

日本の里地里山域における主要な構成要素であった半自然草地は、過去50年の間に全国的に急速に減少し、地域的な多様性の低下が著しい。特に、平野部の里地里山域では、都市開発が進む一方で、管理放棄による樹林化が進行し、周期的な攪乱に適応した草原性植物の生育地の大部分が失われてきた。ある程度強度な人為的攪乱を必要とする草原性植物相を効果的に保全していくためには、限られた労働力を有効に活用し、より効果が高い場所を優先的に管理していくことが重要となる。そのためには、草原性植物相の現在および将来の分布を左右しうる要因を具体的に検証することで、より多様な草原性植物が生育しうる場所を明確にしていく必要がある。

本研究は、そのような問題意識に基づき、景観生態学的な観点を保全・復元生態学に取り入れることで、草原性植物相の効率的かつ効果的な保全・再生のための具体的な指標を提示することを目的とした。具体的には、里地里山における長期的な景観構造の変化が、草原性植物の現在および将来の分布可能性に与える影響をGIS(地理情報システム)解析と現地植生調査・回復実験を統合しながら把握することで、多様な種構成が成立しうる立地に共通する景観履歴とその指標となる種群を明らかにすることを目的とした。まず、(I)研究対象地域における過去100~150年間の草地の変遷を地理情報システム(GIS)で解析し、草原性植物相の現状と景観履歴との関連性を把握した。その上で、(II)現在の草原性植物の分布と、明治時代以降の畑地化の履歴および周辺の生育地割合との対応関係について検証することで、有意な関係性を示す景観構造上の特徴と種特性の異なる種群ごとの過去の景観構造に対する指標性の違いを明らかにした。さらに、(III)埋土種子発芽試験および刈取実験により、草原性植物の種ごとの個体群回復の可能性とその供給源の検証を行った。最後に、(IV)草原性植物の過去の景観構造に対する指標性と回復の際の主要な制限要因とを合わせて検討することで、保全の効果が高いと考えられる場所に共通する履歴とその指標となる種群を具体的に提示した。以下に、各項目における主な成果を記す。

(I)草原性植物の生育地の変遷と現在の分布状況

研究対象地である関東地方東部筑波稲敷台地域における明治期以降の土地利用変化をGISを用いて定量的に解析した結果、草原性植物の潜在的生育地である「荒地」と「樹林」は、特に戦後1950年代から高度経済成長期の1970年代にかけて急速に減少し、現在は履歴の異なる「樹林」としてのみ存在することが明らかになった。また、過去の「荒地」や「樹林」に由来する樹林地の林縁部には、道路沿いでの定期的な草刈によって多様な草原性植物が生育していることが明らかになり、草原的環境の履歴を持つ現在の樹林地に、かつての草原性植物相が依存していることが示された。

(II)草原性植物の現在の分布と景観履歴の関係

対象地における現在の草原性植物の分布は、戦後の畑地化の影響と、50年以上前の景観構造の影響を受けていることが明らかになった。また、周辺の生育地割合との関係は、畑地化の履歴のない立地でのみ認められ、特に戦後1950年代の周辺500~700m四方での生育地割合が重要な意味をもつことがわかった。第2節からは、こうした過去の景観構造に対する指標性は、分散能力の異なる機能グループ間で明確に異なることが明らかになった。高茎の広葉草本と低茎の春開花植物のみ、周辺の生育地割合と有意な関係性を示し、特に、高茎の重力散布型広葉草本は、生育地の分断化に対して、最も敏感に反応することがわかった。これらの種群は、近年まで、周辺に潜在的生育地が多く分布してきたことを指標する種群だと考えられ、特に注目できる種群であると考えられた。

(III)草原性植物の個体群回復における制限要因

埋土種子調査の結果から、草原性植物の多くは、埋土種子密度が極めて低く、埋土種子からの供給は限られることが分った。その一方で、長期的なシードバンクを形成する可能性が高い種も存在することがわかり、これらの種群は、地上植生からの消失後も個体群の回復が可能であると考えられた。また、刈取実験の結果から、畑地化の履歴がなく、林縁部にワレモコウを主とした高茎の重力散布型広葉草本が生育する立地の林内における個体群回復可能性は高いことが示唆された。長期的なシードバンクを形成する種、林縁部に親個体が存在する風散布型の種の多くが回復傾向を示したのに対して、埋土種子密度の低い種の多くは、回復傾向を示さなかった。しかし、これらの種の中には地下部に存在した株からの回復が示唆された種も存在し、埋土種子特性のみならず繁殖特性に関する詳細な情報が重要であることがわかった。

(IV)草原性植物の効果的な保全が可能な立地の指標

以上のIIおよびIIIの結果を組み合わせることで、最後に、対象地域において多様な草原性植物が生育しうる立地に共通する履歴、およびこれら立地を指標する種群が明らかになった。まず、戦後畑地化の履歴がなく、近年まで周辺(特に250m圏内)に潜在的生育地が多く分布していた樹林地は、保全上特に注目できる立地と考えられた。また、景観構造に対する反応性の違いと個体群回復の際の制限要因の違いから、高茎の重力散布型広葉草本は特に注目すべき種群だと考えられた。これは、これらの種群が、草原性植物の中でも、生育地の分断化に対して最も敏感に反応する傾向を示すとともに、地上植生からの消失により回復が困難(埋土種子からの低い発芽率と低い種子散布能力)になると考えられたためであり、立地の保全再生の優先順位を考える上で、特に指標となりうる種群と考えられた。

以上、本研究より、里地里山域に長期的な景観履歴は、現在のみならず将来的な草原性植物相の分布を規定する重要な要素であることが示された。また、こうした景観履歴を考慮することで、最終的に、より多様な草原性植物が生育可能な場所およびその優先順位を明確にしていくための具体的な基準を提示した。これら成果は、景観生態学および保全生態学分野における学術的な価値のみならず、応用的側面でも有用な知見を得ている。よって審査委員一同は、博士(農学)の学位を与えるに十分値する論文であると判断した。

UTokyo Repositoryリンク