学位論文要旨



No 125883
著者(漢字) ,邦隆
著者(英字)
著者(カナ) ヤマザキ,クニタカ
標題(和) 筋分化・再生系のDNAメチル化を中心としたエピジェネティック制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 125883
報告番号 甲25883
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3583号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 九朗丸,正道
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 准教授 山内,啓太郎
 東京大学 准教授 金井,克晃
 東京大学 准教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

緒言

骨格筋は、体勢の維持、呼吸や運動に必須の収縮性を備え、筋損傷時の再生能を保持する。筋線維(myofiber)の筋形質膜と基底膜の間に筋衛星細胞(satellitecell)と呼ばれる単核細胞が存在し、骨格筋が怪我などにより損傷を受けると、休止状態にあった筋衛星細胞が活性化し、筋への分化運命決定を受けた筋芽細胞(myoblast)となる。筋芽細胞は、筋分化・再生に必須の前駆細胞であり、筋管細胞(myotube)への分化を経て、筋線維へと成熟する。一部の筋芽細胞は、未分化な筋衛星細胞として残り、次回の筋再生に備えるため、通常枯渇することはないとされている。しかし、ある種の筋疾患においては、長期にわたる筋分化・再生系の元進や異常によって、脂肪化や線維化が生じたり、筋芽細胞も枯渇し、更なる筋再生が困難になることも提唱されている。治療法のひとつとして、筋芽細胞移植により筋再生を促すことが検討されてきたが、治療に用いる大量の筋芽細胞の供給源として、胚性多能性幹細胞(ES細胞)や、近年開発された人工多能性幹細胞(ips細胞)が大きな期待を集め、筋分化系譜細胞作出を目指す研究が急速に進んでいる。その際、筋芽細胞の特徴を定義し、分化能や安全性を評価することが必要となるが、現状においては、筋分化後特有のマーカー遺伝子を発現していないことや、数種の筋芽細胞発現マーカーが指標として用いられるのみであり、筋芽細胞とは何かという定義は非常に曖昧である。

DNAのメチル化は、エピジェネティック系の主要な制御機構であり、ゲノム上には、細胞・組織特異的にメチル化・脱メチル化される領域(Tissue-Dependent methylated regions;T-DMR)が存在する。このような細胞のDNAのメチル化/非メチル化の組み合わせは、DNAメチル化プロファイルと呼ばれる。近年、開発の進んだ網羅的解析技術を用いて得たDNAのメチル化プロファイルは、個体発生や細胞の分化だけでなく、再生医療、疾患の病因・診断・治療法確立の基礎として重要である。これまで、筋分化系のDNAメチル化プロファイル情報は得られておらず、DNAのメチル化という観点から、筋分化・再生系の持つ特徴や、筋から脂肪への分化転換による影響を明らかにすることは、難治性筋疾患の病因、治療法確立に有用な情報となる。

第1章骨格筋のDNAメチル化プロファイル

筋分化系譜の最終分化器官である骨格筋の持つエピゲノムの特徴を捉える目的で、D-REAM(T-DMR profiling with restriction tag-mediated amplification)法を用いたゲノムワイドな遺伝子プロモーター領域(転写開始点の上流6kbおよび下流2.5kb)のDNAメチル化解析を行った。未分化な細胞であるマウス胚性幹細胞(ES細胞)を比較対象として用い、骨格筋(腓腹筋)における低メチル化傾向およびメチル化傾向T-DMRを同定した。さらに、ES細胞と脳、腎臓、肝臓の比較により同定されたT-DMRデータと照合し、骨格筋においてのみ同定されたT-DMRを選別した。これらの骨格筋に特徴的なT-DMRが存在する遺伝子について、ontology解析を行ったところ、骨格筋で低メチル化傾向のT-DMRが存在する遺伝子には、筋分化に関連するontology termの濃縮がみられ、筋分化マスター遺伝子であるMyodl、Myf5、Myf6が含まれた。骨格筋でメチル化傾向のT-DMRが存在する遺伝子には、DNA、RNA制御に関連するontology termの濃縮のほかに、筋分化に関連するontology termの濃縮がみられた。一方、脳、腎臓、肝臓のいずれかの組織と共通に検出されたT-DMRについてのontology解析において、筋分化に関連するontology termの濃縮はみられなかった。

以上のように、骨格筋の有する筋分化関連遺伝子領域のT-DMRを同定した。

第2章筋前駆細胞のDNAメチル化プロファイル

第1章の結果から、筋分化に関連する遺伝子領域には、骨格筋に特徴的なT-DMRが存在することが示された。そこで、これまで筋分化に関与する報告のある遺伝子領域に存在するT-DMRから、筋分化・再生系における特徴的なDNAメチル化制御の検出が可能であると考え、筋分化に関連するontology termを持つ遺伝子群および、筋特異的な発現パターンを有する遺伝子群から成る1734遺伝子のリストを作成した。

第1章の骨格筋(腓腹筋)と同様に、筋への分化運命決定を受けた筋芽細胞(myoblast)、および筋芽細胞をinvitroにおいて分化させた筋管細胞(myotube)を用いて、ES細胞を比較対象としたD-REAM解析を行った。1734筋分化関連遺伝子について、ES細胞をコントロールとしたHEATMAP解析を行ったところ、筋芽細胞・筋管細胞・骨格筋を通じて類似した低メチル化あるいはメチル化傾向を示すT-DMRが存在する一方で、筋芽細胞および筋管細胞と骨格筋問で異なるメチル化状態を示すT-DMRが存在した。メチル化状態の異なるT-DMRには、骨格筋において低メチル化あるいはメチル化方向に変化するT-DMRに加えて、筋芽細胞および筋管細胞で一時的に低メチル化あるいはメチル化の亢進が生じるT-DMRの存在が認められた。

さらに、筋分化マスター遺伝子であるPax3、Pax7、MyoD1、Myogenin、Myf5、Myf6遺伝子領域について詳細に検討したところ、ひとつの遺伝子領域に複数のT-DMRが存在しており、それぞれのTDMRのメチル化状態は一様でなく、筋芽細胞・筋管細胞・骨格筋間の比較においても、筋分化関連遺伝子間でみられた低メチル化あるいはメチル化方向の変化パターンの混在が認められた。

以上のことから、筋分化関連遺伝子に存在するT-DMRには、筋芽細胞・筋管細胞・骨格筋間において、低メチル化方向の変化だけでなくメチル化方向の変化も生じていること、また、漸増・漸減型の変化だけでなく、筋芽細胞・筋管細胞において一時的な低メチル化/メチル化の亢進がみられることが示され、遺伝子間において一様、一方向性の変化ではないことが明らかとなった。

第3章DNAメチル化情報を用いた筋衛星細胞筋分化系および脂肪分化転換系の評価

第2章の結果から、筋芽細胞・筋管細胞・骨格筋の特徴を示すT-DMRのメチル化情報が得られた。筋衛星細胞は初代培養が可能で、筋管細胞に分化する。また、脂肪細胞への分化転換が可能である。そこで、第2章で得られた筋分化マスター遺伝子群および筋分化関連遺伝子群に存在するT-DMRのDNAメチル化情報と、脂肪分化関連遺伝子群に存在するT-DMRのDNAメチル化情報を用いて、筋衛星細胞、筋分化後および脂肪誘導した筋衛星胞におけるメチル化状況を検討した。

筋衛星細胞のメチル化状態は、筋分化マスター遺伝子群T-DMR、筋分化関連遺伝子群T-DMRおよび脂肪分化関連遺伝子群T-DMRいずれの場合においても、ほとんどのT-DMRにおいて筋芽細胞のメチル化状態とは異なった。また、筋衛星細胞と筋芽細胞間で見られたメチル化状態の違いは、ES細胞と筋芽細胞間で見られた違いと相関が認められたが、ESマスター遺伝子群T-DMR(Oct-314、Nanog、Sox2、Myc)を用いて、筋衛星細胞とES細胞を比較した結果、メチル化状態は異なっていた。

筋分化後の筋衛星細胞のメチル化状態は、筋分化マスター遺伝子群T-DMR、筋分化関連遺伝子群T-DMRおよび脂肪分化関連遺伝子群T-DMRを用いて比較すると、第2章で用いたmyotubeより、骨格筋のメチル化状態に類似したメチル化状態を示すT・DMRが多かった。

脂肪誘導した筋衛星細胞のメチル化状態は、筋分化マスター遺伝子群T-DMR、筋分化関連遺伝子群T-DMRおよび脂肪分化関連遺伝子群T-DMRを用いて比較すると、筋分化した場合と脂肪誘導した場合で変化の少ないT-DMRと大きく変化するT-DMRが存在した。大きく変化するT-DMRは、Myf5、Myf6、Pparγ、Prdm16などの遺伝子領域に存在した。

以上のことから、第2章で得た筋芽細胞・筋管細胞・骨格筋の特徴を示すT-DMRのメチル化情報を用いて、筋衛星細胞および分化後の筋衛星細胞の特徴を示すことができた。また脂肪誘導により分化転換すると、筋分化関連遺伝子や脂肪分化関連遺伝子領域に存在するT-DMRにメチル化状態の変化が生じることが明らかとなった。

総括

DNAのメチル化情報という新たな観点から骨格筋の分化を捉えることにより、筋分化・再生系はエピジェネティック制御を受けることが示唆された。筋分化関連遺伝子領域のDNAメチル化状態の変化は、筋分化・再生過程では、一方向性のものではなく、複数のT-DMRが低メチル化/メチル化両方向性に多様に変化しうることが明らかとなった。また、T-DMRのDNAのメチル化状態から、筋衛星細胞、筋芽細胞、筋管細胞、骨格筋を定義し評価することも可能となった。筋分化系細胞が脂肪細胞に分化転換した場合において、DNAメチル化状態に影響を受けるT-DMRが存在することから、骨格筋が骨格筋であり続ける、あるいは骨格筋から脂肪へのポイント切り替えとなるような、分化の方向付けに関わるエピジェネティックな制御も考えられ、筋の生理学および、難治性筋疾患や加齢による脂肪化の病因解明・治療法確立のための新たな概念を提供した。

審査要旨 要旨を表示する

哺乳類ゲノムの遺伝子領域には、細胞・組織特異的にメチル化される領域(Tissue-dependent and differentially methylated region; T-DMR)が存在する。少なくともゲノムに存在する数千に上るT-DMRのメチル化/非メチル化の組み合わせは膨大で、DNAメチル化プロフィールは、細胞のフィンガープリントとなっている。近年、DNAのメチル化プロフィール解析を目的に、新たな網羅的解析法(T-DMR profiling with restriction tag-mediated amplification;D-REAM)が確立されている。

骨格筋は体躯の維持に加え、エネルギー代謝や血流量調整の中心ともなる、主要組織のひとつである。筋芽細胞(myoblast)は、筋の前駆細胞であり、筋管細胞(myotube)を経て、筋線維(myofiber)へと分化し成熟する。筋衛星細胞(satellite cell)は成熟後も見られる細胞で、筋形質膜と基底膜の間に存在する単核細胞である。筋芽細胞の一部が損傷修復時に備え、未分化な状態で残った細胞が筋衛星細胞とされる。これまでの研究では、筋衛星細胞は、組織幹細胞と同等に筋再生に関与していると考えられ、骨格筋が損傷を受けると筋衛星細胞が活性化し、筋芽細胞になると理解されている。一方、難治性筋疾患においては、幹・前駆細胞系の異常や筋分化・再生系の障害が予測され、再生が見られないことが問題で、あるいは、脂肪化や線維化を伴う分化異常が観察されている。多くの場合は治療法が無いため、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の研究に期待がよせられている。筋分化の理解と再生医療のための基盤情報としてDNAメチル化プロフィール解析が必要とされている。本論文は三章よりなる。

第一章では、D-REAM法を用いマウス胚性幹細胞(ES細胞)、脳、腎臓、肝臓などを比較対象とした骨格筋(腓腹筋)のゲノムワイドDNAメチル化解析が行われ、骨格筋T-DMRが同定された。骨格筋で低メチル化となるT-DMRを有する遺伝子(群)には、筋分化に関連するontology termの濃縮がみられ、筋分化マスター遺伝子であるMyod1、Myf5、Myf6も含まれていた。骨格筋で高メチル化のT-DMR遺伝子(群)には、DNAやRNA制御に関連するontology termの濃縮のほかに、筋分化に関する遺伝子(群)の濃縮がみられた。骨格筋に特徴的なT-DMR情報を基に、筋の分化に関連する遺伝子群および、筋特異的な発現パターンを有する遺伝子群から成る1380遺伝子のリストが作成された。

第二章では、第一章で同定された1380筋分化関連遺伝子T-DMRに注目した、筋芽細胞および筋管細胞のDNAメチル化プロフィール解析がなされた。ES細胞をコントロールとしたHEAT MAP解析を行ったところ、筋芽細胞・筋管細胞・骨格筋を通じて、類似した低メチル化あるいはメチル化傾向を示すT-DMRが存在する一方で、筋芽細胞および筋管細胞と骨格筋間で異なるメチル化状態を示すT-DMRが存在した。メチル化状態の異なるT-DMRには、骨格筋において低メチル化あるいはメチル化方向に変化するT-DMRに加えて、筋芽細胞および筋管細胞で一時的に低メチル化あるいはメチル化の亢進が生じるT-DMRの存在が認められた。さらに、筋分化マスター遺伝子(Pax3、Pax7、MyoD1、Myogenin、Myf5、Myf6)領域には、複数のT-DMRが存在していることが判明した。これらT-DMRのメチル化状態を筋芽細胞・筋管細胞・骨格筋間で比較し、筋芽細胞からの筋分化過程では、メチル化・脱メチル化両方向のダイナミックな変化が起きていることが判明した。しかも、漸増・漸減型の変化だけでなく、一過性の低メチル化/メチル化の亢進がみられることが示された。

第三章では、筋衛星細胞からの筋分化過程のDNAメチル化プロフィールが解析された。筋衛星細胞のDNAメチル化プロフィール解析の結果、筋芽細胞とは大きく異なることが明らかになった。それにも関わらず、筋衛星細胞から筋分化を誘導したところ、骨格筋のDNAメチル化プロフィールに近似していた。筋衛星細胞と筋芽細胞はともに骨格筋への分化能を保持し、近似した組織幹細胞であると考えられていたが、分化系列は全く別である可能性を示唆している。筋芽細胞と異なり、筋衛星細胞は、培養下で盛んに増殖し、条件によっては脂肪細胞へと分化する。この実験系を用い、脂肪分化関連遺伝子群T-DMRも同定された。筋衛星細胞から骨格筋あるいは脂肪細胞分化を制御するエピジェネティクスの制御領域が初めて明らかになった。

以上、本論文では、骨格筋について分化段階の各細胞のDNAメチル化プロフィールが明らかになった。また、DNAメチル化解析から、意外にも筋芽細胞と筋衛星細胞のDNAメチル化プロフィールは異なること、したがって、分化経路を含め、必ずしも両者は同じではなく、骨格筋へ分化経路すら同じでない可能性が示された。これらの発見は筋分化の遺伝子制御の基礎として重要であるばかりでなく、再生医療の新たな取り組みにつながる可能性も示され、応用研究としても新たな視点を提供している。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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