学位論文要旨



No 125885
著者(漢字) 麻田,正仁
著者(英字)
著者(カナ) アサダ,マサヒト
標題(和) Leishmania donovaniによるリーシュマニア症の多型性に関する分子寄生虫学的研究
標題(洋) Molecular-parasitological studies on heterogeneity of leishmaniasis caused by Leishmania donovani
報告番号 125885
報告番号 甲25885
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3585号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 松本,芳嗣
 東京大学 教授 小川,和夫
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 准教授 松本,安喜
内容要旨 要旨を表示する

リーシュマニア症は熱帯から温帯地方にかけて世界的に分布し、イヌ科動物およびげつ歯類を主な保虫宿主とする人獣共通感染症である。ヒトのリーシュマニア症はその症状により内臓型リーシュマニア症(VL)及び皮膚型リーシュマニア症(CL)に大別される。このうちVLはkala-azarとも呼ばれ、原虫が脾臓や骨髄など深部臓器に寄生するため、脾腫等の重篤な症状を呈し治療が行われなければ致死的である。旧大陸においてはL.donovani及びL.infantumが、新大陸においてはL.chagasiがVLを引き起こす主要な病原体であるとされ、世界で毎年50万人もの新規患者が発生しているとされる。特にアジアではバングラデシュ、インド、ネパールにおいてL.donovaniによるVLが猛威をふるっているが、それにも関らずL.donovaniの性状及びそれがもたらすリーシュマニア症の病態はよく分かっていない。そこで本論文ではアジアにおけるVLの病原体とされるL.donovaniが引き起こす病型に着目し、病原体及び宿主の免疫応答について分子レベルでの比較解析を行うことでL.donovaniによるリーシュマニア症の病態の一端を明らかとすることを目的とした。

第一章ではVLの病原原虫であるL.donovani,L.infantum,L.chagasiは遺伝的に近縁であるもののL.donovaniには遺伝的多様性が存在することを明らかとした。L.donovani;L.infantum,L.chagasiの分布域はアジアからヨーロッパ、アフリカ、南米に至り、各地域ごとに媒介昆虫、保虫宿主が異なる。そこでこのVLの病原原虫3種についてミトコンドリアペルオキシレドキシン(mPxn)遺伝子の塩基配列を決定し、CLの病原体とされるL.major等4種との比較解析を行った。mPxn遺伝子全長681bpが決定され塩基配列の比較の結果、L.donovani;L.infantum,Lehagasi間では互いに最大4塩基の相違しか見られず同一のクレード内に存在していた。一方これらVLの病原原虫3種とCLの病原原虫4種間では少なくとも19塩基の差がみられた。次にL.donovani内での遺伝的多様性を明らかにするためL.donovani7株について同様にmPxn遺伝子塩基配列を決定し比較解析を行った。その結果L.donovani内でも最大4塩基、予想アミノ酸配列においても3残基の相違が存在していた。これらの結果からL.donovam;L.infantum,L.chagasiにおいてmPxn遺伝子が高度に保存されており、これらVLの病原原虫3種は遺伝的に非常に近縁であると考えられた。その一方でL.donovaniには種内に遺伝的多様性があることが明らかとなった。

第二章ではVLを引き起こすL.donovniが内臓のみならず皮膚にも寄生することをPostkala-azardermalleishmaniasis(PKDL)の解析より明らかにした。VLの浸淫地域においてはその治療後に皮膚病変を主徴とするPKDLを発症することが知られている。そこでL.donovaniによるVLの高度の浸淫地域であるバングラデシュにおいてPK肌患者を対象とした調査を行いVLとの比較解析を行った。対象としたPKDL患者はVLの治療後数カ月から3年後に斑状及び小結節或いは丘疹状の病変を発症していた。PKDL、患者の皮膚病変に原虫が存在するのかを明らかとするため皮膚生検材料の培養により原虫の分離を試みた結果、丘疹状の皮膚病変からのみ原虫が検出された。このPKDL患者分離株についてVL分離株と比較するため、システインプロテアーゼ遺伝子の一部塩基配列を決定した。決定した塩基配列はvrの病原原虫3種内において多様性を持つ部位であり、決定された616ないし655塩基はL.donovami,L.infantum,L.chagasiに属する6株内で塩基配列の欠失を含め0~48塩基の相違が存在した。PKDL患者分離株塩基配列の比較解析の結果、決定された655塩基はインド由来L.donovani(MHOM/IN/80/DD8)の塩基配列と完全に一致していた。皮膚生検材料の病理組織学的解析から斑状病変では軽い炎症像が、小結節状病変では組織球やリンパ球の浸潤が見られる類上皮細胞肉芽腫が観察されたがいずれの病理組織像においても原虫は観察されなかった。さらに、患者の血漿を用いL.donovani粗抗原ないしrK39などの複数のリコンビナント抗原からなる混合抗原を使用したELISA法による血清学的な解析を行った。その結果いずれの抗原に対してもPKDL患者血清の抗体価はVL患者血清の抗体価と同等の高い値を示した。以上の結果はVLを起こすL.donovaniであっても治療等の影響により皮膚に寄生することを示している。その一方で皮膚から原虫が検出されなくともPKDL患者はVL患者と同等の血清学的な反応を示すため、深部臓器に原虫が未だに存在する可能性が示された。また、PKDLに見られる皮膚病変は原虫の皮膚における増殖というよりは患者の免疫反応が重要な役割を演じていることが示唆された。

第三章ではL.donovani変異種がVLを起こすことなく皮膚型リーシュマニア症を引き起こすことを明らかにした。スリランカにおいてCLが疑われる患者を対象に皮膚生検材料の培養又は塗抹標本からの原虫の検出を試み、28検体中21検体の培養液中及び25検体の塗抹標本から原虫が検出された。CL患者にはVLを示唆するような徴候や既往歴は無く、皮膚病変は水庖状の丘疹ないし小結節状であり潰瘍形成の見られる場合もあった。このCL患者より分離された原虫の種を明らかにするためアクチン遺伝子の一部塩基配列を決定し、旧大陸におけるリーシュマニア症の主要な病原原虫種4種の当該塩基配列との比較を行った。その結果スリランカ分離株の塩基配列はL.donovaniと最も相同性が高く、754塩基中1塩基を除き完全に一致していた。スリランカ分離株について比較解析を行うため第二章と同じくシステインプロテアーゼ遺伝子の一部塩基配列を決定しVLの病原原虫3種6株との比較を行った。その結果興味深いことにスリランカ分離株の塩基配列は中国由来L.infantum(IWUI/CN/77/771)に最も相同性が高く、次いでインド由来L.donovani(MHOM/IN/80/DD8)という結果となった。CL患者の血清学的反応を明らかにするため患者血漿についてrK39抗原を用いたELISA法による血清学的な解析を行った。その結果患者の抗体価はVL患者の抗体価に比べはるかに低いことが明らかとなった。本章の結果からL.donovaniがヒトにCLを引き起こしうることが明らかとなった。また、PKDL患者と違いCL患者の原虫に対する免疫反応は弱いことから原虫が皮膚に限局し、深部臓器に寄生しないことが示唆された。さらに、このCL、の病原体はVLを引き起こす典型的なL.donovaniとは寄生指向性等において性質が異なることが示唆された。

第四章ではmPxnの発現及び免疫原性を明らかにした。リーシュマニア原虫mPxn検出のためmPxn特異的な配列からなるオリゴペプチドを合成し、マウスポリクローナル抗体(抗mPxnペプチド抗体)を作製した。L.donovani粗抗原を用いたウエスタンブロット法により24kDaの位置に一本のバンドが観察され、作製した抗体はmPxnを特異的に認識していると考えられた。この抗体を用いL.major等5種のリーシュマニア原虫粗抗原についてウエスタンブロット法による解析を行った。その結果僅かにL.mexicanaでは他種に比べ大きい分子量で検出されたものの、5種のリーシュマニア原虫全てにおいて約24kDaの位置に単一のバンドが観察された。また、抗mPxnペプチド抗体を用いた蛍光抗体法による局在の解析により、使用したいずれのリーシュマニア原虫においても蛍光がミトコンドリアに一致して観察され、mPxnが各種リーシュマニア原虫において同様の局在を示すことが明らかとなった。VL及びPKDL患者血漿のmPxnに対する反応性を調べるため、合成したオリゴペプチドを抗原としてELISA法による解析を行った。その結果VL患者の抗体価はPKDL患者の抗体価と共に陰性対象とした健常日本人血漿の抗体価よりも有意に高い値を示した。本章からmPxnはL.donovaniを始めとするリーシュマニア原虫に広く発現しており、高い免疫原性を持つ分子であることが示唆された。

以上本研究において1)L.donovani,L.infantum,L.chagasiは遺伝的に近縁であるが、L.donovaniには遺伝的多様性が存在する。2)内臓に寄生するL.donovaniであっても薬剤治療や宿主の免疫応答等の要因により皮膚に寄生することがある。3)L.donovaniがヒトに内臓型リーシュマニア症を起こすことなく皮膚型リーシュマニア症を引き起こす場合がある。4)mPxnはL.donovaniを始めとするリーシュマニア原虫に広く発現し、高い免疫原性を有することが明らかとなった。遺伝子解析によりL.donovani,L.infantum,Lchagashi及びその変異種はリーシュマニア属内において一つのクレードを形成しており五donovanis.1.としてとらえられた。そしてこのL.donovanis.1.に属する原虫がその多型、場合によっては免疫等の宿主側の要因によりVL,原虫の皮膚寄生を伴うPKDL,そしてCLという症状の多型を引き起こしていると考えられた。これらの知見はL.donovaniは内臓型リーシュマニア症のみを引き起こす病原体であるという通説に一石を投じるものである。また、mPxnは高い免疫原性を有するため診断用抗原として期待されると共にL.donovani内に見られた多様性が病態に関わるものであるか検討する必要性がある。さらに本研究で得られた原虫株の詳細な比較解析により病態決定因子を明らかとすることで薬剤治療の標的分子の探索や遺伝子改変生ワクチンの開発に貢献することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

リーシュマニア症は世界的に分布する人獣共通感染症である。内臓型リーシュマニア症(VL)はkala-azarとも呼ばれ、原虫が深部臓器に寄生するため重篤な症状を呈し治療が行われなければ致死的である。中でもアジアでは病原性の高いL. donovaniによるVLが猛威をふるっているが、L. donovaniの性状及びそれがもたらすリーシュマニア症の病態はよく分かっていない。本論文はL. donovaniが引き起こす病型に着目し、L. donovaniによるリーシュマニア症の病態の一端を明らかとすることを目的としている。

第一章ではVLの病原原虫であるL. donovani, L. infantum, L. chagasiは遺伝的に近縁であるもののL. donovani には遺伝的多様性が存在することを明らかとした。VLの病原原虫3種及びその他のヒト病原性リーシュマニア原虫4種についてミトコンドリアペルオキシレドキシン(mPxn)遺伝子の塩基配列(681bp)を決定し系統解析を行うことにより、1) VLの病原原虫3種は互いに最大2塩基の相違しか見られず同一のクレード内に存在した。2) L. chagasiの塩基配列はL. infantumと完全に一致した。3) L. donovani内でも1塩基の相違が存在した。これらのことからVLの病原原虫3種はヨーロッパ、アフリカ、南米に分布するにも関わらず遺伝的には非常に近縁であり、同一のクレード内に存在する一方でL. donovaniには種内に遺伝的多様性があることを明らかとした。

第二章ではVLを引き起こすL. donovniが内臓のみならず皮膚にも寄生することをPost kala-azar dermal leishmaniasis (PKDL)の解析より明らかにした。VLの浸淫地域においてはその治療後に皮膚病変を主徴とするPKDLを発症することが知られているがその病態は不明である。バングラデシュにおいてPKDLについて解析を行うことにより1) PKDL患者はVLの治療後に斑状及び小結節或いは丘疹状の病変を発症した。2) 患者皮膚からの原虫検出により丘疹状の病変からのみ原虫が検出された。3) 患者分離株のmPxn遺伝子塩基配列解析により塩基配列はインド亜大陸におけるVL由来L. donovaniの塩基配列と完全に一致した。4) 病理組織学的解析から斑状及び小結節状皮膚病変に炎症像が観察された。5) PKDL患者血漿はVL患者血清と同等の高い血清学的反応性を示した。本章から丘疹状のPKDL患者皮膚病変にはL. donovaniが皮膚寄生する一方斑状及び小結節状皮膚病変には患者の免疫反応が重要な役割を演じ、さらにPKDL患者の深部臓器に原虫が未だに存在する可能性が示された。

第三章ではL. donovani変異種がVLを起こすことなく皮膚型リーシュマニア症(CL)を引き起こすことを明らかにした。スリランカにおいてCL患者を対象に調査を行うことにより、1)皮膚生検材料から原虫が検出された。2) 患者にVLの徴候や既往歴は無く、皮膚病変は主に水疱状の丘疹であった。3) 分離株のアクチン遺伝子の解析等より病原種はL. donovaniであった。4) 分離株のmPxn遺伝子並びにシステインプロテアーゼ遺伝子の解析より塩基配列はL. donovaniに近いものの既知のいずれの塩基配列とも異なっていた。5) CL患者血漿の抗体価はVL患者に比べはるかに低かった。本章の結果はL. donovaniがヒトにCLを引き起こしうることを明らかとし、CLの病原体はVLを引き起こす典型的なL. donovaniとは寄生指向性等において性質が異なることを示唆した。

第四章ではL. donovaniの寄生指向性を決定する因子の探索を行った。リーシュマニア原虫は宿主体内のマクロファージ内に寄生するため抗酸化分子として知られているペルオキシレドキシンに着目しその発現及び免疫原性を解析することにより、1) mPxnに対する抗体を用いたウエスタンブロット法によりL. donovani等5種全ての粗抗原で約24 kDaの位置に単一のバンドが観察された。2) 蛍光抗体法による局在の解析で蛍光がミトコンドリアに一致して観察された。3) ELISA法によりVL及びPKDL患者血漿はmPxnの配列を持つ合成オリゴペプチド抗原に高い反応性を示した。本章からmPxnはL. donovaniを始めとするリーシュマニア原虫に広く発現しており、高い免疫原性を持つ分子であることが示唆された。

本論文の結果はL. donovani, L. infantum, L. chagasiという既存の分類を改める必要があることを示唆しており、L. donovani, L. infantum, L. chagasi及びその変異株を含めL. donovani s.l.とすべきとした。更にL. donovaniと病態との関係からはL. donovaniはVLのみを引き起こす病原体という通説に一石を投じ、L. donovaniには内臓指向性と皮膚指向性の原虫がおり、それらがVLのみならずPKDL,さらにはCLという多様な病態を引き起こすことを初めて明らかとした。

従って、審査委員一同は、当論文内容が博士(獣医学)を授与するに値する内容であると判断した。

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