学位論文要旨



No 125887
著者(漢字) 飯塚,真央
著者(英字)
著者(カナ) イイヅカ,マサテル
標題(和) 収縮機能に着目した肝星細胞の病態生理学的研究
標題(洋)
報告番号 125887
報告番号 甲25887
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3587号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 准教授 桑原,正貴
 東京大学 准教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

我が国では、肝硬変を主体とした慢性肝疾患は30~64才の中高年齢層において死亡順位の第4位を占め、肝硬変死亡者数は年間1万6000人を超えている。日本人の食生活が欧米化するに従い、アルコール性肝炎や脂肪肝の罹患率、それに続発する肝硬変患者数も年々増加している。今後も肝疾患死亡者数の増加が予想されるにもかかわらず、現在、根治的な肝硬変治療法は無いため、その詳細な病態機序の早期解明と治療薬の開発は急務である。

現在のところ、肝硬変は以下の3つの過程を経て発症すると考えられている。

1)多量のアルコール摂取などに伴う肝細胞の機能的及び器質的障害

2)その後の炎症反応に伴う炎症性サイトカイン等による肝星細胞の活性化

3)活性化型肝星細胞によるコラーゲンの分泌亢進及び肝臓内圧や門脈圧の上昇

肝臓の星細胞(Hepatic Stellate Cell:以下HSCと略す)は、類洞周囲のDisse腔に存在し体内の80%ものビタミンAを貯蔵しており、平常時は静止型を示す。肝臓に炎症が起こると、HSCはビタミンAを放出し活性化型である筋線維芽細胞様細胞へと形質変換し、コラーゲン合成促進と収縮力増強の2つの大きな形質を獲得する。活性化型HSCによるコラーゲンの合成促進は肝臓の線維化の直接的な要因となる。一方、活性化型HSCは強力な収縮能を獲得し類洞を締め付けることで、肝臓内の循環障害を引き起こすと考えられている。

ところで、これまで平滑筋細胞の収縮機構に関する研究が精力的に行われてきた。平滑筋細胞はα-smooth muscle actin(α-SMA)の発現に富み、アクチン線維とミオシン線維の相互反応を介して収縮・弛緩反応を引き起こす。この相互反応の調節機構として、以下の2つの経路が存在する。

1)Ca2+依存的収縮機構:受容体刺激は細胞内Ca2+濃度を上昇させ、ミオシン軽鎖リン酸化酵素(MLCK)を活性化型へと変換させる。活性化型MLCKはミオシン軽鎖(MLC)をリン酸化し、収縮を引き起こす。

2)Ca2+感受性増加機構:Ca2+感受性の増加とは、細胞内のCa2+総量を増加させずに、Ca2+に対する感受性が増加することで収縮力が増強することであり、RhoAとPKCを介する2つの経路が知られている。受容体刺激で活性化したRhoAはRho kinase(ROCK)を活性化させる。活性化型ROCKは、ミオシン軽鎖脱リン酸化酵素(MLCP)の調節サブユニットMYPT1をリン酸化しMLCPの活性を抑制する。一方、PKCはCPI-17をリン酸化し、リン酸化CPI・17はMLCPの触媒サブユニットPPlcδを直接阻害することでMLCPの活性を阻害する。

活性化型HSCではα一SMAの発現量が上昇し、平滑筋細胞と同様にMLCのリン酸化に応じて収縮が誘起されると考えられている。HSCの収縮機構は平滑筋細胞のそれと類似することが想定されるが、HSCの収縮機構の研究はほとんど行われていない。

【目的】

本研究では、肝硬変時のHSCの収縮機構を明らかにするために、HSCの活性化に伴う収縮に関わる遺伝子の発現変動を解析し、特にCa2+感受性増加機構に着目したHSCの収縮機構の全貌を解明することを目的とした。

【方法】

肝臓から単離した初代培養HSCを通常条件下で培養すると、培養日数依存的に静止型から活性化型への形質変換が起こる。そこで、収縮に関わる遺伝子の培養日数依存的な発現変動をreal-timePCR法及びWestern blotting法を用いて調べた。次に、in vitroで活性化したHSCの収縮機構をCPI-17、MYPT1、MLCに対するリン酸化抗体を用いて検討した。最後に、2種類の肝硬変モデルラット(胆管結紮(BDL)ラット及びジメチルニトロソアミン(DMN)投与ラット)を作出し、in vivoで活性化したHSCの遺伝子発現変動や収縮機構について調べた。

【結果】

1.in vitroでの活性化に伴うHSCの収縮蛋白質の発現変動

はじめに、HSCが活性化して筋線維芽細胞様細胞へと変化する際に、収縮に関連する蛋白質群がどの様に変動するかを、転写ならびに蛋白質発現レベルで検索した。さらにこの知見をもとに、Ca2+依存的収縮機構とCa2+感受性増加機構に分けて、HSCが持つ収縮機構を詳しく検討した。

1)まず、正常ラットから単離したHSCを7日間培養することにより活性化の指標となるビタミンA顆粒の消失、α-SMAの発現上昇ならびに特異的な細胞形状の変化を確認した。

2)他の収縮蛋白質およびその制御因子の発現変化を調べたところ、MLC、ミオシン重鎖(MHC)、MLCK、CPI-17、ROCK2の発現量の増加が観察された。

3)RhoA、ROCK1、PPlcδ、MYPT1の発現量には差がなかった。

以上の結果から、培養に伴って活性化したHSCが、直接収縮を担うアクチン分子とミオシン分子の発現量を上昇させることが明らかとなった。またHSCの活性化に伴い、収縮制御に関与する遺伝子のうちMLCK、CPI-17、ROCK2の発現量が上昇した。これらの遺伝子発現変動の成績から、HSCにはCa2+依存的収縮機構とCa2+感受性増加機構が存在し、活性化型HSCはこれら2種類の調節機構の増強を介して収縮力を増強させていることが想定された。

1.Ca2+依存的収縮機構の変動

肝硬変病態時には、血液中の血管収縮因子エンドセリン濃度が上昇し、活性化型HSCではエンドセリン受容体の発現が亢進する。しかしながら、エンドセリンが活性化型HSCに対してどのような情報伝達経路を介して収縮反応を惹起するかという詳細な報告はない。そこで、7日間培養し活性化させたHSCにおける収縮機構、特にMLCPの調節によるMLCのリン酸化制御について検討した。

1)活性化型HSCにおいて、エンドセリンの濃度依存的な細胞内Ca2+濃度上昇が確認され、エンドセリン受容体A(ETA)アンタゴニストBQ123の前処置により、エンドセリン刺激による細胞内Ca2+濃度上昇が抑制された。

2)培養日数の増加によるHSCの活性化に伴い、ETAの発現量の上昇及びエンドセリン刺激による細胞内Ca2+濃度の増加が観察された。

3)活性化型HSCにおいて、エンドセリン刺激によりMLC(Thr18/Ser19)のリン酸化は増加し、この増加はMLCK阻害剤ML-7の前処置によって阻害された。

2.Ca2+感受性増加機構の変動

近年、平滑筋収縮の病態分野においてはCa2+感受性機構の変動が注目され、特にCPI-17発現の変化は消化管炎症や気道過敏などの病態モデルで明らかになり注目されている。本研究では、HSCにおけるCa2+感受性増加機構の関与の可能性についてさらに検討した。

1)活性化型HSCにおいて、エンドセリン濃度及び時間依存的にCPI-17(Thr38)のリン酸化が引き起こされた。また、エンドセリンで惹起されるThr38のリン酸化はPKC阻害剤Ro-31-8425やROCK阻害剤Y-27632の前処置によって阻害された。

2)活性化型HSCにおいて、エンドセリン濃度及び時間依存的にMYPT1(Thr853)のリン酸化は引き起こされたが、エンドセリンによるMYPT1(Thr696)のリン酸化は起こらなかった。また、エンドセリンで惹起されるThr853のリン酸化はY-27632の前処置によって阻害された。

3)ゲル収縮法により、エンドセリンは活性化型HSCに対して濃度依存的な収縮を引き起こした。

4)活性化型HSCにおいて、エンドセリンは濃度及び時間依存的にMLC(Thr18/Ser19)のリン酸化を惹起し、このリン酸化はRo-31-8425やY-27632の前処置により減少した。また、両者を同時に前処置した結果、相加的なリン酸化抑制効果が得られものの、完全にはリン酸化を抑制することはできなかった。しかしながら、ML-7、Ro-31-8425、Y-27632の3つの阻害剤を同時に前処置したところ、MLCのリン酸化は完全に消失した。

以上の結果から、in vitroで活性化したHSCにおいて、エンドセリンがCa2+依存的なMLCのリン酸化を惹起すること、またCPI-17(Thr38)やMYPT1(Thr853)のリン酸化を介してMLC(Thr18/Ser19)のリン酸化を持続させることが明らかとなった。本研究により、Ca2+依存的収縮機構に加え、HSCにおけるCa2+感受性増加機構の詳細が初めて明らかとなった。

II.肝硬変モデルラットを用いたHSCの収縮機能活性化の解析

上記のCa2+感受性増加機構が肝硬変病態時にも成立していることを確認するために、肝硬変モデルラットからHSCを単離し2日間培養した後、エンドセリンに対する収縮反応及びCa2+感受性増加機構について検討した。

(1)BDLラット

1)BDLラットから単離したHSCでは、陰性対照のラットから単離したそれに比べて、α-SMAのみならず、MLC、MHC、MLCK、CPI-17、ROCK2の発現量が増加した。

2)BDLラットから単離したHSCでは、陰性対照のラットから単離したそれに比べて、ETAの発現量が増加し、エンドセリンに対する細胞内Ca2+濃度の反応性が増加した。

3)BDLラットから単離したHSCでは、エンドセリン刺激によりCPI-17(Thr38)やMYPT1(Thr853)のリン酸化が惹起され、これらのリン酸化はそれぞれPKC阻害剤Ro-31-8425やROCK阻害剤Y-27632の前処置で阻害された。エンドセリン刺激によりMLC(Thr18/Ser19)のリン酸化が惹起され、このリン酸化はRo-31-8425やY-27632の前処置で阻害された。

(2)DMNラット

1)DMNラットの肝臓では、陰性対照のラットのそれに比べてMLCK陽性細胞数が増加していた。

2)DMNラットから単離したHSCでは、陰性対照のラットから単離したそれに比べて、α-SMAのみならず、MLC、MHC、MLCK、CPI-17、ROCK2の発現量が上昇した。

3)DMNラットから単離したHSCでは、エンドセリン刺激によりCPI-17(Thr38)やMYPT1(Thr853)のリン酸化が惹起され、これらのリン酸化はそれぞれRo-31-8425やY-27632の前処置で阻害された。エンドセリン刺激によりMLC(Thr18/Ser19)のリン酸化が惹起され、このリン酸化はRo-31-8425やY-27632の前処置で阻害された。

以上の結果から、in vitroで活性化したHSC同様に、in vivoで活性化したHSCにおいても、Ca2+感受性を増加させる収縮力増加機構が存在することが明らかとなった。

【考察】

本研究では、in vitro及びin vivoで活性化したHSCでは収縮蛋白質α-SMA、MLCやMHCのみならず、収縮を制御するMLCK、CPI-17やROCK2の発現が増加する知見を得た。さらに、in vitroで活性化したHSCだけでなく、in vivoで活性化したHSCにおいても、エンドセリン刺激によるCa2+依存的収縮機構に加え、CPI-17やMYPT1によるCa2+感受性増加機構が亢進することが明らかとなった。これらの結果から、肝硬変時にCa2+感受性の増加した活性化型HSCが肝内抵抗とそれに続く門脈圧を上昇させる可能性が示唆された。本研究はHSCにおける収縮機構を俯瞰的に解析した初めての研究であり、活性化型HSCの収縮制御機構を標的とした新規肝硬変治療薬開発の基盤になるものだと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

我が国では、肝硬変患者は40万人程度おり、年間死亡者数は1万6000人もいる。今後も肝硬変死亡者数の増加が予想されるにもかかわらず、現在、根治的な肝硬変治療法は無いため、その詳細な病態機序の早期解明と治療薬の開発は急務である。現在のところ、肝星細胞(HSC)の活性化に伴うコラーゲンの分泌亢進及び肝臓内圧の上昇を経て肝硬変や門脈圧亢進症が発症すると考えられている。HSCは類洞周囲腔に存在し平常時は静止型を示す。肝臓に炎症が起こると静止型HSCは活性化型へと形質変換し、α-smooth muscle actin(α-SMA)の発現を増加させ収縮能を増強させる。活性化型HSCの過度な収縮が惹起する類洞の狭窄は、肝臓内の循環障害を引き起こし肝硬変や門脈圧亢進症へ至ると考えられている。収縮機構の研究が盛んな平滑筋細胞では、Ca2+依存的収縮機構(細胞内Ca2+濃度上昇を伴ったミオシン軽鎖リン酸化酵素(MLCK)によるミオシン軽鎖(MLC)のリン酸化)及びCa2+感受性増加機構(PKC/CPI-17とROCK/MYPT1を介したMLCのリン酸化)を介した収縮調節機構が知られている。活性化型HSCの収縮機構は平滑筋細胞のそれと類似することが想定されるが、HSCの収縮機構についての報告はあまり多くない。

本研究は、肝硬変時のHSCの収縮機構を明らかにするために、HSCの活性化に伴う収縮関連蛋白質の発現変動を解析し、特にCa2+感受性増加機構に着目したHSCの収縮機構の全貌を解明することを目的とした。

実験成績

1.in vitroでの活性化に伴うHSCの収縮蛋白質の発現変動

活性化の指標となるα-SMAの発現上昇が観察されたHSCにおいて、MLC、ミオシン重鎖(MHC)、MLCK、CPI-17、ROCK2の発現量の増加も観察された。in vitro におけるHSCの活性化に伴い、Ca2+依存的収縮機構を促進するMLCKとCa2+感受性増加機構を促進するCPI-17やROCK2の発現量が上昇したことから、活性化型HSCではこれら2つの経路を介した収縮機構が想定された。

2.in vitroでの活性化したHSCにおける収縮機構

Ca2+依存的収縮機構:エンドセリンの濃度依存的な細胞内Ca2+濃度上昇が確認された。In vitroによるHSCの活性化に伴い、エンドセリン刺激に対する細胞内Ca2+濃度反応性の増加が観察された。エンドセリン刺激によりMLC(Thr18/Ser19)のリン酸化が引き起こされ、そのリン酸化はMLCK阻害剤ML-7の前処置によって阻害された。

Ca2+感受性増加機構:エンドセリン濃度及び時間依存的にCPI-17(Thr38)のリン酸化が引き起こされ、そのリン酸化はPKC 阻害剤Ro-31-8425やROCK 阻害剤Y-27632の前処置によって阻害された。エンドセリン濃度及び時間依存的にMYPT1(Thr853)のリン酸化は引き起こされ、そのリン酸化はY-27632の前処置によって阻害された。エンドセリン濃度及び時間依存的にMLCのリン酸化が惹起され、そのリン酸化はRo-31-8425やY-27632の前処置により減少した。MLCのリン酸化は両者の同時前処置によってさらに抑制されたが、完全には消失しなかった。しかし、ML-7、Ro-31-8425、Y-27632の3つの阻害剤の同時前処置によってMLCのリン酸化は完全に消失した。in vitroで活性化したHSCでは、エンドセリンがCa2+依存的なMLCのリン酸化を惹起すること、さらにCPI-17やMYPT1のリン酸化を介してMLCのリン酸化を持続させた。以上の結果、Ca2+依存的収縮機構に加え、HSCにおけるCa2+感受性増加機構の詳細が明らかとなった。

3. 肝硬変モデルラットを用いたHSCの収縮能活性化

肝硬変動物モデルラットから単離したHSCでは、陰性対照のラットから単離したそれに比べて、α-SMAのみならず、MLC、MHC、MLCK、CPI-17、ROCK2の発現量が増加した。肝硬変動物モデルラットから単離したHSCでは、エンドセリン刺激によりCPI-17やMYPT1のリン酸化が惹起され、これらのリン酸化はそれぞれPKC阻害剤Ro-31-8425やROCK阻害剤Y-27632の前処置で阻害された。また、エンドセリン刺激によりMLCのリン酸化が惹起され、このリン酸化はRo-31-8425やY-27632の前処置で阻害された。in vitroで活性化したHSC同様に、in vivoで活性化したHSCにおいても、Ca2+感受性を増加させる収縮力増加機構の存在が明らかになった。

以上を要約すると、本研究では、in vitro及びin vivoで活性化したHSCにおいて、収縮蛋白質α-SMA、MLC、MHCや収縮を制御するMLCK、CPI-17、ROCK2の発現増加のみならず、エンドセリン刺激によるCPI-17やMYPT1を介したCa2+感受性増加機構が明らかとなった。肝硬変時にはCa2+感受性の増加した活性化型HSCが肝内抵抗や門脈圧を上昇させるものと考えられる。この様に本研究は、HSCの収縮機構およびその病態変化を解明したものであり、学術上寄与するところは少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。

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