学位論文要旨



No 125889
著者(漢字) 小林,郷介
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,キョウスケ
標題(和) 熱帯熱マラリア原虫メロゾイトの赤血球侵入における分子間相互作用の解析
標題(洋) Analysis of the Molecular Interactions during the Erythrocyte Invasion by Plasmodium falciparum Merozoites
報告番号 125889
報告番号 甲25889
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3589号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 准教授 松本,芳嗣
 東京大学 准教授 松本,安喜
 日本大学 教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

多くのアピコンプレクサ門原虫が家畜に病害をもたらすことが知られている(アイメリア原虫、イソスポラ原虫、トキソプラズマ原虫、サルコシステイス原虫、クリプトスポリジウム原虫、ロイコチトゾーン原虫、マラリア原虫、バベシア原虫、タイレリア原虫、ネオスポラ原虫など)。これらの原虫の増殖には「宿主細胞への侵入」が不可欠であり、これを阻害する薬剤の開発は原虫感染症の予防、治療において極めて有効と考えられる。しかしながら、これら原虫の侵入に関する研究は進んでおらず、薬剤開発に必要な情報は乏しい。一方で、ヒトに重篤な疾患を引き起こすマラリア原虫の侵入に関しては、他の原虫に比べ解析が進んでいる。したがって、第一章では熱帯熱マラリア原虫Plasmodium falciparumをモデルとして、他の原虫にも応用可能な「宿主細胞への侵入を解析する手法」の開発を目指した。その結果、P.falciparumメロゾイトの侵入関連蛋白質の一つであるBAEBLの結合因子としてヘパラン硫酸プロテオグリカン(HSPG)の一種を見出した。第二章では、これら二つの因子の相互作用や、メロゾイトの赤血球侵入における血球表面ヘパラン硫酸(HS)の重要性について詳細な解析を行った。また、HSの類似化合物であるヘパリンがメロゾイトの侵入を強力にブロックする点に着目し、第三章では、ヘパリンによるメロゾイト侵入阻害メカニズムの解明を目指した。

各章の要約は以下の通りである。

第一章:レトロウイルスベクターを用いたレセプタースクリーニングはウイルス学や、細胞生物学の分野ですでに応用されている。この手法を細胞内寄生型原虫の宿主細胞レセプターのスクリーニングに応用する際には幾つかの難点があるが、従来法を改良することで応用を試みた。原虫のリガンド分子を、Fc融合型の可溶性組換え蛋白質として任意の発現系で作製し、様々な細胞との結合をフローサイトメトリーにて検索する。結合する細胞はレセプターを発現しており、結合しない細胞には発現していないと考え、前者から作製したcDNAライブラリーを、レトロウイルスベクターによって後者へ導入する。この結果、導入細胞群中に一定の割合でレセプターを発現する細胞が生じるため、これをパニング法にて分離・培養し、導入された遺伝子の配列を基にレセプター候補を同定する。この手法により、熱帯熱マラリア原虫メロゾイトの赤血球侵入リガンド分子BAEBLのレセプター候補としてHSPGの一種glypican1を同定することができた。このことから本法によって、原虫の宿主細胞レセプターを効率的にスクリーニングできることが示された。

第二章:熱帯熱マラリア原虫の病原性や生存において赤血球侵入は不可欠であり、この過程はDuffiY binding-like(DBL)ファミリーに属する原虫の分子によって媒介される。このうちBAEBLと呼ばれる分子はメロゾイト侵入時に赤血球膜とのジャンクション形成に関わる分子とされ、現在までにglycophorin Cがシアル酸依存型レセプターとして提唱されていた。したがって、第一章で見出したHSPGとの結合がもつ意義について検証する必要性がある。本章ではBAEBLの赤血球結合におけるHSおよびシアル酸の重要性を検証するべく、同分子の可溶性組換え体を作製し、酵素処理した赤血球に対する結合を調べた。その結果、BAEBLは赤血球表面のシァル酸およびHS双方に結合するものの、シアル酸は結合に不可欠な因子であるのに対し、HSは結合効率にのみ影響を与えていることから、前者の重要性が示された。また、HSの類似化合物であるヘパリンを添加するとBAEBLの赤血球結合が阻害されることも明らかとなった。メロゾイト侵入においても、赤血球表面のHSが侵入効率に影響しており、ヘパリンの添加によって侵入が阻害されるなど、結合試験と酷似する結果を示した。さらに、BAEBLのアミノ酸配列中に予測された5か所のヘパリン結合モチーフのうち2か所が、赤血球結合において極めて重要な役割を担うことが、モチーフ欠損型BAEBLを用いた解析により見出された。この結果は、同モチーフがシアル酸とHSPGの両者との結合に関わっている可能性や、ヘパリンがモチーフをブロックすることでBAEBLの赤血球結合阻害が起こる可能性などを示唆している。

第三章:BAEBLがHSやヘパリンと相互作用し、それが赤血球との結合を阻害するという第二章の結果は、これらの陰イオン性糖類がメロゾイトの侵入を阻害するという、既知の現象を説明する一端となる可能性を持っている。しかしながら、BAEBLを介した侵入経路が、複雑なメロゾイト侵入経路の一部に過ぎない点を考慮すると、他にもヘパリンなどの糖類の影響を受ける侵入経路が存在すると考えるのが妥当である。したがって本章では、ヘパリンがいかにしてメロゾイト侵入を阻害するのかを明らかにするべく、メロゾイト侵入に関わる様々な分子の赤血球結合に対するヘパリンの影響を調べた。その結果、虫体由来の様々な分子がヘパリンと結合し、そのうち赤血球結合性分子のほとんどがヘパリンと結合する可能性が示された。また、メロゾイトの表面には、ヘパリンと結合する因子が存在することも示された。メロゾイト侵入の全貌は未だ明らかにされていないが、現在までに関与が示唆されている複数の分子の赤血球結合が、ヘパリンによって阻害された。これらの結果は、メロゾイト侵入を媒介する複数の経路が、ヘパリンにより同時に遮断されることで、侵入阻害が引き起こされる可能性を示唆しており、ヘパリンの構造を元にしたメロゾイト侵入阻害薬の開発へつながる成果と言える。

本研究により、赤血球表面に存在するHSPGがメロゾイトの侵入効率に寄与することや、ヘパリンやHSなどの一部の陰イオン性糖類が、メロゾイト表面に発現している複数のリガンド分子の赤血球結合を阻害することで、メロゾイトの侵入阻害が引き起こされる可能性が示された。侵入阻害の全貌を明らかにするには、メロゾイト侵入に関わる分子メカニズムのさらなる解析が必要になると考えられるが、一つひとつの分子に着目して解析を進めていく従来の研究手法では、真に重要な侵入経路を明らかにすることは困難な様にも思われる。その点ヘパリンはメロゾイト侵入をほぼ完全に阻害する数少ない化合物であり、この阻害機序を明らかにすることは、抗マラリア薬開発の重要な情報を提供するのみならず、複雑な侵入メカニズムの理解にも寄与するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

多くのアピコンプレクサ門原虫が家畜に病害をもたらすことが知られている(アイメリア原虫、イソスポラ原虫、トキソプラズマ原虫、サルコシスティス原虫、クリプトスポリジウム原虫、ロイコチトゾーン原虫、マラリア原虫、バベシア原虫、タイレリア原虫、ネオスポラ原虫など)。これらの原虫の増殖には「宿主細胞への侵入」が不可欠であり、これを阻害する薬剤の開発は原虫感染症の予防、治療において極めて有効と考えられる。しかしながら、これら原虫の侵入に関する研究は進んでおらず、薬剤開発に必要な情報は乏しい。一方で、ヒトに重篤な疾患を引き起こすマラリア原虫の侵入に関しては、他の原虫に比べ解析が進んでいる。したがって、侵入現象を理解することを目的として、マラリア原虫を用いた解析を試みた。

熱帯熱マラリア原虫の病原性や生存において赤血球侵入は不可欠であり、この過程はDuffy binding-like (DBL)ファミリーに属する原虫の分子などによって媒介される。このうちBAEBLと呼ばれる分子はメロゾイト侵入時に赤血球膜とのジャンクション形成に関わる分子とされ、現在までにglycophorin Cがシアル酸依存型レセプターとして提唱されていた。しかしその後、シアル酸非依存型レセプターの存在も示唆されるようになり、本分子の赤血球結合様式に関して諸説入り乱れる状況であった。したがって、本研究はBAEBLのレセプターを探すことを目的として着手された。

第1章では熱帯熱マラリア原虫Plasmodium falciparumをモデルとして、他の原虫にも応用可能な「宿主細胞への侵入を解析する手法」の開発を目指した。レトロウイルスベクターを用いたレセプタースクリーニングはウイルス学などの分野ですでに応用されているが、細胞内寄生型原虫の宿主細胞レセプターのスクリーニングに応用する際には幾つかの難点がある。したがって、従来法を改良することで応用を試みた。その結果、BAEBLの結合因子としてヘパラン硫酸プロテオグリカン(HSPG)の一種を見出した。このことから本法によって、原虫の宿主細胞レセプターを効率的にスクリーニングできることが示された。

第2章では、BAEBLとヘパラン硫酸(HS)の相互作用や、メロゾイトの赤血球侵入における血球表面HSの重要性について詳細な解析を行った。その結果、BAEBLは赤血球表面のシアル酸およびHS双方に結合するものの、シアル酸は結合に不可欠な因子であるのに対し、HSは結合効率にのみ影響を与えていることから、前者の重要性が示された。また、HSの類似化合物であるヘパリンを添加するとBAEBLの赤血球結合が阻害されることも明らかとなった。メロゾイト侵入においても、赤血球表面のHSが侵入効率に影響しており、ヘパリンの添加によって侵入が阻害されるなど、結合試験と酷似する結果を示した。さらに、BAEBLのアミノ酸配列中に予測された5か所のヘパリン結合モチーフのうち2か所が、赤血球結合において極めて重要な役割を担うことが、モチーフ欠損型BAEBLを用いた解析により見出された。この結果は、同モチーフがシアル酸とHSPGの両者との結合に関わっている可能性や、ヘパリンがモチーフをブロックすることでBAEBLの赤血球結合阻害が起こる可能性などを示唆している。

第3章では、ヘパリンがメロゾイトの侵入を強力にブロックする点に着目し、ヘパリンによるメロゾイト侵入阻害メカニズムの解明を目指した。その結果、虫体由来の様々な分子がヘパリンと結合し、そのうち赤血球結合性分子のほとんどがヘパリンと結合する可能性が示された。また、メロゾイトの表面には、ヘパリンと結合する因子が存在することも示された。さらに、メロゾイト侵入に関わる3つの分子EBA-175、BAEBL、EBL-1の赤血球結合がヘパリンによって阻害されることも示した。これらの結果は、メロゾイト侵入を媒介する複数の経路が、ヘパリンにより同時に遮断されることで、侵入阻害が引き起こされる可能性を示唆しており、ヘパリンの構造を元にしたメロゾイト侵入阻害薬の開発へつながる成果と言える。

以上本論文は、様々な原虫に応用可能なレセプタースクリーニング系を確立し、熱帯熱マラリア原虫メロゾイトの赤血球侵入において、赤血球表面のHSPGが侵入効率に寄与することや、ヘパリンなどの糖類がメロゾイトの侵入阻害を引き起こすメカニズムの一端を明らかとしたもので、学術上獣医学のみならず、医学にも貢献することが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

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