学位論文要旨



No 125890
著者(漢字) 渡辺,俊平
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,シュンペイ
標題(和) 網羅的検出手法によるコウモリ保有ウイルスの疫学的研究
標題(洋) Epidemiological studies targeting viruses derived from bats using methods for virus species-independent detection
報告番号 125890
報告番号 甲25890
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3590号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 准教授 久和,茂
 東京大学 准教授 堀本,泰介
 日本大学 教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

1994年のヘンドラウイルスの出現を発端とし、ニパウイルス、エボラウイルスなど、コウモリは多くの人獣共通感染症ウイルスの宿主となることが近年報告されている。コウモリは約1000種とも言われており、哺乳類の中では、げつ歯類に続き第2位の多様性を有する一群である。また地球上のほぼ全域に分布することも知られ、自然環境中でウイルス保有宿主として果たす役割は大きいと推測される。それにも関わらず、コウモリとウイルスに関する科学的知見は少なく、その大部分が上記の新興感染症ウイルスや、コウモリの保有が従来から報告されている狂犬病ウイルスを標的とした疫学的知見に限られる。さらに先行研究の多くは、ウイルス流行後にウイルス感染症により被害を受けたヒトや家畜動物を対象としたものである。しかし新興感染症ウイルスは不意に出現するのではなく、本来は野生動物をレゼルボアとして以前より自然界に存在しているものである。従ってコウモリ由来ウイルスのリスクを正しく評価し、その評価に見合った現実的な予防策を講じるためにも、コウモリの保有病原体叢を積極的に調査し、流行の有無に関わらず知見を蓄積することが重要である。そのためには、標的ウイルスを限定しない系統だったコウモリの疫学調査が必要である。そこで著者は、コウモリにおいてウイルス種網羅的な疫学調査を試みた。

コウモリ保有ウイルスに対する疫学的研究が重要である一方で、これまでにコウモリが保有すると知られている既知のウイルス種は、僅か80程度に過ぎない。約1000種というコウモリの多様性を考えると、極端に少ないことがわかる。この事実は、今後も多くの未知ウイルスがコウモリから出現し、その一部にはヒトや動物に大きな危害を加えるウイルスが存在する可能性を示唆する。よってコウモリにおいて未知ウイルスを探索し、コウモリにおける疫学調査の対象そのものを拡大することが重要である。しかし、現在のウイルス診断法はウイルス特異的な遺伝子や抗体の検出など、既知ウイルスに対するものが標準的であり、未知ウイルスの探索を野外材料から効率的に行うことのできる手法はこれまでに報告がない。近年、ウイルス培養上清からダイレクトシークエンスにより網羅的にウイルス遺伝子の一部を決定する方法、RapiddeterminationsystemforviralRNAsequences(RDV)法が開発された。著者は、RDV法を改良することにより、野外材料からの効率的なウイルス探索法の開発を本研究で目指した。各章の要約は以下の通りである。

(第1章)

多検体処理や少量検体への応用性という観点からコウモリ血清調査に使用できるELISA系の確立を試みた。ウイルス抗原を補足したプレートに、一次血清としてコウモリ血清を、二次血清にビオチン化抗コウモリIgG免疫血清を加えるコンベンショナルなELISA系を採用した。同系は、抗原のみを換えることで多様なウイルスについてコウモリからの抗体検出が可能な利便性の高い手法である。ELISA系のモデルとして、日本でコウモリから分離された数少ないウイルスであるヨコセウイルス(フラビウイルス属)を選び、コウモリ血中のヨコセウイルス抗体を検出するELISAを確立した。フィリピンおよびマレーシアで採取された検体を利用してELISAによる抗体調査を行った結果、フィリピン1個体(2.8%)、マレーシア5個体(19.2%)がELISAで陽性であった。ヨコセウイルスの病原性についてはこれまでに検討がなされていなかったため、食果コウモリを用いた感染実験を行った。しかし、臨床症状は確認されず、ウイルスの増殖も確認できなかった。ヨコセウイルスは食果コウモリに感染したとしても素早くクリアされ、病原性を持たないことを示した

(第2章)

2003年のSARSコロナウイルスの流行以後、同ウイルスの自然界における保有宿主が探索され、その過程でコウモリから多くのコロナウイルス(CoV)遺伝子が新たに検出された。ウイルスの出現に関与する宿主としてコウモリが注目されている。そこでフィリピンで捕獲の52頭のコウモリについて、CoV遺伝子検出を試みた。CoV汎用プライマ一を用いてRT-PCRを行った所、26の腸管検体においてウイルスRNAを検出した。得られた遺伝子配列から、グループ1および2の2種のCoV様配列の存在が示された。動物園より分与された食果コウモリ(デマレルーセットオオコウモリ)にグループ2CoVRNAを含む腸組織の実験的経口投与を行った所、臨床症状を示さなかったが、腸管におけるコロナウイルスの増殖が示唆された。しかし、腸組織を用いたコウモリ継代実験では、ウイルス増殖を示す結果は得られず、デマレルーセットコウモリにおけるウイルス増殖は一過性である可能性が示された。

(第3章)

RDV法は、大臣確認の組換え申請を要する未知配列のクローニングなしにウイルス配列の一部を網羅的に検出可能な手法であり、未知ウイルスの同定に有用である。よってコウモリから新規ウイルスを探索するため、RDV法の応用を考えた。しかしウイルス検出の有無を最終判定するのに1検体につき65,536通りもの煩雑なPCR反応を必要とするため、同手法をそのまま野外検体に応用することは困難であった。そこでアダプターを付与して行う2次遺伝子ライブラリーの作成法を改良し、使用するアダプターを1種類から2種類に変更した。その結果、1検体につき計256通りのPCR反応によって検出が可能となった。

(第4章)

RDV法において2次遺伝子ライブラリーの作成法をさらに最適化した結果、1検体につき計64通りのPCR反応によりウイルス遺伝子の検出が可能となった。この簡便法を用いて、日本でユビナガコウモリより分離されたウイルスの同定を行った。その結果、βヘルペスウイルス亜科に属するtupaiidherpesvirus1に相同性を示すウイルス様遺伝子断片を得た。ウイルスのgB遺伝子配列を決定した結果、新規のβヘルペスウイルス遺伝子であることが示された。

(第5章)

フィリピンで採取された46のコウモリ脾臓検体から核酸を抽出し、汎用プライマーを用いてヘルペスウイルス遺伝子の検出を行った。その結果、1頭のカグラコウモリからPCR増幅を検出した。しかし、同プライマーは高度にdegenerateな混合塩基配列を有し、ダイレクトシークエンスによる塩基配列の決定は困難であった。そのためPCR増幅産物を制限酵素処理しアダプターを付加後、RDV法を適用し塩基配列を決定した。決定配列を基に設計した配列特異的プライマーと汎用プライマーを併用することでダイレトシークエンスによる塩基配列の決定を行った。gBおよびDNApolymeraseの部分配列より、検出された遺伝子が新規のγヘルペスウイルス遺伝子であることが示された。

(第6章)

RDV法には、検査対象が培養上清に限られるという制約がある。これは、動物組織中には多量の宿主リボソームRNAおよび宿主ゲノムが混入しているため、網羅的な遺伝子増幅の際にウイルス核酸の増幅が阻害されるためである。そこで第2の改良として、動物由来組織からの直接的なRNAウイルスの網羅的検出法の開発を試みた。核酸分解酵素を用いてウイルス粒子外の核酸のみを選択的に分解する技術とタグ配列を有するランダムプライマーを用いた核酸増幅技術を組み合わせることにより、細胞由来核酸を排除しながら選択的にウイルス由来配列を検出することが可能となった。改良法を用いて、コロナウイルスRNAを含む野外コウモリの腸管からウイルス遺伝子の検出に成功した。以上のRDV法の改良に加えて、本章ではIFN系シグナルを指標とした、培養細胞におけるウイルス感染細胞の新しいスクリーニング法の検討を行った。検討の結果、VeroE6細胞においてViperin等のmRNA発現量を指標とすることでウイルス感染細胞を細胞変性効果に頼らずにスクリーニングできることを示した。

以上のようにELISAによる抗体検出やウイルス特異的な遺伝子検出を利用して、ヨコセウイルスやコロナウイルスといった既知のコウモリ由来ウイルスの野外コウモリにおける保有状況を調査した。これらのウイルスについては、飼育食果コウモリを用いて実験感染による病原性の検討も同時に行った。調査地や検討するコウモリ種を変えて今後もこうした研究を持続的に実施することにより、自然界におけるコウモリ由来ウイルスの生態解明に結びつくと考える。さらに網羅的ウイルス遺伝子検出法であるRDV法を野外検体に応用することで、2種の新規ヘルペスウイルス遺伝子の検出に成功した。発見された新規ウイルスについても今後調査の対象としていきたい。RDV法は、方法に煩雑な手順を含み、検査対象が培養上清に限られるため野外調査への使用には限界があったが、本研究において開発された動物組織をも検査対象とし得る簡便な改良法を用いることにより野外調査への応用が現実的となった。ウイルス培養の可否に関わらず、改良RDV法は動物由来感染症の原因ウイルスの同定に広く応用可能である。さらに本研究で検討した、細胞培養系でのウイルス感染細胞スクリーニング法を組み合わせることにより、ウイルス分離において細胞変性効果に頼らずにウイルスの増幅を検出することが可能となり、続けて改良RDV法を用いることで、野外材料から新規ウイルスの探索を効率的に行い得ると考えられる。この結果、コウモリの保有病原体叢の全貌が明らかになることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

近年、多くの人獣共通感染症ウイルスの宿主としてコウモリが注目されている。その一方で、コウモリとウイルスに関する科学的知見は少ないのが現状である。よってコウモリ由来ウイルスのリスクを正しく評価し、その評価に見合った現実的な予防策を講じるためにも、コウモリの保有病原体叢を積極的に調査し、流行の有無に関わらず知見を蓄積することが重要である。

一方、コウモリ由来ウイルスの疫学的研究が重要であるにもかかわらず、これまでにコウモリが保有すると報告されている既知のウイルス種は僅か80程度で、約1,000種を数えるコウモリ種数から考えると極端に少ない。この事実は、今後も多くの未知ウイルスがコウモリから出現し、その一部にはヒトや動物に大きな危害を加えるウイルスが存在する可能性を示唆する。即ち、コウモリにおける未知ウイルスの探索および病原体の疫学調査が重要である。しかし、現在のウイルス診断法はウイルス特異的な遺伝子や抗体の検出など、既知ウイルスに対するものであり、未知ウイルスの探索を野外材料から効率的に行うことのできる手法はこれまでに報告がない。近年、ウイルス培養上清からダイレクトシークエンスにより網羅的にウイルス遺伝子の一部を決定する方法、Rapid determination system for viral RNA sequences(RDV)法が開発された。そこで本研究では、RDV法を改良することによる野外材料からの効率的なウイルス探索法の開発を目指した。

第1章および第2章においては、ELISAによる抗体検出やウイルス特異的な遺伝子検出の手法を確立するため、野外コウモリにおけるヨコセウイルスやコロナウイルスといった既知のコウモリ由来ウイルス保有状況を調査した。これらのウイルスについては、飼育食果コウモリを用いて実験感染による病原性の検討も同時に行った。抗体および遺伝子検出手法を確立することが出来た。また、ヨコセウイルスやコロナウイルスの食果コウモリに対する感染性に関する知見が得られた。調査地や検討するコウモリ種を変え、今後もこうした研究を持続的に実施することにより、自然界におけるコウモリ由来ウイルスの生態解明に結びつくと考える。

第3章において、RDV法の改良を行うことにより、大幅な手法の簡便化を図ることが可能となった。第4章でさらに改良を重ね、野外検体に応用することにより、日本のユビナガコウモリから新規のβヘルペスウイルス遺伝子を検出した。さらに第5章ではフィリピンで採取されたコウモリから、新規のγヘルペスウイルス遺伝子の検出に成功した。

第6章においては、全く新しい概念によるRDV法の開発を行った。RDV法には、検査対象が培養上清に限られるという制約がある。そこで動物由来組織からの直接的なRNAウイルスの網羅的検出法の開発を試みた。核酸分解酵素を用いてウイルス粒子外の核酸のみを選択的に分解する技術とタグ配列を有するランダムプライマーを用いた核酸増幅技術を組み合わせることにより、細胞由来核酸を排除しながら選択的にウイルス由来配列を検出することが可能となった。改良法を用いて、コロナウイルスRNAを含むコウモリの腸管からウイルス遺伝子の検出に成功した。

以上のようにRDV法は方法に煩雑な手順を含み、検査対象が培養上清に限られるため野外調査への使用には限界があった。しかし、本研究において開発された動物組織をも検査対象とし得る簡便な改良法を用いることにより野外調査への応用が現実的となった。ウイルス培養の可否に関わらず、改良RDV法は動物由来感染症の原因ウイルスの同定に広く応用可能である。従って改良RDV法を用いることで、野外材料から新規ウイルスの探索を効率的に行い得ると考えられる。この結果、コウモリの保有病原体叢の全貌が明らかになることが期待される。

以上本論文は、疫学的研究により自然界におけるコウモリ保有ウイルスの生態の一端を明らかとし、加えて、コウモリを含むあらゆる動物種から未知のウイルスを効率的に検出可能な新しい手法の開発を行ったものである。従って、本研究により得られた知見は、獣医学術上また公衆衛生上、大変貴重である。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク