学位論文要旨



No 125896
著者(漢字) ムカワ,ロブナ
著者(英字) Mkaouar,Lobna
著者(カナ) ムカワ,ロブナ
標題(和) 犬の乳腺腫瘍におけるNF-κBの活性化あるいは抑制と悪性度との関連に関する研究
標題(洋) Study on NF-κB activity and its relation to malignancy of canine mammary gland tumors
報告番号 125896
報告番号 甲25896
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3596号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 西村,亮平
 東京大学 准教授 望月,学
内容要旨 要旨を表示する

乳腺腫瘍は雌の犬で最も多くみられる腫瘍であり、雌犬に発生する全腫瘍の約半数を占める。犬の乳腺腫瘍は組織学的に良性腫瘍である乳腺腫と良性混合腫瘍および悪性腫瘍である乳腺癌と悪性混合腫瘍に大別され、全体の約50%が悪性腫瘍であると報告されている。良性腫瘍においてはその予後は良好とされているが、悪性腫瘍においては局所リンパ節への転移だけでなく,肺、肝臓、腎臓などへの遠隔転移もみられ、これらが予後不良の最も大きた原因である。

Nuclear factor-kappa B(NF-kB)は炎症反応や細胞の生存や増殖などの様々な生理現象に関与する転写因子であり、ほとんど全ての細胞においてその発現がみられる。NF-kBはInhibitor kB(I-kB)の結合により活性が抑制されている状態では細胞質に存在する。TNF-alphaなど種々の細胞刺激で活性化したI-kB Kinase(IKK)によってI-kB-alphaはリン酸化されプロテアソームによる分解を受ける。I-kBとの結合が解除されたNF-kBは核内へと移行し、核内にて様々な標的遺伝子の転写活性化を起こす。NF-kB活性の制御異常は様々な慢性の炎症性疾患などにおいて報告されている。また腫瘍性疾患においてもNF-kBは重要な働きを示すが、特に悪性腫瘍においてNF-kBの恒常的な活性化が報告されており、癌化や腫瘍の悪性化への関与が示唆されている。

そこで本研究では犬乳腺腫瘍におけるNF-kB活性化の意義を明らかにすることを目的とし、犬乳腺腫瘍細胞株を用いたマウス移植モデルと犬乳腺腫瘍自然発症例におけるNF-kB活性化および腫瘍動態や臨床データとの関連を評価した。またその関連性を確認するためにNF-kB阻害剤を用いた実験も行った。

犬乳腺腫瘍におけるNF-kB活性化とその腫瘍動態との関連を評価するために、まCHMp-5b株と悪性度の低いCHMp-13a株をそれぞれヌードマウスに移植し、移植後2,4,6週に安楽殺を行い、原発巣および諸臓器を採材した。Ki-67、NF-kB、cyclin D1に対する免疫染色を行いその結果を両細胞株移植群で比較してみたところ、ほぼ全ての週においてCHMp-5b株移植群での核内におけるKi-67とNF-kBのより強い発現がみられ、CHMp-5b移植群の原発巣ではNF-kBの活性化の亢進していることが示唆された。またcyclin D1は移植後初期においてはCHMP-13a株移植群でより強い発現がみられたが経時的に徐々に発現は低下し、最終週では逆に経時的に発現が増強していったCHMp-5b株移植群のほうがより強い発現を示した。リンパ節転移はCHMp・5b株移植群においては第4週には全てのマウスで、また肺転移は第6週に3頭中2頭でみられたが、CHMp-13a株移植群ではリンパ節転移が第6週の6頭中2頭でみられるのみで肺転移はいずれのマウスでもみられなかった。CHMp-5b株移植群とCHM-3a株移植群ではマウス内での腫瘍動態に差異がみられ、CHMp-5b株移植群においてみられる腫瘍の悪性挙動はNF-kBの活性化が関連している可能性が示唆された。

また実際の犬乳腺腫瘍自然発症例における検討では自然発症の犬乳腺腫瘍症例から外科的に切除された48組織を用い評価を行った。これら組織において免疫染色により評価したNF-kBおよびcyclin D1の核内における発現率と分裂指数(MI)を、それぞれの病理組織型により比較検討した。NF-kB活性は乳腺癌(17.9±14.2%)において乳腺腫(1.7±1.5%)、良性混合腫瘍(1.8±2.9%)、乳腺過形成(3.8±3.0%)と比較して有意に高い結果が得られた。またNF-kB活性とMIには有意な相関(r=0.459,p=0.001)がみられ、乳腺癌組織と他の組織型との間に有意な差がみられた(p<O.05)。しかしながらcyclin D1の発現は4群間で有意な差異はみられなかった。NF-kB活性は腫瘍サイズ(r=0.483,p=0.001)、リンパ節転移(r=0.308,p=0.033)と有意な相関がみられた一方で、遠隔転移との有意な相関はみられなかった(r=0.217,p=0.181)。また生存期間とNF-kB活性との関連を解析したところ、NF-kB活性の高い症例では有意に生存期間が短いことがわかった(p<0.01)。

これらマウス移植モデルと臨床例の解析から示唆された犬乳腺腫瘍におけるNF-kB活性化と腫瘍の悪性度や転移予後との関連を確認するために、NF-kB阻害剤を用いNF-kBの抑制による腫瘍動態の変化を評価した。阻害剤はNF-kB特異的阻害剤であるBAY11-7082(BAY)(E)3-[(4-methylphenyl)-sulfonyl]-2-propenenitrileと、化学予防効果を持ちNF-kBに対しても阻害効果を持つクルクミンの2種類の阻害剤を用い、犬乳腺腫瘍細胞株はCHMp-5b株を用いた。In vitroの阻害実験ではCHMp-5b細胞を0,1,2,4microG/mlのBAYを添加した培養液にて1,6,24時間培養し、Western blot法にてこれらの細胞におけるタンパク発現の変化を解析した。BAY2および4microG/ml添加下で6時間培養した細胞において、p-IkB,Bcl-2,cyclin D1の顕著な発現減少がみられ、I-kBに対するリン酸化減少とそれによるNF-kB活性の抑制効果が確認された。生体内でのNF-kB活性の抑制効果とそれに伴う腫瘍動態の変化の評価にはマウス移植モデルを用いた。CHMp-5b株をヌードマウスの乳腺部皮下脂肪へ移植し一日おきにBAY(6mg/kg)め腹腔内投与を行ったが、NF-kBの活性はBAY投与群の原発巣(4.4%)では対照群(17.1%)と比較して有意に低くNF-kB活性の抑制が確認された。またBAY投与群では対照群と比較して原発巣の腫瘍増殖は遅く、肺転移も少ない結果となった。

同様にマウス移植モデルにおけるNF-kB阻害実験をクルクミンを用いて行った。クルクミンはCureuma longaから抽出されるポリフェノールの一種であり、NF-kBとそれにより転写調節を受ける因子を抑制することで、細胞の形質変化や腫瘍発生、血管新生、浸潤転移を抑えることが知られている物質である。CHMp-5b細胞を移植したヌードマウスに2%クルクミン含有食を自由給餌した場合のNF-kB活性の阻害とその抗腫瘍効果を評価した。クルクミンを経口摂取したマウスでは対照群(11.4%)と比較して有意に低いNF-kB活性(3.1%)を示した。クルクミン給餌群では腫瘍の増殖が遅く、NF-kB活性の阻害との関連が示唆された。また肺転移を起こしたマウスの数についてもクルクミン給餌群では対照群よりも少ない結果となった。これらの阻害実験からNF-kBの活性化がCHMp-5b株における増殖や転移予後の悪性化に関与しており阻害剤によりその悪性度を低下させることが可能であることが示された。これは犬乳腺腫瘍の悪性化にNF-kBの活性化が関与しておりNF-kB阻害剤が本腫瘍に対して抗腫瘍効果を持つ新たな治療法につながる可能性を示唆するものと考えられた。

以上のように本研究では犬乳腺腫瘍におけるNF-kB活性化の意義を検討することを目的とし、犬乳腺腫瘍におけるNF-kB活性化と腫瘍動態との関連を検討した。その結果、犬乳腺腫瘍細胞株を用いた免疫不全マウス移植モデルではNF-kB活性と腫瘍の増殖、リンパ節転移、遠隔転移との関連が示唆され、自然発症の腫瘍症例における解析ではNF-kB活性化がその組織型や転移予後と相関することが明らかとなった。これら犬乳腺腫瘍の悪性化とNF-kB活性化の関連を2種類のNF-kB阻害剤を用いた実験により確認するとともにマウス移植モデルにおけるこれら阻害剤の抗腫瘍効果を確認することができた。犬乳腺腫瘍は発生頻度の高い腫瘍であるが進行した症例における全身的治療は未だ確立されていない。本研究で明らかになったNF-kBの活性化と腫瘍の悪性度や予後との関連は新たな診断や予後指標の確立に繋がると考えられ、またその抗腫瘍効果は新たな治療法の開発に繋がるものと考えられる。また今後の研究においてはこうした臨床応用に向けた研究だけでなくNF-kB活性化により転写調節を受ける標的遺伝子の解析やNF-kB活性化を誘導する細胞刺激やそのメカニズムを解析していくことで犬乳腺腫瘍の悪性化とNF-kB活性の関連がより明らかになっていくものと考えられ、今後もさらなる研究を進めていく予定である。

審査要旨 要旨を表示する

乳腺腫瘍は雌犬で最も多くみられる腫瘍であり、雌犬に発生する全腫瘍の約半数を占めると言われている。犬乳腺腫瘍の約50%が悪性であり、局所リンパ節だけでなく肺、肝臓、腎臓などへの転移もみられる症例では一般に予後不良である。

Nuclear factor-kappa B(NF-kB)は炎症反応や細胞の生存や増殖などの様々な生理現象に関与する転写因子であり、ほとんど全ての細胞にその発現がみられる。NF-kBはInhibitor kB(IkB)との結合により活性が抑制された状態で細胞質に存在する。TNF-aなど種々の細胞刺激で活性化したIkB Kinase(IKK)によってIkB-aはリン酸化されプロテアソームにより分解される。IkBとの結合が解除されたNF-kBは核内へと移行し様々な標的遺伝子の転写活性化を起こす。また、NF-kBは様々な悪性腫瘍においてその恒常的な活性化が報告されており、癌化や腫瘍の悪性化への関与が示唆されている。

そこで本研究は犬乳腺腫瘍におけるNF-kB活性化の意義を明らかにすることを目的とし、犬乳腺腫瘍細胞株を用いたマウス移植モデルと犬乳腺腫瘍自然発症例におけるNF-kB活性化および腫瘍動態や臨床データとの関連を評価した。またその関連性を確認するためにNF-kB阻害剤を用いた実験も行った。

第一章では、本研究室において犬乳腺腫瘍自然発症例より樹立されたCHMp株からクローン化された悪性度の高いCHMp-5b株と悪性度の低いCHMp-13a株をそれぞれヌードマウスに移植し、移植後2, 4, 6週に安楽殺を行い原発巣および諸臓器を採材した。Ki-67、NF-kB、cyclin D1に対する免疫染色を行い、その結果を両移植群で比較したところ、全ての週においてCHMp-5b株移植群でその核内におけるKi-67とNF-kBのより強い発現がみられ、CHMp-5b移植群の原発巣ではNF-kBの活性化が亢進していることが示唆された。リンパ節転移および肺転移はいずれもCHMp-5b株移植群で多く、これらの悪性挙動はNF-kBの活性化が関連している可能性が示唆された。

第二章では、犬乳腺腫瘍自然発症例から得られた48腫瘍組織におけるこれらの発現を検討した。その結果、腫瘍の組織型における差異をみると、乳腺癌におけるNF-kB活性が、乳腺腫、良性混合腫瘍、乳腺過形成と比較して有意に高い結果が得られた。またNF-kB活性と分裂指数は有意な相関がみられた。しかしながらcyclin D1の発現は4群間で有意な差異はみられなかった。NF-kB活性は各症例の腫瘍サイズ、リンパ節転移と有意に相関しており、また生存期間はNF-kB活性の高い症例で有意に短いことがわかった。

第三章では、NF-kBの特異的阻害剤BAY 11-7082(BAY)を用い、NF-kBの抑制による影響をCHMp-5b細胞、ならびにその移植ヌードマウスモデルを用いて検討した。In vitroの実験では、CHMp-5b細胞を0, 1, 2, 4μg/mlのBAYを添加した培養液にて培養し、Western blot法にてこれらの細胞におけるタンパク発現の変化を解析した。その結果、p-IkB, Bcl-2, cyclin D1の顕著な発現減少がみられ、IkBに対するリン酸化減少によるNF-kB活性の抑制効果が確認された。ヌードマウスモデルでは、NF-kBの活性はBAY投与群の原発巣で対照群より有意に低く、NF-kB活性の抑制が確認された。またBAY投与群では対照群と比較して原発巣の腫瘍増殖は遅く、肺転移も少なかった。

第四章では、同様のヌードマウス移植モデルにおいてNF-kB阻害作用を持つクルクミンの効果を検討した。クルクミンはCurcuma longaから抽出されるポリフェノールの一種であり、NF-kBとそれにより転写調節を受ける因子を抑制することで、細胞の形質変化や腫瘍発生、血管新生、浸潤転移を抑えることが知られている。CHMp-5b細胞を移植したヌードマウスに2%クルクミン含有食を自由給餌した場合、対照群と比較して有意に低いNF-kB活性を示した。クルクミン給餌群では腫瘍の増殖が遅く、また肺転移を起こしたマウスの数もクルクミン給餌群では対照群よりも少なかった。これらの実験から、NF-kBの活性化がCHMp-5b株における増殖や転移、予後等の悪性化に関与しており、犬乳腺腫瘍の悪性化とNF-kBの活性化の関連が示された。

本研究は犬乳腺腫瘍とNF-kB活性化の関連を検討した初めての研究である。しかもNF-kB活性化は犬乳癌悪性度の有力な指標となること、およびその抑制は有力な治療法の開発に繋がることを証明したものであり。学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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