No | 125897 | |
著者(漢字) | 李,知恩 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | リ,ジーナ | |
標題(和) | 虚血環境における神経細胞のミトコンドリアDNA変異に関する研究 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 125897 | |
報告番号 | 甲25897 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(獣医学) | |
学位記番号 | 博農第3597号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 獣医学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 神経細胞はエネルギー要求度が非常に高く、そのエネルギー源としてグルコースのみが利用されている。また、肝臓や骨格筋細胞など他の組織とは異なりエネルギー保存能力に欠けることから、神経細胞が要求する要求量のグルコースを常時持続的に供給することが必要となる。また神経細胞は酸素への依存度が高く、中枢神経系疾患における神経細胞傷害では、虚血に代表される項目である酸素やグルコース供給の障害に基づいた発症機序や病態が注目され、検討されている。一方、ミトコンドリアDNA(mtDNA)は環状DNAで、生体のエネルギー産生系である酸化的リン酸化、ATP合成の電子伝達系サブユニットなどをコードしている。近年、ミトコンドリアDNAの転写や複製領域D-ループ(D-loop)の変異がアルツハイマー病など様々な疾患で認められ、動物でも加齢に伴った変異が報告されている。また、このD-loopの変異はミトコンドリア機能の低下をもたらし、神経細胞の生存ならびにその機能維持には mtDNAをintactに保持することが必要と考えられている。また、これまでmtDNAには核DNAとは異なり修復機構がないと考えられていたが、少なくとも塩基除去修復系は備わっていることが明らかとなっている。一方、ミトコンドリアは細胞内における最大のラジカル産生源で、mtDNAは核DNAに比較して傷害を受けやすく、アポトーシス経路の活性化による神経細胞死に関連すると考えられている。再生能に乏しい神経細胞の細胞死については、虚血・再還流による早期の細胞死の発現機序、すなわち細胞外のグルタミン酸過剰、細胞膜の過酸化、Ca2+ インフラックスなどが明らかになっているが、遅延性の細胞死についてはいまだ明らかでない。 そこで本研究ではmtDNA D-loopに着目し、虚血環境下における神経細胞のmtDNAの変異について、ラット海馬由来株化細胞(HV16-4)を用いて、第一章では虚血環境下に暴露した際のmtDNAの変異について、第二章では塩基除去修復系の鍵となるDNAポリメラーゼγの過酸化について、第三章ではグルタミン酸刺激によるHV16-4細胞の反応をCa2+ インフラックスを蛍光色素を用いる方法で、誘発電流の変化をパッチクランプ法により検討した。 第一章 虚血環境下におけるHV16-4細胞のmtDNA の変異 虚血条件下で培養したHV16-4細胞mtDNAについて検討した。すなわち、HV16-4細胞を2度サブクローニングして細胞の性質を均一化した後、虚血条件(2 % O2、10 % CO2、88 % N2)下で7日および14日間培養した。なお対照として通常の培養条件(5 % CO2、95 % air)下で培養したHV16-4細胞を用いた。また培養条件を変更する前のHV16-4細胞も検討した。 まず、これらの細胞からmtDNA Extraction CT Kitを用いてmtDNAを抽出した後、NCBI Entrez Nucleotide AC_000022に登録されたラットmtDNAに基づいて作成したプローブを用いてPCR法で増幅した。培養条件変更前のHV16-4細胞、通常の培養条件下ならびに虚血条件下で7日間ならびに14日間培養したHV16-4細胞から得られたPCR産物は、いずれも約1000 kbに単一のバンドとして観察された。得られたPCR産物を常法に従いクローニングし、その塩基配列を、NCBI Entrez Nucleotide AC_000022に登録されたラットmtDNAの塩基配列と比較検討した。培養条件変更前のHV16-4細胞(30クローン)では30クローン中3クローン(10.0 %)に一塩基置換が認められた。通常培養条件下7日目の細胞(72クローン:同一条件で3回実施、各24クローン)では72クローン中7クローン(9.7 %)(1回目2クローン、2回目2クローン、3回目3クローン)に一塩基置換が、培養14日目の細胞(84クローン:同一条件で3回実施、1回目と2回目は30クローン、3回目24クローン)では84クローン中6クローン(7.1 %)(1回目2クローン、2回目1クローン、3回目3クローン)に一塩基置換が認められた。一方、虚血条件下で培養した7日目のHV16-4細胞(78クローン:同一条件で3回実施、1回目30クローン、2回目と3回目は24クローン)では78クローン中37クローン(47.4 %)(1回目15クローン、2回目12クローン、3回目10クローン)に一塩基置換と一塩基欠失が、培養14日目の細胞(84クローン:同一条件で3回実施、1回目24クローン、2回目と3回目は30クローン)では84クローン中41クローン(48.8 %)(1回目15クローン、2回目11クローン、3回目15クローン)に一塩基置換と一塩基欠失が認められた。以上の結果から、HV16-4細胞は虚血条件下の培養で、mtDNA D-loopに高頻度に一塩基置換あるいは一塩基欠失の起こることが明らかとなった。 第二章 虚血環境下におけるHV16-4細胞のDNAポリメラーゼγの酸化 mtDNA修復能を低下させる、mtDNA修復機構の鍵であるDNAポリメラーゼγの酸化について検討した。また、活性酸素のトラップ剤である5'5-dimethyl -1- pyroline- N- oxide(DMPO)を最終濃度11.04 μM 添加時のミトコンドリアDNAポリメラーゼγの酸化についても検討した。DNAポリメラーゼγの酸化は、通常条件下、虚血条件下ならびに虚血条件下DMPO添加で培養したHv16-4細胞からミトコンドリアをQProteomeTMMitochondria Islation Kitを用いて分離し、SDSで外・内膜を破壌した後、抗ヒトDNAポリメラーゼγ抗体ならびにOxyBlotTM protein oxidation detection Kitを用いたウエスタンブロット法で解析した。また、免疫沈降による解析も加えた。 まず通常条件下、虚血条件下ならびに虚血条件下DMPO添加で3日間培養したHV16-4細胞のミトコンドリアタンパク質をOxyBlotで検討したところ、通常条件下で培養したHV16-4細胞に比較して多くのミトコンドリアタンパク質が酸化されていた。また、虚血条件下DMPO添加で培養した細胞では、酸化されたミトコンドリアタンパク質の濃度が有意に減少した。また、培養7日目、14日目の細胞でも同様の傾向が認められたが、14日目の虚血条件下DMPO添加で培養した細胞の酸化されたミトコンドリアタンパク質の濃度はDMPO不添加(虚血条件下)で培養したものと差は認められなかった DNAポリメラーゼγの酸化は、通常条件下、虚血条件下ならびに虚血条件下DMPO添加で培養したHV16-4細胞のミトコンドリアタンパク質を抗ヒトDNAポリメラーゼγ抗体で免疫沈降し、OxyBlotで検討した。虚血条件下で7日間培養したHVI6・4細胞では酸化されたDNAポリメラーゼγのバンドはDMPO添加により有意に低下した。また、14日間培養した細胞でも同様の結果が認められたが、その濃度に有意差は認められなかった。以上の結果から、HVl6-4細胞は虚血条件下でmtDNA D-loopに容易に変異が入り、その原因の一つはmtDNA修復機構の鍵となるDNAポリメラーゼγの活性酸素による酸化によって生じたmtDNA修復能の低下によることが明らかとなった。 第三章 虚血環境下におけるHV16-4細胞のグルタミン酸刺激に対する反応 グルタミン酸刺激によるHV16-4細胞の反応をCa2+ インフラックスについては蛍光色素(Fluo-3)を用いる方法で、膜電位の変化についてはパッチクランプ法により検討した。 1)Ca2+インフラックス まずCa2+イオノフォア(A23187)で刺激した場合のCa2+インフラックスを検討した。通常条件下で7日間培養したHV16-4細胞ではA23187(10μM)投与後10secで細胞内Ca2+が増加し始め、30secで頂値(蛍光強度:前値の180%)となり以後300secまで持続した。一方、虚血条件下で培養したHV164細胞では投与後10secで頂値(前値の140%)を示し、80sec後にはほぼ前値に復した。その蛍光強度はいずれの時点においても通常培養と比較して有意な低値であった。グルタミン酸刺激(500μM)では、通常条件下で7日間培養したHV16-4細胞では、投与後40minから細胞内Ca2+が増加する傾向を示し、虚血条件下で培養したHV16-4細胞でも同様であった。またその蛍光強度に差は認められなかった。 2)活動電位 これらの結果から、ラット海馬由来神経細胞(HV16-4細胞)は虚血条件下で、ミトコンドリアDNA修復機構の鍵となるDNAポリメラーゼγの酸化によって生じた修復能の低下により、ミトコンドリアDNA D-loopに高頻度に一塩基置換あるいは一塩基欠失が起こっていることが明らかとなった。また、虚血条件下の細胞の機能は低下しており、その原因の一つにはミトコンドリアDNAの変異が関与していると考えられ、神経細胞の遅延性細胞死に関連するものと推測された。 | |
審査要旨 | 神経細胞はエネルギー要求度ならびに酸素への依存度が高く、神経細胞傷害では、虚血に代表される酸素やグルコース供給の障害に基づいた発症機序や病態が注目され、検討されている。ミトコンドリアDNA(mtDNA)は環状DNAで、生体のエネルギー産生系である酸化的リン酸化、ATP合成の電子伝達系サブユニットなどをコードしている。近年、ミトコンドリアDNAの転写や複製領域D-ループ(D-loop)の変異が種々の疾患や老動物で報告され、ミトコンドリア機能の低下をもたらすと考えられている。神経細胞死については、虚血・再還流による早期の細胞死の発現機序は明らかにされつつあるが、遅延性の細胞死については不明である。本研究は虚血環境に暴露したラット海馬由来株化細胞(HV16-4)のmtDNA D-loopについて検討したもので、緒論ならびに総括を除いた以下の三章で構成されている。 第一章では、虚血環境下におけるHV16-4細胞のmtDNAの変異について検討している。すなわち、サブクローニング(2回)して細胞の性質を均一化した後、通常培養条件(5 % CO2、95 % air)あるいは虚血環境下(2 % O2、10 % CO2、88 % N2)で7日間および14日間培養した細胞のmtDNA D-loopの塩基配列を、NCBI Entrez Nucleotide AC_000022に登録されたラットmtDNAの塩基配列と比較検討している。 通常培養7日目の細胞では72クローン中7クローン(9.7 %)に一塩基置換が、培養14日目の細胞では84クローン中6クローン(7.1 %)に一塩基置換が認められた。一方、虚血条件下で培養7日目の細胞では78クローン中37クローン(47.4 %)に、培養14日目では84クローン中41クローン(48.8 %)に一塩基置換と一塩基欠失が認められた。これらの結果から、HV16-4細胞は虚血条件下で培養すると、mtDNA D-loopに高頻度に一塩基置換あるいは一塩基欠失の起こることが明らかとなった。 第二章では虚血環境下におけるHV16-4細胞のmtDNA修復能を低下させる、mtDNA修復機構の鍵であるDNAポリメラーゼγの酸化について検討している。また、活性酸素(ROS)のトラップ剤である5'5-dimethyl-1- pyroline- N- oxide(DMPO)添加時のDNAポリメラーゼγの酸化ならびにmtDNA D-loopの変異についても併せて検討している。 通常条件下あるいは虚血条件下で培養したHV16-4細胞のミトコンドリアDNAポリメラーゼγの酸化度は、7日間あるいは14日間いずれの場合においても虚血条件下で培養したHV16-4細胞で通常条件で培養した細胞のミトコンドリアDNAポリメラーゼγの酸化度と比較して有意に高かった。また、DMPOを添加した際にはミトコンドリアDNAポリメラーゼγの酸化度は有意に低下した。さらにDMPO添加虚血条件下で7日間培養したHV16-4細胞では23.3 %(21/90クローン)、14日間培養した細胞では28.5 %(24/84クローン)にmtDNA D-lopに変異が認められ、その変異総数は80.730 bpで27 bp(変異頻度:3.34 bp / 10,000 bp)ならびに75,348 bpで29 bp(3.84 bp / 10,000 bp))であった。第一章で得られたDMPO無添加の7日間あるいは14日間培養したHV16-4細胞のそれと比較するとROSのトラップ剤であるDMPOを添加するとmtDNA D-loopの変異は有意に低下することが明らかとなった。これらの結果から、HV16-4細胞は虚血条件下でROSによりmt DNA修復機構の鍵となるミトコンドリアDNAポリメラーゼγの酸化が生じており、mtDNA D-loopの変異の原因の一つはmt DNA修復能の低下であると考えられた。 第三章では虚血環境下におけるHV16-4細胞のグルタミン酸刺激に対する反応を検討している。すなわちグルタミン酸刺激によるHV16-4細胞の反応をCa2+ インフラックスについては蛍光色素(Fluo-3)を用いる方法で、膜電位の変化についてはパッチクランプ法で検討している。 通常条件下あるいは虚血条件下で7日間培養したHV16-4細胞をグルタミン酸刺激しCa2+ インフラックスを検討したところ、刺激後45分までの蛍光強度比に差は認められず、Ca2+ インフラックスに虚血の影響を認めることは出来なかった。また、グルタミン酸で刺激した際の誘発電流では、-70 mV(AMPA型グルタミン酸レセプター)ならびに0 mV(NMDA型グルタミン酸レセプター)のいずれの電圧に固定した場合においても、誘発電流に差は認められず、グルタミン酸による誘発電流に虚血の影響はないと考えられた。ラットの海馬CA1細胞に認められる虚血環境における過分極にはATP-sensitive Kチャネルが関与しているされ、虚血環境における活動電位(誘発電流)ではATP-sensitive Kチャネルの誘発電流を検討する必要があると考えられた。 以上の結果から、ラット海馬由来神経細胞(HV16-4細胞)は虚血条件下では、ROSによりmtDNA修復機構の鍵となるmtDNAポリメラーゼγの酸化によりDNA修復能の低下が生じ、mtDNA D-loopに高頻度に一塩基置換あるいは一塩基欠失が起こっていることを明らかとなった。また、虚血条件下の細胞ではミトコンドリア機能の低下が推測され、神経細胞の遅延性細胞死に関連する可能性が示唆された。 このように、本論文は未だ明らかにされていない虚血環境における神経細胞のミトコンドリアDNA D-loopの変異を明らかにしたものである。その内容は、獣医学の学術上貢献するものであり、よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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