学位論文要旨



No 125903
著者(漢字) 朴,貞河
著者(英字) Park,JungHa
著者(カナ) パク,チュンハ
標題(和) Rho結合キナーゼが足場シグナルとラパマイシン標的経路を繋ぐ
標題(洋) Rho-Associated Kinase Connects Anchorage Signal to the Mammalian Target of Rapamycin Pathway
報告番号 125903
報告番号 甲25903
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3382号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 准教授 中村,元直
 東京大学 講師 根東,覚
内容要旨 要旨を表示する

造血細胞以外のすべての細胞は、増殖するには細胞外マトリックス、すなわち足場への接着を必要とする。その接着をなくすと、細胞は細胞周期のG1期に停止し、死に至る。しかしながら、癌化した細胞では、接着しなくとも増殖することができるようになる。このような足場非依存性増殖能は、癌細胞に共通した普遍的性質である。

足場への接着のシグナルは、異種2量体のインテグリンから下流因子に伝えられる。その下流因子の一つは、Rho結合キナーゼである。増殖因子受容体と連携した小Gタンパクによって活性化されるRhoAはインテグリンからのシグナルがあるとき効率よくRho結合キナーゼを活性化する。活性化されたRho結合キナーゼは、アクチン線維のアッセンブリー、安定化および細胞膜への結合を制御すると共に細胞の収縮を促す。Focal adhesion kinaseは、もう一つの下流因子で細胞の移動や増殖を司る。

足場への接着を消失した細胞は、Cdk4とCdk6およびCdk2の不活化を伴いG1期に停止する。これらのサイクリン依存性キナーゼの不活化は、サイクリンD1とサイクリンA遺伝子の転写抑制とp27(Kip1)の転写誘導によるものである。Cdk4とCdk6の不活化の結果、retinoblastoma タンパク (Rb) が活性化され、それによって E2F-DP 転写因子が不活化される。その結果、cdc6, cyclin A, E2F1 やAPC/CCdh1 ユビキチンリガーゼの阻害タンパクであるEmi1 のようなS期開始に必要な因子の遺伝子の転写が抑制される。更に 複製前複合体形成に必須でありp21(Cip1)が結合したCdk2をATP依存性に活性化する機能を持つCdc6 タンパクは、主にAPC/C(Cdh1)に依存したユビキチン化によって分解を受け速やかに消滅する。

Tsc1/Tsc2-Rheb-mTORC1経路は、哺乳動物から酵母までよく保存され、増殖刺激の有無、細胞内エネルギー代謝の状態、アミノ酸の有無を感知し翻訳効率の調節を行なうことによって細胞の増殖を制御するシグナル伝達経路である。Tsc1/2の変異は、家族性多発性良性腫瘍である結節性硬化症を引き起こす。Ekerラットは、そのラット版である。

当研究室の竹内らは、最近足場消失がmTORC1の不活化を引き起こすと共にTsc2の変異や活性化変異Rhebの過剰発現によってmTORC1を活性化すると足場消失によって引き起こされるG1期細胞周期因子の発現停止をすべて抑制できることを見出した。これらの結果は、mTORC1 経路が足場シグナルの少なくとも一部を伝達し細胞周期のG1-S遷移を制御している可能性が浮かびあがった(Fig. 1)。足場シグナルとTsc1/Tsc2-Rheb-mTORC1経路を繋ぐ因子を探索した結果、私は、Rho結合キナーゼ(Rock)がこの二つを繋ぐ因子であることを見出した。この結論に至った実験根拠は以下のとおりである。

1.Tsc1/Tsc2の活性化キナーゼAMPKを活性化する小分子AICARを用いて足場がある状態で増殖しているラット胎性線維芽細胞を処理すると、足場を消失したときと同じように、強制発現させたCdc6、サイクリンAおよび3種のD型サイクリンが消失あるいは著しく減少した。このことは、確かにTsc1/Tsc2-Rheb-mTORC1経路が足場シグナルを伝達していることと矛盾しない。

2.足場認識受容体であるインテグリン下流因子関連の阻害剤の効果を検討した結果、FAKを阻害するスタウロスポリン、Rho結合キナーゼを阻害するY27632、アクチンの脱重合化を引き起こすサイトカラシンDが足場消失と同じ効果を引き起こすが、Tsc2が変異しているEkerラット線維芽細胞には効果がないことを見出した。

3.Tsc2タンパクにはスプライシングの違いにより数種のバリアントがある。この中でエクソン25と31が欠損したアイソフォーム4は、Ekerラットに戻すと結節性硬化症の発症が抑えられ、多くの細胞で発現していることが知られている。そこでEkerラット胎性線維芽細胞にこのアイソフォームを戻したところ、足場消失に対する上記G1期因子の発現消失が復活した。そこで、この細胞を用いてスタウロスポリン、Y27632およびサイトカラシンDに対する感受性を検討したところ、Y27632に対してのみ感受性を維持し、上記G1期因子の発現消失が起こった。

4.使用したラット胎性線維芽細胞で発現しているTsc2のバリアントを同定した結果、エクソン25のみを含むアイソフォーム3又はエクソン25と31を含むアイソフォーム1であることが判明した。したがって、エクソン25と31のいずれかあるいは両者がスタウロスポリンとサイトカラシンDに対する感受性の発揮に必要であると判断された。

5.以上の結果から、足場シグナルを繋ぐ因子の最有力候補としてRho結合キナーゼが浮かび上がった。そこで、Cdc6と活性型変異Rho結合キナーゼを強制発現させたラット線維芽細胞とコントロールとしてCdc6と野生型Rho結合キナーゼを強制発現させたラット線維芽細胞を作製し、足場消失時の当該G1期因子に対する効果を検討したところ、活性型Rho結合キナーゼを発現している細胞では、Ekerラット細胞と同じく、当該G1期因子の発現消失が抑制されていることが判明した。

6.Tsc2のアミノ酸配列を検索したところ、アミノ酸1200~1203の部位にRho結合キナーゼによるリン酸化部位のコンセンサス配列に酷似した配列があり、この配列はマウスやヒトのみならず牛やショウジョウバエのTsc2にまでも保存されていることが判明した。

7.この配列のリン酸化部位に相当するThr1203をアラニンに変えた変異Tsc2アイソフォーム4を作製し、Cdc6と活性型Rho結合キナーゼの両者を強制発現しているEkerラット胎性線維芽細胞で発現させたところ、野生型Tsc2では、活性型Rho結合キナーゼに反応して足場非存在下でも当該G1因子は安定して発現したが、変異型Tsc2を発現させた場合、活性型Rho結合キナーゼの効果が失われて、これらの因子の発現が消失した。

以上の結果から、発現しているTsc2のバリアントの種類に関わらず、足場からの細胞周期開始制御のシグナルの大部分は、Rho結合キナーゼを介して、Tsc2に繋がることが判明した。

図1. 足場シグナルとTsc1/Tsc2-Rheb-mTORC1 経路を繋ぐ因子の候補。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は 発癌の根底機構である足場依存性・非依存性S期開始機構を明らかにするため、ラット胎性線維芽細胞にて、足場への接着のシグナルとTsc1/Tsc2-Rheb-mTORC1経路を連結の探索を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.Tsc1/Tsc2の活性化キナーゼAMPKを活性化する小分子AICARを用いて足場がある状態で増殖しているラット胎性線維芽細胞を処理すると、足場を消失したときと同じように、強制発現させたCdc6、サイクリンAおよび3種のD型サイクリンが消失あるいは著しく減少した。このことは、確かにTsc1/Tsc2-Rheb-mTORC1経路が足場シグナルを伝達していることと矛盾しない。

2.足場認識受容体であるインテグリン下流因子関連の阻害剤の効果を検討した結果、FAKを阻害するスタウロスポリン、Rho結合キナーゼを阻害するY27632、アクチンの脱重合化を引き起こすサイトカラシンDが足場消失と同じ効果を引き起こすが、Tsc2が不活化しているEkerラット線維芽細胞には効果がないことを見出した。

3.Tsc2タンパクにはスプライシングの違いにより数種のバリアントがある。この中でエクソン25と31が欠損したアイソフォーム4は、Ekerラットに戻すと結節性硬化症の発症が抑えられ、多くの細胞で発現していることが知られている。そこでEkerラット胎性線維芽細胞にこのアイソフォームを戻したところ、足場消失に対する上記G1期因子の発現消失が復活した。そこで、この細胞を用いてスタウロスポリン、Y27632およびサイトカラシンDに対する感受性を検討したところ、Y27632に対してのみ感受性を維持し、上記G1期因子の発現消失が起こった。

4.使用したラット胎性線維芽細胞で発現しているTsc2のバリアントを同定した結果、エクソン25のみを含むアイソフォーム3又はエクソン25と以下31を含むアイソフォーム1であることが判明した。したがって、スタウロスポリンとサイトカラシンDに対する感受性を発揮するには、エクソン25と31のいずれかあるいは両者が必要であると判断された。

5.以上の結果から、足場シグナルを繋ぐ因子の最有力候補としてRho結合キナーゼが浮かび上がった。そこで、Cdc6と活性型変異Rho結合キナーゼを強制発現させたラット線維芽細胞とコントロールとしてCdc6と野生型Rho結合キナーゼを強制発現させたラット線維芽細胞を作製し、足場消失時の当該G1期因子に対する効果を検討したところ、活性型Rho結合キナーゼを発現している細胞では、Ekerラット細胞と同じく、当該G1期因子の発現消失が抑制されていることが判明した。

6.Tsc2のアミノ酸配列を検索したところ、アミノ酸1200~1203の部位にRho結合キナーゼによるリン酸化部位のコンセンサス配列に酷似した配列があり、この配列はマウスやヒトのみならず牛やショウジョウバエのTsc2にまでも保存されていることが判明した。

7.この配列のリン酸化部位に相当するThr(1203)をアラニンに変えた変異Tsc2アイソフォーム4を作製し、Cdc6と活性型Rho結合キナーゼの両者を強制発現しているEkerラット胎性線維芽細胞で発現させたところ、野生型Tsc2では、活性型Rho結合キナーゼに反応して足場非存在下でも当該G1因子は安定して発現したが、変異型Tsc2を発現させた場合、活性型Rho結合キナーゼの効果が失われて、これらの因子の発現が消失した。

以上の結果から、発現しているTsc2のバリアントの種類に関わらず、足場からの細胞周期開始制御のシグナルの大部分は、Rho結合キナーゼを介して、Tsc2に繋がることが判明した。すなわち、本研究で初めて Rho結合キナーゼが足場シグナルと Tsc1/Tsc2-Rheb-mTORC1経路を繋ぎ、この経路が細胞周期開始を制御する足場シグナルの主たる伝達経路であることを明らかにした。これは発癌の根底機構の解明に新しい突破口を開く重要な成果と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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