学位論文要旨



No 125904
著者(漢字) 馬場,行広
著者(英字)
著者(カナ) ババ,ユキヒロ
標題(和) Sall3はマウス網膜水平細胞の最終分化を制御する
標題(洋) Sall3 Regulates Terminal Differentiation of the Horizontal Cells in the Mouse Retina
報告番号 125904
報告番号 甲25904
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3383号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 宮崎,徹
 東京大学 准教授 秋山,泰身
 東京大学 准教授 渡部,徹朗
 東京大学 講師 相原,一
内容要旨 要旨を表示する

水平細胞は網膜の介在ニューロンの一種であり、視細胞と双極細胞とのシグナル伝達に対して抑制的に機能している。水平細胞は、水平細胞への運命決定、細胞局在、および神経突起の伸展といった分化過程を経て、視細胞や双極細胞とシナプスを形成する。しかし、その分化過程の制御機構はほとんど明らかになっていない。近年、転写因子に注目した水平細胞分化の研究が行われ、水平細胞への運命決定機構についていくつかの知見が集まっている。転写因子Prox1は水平細胞の運命決定に必要な分子であることが、ノックアウトマウスモデルを用いた解析によって明らかになっている。従って、水平細胞分化メカニズムの解析するうえで、転写因子に注目することは有用な手法である。しかし、近年の研究によって水平細胞への運命決定については明らかにされつつあるが、分化後期における水平細胞分化の制御機構についてはまだ明らかになっていない。

これまでに、転写因子Sall3が発生期のマウス網膜で発現していることが示されていたが、どの種類の網膜細胞が発現しているかは特定されておらず、その生物学的意義もまだ明らかにされていなかった。私は、そのSall3の発現パターンから、分化途中の水平細胞がSall3を発現している可能性を見出したため、水平細胞分化におけるSall3の機能を解明することを目指して解析を行ってきた。

はじめに、Sall3(lacz/+) マウスを用いて、網膜発生期でのSall3の発現パターンを解析した。β-ガラクトシダーゼと、水平細胞マーカーであるニューロフィラメント160 (NF160) による免疫組織化学染色を行ったところ、胎生15.5日から生後8日にかけてlacZ陽性細胞はNF160を発現していることが観察されたため、網膜分化過程においてSall3は水平細胞で発現していることが確認された(図. 1)。また、胎生15.5日から生後8日までの期間は、運命決定された水平細胞が成熟する時期であることから、Sall3は水平細胞の分化に関与することが示唆された。

胎生期でのSall3の役割を明らかにするために、Sall3(-/-)マウス網膜で水平細胞マーカーであるcalbindinとNF160の免疫組織化学染色を行った。Sall3(-/-)マウスとコントロールマウスの胎生17.5日および生後0日の網膜において、NF160とcalbindin陽性の水平細胞が生み出されていること、および水平細胞が予定水平細胞層に局在していることが確認された(図. 2)。一方、Sall3(-/-)マウスの水平細胞はコントロールの水平細胞よりもNF160とcalbindinの発現が低下していた。これらの結果から、Sall3は水平細胞の運命決定、細胞局在、およびNF160とcalbindinの発現開始には関与しないことが明らかになり、Sall3はNF160とcalbindinの発現レベルの制御に関与していることが示唆された。

Sall3(-/-)マウスは生後0.5日で死んでしまうために、これまでの研究では後期発生におけるSall3の機能解析が行われていなかった。私はこの問題に対して、網膜体外培養システムを用いることにより、これまで不可能であった後期発生におけるSall3の機能を解析することに初めて成功した。生後0日のSall3(-/-)マウスの網膜で体外培養を行い、水平細胞の最終分化についてさらに解析を進めた。培養6日において、コントロール水平細胞がNF160とcalbindin陽性の神経突起を伸展している様子が観察された(図. 3)。Sall3(-/-)マウスの水平細胞では、NF160の著しい発現抑制が見られた。さらに、コントロール水平細胞ではcalbindin陽性の水平方向への神経突起形成が見られるのに対して、Sall3(-/-)マウスの水平細胞では神経突起形成が見られなかった。この結果から、Sall3は後期網膜発生における水平細胞の神経突起形成に必要であることが示唆された。

さらに、Sall3(-/-)マウスとコントロールマウスの網膜における水平細胞マーカーの発現をmRNAレベルで比較するために、RT-PCRを用いて解析した。胎生17.5日ではSall3-/-マウスとコントロールマウスの網膜で水平細胞マーカーであるNefm、Nefl、Lim1、およびCX57の発現レベルに違いは見られなかった(図. 4)。一方、発生後期の培養3日目(DIV3)、培養6日目(DIV6)において、Sall3(-/-)マウス網膜の水平細胞マーカーの発現がコントロールと比較して低下していた。これらの結果から、Sall3(-/-)マウスでは水平細胞の最終分化に異常がおきていることが、mRNAレベルでの解析からも明らかとなった。

ノックアウトマウスの解析結果からSall3はNF160の発現制御や神経突起形成に関与していることが示唆されたため、レトロウイルスを用いた遺伝子過剰発現実験によってSall3の機能解析をさらに検討した。Sall3あるいはSall3v(バリアントフォーム)をpMX-IRES-EGFP に組み込み、PLAT-Eを用いてウイルスを作成した。胎生17.5日のマウス網膜にレトロウイルスを感染させて、3日間培養した後に、網膜を単一細胞にした状態でさらに11日間単層培養を行った。組織免疫染色を行った結果、Sall3とSall3vにおいてNF160陽性細胞の割合がコントロールと比較して有意に上昇することが認められた(図. 5)。この結果によって、Sall3がNF160の発現制御に関わることが強く示唆された。

これまでに網膜発生後期における水平細胞の分化制御機構については未解明であったが、当研究によってSall3がNF160の発現制御に関わること、およびSall3が水平細胞の最終分化を制御する因子として重要な機能を持つ分子であることが明らかになった(図. 6)。

図. 1

図. 2

図. 3

図. 4

図. 5

図. 6

審査要旨 要旨を表示する

本研究はマウス網膜発生過程におけるzinc-finger型たんぱく質Sall3の機能を解析するため、Sall3ノックアウトマウスの網膜での表現型解析、あるいは遺伝子過剰発現実験にてSall3によって発現誘導ないし抑制される分子の解析を行い、下記の結果を得ている。

1. Sall3(+/lacZ)の発生段階での網膜において、lacZと水平細胞マーカーNF160の免疫組織化学染色を行ったところ、胎生15日(E15)から生後(P8)にかけてNF160陽性細胞がlacZを発現していることが確認され、未熟および成熟水平細胞がSall3を発現していることが示された。

2. Sall3(-/-)マウスの分化初期のE17.5およびP0の網膜において、水平細胞マーカーであるNF160、NF68、calbindin、Pax6、およびProx1の免疫組織化学染色を行ったところ、それぞれのマーカーの発現が見られ、さらにPax6およびProx1陽性の水平細胞の数をカウントした結果では、Sall3(-/-)とコントロールで有意な差は見られなかったことから、Sall3は水平細胞の細胞運命決定には関与しないことが示された。 一方、水平細胞のNF160、NF68、およびcalbindinの発現レベルをSall3(-/-)とコントロールで比較した場合、Sall3(-/-)水平細胞でそれぞれのマーカーの発現が低下していることが観察された。

3. Sall3(-/-)マウスの分化後期の網膜において、水平細胞マーカーであるNF160、およびcalbindinの免疫組織化学染色を行ったところ、Sall3(-/-)で水平細胞の外網状層への神経突起伸長の消失、NF160の発現の消失、および外網状層の形成不全が観察された。また、Sall3(-/-)でミュラーグリア細胞マーカーであるGSの発現が低下していた。

4. 全網膜からRNAを抽出し、RT-PCRの解析を行ったところ、分化後期のSall3(-/-)の網膜において、水平細胞マーカーであるNF160、NF68、Lim1、およびCX57の発現レベルがコントロールに比べて低下していることが示された。

5. E17.5の網膜にレトロウイルスを用いてSall3あるいはバリアント型のSall3vを過剰発現し、網膜体外培養法にて2週間培養し、免疫組織化学染色を行ったところ、感染細胞に占める視細胞マーカーPNR陽性細胞の割合の減少、GS陽性細胞の割合の増加、およびNF160陽性細胞の割合の増加が示された。また、遺伝子過剰発現後にBrdUを取り込ませて細胞増殖能の解析を行ったところ、Sall3およびSall3vはコントロールと有意な差は認められなかった。Sall3過剰発現実験を単層培養法を用いて解析したところ、Sall3過剰発現細胞に占めるNF160陽性細胞の割合が、コントロールよりも有意に増加していることが示された。

以上、本論文はマウス網膜において、Sall3ノックアウトマウスの解析から、Sall3は水平細胞でのNF160およびNF68の発現レベルの維持に必要であること、さらに水平細胞の外網状層への神経突起伸長に必要な分子であることを明らかにした。また、Sall3過剰発現実験の解析から、Sall3がNF160の発現に関わることを示した。本研究は、これまで明らかにされていなかった水平細胞の最終分化における分子メカニズムの解明に新知見を与えるものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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