学位論文要旨



No 125916
著者(漢字) 勝野,蓉子
著者(英字)
著者(カナ) カツノ,ヨウコ
標題(和) 癌の浸潤・転移におけるTGF-βファミリーシグナルの解析
標題(洋)
報告番号 125916
報告番号 甲25916
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3395号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 准教授 野村,幸世
 東京大学 講師 宇於崎,宏
内容要旨 要旨を表示する

Transforming growth factor (TGF)-βやBone morphogenetic protein (BMP)を含むTGF-βファミリーのサイトカインは、癌の進行において複雑な役割を持つ。TGF-βは、多くの上皮細胞の増殖を抑制し、癌の初期においては癌抑制因子として機能する一方で、癌の進行期には、癌の周囲の間質に対して血管新生、細胞外マトリックス産生、免疫抑制などの作用を持つと同時に、癌細胞の運動や浸潤を誘導し、癌の転移を促進する。

BMPシグナルと癌との関係についてはこれまでにいくつか報告がある。胃癌、卵巣癌、前立腺癌、乳癌などいくつかの癌細胞においてはBMPが発現していることが報告されている。一方、最近の研究で、BMPは大腸癌、メラノーマ、前立腺癌など多くの癌において癌細胞の運動能、浸潤能を亢進させることが報告されている。また、BMPシグナル経路のシグナルコンポーネントの発現量と乳癌の悪性度が正に相関することが報告されており、BMPが癌の転移に促進的に働く可能性が示唆されるが、BMPの癌転移における役割についてはよくわかっていない。

癌の転移は、癌細胞の局所での浸潤、血管内への侵入、血中での生存、遠隔臓器での血管外遊出、その臓器での生着と増殖といった多段階のステップによりなりたっている。循環中の腫瘍細胞のうちの多くが遠隔の臓器で生着、増殖することができず、腫瘍を構成する細胞のうちごく一部の細胞のみが転移を形成することができると考えられている。癌細胞の多様性を説明するモデルとして、癌幹細胞モデルが近年注目されている。このモデルは、癌を構成する多種類の細胞のうち癌幹細胞とよばれる一部の細胞のみが腫瘍を形成し、維持する能力を持ち、この癌幹細胞が正常幹細胞と同様に自己複製能と分化能を有し、多様な子孫癌細胞を生み出し階層構造をつくるという仮説である。癌転移の多段階ステップを考えると、癌幹細胞は、癌の転移においても重要な役割を果たすと考えられる。転移を形成することができる細胞はごく一部の細胞であり、癌幹細胞のみが原発臓器を離れ、血行性やリンパ行性に他臓器へ到達したときに転移巣の源となることができると考えられる。TGF-βファミリーシグナルは、幹細胞の増殖や分化を制御することが知られている。正常幹細胞と似た性質を持つ癌幹細胞の制御においてもTGF-βやBMPが重要な役割を持つことがいくつかの癌で報告されているが、癌幹細胞の維持におけるTGF-βファミリーシグナルの役割はまだ解析がなされていない部分が多い。

本研究では、種々の癌におけるTGF-βファミリーシグナルの役割を明らかにすることを目的とし、乳癌の骨転移におけるBMPシグナルの役割と、スキルス胃癌幹細胞の維持におけるTGF-βシグナルの役割について、解析を行った。

1) 乳癌の骨転移におけるBMPシグナルの役割

TGF-βシグナルは乳癌の進行において重要であり、乳癌の骨転移を促進することがわかっている。BMPは、骨基質に多く含まれるが、乳癌の骨転移における役割はわかっていない。まず、乳癌細胞においてBMP/Smad経路が活性化されているかを調べるため、骨転移した乳癌症例の原発腫瘍、骨転移およびリンパ節転移の組織を用いた免疫染色を行った。乳癌の原発腫瘍組織、骨転移組織およびリンパ節転移組織において、腫瘍細胞で核にリン酸化Smad2とリン酸化Smad1/5/8の染色が見られ、乳癌細胞においてTGF-β、BMPシグナルが活性化されていることが示された。骨転移組織において特に強いリン酸化Smad2およびリン酸化Smad1/5/8の染色が見られ、骨転移した乳癌細胞が骨基質に存在するTGF-βおよびBMPによる刺激を受けている可能性が示唆された。

骨転移の進行におけるBMPの役割を明らかにするため、ヒト乳癌細胞株MDA-MB-231から得られた高い骨転移能を持つクローンであるMDA-231-D細胞を用いて実験を行った。この細胞のヌードマウス左心室への移植による実験転移モデルの骨転移組織においても癌細胞でSmad2とSmad1/5/8がリン酸化されていることを免疫染色とWestern blotにより確認した。この転移モデルにおいて、in vivo imagingを用いて、骨転移巣におけるTGF-βあるいはBMP依存的な転写活性と腫瘍の増殖を同一個体で経時的に可視化する系を確立した。このin vivo imagingの系を用いることで、骨転移した乳癌細胞でTGF-βあるいはBMPに誘導されるSmad依存的転写が活性化されていることを明らかにした。

癌細胞の運動と浸潤は骨転移の進行において重要な役割を持つ。乳癌細胞の運動能と浸潤能に対するTGF-βとBMPの効果をwound-closure assayとinvasion assayにより検討した結果、TGF-β同様、BMPはin vitroでMDA-231-D細胞の運動能と浸潤能を亢進させた。

次に、TGF-β、BMPシグナルを抑制することの骨転移に対する効果を検討するため、TGF-βあるいはBMPのレセプターのドミナントネガティブ変異体をMDA-231-D細胞に発現させた。ドミナントネガティブレセプターによりTGF-βとBMPのシグナルを阻害することにより、MDA-231-D細胞のin vitroでの浸潤能が抑制された。さらに、マウスへの移植モデルにおいて、ドミナントネガティブレセプターを発現させてTGF-βあるいはBMPのシグナルを阻害した細胞では、骨転移が抑制され、移植マウスの生存時間が延長した。

以上の結果から、TGF-β同様、BMPも乳癌の骨転移を促進し、TGF-βまたはBMPのシグナルを阻害することで骨転移を抑制できることが示唆された。最近、BMPシグナルを抑制する新規の低分子化合物も報告されており、BMPシグナルは乳癌の骨転移治療における新たな分子標的の候補として重要であると考えられる。

2) スキルス胃癌幹細胞の維持におけるTGF-βシグナルの役割

細胞内のアルデヒドを分解する酵素の1つであるAldehyde dehydrogenase (ALDH)1は、造血系幹細胞や神経幹細胞を濃縮できるマーカーとして報告されている。また、近年、種々の癌においてALDH1は癌幹細胞のマーカーであるという報告がされている。ALDH1は、様々な組織由来の正常細胞と癌細胞において共通の幹細胞マーカーとして使うことができる可能性があることが示唆されている。そこで、まず、ALDH1がスキルス胃癌幹細胞のマーカーの候補となり得るかを検討するため、スキルス胃癌の進行とALDH1の発現との関係を調べた。Borrman IV型胃癌と診断された症例の腫瘍から得られた一連の細胞株を用いてALDH1発現を比較した。ALDH1は、この患者の原発腫瘍から得られた細胞を同所移植したマウスの転移組織から得られた細胞株であるOCUM-2MD3細胞とOCUM-2MLN細胞において高い発現が見られた。

ALDH1+スキルス胃癌細胞が、癌幹細胞様の性質を持つか明らかにするため、OCUM-2MLN細胞からAldefluor assayとFACSを用いてALDH1-細胞とALDH1+細胞を単離し、in vitroでの増殖とcolony formationを比較した。ALDH1+細胞は、ALDH1-細胞に比較してin vitroでの増殖が速く、寒天中でのコロニー形成能が高かった。さらに、ALDH1+細胞が腫瘍を形成する能力を持つか調べるため、単離したALDH1-細胞とALDH1+細胞をヌードマウスの皮下に移植した。ALDH1+細胞は、ALDH1-細胞に比較して、高い腫瘍形成能を示した。ALDH1+細胞によって形成された腫瘍は、ソートする前の細胞と同様にALDH1-、ALDH1+の両方の細胞を含んでおり、ALDH1+細胞が自己複製能を有することが示唆された。

癌幹細胞は、癌の周囲の微小環境に含まれる増殖因子やサイトカインによって制御を受けていると考えられる。スキルス胃癌の癌細胞と間質にはTGF-βが発現していることがわかっているので、ALDH1+スキルス胃癌細胞に対するTGF-βの作用を検討した。TGF-βは、スキルス胃癌細胞株において、ALDH1のmRNAとタンパクの発現を減少させ、ALDH1+細胞の割合を減少させた。

以上の結果から、ALDH1がスキルス胃癌の進行に重要な役割を持つこと、ALDH1+スキルス胃癌細胞が、高い増殖能と腫瘍形成能、自己複製能という癌幹細胞の性質を有すること、TGF-βがスキルス胃癌幹細胞の数を減少させることが示唆された。TGF-βは、スキルス胃癌幹細胞の数を減少させることで腫瘍形成能の抑制に働く可能性が示唆された。本研究で示された、TGF-βがスキルス胃癌の癌幹細胞を制御するという結果は、スキルス胃癌の新たな治療法の開発にもつながる重要な発見であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は種々の癌におけるTGF-βファミリーシグナルの役割を明らかにすることを目的とし、乳癌の骨転移におけるBMPシグナルの役割と、スキルス胃癌幹細胞の維持におけるTGF-βシグナルの役割について、解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1) 乳癌の骨転移におけるBMPシグナルの役割

骨転移した乳癌症例の原発腫瘍、骨転移およびリンパ節転移の組織を用いた免疫染色を行った結果、乳癌の原発腫瘍組織、骨転移組織およびリンパ節転移組織において、腫瘍細胞で核にリン酸化Smad2とリン酸化Smad1/5/8の染色が見られ、乳癌細胞においてTGF-β、BMPシグナルが活性化されていることが示された。骨転移組織において特に強いリン酸化Smad2およびリン酸化Smad1/5/8の染色が見られ、骨転移した乳癌細胞が骨基質に存在するTGF-βおよびBMPによる刺激を受けている可能性が示唆された。

ヒト乳癌細胞株MDA-MB-231から得られた高い骨転移能を持つクローンであるMDA-231-D細胞のヌードマウス左心室への移植による実験転移モデルの骨転移組織においても癌細胞でSmad2とSmad1/5/8がリン酸化されていることを免疫染色とWestern blotにより確認した。この転移モデルにおいて、in vivo imagingを用いて、骨転移巣におけるTGF-βあるいはBMP依存的な転写活性と腫瘍の増殖を同一個体で経時的に可視化する系を確立した。このin vivo imagingの系を用いることで、骨転移した乳癌細胞でTGF-βあるいはBMPに誘導されるSmad依存的転写が活性化されていることを明らかにした。

乳癌細胞の運動能と浸潤能に対するTGF-βとBMPの効果をwound-closure assayとinvasion assayにより検討した結果、TGF-β同様、BMPはin vitroでMDA-231-D細胞の運動能と浸潤能を亢進させた。

ドミナントネガティブレセプターによりTGF-βとBMPのシグナルを阻害することにより、MDA-231-D細胞のin vitroでの浸潤能が抑制された。さらに、マウスへの移植モデルにおいて、ドミナントネガティブレセプターを発現させてTGF-βあるいはBMPのシグナルを阻害した細胞では、骨転移が抑制され、移植マウスの生存時間が延長した。

2) スキルス胃癌幹細胞の維持におけるTGF-βシグナルの役割

Borrman IV型胃癌と診断された症例の腫瘍から得られた一連の細胞株を用いてALDH1発現を比較した結果、ALDH1は、この患者の原発腫瘍から得られた細胞を同所移植したマウスの転移組織から得られた細胞株であるOCUM-2MD3細胞とOCUM-2MLN細胞において高い発現が見られた。

スキルス胃癌細胞株において、ALDH1+細胞は、ALDH1-細胞に比較してin vitroでの増殖が速く、寒天中でのコロニー形成能が高かった。ALDH1+細胞は、ALDH1-細胞に比較して、高い腫瘍形成能を示した。ALDH1+細胞によって形成された腫瘍は、ソートする前の細胞と同様にALDH1-、ALDH1+の両方の細胞を含んでおり、ALDH1+細胞が自己複製能を有することが示唆された。

TGF-βは、スキルス胃癌細胞株において、ALDH1のmRNAとタンパクの発現を減少させ、ALDH1+細胞の割合を減少させた。

以上、本論文は、TGF-βシグナル同様、BMPシグナルも乳癌の骨転移を促進し、TGF-βまたはBMPのシグナルを阻害することで骨転移を抑制できる可能性があることと、ALDH1がスキルス胃癌幹細胞の重要なマーカーの1つと考えられ、TGF-βがスキルス胃癌幹細胞の数を減少させる可能性があることを明らかにした。本研究は、癌の進行におけるTGF-βシグナルの複雑な役割の解明に貢献する重要な発見であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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