学位論文要旨



No 125924
著者(漢字) 本田,尚子
著者(英字)
著者(カナ) ホンダ,ナオコ
標題(和) 腸管出血性大腸菌O157:H7の病原性遺伝子群を誘導するPchの発現制御機構
標題(洋)
報告番号 125924
報告番号 甲25924
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3403号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笹川,千尋
 東京大学 特任教授 野本,明男
 東京大学 准教授 堀本,泰介
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 岩本,愛吉
内容要旨 要旨を表示する

腸管出血性大腸菌 (Enterohemorrhagic Escherichia col :EHEC) による食中毒は日本で年間約3000人の患者が発生し、数%のヒトが溶血性尿毒症や脳症になる。出血性下痢の直接の原因は産生された志賀毒素による血管障害であるが、毒素が効果的に作用するためには菌の腸管への一時的な定着と増殖が必要である。そのために重要なのがLEE (locus of enterocyte effacement)と呼ばれる50 kb におよぶ病原性遺伝子群である。LEEはほとんどのEHECおよびEPECの染色体上に存在し、細胞接着因子や3型分泌装置をコードした5つのオペロンを含む41の遺伝子から構成される。 LEEの発現は大腸菌に共通した核様体結合タンパク質H-NSやHfqにより多くの場合には抑制されているが、腸管といった特定の環境下においては発現するようになる。LEEの発現に必須であるLerは、LEE内にコードされ、LEEオペロンの転写を誘導するセントラルレギュレーターとして機能する。lerの転写は、EPECではPerCにより誘導され、EHEC O157:H7 Sakai株では染色体の異なるファージ領域にコードされたPerC の3つのパラログ、PchA, B, Cによって正に制御される。Pchはほぼ同一の蛋白質をコードしており、LEEを誘導する強さは、各々の欠失解析によりPchA, B, Cの順に弱くなることが知られている。pchA, BおよびpchA, Cの2重欠失株ではほとんどLEEが発現せず、培養細胞へのマイクロコロニー形成がみられなくなるため、PchはLEEの発現に重要な役割を果たしていると考えられている。pchA, B, Cの転写調節領域は約500 bpであり、比較的保存された転写調節領域上流域と、保存性の低い転写調節領域下流域からなる。多コピー数のプラスミドからPchを発現させると、PchA, B, Cのいずれであってもマイクロコロニーの顕著な増加が認められることから、pchA, B, Cの転写量の違いがlerを誘導する強さの違いを生じると考えられている。pchの転写が環境要因に応じて制御されることがLEEの発現制御に重要だと考えられるが、どのようにpchの発現が制御されるか、詳細は不明である。本研究ではLEEの発現制御に重要なpchの転写制御機構の解明を目的としている。

pchA, B, CのうちpchAがもっともLEEを強く誘導することから、pchの転写を制御する遺伝子を同定するため、pchA-lacZの転写融合体を染色体上で構築し、この活性を指標にTn5挿入変異によってpchAの転写活性が変化する変異株をスクリーニングした。その結果、LysR型の転写制御因子をコードするLrhAが同定された。EHEC O157のlrhA欠失株はpchAの転写量が野生株の約10 %, pchBが約50 %に低下し、pchCは変化しなかった。プラスミドを用いてLrhAを構成的に発現させると、pchAの転写は野生株と同程度に回復するのに対し、pchBは野生株の10倍以上に上昇し、pchCは変化しなかった。LEEにコードされる分泌蛋白質の発現量は、lrhA欠失株で顕著に低下し、LrhAを構成的に発現させた場合にはpchBの存在下においてのみ顕著に増加した。これらから、染色体上のlrhAを欠失させた場合にはpchAの転写が顕著に低下しLEEの発現が低下すること、一方LrhAをプラスミドにより構成的に発現させた場合には、pchAは野生株と同程度の転写であるのに対し、pchBの転写が顕著に上昇してLEEを強く誘導することが分かった。pchCはLrhAに制御されなかった。またlrhAの欠失株において、プラスミドを用いてPchAを過剰に発現させるとLEEが強く誘導されたことから、LEEの発現そのものにLrhAは不要であった。

LrhAがpchA, Bの転写を介してLEEの発現を誘導することが明らかとなったため、LrhAがpchの転写を誘導する機構を解析した。5'-RACE法およびプライマー伸長法によって、pchA, B, Cの開始コドンより53塩基上流のアデニンが転写開始点であることを決定した。pchAおよびpchBの転写調節領域をlacZの上流に導入したレポータープラスミドを構築し、欠失解析を行った。野生株とlrhA欠失株、およびLrhA構成的発現株に導入し転写活性を比較した結果、LrhAによるpchA, Bの制御にはpchAの転写開始点上流-417から-392、pchBの転写開始点上流-389から-374が必要であることを示した。

DNase Iプロテクションアッセイにより、LrhAはpchA, B, Cいずれのプローブを用いた場合にも、転写調節上流域の保存された同一の2箇所 (-385から-361および-313から-280)に結合した。ここはLysR型転写因子のコンセンサス配列であるT-N11-Aを含んだ逆向き相補配列と重なった。一方転写調節下流域のpchA, B, C間の保存性の低い領域への結合部位は異なることが分かった。pchAは-65を中心とする- 83 から-46および-25から+10がLrhAによりプロテクトされた。多くのLysR型転写因子は、プロテクト領域の中心が-65であり、そこにT-N11-Aモチーフを含んでいるが、それと共通していた。pchBは-87から-59 (中央が-73)、-50から-48, -30から-11, および-6 から+1がプロテクトされた。pchCはLrhAによりプロテクトされる明確な領域がなく、-91から+10が弱くプロテクトされた。

転写調節領域下流の配列の違いによりLrhAによるpchの制御が異なることが示唆されたため、転写調節領域の-200を境に上流域と下流域に分けpchA, B, C間のキメラを作成し、レポータープラスミドのlacZ構造遺伝子上流に導入した。それらを野生株・lrhA欠失株・LrhA構成発現株に導入した結果、-200より下流域のpchA, B, Cそれぞれの配列がLrhAによる制御の特性を規定していることを明らかにした。すなわち-200より下流域の配列がpchAであれば、上流域はpchA, B, Cのいずれであっても、ゲノムのlrhAを欠失した場合に顕著にpch転写が減少した。-200より下流域の配列がpchBであれば、LrhAを構成的に発現させた場合に顕著に転写が上昇した。-200より下流域の配列がpchCの場合、LrhAによる制御を受けなかった。

pchAとpchCの転写調節領域下流域のLrhA結合領域の中で、異なる塩基は9塩基である。この領域内でLrhAによる制御に必要なpchA特異的塩基を同定したところ、-58のアデニンがLrhAによる転写の活性化に重要であることが明らかとなった。pchCはこの塩基がグアニンであるために、LrhAによる制御を受けない可能性が示唆された。

in vitroにおける転写再構築系において、pchA, B, CのLrhA濃度依存的な転写の上昇は認められなかった。LrhA単独ではなく、他の分子との作用によりpchを制御することが示唆された。

本研究において、LEEの誘導に主要な役割を果たすEHECに特異的に存在するpchA, Bが、大腸菌K-12株と保存されているLrhAにより正に制御されること、およびLrhAによる制御に重要なpch転写制御領域が存在することを明らかにした。PchおよびLrhAの発現を制御する環境要因および関連分子を今後さらに解析することで、pchの転写を制御するLrhAのLysR型転写因子としての新規の転写活性化機構を解明すると同時に、EHECのLEEの発現制御機構の全体像の解明に貢献すると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は腸管出血性大腸菌O157:H7 Sakai株において、病原性遺伝子群LEE (locus of enterocyte effacement)の発現制御に重要であると考えられている転写制御因子Pchの発現制御機構を明らかにするため、pchの転写制御因子の同定を行い、下記の結果を得ている。

1. pchAの発現制御因子のスクリーニングにより、LysR型転写因子に属するLrhAを同定した。LrhAはpchAとpchBの転写を正に制御し、pchCの転写は制御しないことを示した。通常の培養条件下で、ゲノムのlrhAを欠失させるとpchAの転写が大きく低下することでLEEの発現が顕著に低下するのに対し、LrhAの構成的発現下ではpchBの転写が大きく上昇しLEEの発現が強く誘導されることを示した。

2. pchAおよびpchBの転写調節領域をlacZ構造遺伝子の上流に導入したレポータープラスミドを用いた欠失解析により、LrhAによるpchA, Bの制御にはpchAの転写開始点上流-417から-392、pchBの転写開始点上流-389から-374が必要であることを示した。

3. DNase Iプロテクションアッセイにより、LrhAはpchA, B, Cのいずれにおいても転写調節上流域の保存された同一の2箇所 (-385から-361および-313から-280)に結合することが示された。そこはLysR型転写因子のコンセンサス配列であるT-N11-Aを含んだ逆向き相補配列と重なる部分であった。一方、転写調節下流域の-91から+10のpchA, B, C間で保存性の低い領域への結合部位は3者間で異なっていた。

4. pchA, B, Cの転写調節領域の-200を境とした上流域と下流域間のキメラのレポーターアッセイにより、-200より下流域のpchA, B, Cそれぞれの配列がLrhAによる制御の特性を規定していることを明らかにした。すなわち-200より上流はpchA, B, Cのいずれであっても、-200より下流域の配列がpchAであれば、ゲノムのlrhAを欠失した場合に顕著に転写が減少し、pchBであればLrhAを構成的に発現させた場合に顕著に転写が上昇するが、pchCの場合には、LrhAによる制御を受けないことを示した。

5. pchAとpchCの転写調節領域下流域のLrhA結合領域の中で異なる9塩基のうち、-58のアデニンがLrhAによるpchの制御に重要であることを示した。

以上、本論文は腸管出血性大腸菌O157の病原性遺伝子群LEEの発現を誘導するEHEC O157に特異的に存在するPchが、大腸菌K-12株と共通したLrhAに制御されることを明らかにしたもので、LrhAの新規の転写制御機構およびLEEの発現制御の全体像の解明に貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク